老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「正露丸」に思う

2016年10月10日 19時58分38秒 | その他
 「正露丸」は、独特の匂いと黒い丸薬で、整腸剤あるいは歯痛止めとして昔から使用されている大衆薬で、少し年配の方は皆ご存知だと思います。
私なども、子どもの頃は胃腸が弱くて良く下痢をしていたので、祖母から良く飲まされていた馴染みの薬で、今でも家の薬置き場にはありますし、海外旅行の際には携帯しています。

 10月9日の毎日新聞で、この正露丸の歴史などに関する記事を見て、戦争とも深く関わりのある薬だったことを知り、非常に面白く拝見しました。
WIKIPEDIAなどで調べた事項などとも併せて、下記します。

・1830年にドイツ人化学者カール・ライヘンバッハが、ヨーロッパブナの木から木クレオソートを蒸留したことが起源で、日本には1839年長崎の和蘭商館長ニーマンにより持ち込まれ、1856年刊の薬物書には木クレオソートを「結麗阿曹多(ケレヲソート)」と記した記載が見られます。

・1902年、大阪の薬商中島佐一薬房は「忠勇征露丸」の売薬免許を取得し、木クレオソート丸剤に「忠勇征露丸」という商品名がつけられた

・日露戦争(1904~1905)に赴く将兵にこれを大量に配付し服用させることとした。ちなみに、明治34年(1,901年)の陸軍医学雑誌ではクレオソート丸と記載されていたが、「明治三十七八年(1904/5年)戦役陸軍衛生史」によると「戦役ノ初メヨリ諸種ノ便宜上結列阿曹篤ヲ丸トシテ之ヲ征露丸ト名ケ出世者全部ニ支給シテ(以下略)」服用を命じた記録が残っており、従来の「クレオソート丸」を「征露丸」と名づけ、使用していたことが窺える。日露戦争後にクレオソート丸に名称が戻るまで4年間のみ「征露丸」として広く軍医の間で使用された訳である。

・征露丸の止瀉作用や歯髄鎮静効果は、帰還した軍人たちの体験談として多少の誇張も交えて伝えられようですが、戦勝ムードの中で、“ロシアを倒した万能薬”は多くのメーカーから競い合うように製造販売され、日本独自の国民薬として普及していった。

・軍の装備品としての配給は、日露戦争終結後の1906年に廃止されたが、その後も継続して常備薬として利用されてきた。(その後、2007年には、自衛隊の国際連合ネパール支援団派遣時の装備品として大幸薬品のセイロガン糖衣Aが採用されていたようです)

・1954年に、業界第一位で中島佐一の「忠勇征露丸」製造販売権を継承する大幸薬品(大阪府吹田市)が「正露丸(セイロガン)」の名称の独占的使用権を主張し商標登録を行ったが、その後同様のクレオソート丸を販売していた同業他社との間に、種々の商標を巡る裁判があったようです。

 このように、日本人には非常に馴染みのある正露丸ですが、実に色々な歴史を経ているのですね。
 尚、海外に持参される方へのアドバイスですが、かなり昔のことですが、この薬を別の瓶に詰めかえて海外に持参した知人が、現地の入国に際し、あの色と匂いで不審物と思われたらしく、通関に長時間を要して困ったという事実がありますので、海外に持参の際は必ず説明書も一緒にお持ち頂いた方が良いでしょう。
(まさ)