ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

文芸を含むすべての芸術作品は、受け取り手がいて成立するもの。

2010年05月16日 | Weblog
「作家の条件」森村誠一著より。

現役の人気作家が、作家の条件と題して書いているところが興味深く購入した一冊だった。これはエッセイ集を文庫本にまとめたものだった。個人的には特に20代から30代にかけて氏の推理小説はむさぼるように読んだものだった。

森村氏はここで面白いたとえを出していた。それは、画家がたとえがいくら素晴らしいと思える名画を描いたとしても、鑑賞者が一人もいなければ、画家とは言えないという。それは受け取り手がいないからだった。

また一人でも二人でも受け取り手がいれば、画家といえるかといえば、そうでもないという。やはりある程度まとまった受け取り手がいて、はじめて作家、画家、音楽家、アーティストといえるからだと語っている。

芸術とはいっても、世間である程度広く認められなければ、なかなかなじみにくいものかもしれない。無名の作家の本はいきなりは手に取りにくいものだ。芸術的創作物はその受け取り手が多いほど価値があるといえるのだろう。

ただし、時には本当に価値があるかどうかよりも、マスコミの宣伝によって人気があおられる場合もあるが。また口コミによってかなり左右される場合もありうる。高い人気イコールいい作品というわけでもないところが難しい。

志があってもミッションがなければ停滞してしまう・・・

2010年05月15日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

筆者の齋藤氏は、若者に一番必要なものはミッションだという。つまりそれは使命感というようなものだろう。誰かに具体的な指令を出してもらい、それを遂行することで充実感を得られるからだった。

それをちょっとおもしろい表現を使っていた。「あり余ったエネルギーが目的を持って一点に注がれ、形になっていく」。また、「太陽の光を一点に集めて火をおこす、そのレンズの役割が、ミッション」だという。

「漫画家の青春溶鉱炉」という章では、トキワ荘の住人たちには、きっちりとミッションが与えられていたのだ。つまりそれは漫画編集者からの注文だった。読者の期待に応えなければならなかった。

しかも、常に締め切りがあるので緊張感があったに違いない。それが単に志というよりもミッションだったのだ。もしかしたら、場合によっては就活や婚活などもミッションともなりえるのだろうな。

ふだんミッションやモチベーションなどは忘れがちで、ついついだらだらと過ごしてしまう。若者だけでなく、オジさんやオバさんにも何らかのミッションと呼べるようなものが必要かなぁ・・・

「居候文化論」

2010年05月14日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

いきなりこの言葉を見ても、いったいこれは何のことだかさっぱりわかりにくい。ここでは「漫画家の青春溶鉱炉」と題して、主にトキワ荘に住んでいた漫画家たちのことについて触れられていた。

赤塚不二夫は、次のように語っていた。「~売れないヤツが売れているヤツのところに居候して、その間に学び、鍛え、充電する。居候させてるヤツは、なんにも言わず、それが当然のこととして面倒を見る。そしてその居候が世に出ることをもってお返しとする。・・・」

赤塚さんは、トキワ荘では石ノ森(章太郎)のところに居候していた。この経験から、赤塚さんも売れるようになってからは、何人も居候を養うようになっていた。もっとも有名なのがタモリだろう。

そもそも、そのトキワ荘の居候文化の頂点にいたのが手塚治虫だったという。そこでは多くの者がタダ飯をたべ、気配りしてもらったようだ。

そう言えば、今月初めに知り合いのご婦人(80代)の甥御さん(70代)が叙勲されたので、おめでとうとご挨拶したばかりだった。するとそのご婦人は、彼は大学を出てから10年間もうちに居候していたんですよ、と話していたのを思い出した次第。

今ではめったに居候という言葉は聞けなくなったものだな。結局目先の損得だけではなく、広く支える気持ちがなければ、居候文化は成り立たないのだろうなぁ・・・

うまいとか、心を打つとかの他に、光るという要素が重要・・・

2010年05月13日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

「スタ誕!」では一次の予選会を通過するのは、100人に1人ぐらいの割合だったというからかなり厳しいことがわかる。さらに40~50人の中から、テレビ出演を許可するのは6人か7人だった。

天才アイドルへの道は、審査委員に驚きやインパクトを与えなければならない。絶対に歌がうまいというだけではないところもポイントだったようだ。

たとえば秋田県のさほど歌のうまくない少女だった桜田淳子には、何か光るものがあったらしい。決勝大会では芸能プロダクション会社25社のプラカードがあがったという。

その3カ月後には山口百恵が登場していた。デビュー曲「としごろ」ではぱっとしなかったものの、二作目の「青い果実」以降は、宝石の原石が磨かれるように、輝きを増していったのだ。

スターを生みだす大きな要素として、企画があるという。素材がよくても、売り出し方が良くなければものにはないらないからだ。天才アイドルは磨かれてこそ本物になるのかな。

アイドルを生みだす怪物番組。

2010年05月12日 | Weblog
「一流をつくる法則」齋藤孝著より。

この番組とは「スター誕生!」だった。1971年10月3日に第一回の放送となっている。初めのうちは観ていなかったが、その後数年間は毎週のように観たものだった。12年間続いた番組だった。

