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老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

病院へのアクセス

2016年08月30日 20時14分12秒 | 福祉・障がい 関係
 昨日は大荒れの天気で、朝から激しい雨が降っていましたが、身内のお見舞いで神戸市立医療センター中央市民病院に出向きました。
この病院は数年前に新設された病院で、埋め立て地である神戸市のポートアイランドにあります。三の宮からポートライナーに乗り「医療センー駅」で下車すると、すぐ近くにあるのですが、駅の改札口を出るとすぐ近くに空港などにある長いムービングウオークがあり、これで約200m進むと、渡り廊下で病院の2階入り口に簡単に行けるのです。

 最近はあちこちに新しい総合病院や市民病院などが出来ていますが、いずれも内部は素晴らしいものの病院へのアクセツが不便で、病気の重い人や車椅子利用者などは大変だと思っていたのですが、雨の日でも濡れる心配をせずに、簡単に駅から病院へ行けるアクセスには驚きました。
このような病院が多く出来ればうれしいですね。(まさ)

ムービングウオーク。屋根もあり濡れずに済みます

神奈川県での惨事に思う 続々編  ~人間の価値の序列化~

2016年08月07日 20時38分50秒 | 福祉・障がい 関係
 先日のこの欄で、犯行者の行動背景として、“不都合なものを排除することにより自分たちの平和が保たれるという極めて独善的或いは右翼的な考え方のまん延”があるのではないかという私見を述べましたが、これに関連して7月28日付けの毎日新聞夕刊に福島智・東京大先端科学技術研究センター教授からのメールが紹介されていました。

 同氏は全盲・全ろうの重複障がいを持たれていますが、お母さんが考案された「指点字」というコミュニケーション方法で、よどみなく会話をされることでも有名ですが、今回のメッセージは極めて示唆に富んだもので共鳴できる所が多いので、その一部を新聞から抜粋して紹介させていただきます。

◆今回の、無抵抗の重度障がい者の殺害は、二重の意味での殺人である。
・一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」であり、
・もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを優生思想によって否定する「実存的殺人」である。

◆この内の後者は、被害者だけでなく、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及する危件性を持っている。このような考え方の源泉がどこにあるかは定かではないが、今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」とは無縁ではないだろう。
労働力の担い手としての経済的価値や生産能力で人間を序列化する社会。そこでは重度の障がい者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。
しかし、これは障がい者に対してだけでなく、生産性や労働能力に基づく人間の価値観の序列化につながるもので、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会に向っている。
即ち、障がい者を軽視・否定する考えは、障がいの有無に拘わらず、全ての人の生存を軽視・否定する考えなのだ。


 以上が主な骨子ですが、私的には“経済的価値や生産能力”を“経済成長”と言い換えた場合には、地元住民の不安を顧みることのない原発の推進や、住民の大部分の意思を無視した沖縄の基地問題にも通じる、同じ根っこのような気がします。(まさ)

神奈川県での惨事に思う 続編  ~「やってあげる」と「やってもらう」~

2016年08月03日 19時30分07秒 | 福祉・障がい 関係
 先日の神奈川県の残酷な事件から1週間が経過しましたが、各地の障がい者の方に非常な不安感を与えたようで、福祉関係に関係ある方への衝撃は想像以上に大きいようで、私としても、色々と考えさせられることがあります。
一時的なボランティア経験はあっても、実際に毎日毎日重度の障がい者と向き合った経験が無い人間としては、この種問題に関する発言には非常にデリケートな要素が多く、気を遣うのですがのですが、沈黙したままなのもおかしく、思いつくままに少し記します。

◆まず、新聞報道などによると、害者がどのような経緯かはわかりませんが障がい者施設に勤務の経験があり、障がい者への日々の接触を重ねる中で、意思疎通が難しい重度障がい者への偏見を深めて行ったというようにうかがえることです。

◎この点に関して少しですが思い当たるのは、私がボランティアとして福祉関係に携わる際に、先輩から言われた言葉です。
「やってあげる」とか「してあげてる」とかという上から目線は絶対に不可。相手とはあくまで対等であり、逆に相手さんから教えられることが絶対にある。「何か自分が感じられる喜び」を感じとる事、そしてそれを喜びと感じることが何よりも必要。
そうすれば相手も単に「やってもらう」という受け身的な立場ではなく、一緒に何かをしている仲間だという気持になるはず“ということでした。

