「作家の条件」森村誠一著より。
現役の人気作家が、作家の条件と題して書いているところが興味深く購入した一冊だった。これはエッセイ集を文庫本にまとめたものだった。個人的には特に20代から30代にかけて氏の推理小説はむさぼるように読んだものだった。
森村氏はここで面白いたとえを出していた。それは、画家がたとえがいくら素晴らしいと思える名画を描いたとしても、鑑賞者が一人もいなければ、画家とは言えないという。それは受け取り手がいないからだった。
また一人でも二人でも受け取り手がいれば、画家といえるかといえば、そうでもないという。やはりある程度まとまった受け取り手がいて、はじめて作家、画家、音楽家、アーティストといえるからだと語っている。
芸術とはいっても、世間である程度広く認められなければ、なかなかなじみにくいものかもしれない。無名の作家の本はいきなりは手に取りにくいものだ。芸術的創作物はその受け取り手が多いほど価値があるといえるのだろう。
ただし、時には本当に価値があるかどうかよりも、マスコミの宣伝によって人気があおられる場合もあるが。また口コミによってかなり左右される場合もありうる。高い人気イコールいい作品というわけでもないところが難しい。
現役の人気作家が、作家の条件と題して書いているところが興味深く購入した一冊だった。これはエッセイ集を文庫本にまとめたものだった。個人的には特に20代から30代にかけて氏の推理小説はむさぼるように読んだものだった。
森村氏はここで面白いたとえを出していた。それは、画家がたとえがいくら素晴らしいと思える名画を描いたとしても、鑑賞者が一人もいなければ、画家とは言えないという。それは受け取り手がいないからだった。
また一人でも二人でも受け取り手がいれば、画家といえるかといえば、そうでもないという。やはりある程度まとまった受け取り手がいて、はじめて作家、画家、音楽家、アーティストといえるからだと語っている。
芸術とはいっても、世間である程度広く認められなければ、なかなかなじみにくいものかもしれない。無名の作家の本はいきなりは手に取りにくいものだ。芸術的創作物はその受け取り手が多いほど価値があるといえるのだろう。
ただし、時には本当に価値があるかどうかよりも、マスコミの宣伝によって人気があおられる場合もあるが。また口コミによってかなり左右される場合もありうる。高い人気イコールいい作品というわけでもないところが難しい。