ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

観客の想像を超えるような演出が不可欠。

2015年12月17日 | Weblog
観客の想像を超えるような演出が不可欠。

「相鉄瓦版」2015.12月号より。

こんな言葉はホログラフィック専用エンターテイメント劇場の企画に携わった齋藤康太さんだった。今年の9月に横浜駅西口に世界初の常設3DCG劇場「DMM VR THEATER」がオープンしたそうだ。

ホログラフィック自体ほとんどなじみがない。これは、人物や物体などの映像を立体的に舞台空間に見せる技術だそうだ。とにかく光をどう操るかがポイントなのだろう。

単なる映像ではなく、ショーとして演出することが必要らしい。さまざまな仕掛けで、リアルさと同時に空想的な表現が観客に楽しさを与えてくれるのだ。

そのためには、フレーズにとりあげたように「観客の想像を超える演出」が不可欠だったのだ。今まで誰もやっていないようなことを実現するからこそ、それなりの感動も生まれるのだろう。

お客さんは海洋生物にはさほど関心がないのだ。

2015年12月16日 | Weblog
お客さんは海洋生物にはさほど関心がないのだ。

「相鉄瓦版」2015.12月号より。

これは、さまざまな水族館をプロデュースしてきた中村元さんの言葉だった。実際に水族館の職員は、大学で海洋学や水産学を学んだ魚が大好きな人たちばかりだったという。

だから、水族館は子供向けの教育施設としてとらえていて、展示のことにはさほど関心を持っていたかったそうだ。しかし、氏はそんなところに次第に違和感を持つようになっていた。

水族館でのお客さんの動向を調べてみると、一番最初の水槽こそ凝視するものの順路の後半になるほど興味を失っていくらしい。3秒以上見ている水槽は全体の半分以下だったそうだ。

結局お客さんは、海洋生物にはさほど関心がなかったのだ。大事なのは、水の動きや自然の見せ方だったようだ。そこで、ヒントになったのが、ミュージカルでの照明の当て方だったそうだ。意外なところにヒントがあるものだ!

青い海水を感じさせるために二重三重の証明を使って工夫するという。制約の中でさまざまな創意工夫が、見る側に迫力を感じさせるものとなっていたのだ。ここでのタイトルは「水族館の輝かせ方」とあった。

関係ないが、最後のプロフィールの部分に、東京コミュニケーションアート専門学校の教育顧問ともあったが、このカタカナ部分を見て、“アートでコミュニケーション”ができたらいいな~と思った次第!

自分の腕を磨くことそのものにも職人としての醍醐味を感じている。

2015年12月15日 | Weblog
自分の腕を磨くことそのものにも職人としての醍醐味を感じている。

「相鉄瓦版」2015.12月号より。

この号の特集は「光のチカラに包まれて」と題して、光に関係のある仕事に携わっている人へのインタビュー記事だった。そこで、始めに登場したのが、意外にも行燈を作る木崎さんという職人さんだった。上記はその人の言葉だった。

一般家庭ではほとんどなじみがない商品も、外資系のホテルでの引き合いも増えているというから、意外だった。和を感じさせる商品でもある。

氏は職人であり、デザイナーでもあった。自分の腕があがることで、数年前にできなかったことも、あるときふとできたりすることもあるらしい。これがこの仕事の面白さだという。

また、デザイナーとしての楽しさは、自分の想像したものを形にすることに尽きるという。まさにそれは共感できることだ。誰も作らなかったものを自らの手で作るときは興奮するだろう。素晴らしい瞬間だと思える。ここでのタイトルは「受け継ぐあかり」となっていた。

「ほとんどの幸せはお金で買える」

2015年12月14日 | Weblog
「ほとんどの幸せはお金で買える」

「できる男は「常識」を信じない」川北義則著より。

これはかつて堀江貴文氏が語った言葉だそうだ。しかし、これは本当のことでもあるのだろう。「ほとんど」、ということで確かにお金では買えないものもあるということだ。

ということで、筆者はお金を出せば買える幸せなら、さっさとお金を出して買えばいいとアドバイスしている。

ゲーテは「財布が軽ければ心が重い」と言ったそうだ。まさにそれは事実だろう。買えなければ、欲しくても我慢しなければならない。また、筆者が納得できる言葉に「金を浪費したり、貯蓄するものはもっとも幸せな人々である」があるという。それでこそ人生をたのしめるのだろうな。

最後の部分では、人生を海に例えて、船に乗っているのが人間なら、船頭はお金だという。そして、よい船頭を持たなければ、楽しい船旅はできないという。これは実にわかりやすい!

