老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

現政府は北朝鮮の核兵器に反対できる? 

2017年09月07日 19時50分08秒 | 政治・経済・環境・核兵器など
 連日の北朝鮮の原爆やミサイル実験については「何を考えてんねん?」と馬鹿らしさと憤りを感じざるをえません。

 わが政府も例によって、国連を通じたり或いは米国と相談しながら、反発の声を挙げていますが、ミサイルは兎も角としても、北朝鮮の核兵器開発については“日本は果して反対できる資格があるのか?”いう意見も聞こえてきそうです。

 ご存知のように、唯一の被爆国として被爆者が中心になり長年にわたり訴え続けた核兵器の恐ろしさが漸く世界に認められ、この7月に国連で賛成多数で採択された「核兵器禁止条約」には、我が国は条約の交渉会議に参加しなかっただけでなく、採択に際しては反対票を投じています。
「非核三原則」を国是として掲げる国なのにです…。

 その大きな原因は、アメリカの核の傘にいる立場上、アメリカの政策に同一行動を取らざるを得ないという事なのでしょうが、政府の意見は
・国際安全保障の現実を無視している。
・核兵器のない世界の実現には核兵器保有国と非保有国の双方の参画が必要だ
というものでした。

 この論理では、核兵器そのものの禁止を求めているのではなく、“国を守るためには核武装が必要”という理論になり、北朝鮮の主張に反論はできないでしょう。
まるで、ドーベルマンの威力をバックにした狆の遠吠えという感じで、国際的にもアピール性は少ないでしょう。


 これに関連して思い出すことがあります。
私が学生時代の随分昔のことですが、唯一の核保有国であったアメリカを追う形で、ソ連が核兵器の開発を進めていた時に、日本の左翼の一部には“アメリカの核兵器は殺戮兵器だが、ソ連の核兵器はこれに対抗する平和維持のための兵器”というような馬鹿げた理論があったことです。

 今回は、逆に既にアメリカなどが保有している核兵器は良いが、他の国が新しく開発する核兵器は悪いという理論展開になっています。
やはり、このような“良い核兵器(?)”というような欺瞞的な言い訳が出来ないように、全ての国が歩調を合わせて核兵器は悪であり全面的な禁止が必要という進め方をしない限り、新たな核保有国の参入を防ぐことはできないでしょう。

 
 また、日本がこの活動のリーダーシップを取ってこそ、他国の核兵器開発に反対する資格があるのだと思います。(まさ)