大阪市の地名というか番地名には他では見られない面白い地名があります。
(1)地名にA・B・C
歴史がある町だけに、住民にとって慣れ親しんだ地名は大事なものですが、何と大阪のど真ん中の中央区に上町A/上町B/上町Cという地名があるのです。
1979年に、地名表記を判りやすいように整理しようと、住所再編が全国各地で行われましたが、旧南区上町の東隣にあった、旧東区の東雲町など10の町も住所の統合・変更を実施され。79年に誕生した新たな町名が「上町1丁目」で。「南区上町」と「東区上町1丁目」が隣り合うことになりました。
しかし、その10年後の1989年に南区と東区の2つの区が合併して中央区になることになり、問題が起きました。
旧「南区上町1番1号」と旧「東区上町1丁目1番」は、合併すると、どちらも「中央区上町1-1」になってしまうのです。
行政側は旧南区上町に「上町2丁目」と町名を変えるよう要請するも、住民からは「昔から『上町』に住んでいるのは自分たちなのに『2丁目』になるのは納得できない」と猛反発が起きました。
旧南区上町は江戸時代、寺社が立ち並んでいた上町筋沿いで古くから栄えた一等地。地名への愛着が特に強かったのです。
10年前に変えたばかりの<「上町1丁目」の町名を再び変更するわけにもいかないし、上町の町名を残し、2丁目にならないために>と住民らが知恵を絞り、街区符号に数字ではなく「ABC」「あいう」「いろは」「上中下」などを使う案が浮上した。
そして、最終的にはアルファベット表記で妥協したということですが、地元住民の間でも「歴史のある『上町』がなんで『ABC』や」という違和感は今も残っているようです。
(2)番地に人名 大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺
これも大阪市中央区なのですが、地下鉄本町駅のほど近く大阪のメインストリートである御堂筋のすぐ西側に、地元では「ざまさん」の愛称で親しまれる古い歴史がある「坐摩(いかすり)神社」がありますが、この神社の地名が「中央区久太郎町4丁目渡辺」なのです。
この地名が生まれたのも、1989年に東区と南区が合併して中央区となった際ということです。
この「坐摩(いかすり)神社」の宮司である渡辺紘一氏に拠ると、その由来は
・89年まで、坐摩神社のほぼ境内だけで東区の渡辺町を形成していた。ところが中央区の誕生に伴い、渡辺町は周辺の地区と統合され「久太郎町」となることになった。
・そして、渡辺町の名は消滅するはずだったが、それに待ったをかけたのが渡辺さんの父親の先代宮司だった。市議会など多方面に働きかけ、苦肉の策として番地として渡辺の名が残ることになったのだという
・それが実現した大きな背景は、この神社が全国の渡辺姓の発祥の地という特別な事情があり、全国の渡辺姓の人たちでつくる組織「全国渡辺会」の応援もあったという。
余談ですが、渡辺宮司の説明によると、
・「渡辺」とは、本来「渡しの辺り」を意味する地名だったようです。
即ち、渡辺とは旧淀川(現在の大川)に臨む現在の中央区の天満橋付近の船着き場を指し、平安期にこの地に定住した人たちが「渡辺」を名乗るようになったという。
・渡辺宮司の祖先も平安期までに渡辺姓を名乗り、宮司を代々務めてきました。更に坐摩神社は元々は天満橋の近くにあったが、豊臣秀吉が大坂城を築く際、現在の場所に移り、地名も付いてきた。
長い年月の中で、渡辺姓の人々は全国に散っていったのだということです。
(注)天満橋の南詰に近い、大阪市中央区石町2丁目に坐摩神社行宮という神社がありますが、この地が坐摩神社の旧地とされ、現在は「坐摩神社」の境外末社、御旅所(行宮)になっているようです。
(まさ)
※この項は、「大阪『地理・地名・地図』の謎」(谷川彰英、実業の日本社)、<日本経済新聞>などを参考にさせて頂きました。