ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

あらゆる交渉の場で、「何を聞くか」「どう聞くか」が、成否を分ける。

2014年04月15日 | Weblog
あらゆる交渉の場で、「何を聞くか」「どう聞くか」が、成否を分ける。
「村上龍の質問術」村上龍著より。

このサブタイトルには、“カンブリア宮殿”とあった。つまりこのテレビ番組のなかで村上氏がどうやって質問を考えているかが語られている。

テレビ番組のなかでは、さりげなくゲストの登場人物に質問しているようだが、じつはかなり練られたものだったのだ。そんなこともこの一冊を読んでみて感じた次第だ。

学校時代を振り返れば、すでにできた質問や設問に答えることだけをやってきたことがわかる。繰り返し行われたテストはまさにそれだった。しかし、質問をつくるというような経験はほとんどない。むしろそちらの方が難しい。

難しいにもかかわらず、訓練を受けたことは一度もなかった。インタビュアーはつねに相手の核心にせまった質問ができなければ、価値はない。村上氏は、自身のこの番組での経験が読者にとって参考になればと語っていた。

知のハードウェアを飛ばすハイウェーを見つける。

2014年04月14日 | Weblog
知のハードウェアを飛ばすハイウェーを見つける。

「王様の勉強法」荒俣宏・中谷彰宏著より。

なんだか抽象的で分かりにくいこのフレーズが気になった次第。そこで、わかりやすい具体的な例を出していた。それは車で150キロですっ飛ばす感じだと語っていた。

つまり高速で走るためには、それが可能な道路が必要だという。それは勉強の中身と同じようなものらしい。しかも、それにどれだけ関心があるかがポイントだった。

興味のある分野やテーマは自分にとってのハイウェイだということだ。そのハイウェイを早く見つけた人ほど、早く車の性能を十分に試せるという意味だった。

自分のことなら、初め草花に関心をもったことで、植物全体にも興味を持つようになった。すると、もっと身近な野菜、果物、樹木なども知りたくなってきたのだ。

すると、その後それを材料として、ホームページやブログ、フェイスブックに利用したいとも思うようにもなったのだ。人に見てもらえるというコンテンツにもなりうるのだ。

勉強はゴールのないマラソンだ。

2014年04月13日 | Weblog
勉強はゴールのないマラソンだ。

「王様の勉強法」荒俣宏・中谷彰宏著より。

勉強というと、学生時代を思い出してしまうが、それはやらされ感が強いものだった。だからこそいろいろと学べたということも言えるが。やはり義務教育の時期がないと、単純なことも理解できずに、その後の生活もつまらなくなってしまうだろう。

生きていくためには基本的に知らなければならないことはたくさんあるが、自分ひとりで学べるものはごくわずかにしか過ぎないだろう。ある時期には無理やりにでも知識は詰め込んでおいた方があとで楽になるし、楽しめる。

フレーズは荒俣氏のものだが、マラソンの瀬古のことを引き合いに出していた。彼の走り方は理想的で、上半身を少しも動かさないで、ロボットみたいな走り方をしていたという。そういえば、背筋がピンと伸びていたような印象はある。

 しかし、それも癖(へき)が発展したものだと思うと荒俣氏は語る。この利点は量をこなせることだった。自分に一番身についたスタイルで取り組むから疲れないのだという。それは言えるだろう。

荒俣氏は、量にどれくらい取り組めるかが、あらゆる知的活動の基本になると語っていたが、それは氏自身の経験からのものだろう。かなりのスタミナも必要だとわかる。

雑談という「知のバトルロワイヤル」・・・

2014年04月12日 | Weblog
雑談という「知のバトルロワイヤル」・・・
「王様の勉強法」荒俣宏・中谷彰宏著より。

中谷氏は、荒俣氏のことを「王様の勉強の中毒患者」だという。これもおもしろい表現だったが、きっとそうの通りなのだろう。

というのも、荒俣氏が「初めて会うので、ちょっと雑談しませんか」と話しはじめたら、食事もはさまずに、6時間半も過ぎてしまったという。それだからこそフレーズのように感じたのだろう。