アイドルの第一号は森昌子で、その後桜田淳子、山口百恵と続いていった。この3人は当時「花の中三トリオ」との呼ばれたものだ。もうみんな50代になっていることだろう。またこんな時代が懐かしいと感じる人はきっと50代以上の人ではないだろうか。

この番組からは87組91人がデビューをして、一応アイドルとして成功したのはその3分の1だというからかなりの確率といえる。だからこそ怪物番組といえるのだろう。その後はこれほどのアイドルを誕生させた番組はないと思われる。

公開スカウト番組というところが新鮮に思えたものだ。番組の企画者で審査委員を務めた阿久悠氏は、いわゆる上手そうに思える完成品より、今は未熟でも何か心に感じるところのある人を選ぼうということだったようだ。

放送時間は日曜日の午前11時からで、普通なら視聴率はあまり望めない時間帯だったにもかかわらず、全盛期は20パーセント以上の視聴率を稼ぎだしていた。その点でもかなりのヒット番組とも言える。

「それはアマチャアの大会なんだから、お前は出てはならない。」

2010年05月11日 | Weblog
「一流を作る法則」齋藤孝著より。

将棋の世界は、信じられないほど完全な実力主義だと、齋藤氏は語っている。常に勝負を繰り返してその成績で昇級昇段が決まってしまうからだった。名人一人を頂点として、完全なピラミッド組織ができていた。

大相撲の世界も何勝何敗という成績が番付を決めていく実力の世界だが、横綱審議委員会のようなもので判断されることも多い。将棋はそれに比べてさらに厳格な競争世界なようだ。

さて、ここでのタイトルは「プロ意識が天才を磨く」となっていた。たとえ小学生でも強ければ、ちゃんと先生として尊敬されるのだ。本当のプロは四段からだが、師匠の内弟子になれば、プロの世界に小学生もなじむ。

フレーズにあげたものは、米長邦雄永世棋聖の元で、当時小学生だった先崎学(八段)が小学生の名人大会に出たいと申し出たときに、言われたことだった。既にプロの棋士に弟子入りしたお前はもうプロなんだという意味であった。

小学生のときから徹底的にプロ意識を植え付ける教育方法だった。そういうプロセスを経て、子どもたちの才能は一層磨かれてゆくのだろう。といっても手取り足取りで教えるということもないらしい。結局は自ら学び続けられるかどうかの忍耐の世界なのだ。

自分のスタイルを持たない画家というのは考えにくい。

2010年05月10日 | Weblog
「一流を作る法則」齋藤孝著より。

齋藤氏はスタイルを、“一貫した変形作用”とも説明しているが、それはちょっとなじみがない表現に思えた。またそれにカッコ書きでデフォルメとあったので、なんとなく理解できた。ある画家の作品を観てすぐにその作者の名前が思い浮かぶのは、独自のスタイルを確立できているからだ。作風ともいえよう。

一流のプロスポーツ選手も自分のスタイルを持っている。スタイルとはその人独自の型というようなものだろう。野球ならバッティングや投球のスタイルといったものだろう。バッターボックスに立った後ろ姿や投球フォームを一目見ただけですぐにその選手がわかるものだ。

一般の仕事でも、一流の人ならスタイルを持っているものだ。たとえば確立された営業のスタイルという表現も間違いではないだろう。それで優れた実績が残せるなら、その人らしい仕事の進め方という意味だ。

これが企業ならホンダとトヨタのスタイルは異なるともなるようだ。ホンダはエンジンをはじめ技術開発力に優れ、チャレンジし続けるスタイルを持っている。

これに対して、トヨタの得意技は総合的な安定性にあった。車の内装の充実やバランスのとれた車づくり、販売網や修理システムの整備が特徴だった。ホンダとトヨタのスタイルの対比はソニーとパナソニックの対比と同じだともいえる。

一流とは関係ないかもしれないが、自分のライフスタイルも、変なクセではなくて、しっかりしたスタイルを確立できたらいいのだが・・・それによって健康的になったり不健康になったり・・・かも。

インドでは、一桁どうしどころか、二桁どうしのかけ算も暗記させるという。

2010年05月09日 | Weblog
「一流を作る法則」齋藤孝著より。

インドのITは優れていると言われるが、こんなことも行われていたのかと驚かされる。二桁どうしのかけ算を暗算であっさりとこなす人をいまだかつて見たこともない。

子どもの頃珠算塾に通っていたことがあるが、上級者になると頭の中にソロバンが入っている状態で、暗算でかなりの桁数の計算ができていた。

たまにテレビでもすごい暗算力の人を見かけるが神業としか見えない。それもびっくりするほどの速さで答えが出てしまう。電卓の達人の技、スピードも神業だ。

トレー二ングによって、こんなこともできる人間がいることにも驚かされる。同じような練習を繰り返せば誰にでも同じようなレベルに到達できるとは限らないだろうが。

そこにはやはり個人の能力、気力、根性がなければならない。熟達者のなかから、時に突出した者が出てくると考えたほうがよさそうだ。それにしても、インドの二桁かけ算は何歳ごろから始めるのだろうか。