仕事を面白い、面白くないで判断するな。

2015年12月13日 | Weblog
仕事を面白い、面白くないで判断するな。

「できる男は「常識」を信じない」川北義則著より。

仕事をはじめた時は、いきなり面白いと感じることは稀だろう。むしろ単純な作業や雑用がメインになっているに違いない。場合によっては、どれだけつまらないと思える仕事に耐えられるかが試されているのだ。

しかし、考え方によっては面白くできるかもしれない。筆者は経験から次のように述べていた。1、どんな仕事にも面白さはある。2、いつまでも同じ仕事ではない。3、よそへ行っても多分同じ、だという。

私も仕事や職場環境が気に入らなくて、辞めたいと思ったことは何度かある。しかし、ほかに行っても大した能力がないと気がついたことは確かだ。結果的になんとか定年までいることができた。

途中で自分にぴったりと思える仕事に出合えたことはラッキーだった。やはり十年以上継続したからこそラッキーな仕事にも恵まれたのかもしれない。

何でも「いまは・・・つつある」で考える。

2015年12月12日 | Weblog
何でも「いまは・・・つつある」で考える。

「できる男は「常識」を信じない」川北義則著より。

つまり、これは現在進行形で考えるくせをつけるといいという意味だった。たとえば、能力がない、自信がない、お金が足りない、などは「いまは能力がない」「いまは自信がない」「いまはお金が足りない」というふうに。

そうすれば、いずれ努力や状況が変われば、うまくいくはずとも考えられる。能力もそれなりに努力を重ねれば、目標に近づくかもしれない。単なるプラス思考ではなく、根拠がある程度考えられることがポイントではないだろうか。

現状に満足できない場合には、それを克服できるように試行錯誤することも大事なことだとも思えてくる。何もしなければ、一歩も進むこともできない。とにかく何らかの行動が現状を変える元になるのだろう。

人に、何かをしてやることは、必ず自分に戻ってくるものだ。

2015年12月11日 | Weblog
人に、何かをしてやることは、必ず自分に戻ってくるものだ。

「できる男は「常識」を信じない」川北義則著より。

始めから見返りなど求めてやることは、あまり意味がない。しかし、できる範囲内で純粋に、人に役立ててればと思えることはしたいものだ。

「他人の利益を図らずして、自己の繁栄はない」という言葉は、世界的ファスナーメーカーYKKの創業者・吉田忠雄氏の座右の銘だったそうだ。

戦後アメリカから最新鋭の機械を購入して大量生産体制を確立し、独走できたものの、ライバル会社に販売を任せるという形で共存共栄を図ったという。

結果的に、世界のトップメーカーにのし上がることができたのだ。目先の利益だけを考えなかったことが、その後の発展にもつながったのだ。なかなかできないことだろう。

また他人を優先することは気分もいいということでもあった。人のために尽くしても、自分にも結果的に得になることも多いようだ。損得を先に考えるのはあまり好きではないな。

いまできないことは一生できない。

2015年12月10日 | Weblog
いまできないことは一生できない。

「できる男は「常識」を信じない」川北義則著より。

だれでも、そのうち「ああしたい」「こうしたい」と思ってはいるももの、ほとんどそれが実現しないことのほうが多い。そのうち、はいつまでたってもやってこない。

しかし、中には実現してしまう人もいるのは確かだ。それは「したい」を先送りしないひとだった。今すぐ着手することだった。その場合、具体的な計画や準備を頭の中で始めることだった。まずは、想像の世界でチャレンジをはじめてしまうことがスタートのようだ。

先送りするということは、したいことを、金庫の中にしまってしまうことだという。しかし、いったん金庫の中にしまってしまえば、二度と金庫から取り出すことはないようだ。これは頷ける。

常に想像力をもっていることは、実現に近づくことかもしれない。ある新米医師はいつでもリリーフできるように、先輩医師の手元を見ながら現場の光景を頭に焼き付けシミュレーションして、手際よく手術に成功したという例もあるらしい。

物理的に今すぐはできなくても、想像の世界ならいくらでも、イメージで訓練はできるという例だろう。こんな訓練なら誰にでもできそうだ。

同じことを繰り返す努力。

2015年12月09日 | Weblog
同じことを繰り返す努力。

「できる男は「常識」を信じない」川北義則著より。

しばしばイチロー選手は天才だといわれているが、彼自身はそう言われることが好きではないという。天才とはいっても、繰り返しの天才というのが相応しいようだ。

目標を決め、計画を立て、繰り返し、繰り返し練習することができるのだった。その努力は尋常ではないらしい。それを何十年と継続しているからこその成績だった。

かつて天才と言われた、エジソンも「天才は99%の発汗と1%の霊感」、またチャップリンも「99%の努力、1%の才能」という言葉を残している。

継続的に飽きないで繰り返すことが無意識でできるくらいにならないと、レベルは上がらないようだ。

「面白い人生」があるのではありません。どう面白く生きるかです。

2015年12月08日 | Weblog
「面白い人生」があるのではありません。どう面白く生きるかです。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