つまり話している間に時間感覚が麻痺してしまったということらしい。これは「王様の勉強」の典型的な中毒症状が出た結果のようだ。

ふつうなら対談にはレジュメや資料などが用意されるらしい。しかし、何の準備もなく、手ぶらでもこれだけ話に夢中になれるってすごいことだ。

雑談とは言っているが、本を読めばかなり知的な内容であることもわかる。だから、知のバトルロワイヤルという表現になったのだろう。

「最高のセラピー」は窓のすぐ外にある。

2014年04月11日 | Weblog
「最高のセラピー」は窓のすぐ外にある。

「気持ちの整理が一瞬でできる法」内藤誼人著より。

いったいこれはどういう意味なんだろうと気になった次第。そして、その部分の第一行目には、“園芸は癒し効果がある”となっていた。

つまり土いじりには、心を癒す働きがあるのではないかと研究されたそうだ。そこから生まれたのが、園芸療法だった。実際に草花や野菜を育てるのは楽しいものだ。

自分が手間暇をかけたものが、成長して花や実をつけるようになると、嬉しさも倍増だ。しかも、それを収穫するときにまた癒される。理屈ではなく体を動かすことが精神的にもいい。

花なら、花期の長いものほどその効果はあるだろう。家庭菜園や花を育てるガーデニングはスローライフの代表ではないだろうか。

焦ったところで、すぐには収穫できるわけではない。じっくりと育てるという時間の経過こそ大事な要素だった。ゴールデンウィーク前後が一番土に親しめる時期だろう。

人間は自分自身で選択しないと、やる気が出ない。

2014年04月10日 | Weblog
人間は自分自身で選択しないと、やる気が出ない。

「気持ちの整理が一瞬でできる法」内藤誼人著より。

別にあまのじゃくでなくてもそれはあり得るのだろう。私など特に、人から言われたとおりにやることに、かなり抵抗を感じるものだ。

なんで、あんたの言う通りにやらねばならないのか、などと思ってしまう。むしろ、自分で創意工夫してやるほうがよほどモチベーションは上がるものだ。

他人にやらされていると思うだけで、気分良く仕事もできない。むしろ自分が必要だと思うことを、自分のペースで仕事ができるときが、一番効率がいいと思える。

内藤氏も「ほかの人が勧めることは一切しない」というのをルールにしているという。これはかなり徹底している。やはりそうでなければ、いい仕事はできないのだろうな。

正しい「自分の甘やかし方」

2014年04月09日 | Weblog
正しい「自分の甘やかし方」

「気持ちの整理が一瞬でできる法」内藤誼人著より。

いったいそれはどんなものだろう、と気になった次第。何か目標に向かって仕事をするとき、モチベーションがないと、なかなかやる気も起こらないものだ。

そこで、解決方法は、ご褒美を用意することだった。意外に簡単なことだとも思える。その目的を達成するために、努力しようという気になるのだろう。

しかし、その目標達成までの期間が長いとだらけてしまうかもしれない。だから、その途中にも小さなご褒美を用意するというのもありだった。それは好きなものを食べたり飲んだりすることでもよかったのだ。

働くモチベーションの維持のためには、期間によって、小・中・大といろいろなものを用意して、自分を上手に甘やかすのもありだった。試してみるか・・・な。

運動は心理的なムードを高めるのにとても役立つ。

2014年04月08日 | Weblog
運動は心理的なムードを高めるのにとても役立つ。

「気持ちの整理が一瞬でできる法」内藤誼人著より。

太っている人は、自分のボディーイメージを悪く考えがちで、思考もネガティブになりやすいそうだ。ある意味分かる気もする。

しかし、運動をして体重が落ちれば、ボディーイメージも良くなり、自信もついてくるらしい。確かにそういけばいいのだろうが。気持ちの整理が上手い人は、ウェイトコントロールもうまい人でもあるという。

