老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

アジの干物作りに挑戦

2016年10月14日 20時27分46秒 | 食べ物
(10月12日に書き込みが抜けましたので、その分のカバーではないですが、今日は2件目の書き込みです)

 昨日、旧藤田邸跡の散策の後で立ち寄った「天満市場」は、近くの料理屋やレストランなどを対象とした、言わば業者向けの市場で、価格は安く、ちょっとした名物市場ですが、販売単位がスーパーなどに比べると非常に多い目で、個人客は苦労することもあります。

 例えば、イワシやアジなどの小魚は、小分けせずにトロ箱のまま激安価格で販売されることが多く、一人では買い切れず、同じような悩みを持つ見知らぬ別の客と合同で買って分け合うということもチョイチョイあります。
昨日は、上手い具合に少し小振りの新鮮なアジが12~3匹のパックで販売されていたので、2パック購入しました。

 1パック分は昨夜、南蛮漬けにして、二人で美味しくいただきましたが、残りの1パックは今朝、干物に加工することにしました。
というのは、先日火曜日のテニスの帰りに立ち寄ったお馴染みのお店で、ビールのアテに手作りだというアジの干物をだしてもらったのですが、これが滅法美味しからです。

 慣れない手つきで、アジを開き、市販の干物用のネット籠の中に入れて、ベランダで乾燥にかかりました。何分にも初めての干物作り挑戦で、アジを開くのにも大苦戦しましたが、塩分調整などぶっつけ本番で出来栄えが心配です。(まさ)

籠に入れて、ベランダで干しています

こんな形で2段に並べました

藤田美術館・太閤園・藤田邸跡公園を楽しむ

2016年10月14日 20時20分18秒 | 散歩中に見かけた風景
 昨日は絶好の散歩シーズン到来ということで、久しぶりに大川左岸の桜ノ宮公園に隣接した、藤田美術館・太閤園・藤田邸跡公園などの旧藤田邸跡をぶらり歩きしました。

 以前にもこのブログで紹介しましたが藤田邸は、近松門左衛門作の浄瑠璃「心中天網島」で有名な都島区綱島町に明治末期に建設された関西で最大級の和風邸宅で、敷地内には広い庭園と共に、本邸、西邸、東邸があったようです。
現在では東邸(現在の太閤園・淀川邸)と本邸の表門(現、藤田邸跡公園南出入口の門)と庭園の一部(現、藤田邸跡公園)、そして蔵の一部と和歌山県高野山の光台院から移築して銅板葺にした多宝塔(現、藤田美術館として利用)が残っているだけです。

 藤田美術館は、実業家で男爵であった藤田伝三郎(旧字:傳三郎、1841-1912)、その長男の藤田平太郎(1869-1940)、伝三郎の二男の藤田徳次郎(1880-1935)のコレクションを展示していますが、藤田伝三郎は、西南戦争で巨利を得て「藤田組」を設立した明治時代の関西財界の重鎮で、東洋古美術品などの骨董収集の面でも関西第一と言われ、その豪快な買いっぷりは伝説化していたようです。

 伝三郎の没後、昭和初期に藤田家蔵品の売り立てが3回行われ、この時売却された蔵品には、現在各地の美術館に納まっている名品が数多くあったということですが、それでもなお、現在の藤田美術館には国宝9件、国の重要文化財52件を含む名品が数千点所蔵されており、かっての藤田家コレクション全体の規模の大きさが想像されます。

 今日は、「桃山から江戸へ」というテーマの展示で、私には余り馴染みない茶器や絵画などが主な展示でしたが、この美術館自体が日本最初期の鉄筋コンクリート蔵を改装した建物が展示館として使用されているため、展示室スペースが非常に狭く、収蔵品の質・量に比してやや手狭であることは否めず、現在では春・秋の特別展の際にのみ収蔵品を選んで展示されています。

 別の言い方をすれば、非常にこじんまりとした落ち着きのある美術館で、静かな雰囲気の中でゆっくりと展示品を鑑賞できるので、私の大好きな美術館の一つです。(収集品の内容に反して、余り有名でない美術館のためか、今日私が居た1時間ほどの間の訪問者は5名ほどでした)

 藤田美術館の後は、太閤園の門や、藤田邸跡公園を散策して、JR天満橋駅近くにある「天満市場」で鮮魚を買って帰りました。身近な所で秋を楽しんだ半日でした。(まさ)


藤田美術館入り口

美術館庭園にある、高野山から移設されたという多宝塔

古い蔵。この中が改装され展示室になっています

太閤園の入り口

太閤園内部の様子(旧、藤田邸東邸

藤田邸跡公園内ではマユミの実が色付いていました

マユミの実のアップ写真。暫くするとはじけて白い果実が見えます