老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

秋の明日香路  その③  古墳(石舞台・キトラ・高松塚)

2017年09月24日 19時24分03秒 | 旅行/色々な風景
 この項の最初に書いたように、私もゆっくりと明日香を訪ねたのは今回が初めてなので、近くの古墳群を訪ねることにしました。
主な古墳の周辺は綺麗に整備され、全体で「国営飛鳥歴史公園」として維持されています。

<石舞台古墳>
 築造は7世紀初めで、古墳上部の封土が取り払われ巨石が露出しているのが特徴で、被葬者は蘇我馬子ではないかと言われています。
使われた石の大きさにビックリしますが、何でも石の数は30個以上あり、総重量は2,300tとも言われていて、玄室に入ることもできます。
また、この名前の由来は、石の形からとされていますが、昔この地に来た芸人が舞台がなかったのでこの上で演じたとか、色々な言い伝えもあるようです。

<高松塚古墳>
 1972年に発見された極彩色の壁画が大きな話題になったことは今でも覚えていますが、その後保存の為に未公開で、現在は公園内にある「高松塚壁画館」で石室内部の壁画の模型が展示されています。
8世紀初めの築造とされていますが、被葬者についてははっきりしないようです。

<キトラ古墳>
 高松塚古墳より更に新しく1983年の調査で、盗掘穴からのファイバースコープ調査で極彩色の壁画が発見され、更にその後の調査で天井の天文図なども発見され、大きな話題になりました。

 7世紀末から8世紀初め頃に作られた古墳で、共に円墳であることや、四神を描いた壁画があるなどの類似点から、高松塚古墳の「兄弟」といわれることがあるあります。被葬者については諸説があるようですが未確定のようです。

 また、「キトラ」という名前の由来は、中を覗くと亀と虎の壁画が見えたため「亀虎古墳」と呼ばれたという説、古墳の南側の地名「小字北浦」がなまって「キトラ」になったという説、またキトラ古墳が明日香村阿部山集落の北西方向にあるため四神のうち北をつかさどる亀(玄武)と西をつかさどる虎(白虎)から「亀虎」と呼ばれていたという説など、いろいろな説があります

 石室からの出土品も多かったので、壁画や天文図などと共に現在古墳公園内に整備された「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」内に展示され、古墳の築造方法なども良く分かるようになっています。(まさ)


<石舞台古墳>


全景

玄室への入口

玄室内部

玄室から外を見た所

<高松塚古墳>

全景(WIKIPEDIAより

高松塚壁画館

同館内部に模型展示されている女子群像図

公園内で見かけた珍しいナンバンキセル(ハマウツボ科、ススキの根本に寄生していました)

<キトラ古墳>


全景

キトラ古墳壁画体験館 四神の館

同館内 盗掘穴を模造した穴から見る四神の一つ「玄武」

同館内 天文図

同館内 昔の生活風景