筆者の内藤氏自身、中学時代は身長が175センチで体重は85キロもあったそうだ。肥満児でいろいろと自信もなかったと振り返る。

しかし、高校入学後には、食事を減らし毎日ジョッギングをして体重を60キロまで落としたという。つまり25キロのダイエットの成功したのだ。かなりの根性だ。

それ以後、やればできるという自信もついたという。体重をコントロールできるということは、自分への大きな自信となったようだ。

ユーモアセンスを磨けば、心配事を減らすことができる。

2014年04月07日 | Weblog

ユーモアセンスを磨けば、心配事を減らすことができる。
「気持ちの整理が一瞬でできる法」内藤誼人著より。

心配事は誰にでもあるものだろう。しかも、自分ではどうしようもないことまで心配していたら切りがない。たとえば、明日地震が起きたらどうしようなどは、ほとんど根拠がない。

心配事の多さと、ユーモア度には高い相関関係があるらしい。ユーモラスな人ほど、心配事が少なかったそうだ。そこでユーモアセンスを磨くにはいくつかの方法があったのだ。

意外に簡単で、笑えるものにたくさん接することだった。たとえば、ギャグ漫画を読む、お笑いの番組を見る、コメディー映画を見るなどだった。

さらにユーモアには創造性を促す働きもあった。お笑いの効果で心配事が消えて、思考の働きがアップしたのかもしれない、と筆者は語っている。ちょっとのことなら、笑い飛ばしてしまったほうが、心身のためにもよさそうだな。

老いについて慣れるということが老いに耐えるに最も良き方法・・・

2014年04月06日 | Weblog
老いについて慣れるということが老いに耐えるに最も良き方法・・・

「老いてこそ人生」石原慎太郎著より。

とはいっても、それは単に老いに甘んじるということではないようだ。耐えるためには慣れるしかないともいう。あきらめとも違うようだ。

ここでは三島由紀夫について触れていた。三島は生来虚弱な体でそれを気にして過ごしてきたらしい。しかし、途中からボディビルという人工的な肉体改造をしてしたのだ。

その筋肉は、実際に動かすにはまったく役に立たないものだった。彼はその姿をみて自己満足してしまったと石原氏は感じていた。

そして、それを老いによって失うことを恐れたというのも、彼の悲劇の要因だともいう。むしろ年をとって衰退していく肉体にも耐えることが必要だったのだろう。

この章の中で石原氏は「少しでも老いを食い止めようとする姿は決してみっともなくなんぞありはしない」と語っていた。いくつになっても、自分なりのスタイルで過ごしていきたいものだ。

かつての花形も年をとればただの人というケースも多い・・

2014年04月05日 | Weblog
かつての花形も年をとればただの人というケースも多い・・・

「老いてこそ人生」石原慎太郎著より。

これは第二章の“肉体への郷愁”と題して書かれている部分にあったもの。しかも、「多いが、・・・」と続いていたのだ。

ここではかつての西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久を引き合いに出していた。そして、彼の講演会の話をテレビで聞いた石原氏は、野球以外の局面でも人の心を捉える魅力を育み培っているのにしみじみ心を打たれたと述懐していたのだ。

あの辛口の石原氏がそう感じたのだから、よほど味のある経験を語っていたのだろう。稲尾の場合は、鍛えられた強い肉体が、当人の後年の人生に何をもたらしてくれたかのいい例だと語っていた。

若い頃体力もあった人ほど、年配になってから当時を振り返ると、かつての素晴らしかった肉体への郷愁に襲われるらしい。

やはりいろいろな面で若い頃とのギャップは感じるものだが、それ以外に別の自分らしさが感じられるものを人生のなかで見つけていくべきだ、というようなことを石原氏は語っている。

一度読んだ本の内容を忘れない・・・

2014年04月04日 | Weblog
一度読んだ本の内容を忘れない・・・

「ビジネス革新の極意」鈴木敏文・齋藤孝著より。

これは斉藤氏自身のことだが、もともと頭の構造が凡人とは違うのだろうとも思える。それには独自の方法(コツ)があるという。せっかく本をたくさん読んでもほとんど忘れてしまって、二度買いすることもしばしばだ。