これは、そのまま人生論になっているようだ。仕事も初めから面白いものはないだろう。今ある仕事を自分なりにどうすれば面白く感じられるかを見つけることが大事なのだ。

このセンテンスは、「怒った時は、笑うことで区切る」という部分にあった。怒ったままでは区切りがつかない。その区切りには笑いがいいらしい。

だまされておめでたい人がいたとしても、それはその人にとってはハッピーなことで、また人生を楽しんでいるということでもあるらしい。笑いの力は魔法でもあるようだ。

人を笑わせる前に、自分を笑わせること。

2015年12月07日 | Weblog
人を笑わせる前に、自分を笑わせること。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

独り言を言って、自分で笑ってしまうというのも面白い。感動も同じようなものだろう。人に感動してもらおうとすれば、まず自分が感動していなければ無理なはずだ。

写真なら、自分がまず面白いと思わなければ人は決して評価してくれないものだ。たまに、自分には大したことはないと思える被写体も、人には珍しいと思われるものもあったりするから、この意外性もまた面白い。

自分が作ったもので、人が面白いと感じてくれると、その人はセンスがあると思えて、その瞬間さえも忘れないものだ。

松本人志さんは、お客さんが笑う前に自分が先に笑ってしまっていることがある。また笑いながらしゃべっている時もある。こういうのもありだったのだ。

ムチャが成功を呼ぶ。

2015年12月06日 | Weblog
ムチャが成功を呼ぶ。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

筆者が広告代理店に勤務している時、師匠の人より「明日までに300コピー考えてこい」と言われる毎日だったそうだ。それにしても、すごいノルマだと思える。

そして、中谷氏が考えたものには、ムチャなものもまぜてあったという。それは選んでもらうためのアイデアではなく、師匠を笑わせるためのネタだったのだ。

師匠は中谷氏にオーソドックスにまとめるなよ、といったそうだ。ついつい無難なものばかり考えてしまいがちだから、素晴らしい助言に思える。

大事なのはスピードと勢いだったのだ。自分で書きながら、「そんなアホな」と自分で笑えるものがいいらしい。

商品でも飛びぬけて高いものがあると、中間のものは安く感じられる。また、グルメで、1000円前後のなかに180円があったら、ちょっと怖いからやめておこうという気もなるらしい。それは普通の心理だろうな。

ここには、ぶっ飛んだものを考えていると、とんがったものはいくらでも考えられるともあった。つまりそれをマイルドにすればよかったのだ。

笑いのない会議で、いいアイデアは出ない。

2015年12月06日 | Weblog
笑いのない会議で、いいアイデアは出ない。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

なるほど、それは言えそうだと思った次第。結局その場の雰囲気が硬くなっていれば、頭も当然固まっていることだろう。

笑いがある空気から脳が活性化して、いいアイデアも生まれるらしい。できるだけリラックスできる方が、意見も活発化するだろう。

提案には、笑える案を混ぜておくというのもいい方法らしい。例えば、A案はオーソドックスなアイデア、B案は少しとんがったアイデア、Cはぶっ飛んだアイデアにするといいらしい。

そして、B案に収められればベストなのだろう。ぶっ飛んだ案とはムチャなアイデアのことだった。そんなムチャなことが考えられるかどうかがポイントのようだ。

失敗談は、全部笑い話になる。

2015年12月04日 | Weblog
失敗談は、全部笑い話になる。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

失敗するとついついそれを人には隠したくなるものだ。ところが、それを話せば人は笑ってくれるようだ。自分のことでなければ、他人の失敗は面白い。

もし人にカッコよく見せようとすると、笑えなくなるという。誰でも、真面目な人ほど、失敗すればかわいく見えたりする。失敗もなく完璧であれば、まったく笑えないし、なんのネタにもならない。

自分のことでも、客観視すれば笑えるということだった。自分の失敗は恥ずかしいものだが、それをネタだと思えば笑えるのかもしれないな。自分を笑えるようなことを思い出してみたい。

笑いは、きわめて高度な頭脳労働。

2015年12月03日 | Weblog
笑いは、きわめて高度な頭脳労働。

「だからあの人に運が味方する」中谷彰宏著より。

落語や漫才などの演芸にしても、それを創作する人にはかなりの能力が必要とされるだろう。どのポイントで笑わせるかを考えねばならないからだ。

やや異なるが、稲川淳二さんの怪談には、笑いがたくさん盛り込まれているという。だから怖いらしい。単に椅子だけを撮った写真を、これは怖い写真ですねと解説するのだ。

そこには霊らしきものが写っているというからだった。さらに稲川さんは「この写真の怖さは、こんな椅子を撮ったことです」というらしい。

それでお客さんはホッとして笑うという。やはり感性が鈍い人は笑えないようだ。