◎もう一つ気になるのが、犯行者がヒットラーの思想に共感した様に報じられていることで、これは現在アメリカ・ヨーロッパ各国・一部のイスラム急進派、更に日本などでも感じられる、不都合なものを排除することにより自分たちの平和が保たれるという極めて独善的或いは右翼的な考え方のまん延に影響されているようにも思われることです。

◆次に被害に遭われた方々が、新聞などでは一律に名前が伏せられていることが気になります。
確かに、被害に遭った障がい者の方々の氏名を伏せたいご遺族の方もおられるしょうから、この方々に対しては当然とでしょうし、警察側が一律の名前公表に消極的なのも理解できます。
しかし、一方で、「障がい者」として力一杯堂々と生きられていた方の中には、このように名前も伏せられたままで単なる“一被害者”として扱われよりも、(健常者が同種の事件に遭った場合のように)ちゃんと名前を出すことで、故人の尊厳が守られると考えられる方もおられるのではないかと思います。
この点については、マスコミ側のプライバシー保護を建て前にした一律的な自主規制が少いおかしいような気がします。

以上、本件の関係者でもない第三者の勝手で傲慢な見方という誹りを覚悟での私見です。(まさ)

神奈川県での惨事に思う

2016年07月29日 19時55分00秒 | 福祉・障がい 関係
 つい先日の神奈川県の障がい者施設での大惨事については、言葉もありません。
とりあえず、被害に会われた方々や、関係者の皆様に哀悼の意を表するしか方法がありません。

 まるで、ヒットラーの障がい者や人種差別策を思い出させるような考えに、日本人の若者が、しかも障がい者支援に携わったことのある人が、辿りつく背景が私には全く判りません。
今後はこのようなことが再び起きないように、この若者が何故にこのようになったのか、しっかりした調査を期待します。(まさ)

少子化の原因について

2016年07月21日 20時11分08秒 | 福祉・障がい 関係
 先日のこの欄で日本の人口減少に触れましたが、世界的規模でのいわゆる後進国の人口爆発の陰で、逆に日本などの先進国で見られる出生率の低下とそれに伴う人口の減少は深刻な現象です。

 放置しておくと国家の衰退を招くのですから、先進国においては人口増加策が大きな課題でしょう。
なぜこのような少子化問題が起こるかに関して、少し前ですが6月26日付の毎日新聞の「時代の嵐」という欄に長谷川眞理子氏(総合研究大学院大教授)が、「少子化進展の不思議」というテーマで面白い見解を述べられていますので、抜粋紹介させていただきます。

 曰く、
・生物は元々、(種の生き残りのために)生き残る子どもの数を増やそうとする性質を備えているとするならば、少子化は生物学的には不思議な現象だ。

・人間という生物は、この100年ほどの短い間に、自らエネルギー資源を開拓し、周囲の自然環境を激変させ、医療を発達させて死亡率を劇的に低下させたが、こんな生物は他にない。

・日本における出生率は1947年の4.54が2015年には1.46に減少。平均寿命は1950年代には男女共に60歳代だったのが、2013年以後は共に80歳代に伸びた。この傾向は先進国では共通。
つまり、人間は多産多死・短寿命型から少産少死・長寿命型に変化した。

・一般的にゾウに代表される少産少死・長寿命型生物は、子どもに競争力をつけるために、しっかりと子の世話をするが、人間の場合はこの100年ほどで高度知識基盤社会を築き、この結果として少産少死・長寿命で且つ高度に競争的な社会をつくることになった。

・このため、人間では文明が進んで、生活水準が上がると共に、消費財の購入も増え、学歴も高くなり、子どもへの投資が劇的に増えた。要するに資源は増えたが、使い道も増え、少子化は全世界的な傾向になる。
と…

 大まかな背景としてはその通りでしょうが、私はこれに加えて、
“人間は生物学的にも子孫増加を望むのが本来の姿だが、この高度な競争社会の中では、子どもが複数の場合に安心して教育を受けさせられる環境が充分に整備されていないので、止むを得ず少子化にならざるを得ない”ことを強調したいと思います。

 政府は本当に少子化を阻止したいのなら、“赤ちゃんを産みやすく、また子どもを安全・安心に育てられる環境を整える”ための社会的なサポート体制確立に向けて全力を挙げて取り組むことが必要になるでしょう。(まさ)