本を読んだら、読んでいる最中に人に話すことだという。確かに読んで時間が経てば内容は忘れてしまう。人に「いま読んでいる本はこういう本でね」と話すだけでもいいらしい。

また、本の内容に合わせて、自分の経験をひとつ混ぜて話せば批評が出来上がるともいう。一番身近なのは家族だろう。極端かもしれないが、ペットや独り言でもいいらしい。

「経験とりまぜ再生方式」と名付けた方法は、自分の経験を混ぜて話すということだった。そうすると自分の話のようにもなるという。忘れなくなるいい方法に思える。

黒柳さんはエネルギーを常に回している感じで、すごく元気です。

2014年04月03日 | Weblog
黒柳さんはエネルギーを常に回している感じで、すごく元気です。

「ビジネス革新の極意」鈴木敏文・齋藤孝著より。

エネルギーを回す、というような表現は初めて聞いたが、面白いと思った次第。『徹子の部屋』も長寿番組だが、相変わらず人気がある。今では昼の12時からの放映になっていた。

フレーズの部分は、かつて斉藤氏が『徹子の部屋』で対談した時に感じたことだった。その元気の理由は、寝る前にヒンズースクワットを80回やっているからだったという。

もう当時70代後半の黒柳さんがそんなに多くできるとは驚きでもあった。それを始めた理由は、ジャイアント馬場さんのアドバイスがあったからだそうだ。

黒柳さんは80歳になっても元気で舞台に立ちたいが、どうしたらよいかという質問に対して馬場さんからそいういわれたのだった。馬場さんが亡くなっても遺言のように継続しているという。

前の日にやったことは、翌日もできるからと言われて続けているそうだ。齋藤氏もスクワットをやっているという。下半身に筋力がついて、充実感もあるらしい。眠くなったら身体を揺さぶるといいらしい。

人間は基本的に身体に支配されている・・・

2014年04月02日 | Weblog
人間は基本的に身体に支配されている・・・

「ビジネス革新の極意」鈴木敏文・齋藤孝著より。

この部分は直接鈴木氏とのビジネス対談とは関係なく、齋藤氏の巻末特別寄稿にあった。それは「身体感覚を磨き、仕事力を高める方法」と題して書かれていた。

「仕事や勉強で自分の持っている力を十二分に発揮するにはどうしたらよいか?」という1行目で始まっていた。まずは、体を整えて心を整えることが大事だそうだ。

やる気が起こる時は、かならず体も健康な状態に違いない。やはり、どこか体の調子がイマイチな時は、ベストな状態で仕事には臨めないだろう。体が活性化すれば、頭も活性化するともいう。

斉藤氏はそこで呼吸法もその基本であると考えていた。頭の活動は脳が行う。脳は酸素で動くからだった。そのための集中の技法が禅やヨガにあるともいう。

何かを積極的にやろうとすれば、自然と体が前に乗り出してくるものだった。齋藤氏は、心が先か、身体が先かと言われれば、身体のほうが先だと考えていた。体を整えてから、心を整えるという意味だった。

面白いエピソードをつくるには、投資をしなければなりません。

2014年04月01日 | Weblog
面白いエピソードをつくるには、投資をしなければなりません。

「人生の億万長者になろう」中谷彰宏著より。

投資とは、お金を費やすことでもあるのだろう。お金も単に銀行に預けっぱなしにしても、ほとんど利息はつかないことはよくわかる。

むしろ大事なのは、積極的な意味で投資をする、ということでもあった。単にお金を持っているだけでは、文化力はつかなかった。大切なのは使うことだった。

財布にお金を持っているだけで、モテるわけではなかった。むしろ大事なのはエピソードだった。それも面白ければなおいいのだろう。ユニークなエピソードほど、面白い体験を多くしているかどうかだろう。

何ごとも、原価がかかると考えればわかりやすい。趣味や習い事でも、それは投資ということでもあったのだ。コストなしでは、何も身につかないと思うべきだった。気をつけねば。