設定した基準のレベルによって、到達する水準は当然異なってくる。

2010年05月08日 | Weblog
「一流を作る法則」齋藤孝著より。

ここで当然とすでに書いてある通りだが、意外に忘れやすいことだと思った。個人的にはついつい低い設定をしまいがちだ。今日はこのくらいにしておくか、などと。それは甘さかもしれないが。

それとは別に、ここにはわかりやすい具体例があった。たとえばそれはスポーツだった。決勝に出ることが目標のチームと優勝することが当然のチームが対戦すれば、技術のレベルが同程度であっても、、勝敗は後者に有利となるという。

やはりそれだけ意気込みが違うということだろう。高校野球を考えてみれば、甲子園に出て優勝することが当然だと思っているチームと、甲子園に出場することがまず目的のチームとは気迫が違うかもしれない。

とは言っても、抽選の組み合わせによっては初めのうちに強豪同士のつぶしあいになってしまい、意外にノーマークで初出場校が初優勝ということもあり得たりする。何が起こるかわからいところにも観ている方は面白さを感じるものだ。

また、優勝しても当然だと思われているチームでもそのプレッシャーで負けてしまうこともある。かつて松坂大輔投手が甲子園に出場した頃の横浜高校は当然優勝と思われて、実際にその通り優勝していた。やはり別格の選手が揃っているチームの勢いはすごいものがあった。

失敗を受け入れることはできる。だが、挑戦をやめることは受け入れられない。

2010年05月07日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」4月号より。

これは「失敗」というテーマのところで、目にした名言だった。語っていたのはマイケル・ジョーダン(元プロバスケットボール選手)だった。

英語では、“I can accept failure・・・But I can't accept not trying.”となっていた。acceptはここでは「認める、理解する、納得する」に近いニュアンスだった。

やってダメならあきらめもつくが、挑戦さえさせてもらえなければ、納得できないものだ。しかし、現実ではけっこう理不尽とも思える決まりがあって、なかなかトライさえさせてもらえないこともある。

そんな時は、実に歯がゆく感じるものだ。やはり、仕事で成長していくためには、失敗しながらでもトライして自分なりに仕事を覚えていくしかないだろう。そしてノウハウを身につけていくべきなのに・・・

これでうまくいかないという発見を1万回したのだ。

2010年05月06日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」4月号より。

これはエジソンの名言で、この前には“私は失敗していない”、という言葉がついている。「1万回」とはとてつもなく多く、という意味合いだ。英語ではしばしばたくさんのことを表現する場合、大きい数を持ってくる。“Thanks a million.”なら「本当にありがとう」、という意味になることは昔習ったものだ。

また、エジソンの場合、実際電球を開発した時には、6000種類の素材を根気よく試していた。つまりそれは失敗の山だとも言える。しかし、その後竹を使ったフィラメントで900時間の点灯に成功していた。

「失敗していない」というのは実に負けず嫌いの言葉に聞こえてくる。エジソンは、12歳の時に事故で耳がほとんど聞こえなくなった時には「これで雑音がなくなり、集中力が増すではないか」と言ったそうだ。

さらに、1日18時間も働くこともあって、「休むことは錆びつくこと」とも考えて、働き続けたのだ。やはり生涯に1000を超える特許をとるには、あれほどの執念がなければ無理だったのだろうな。たんに常識だけの人間には、とてつもない発明などとうてい不可能に違いない。

女性は計算が大好きだ。

2010年05月05日 | Weblog
「ギフト~E名言の世界~」4月号より。

これは“女性”というテーマの回に紹介された名言の一つだった。この名言を残したのは、マルセル・アシャール(フランスの劇作家)だった。この部分の英訳があって、〝Woman has a passion for calculations."となっていた。

日本語の「計算」も英語の「calculation」にも、またフランス語にも2つの意味があった。それらは、「計り、数えること」と「打算的なことを考えること」だった。言語は違っても「計算」という言葉が同じように使われているのがちょっと意外な気もした。

このことを実感するために実は、この言葉のあとに続いているセンテンスが面白い。「自分の年齢は2で割り、着ているドレスの値段には2を掛け、夫の収入には3を掛け、仲よしの女友達の年齢には5を足すのだから」、となっていた。

これは劇作家ならではの表現かも。もちろん計算高いのは女性だけとは言えません。男だって、けっこう損得の計算ばかり考えている人もいますからね。いずれにしても、そんな人間とはあまりお友達になりたくないものだが。

「発明に立派な道具はいらない」

2010年05月04日 | Weblog
「産経新聞」2010.4.25付けより。

“日本発アイデアの文化史”という文化面を読んでいたら、目にしたフレーズだった。これはインスタントラーメンを発明した安藤百福さんが言っていたことだった。日清食品の創始者だった安藤氏は今年で生誕百年になる。

実際に即席麺の起源である“チキンラーメン”が発売されたのは昭和33年(1958年)だった。まだ半世紀しかたっていない。しかし今や世界で年間936億食が消費されているという。ほとんど想像もできない量だ。世界中の人が年に14回ずつ食べている計算らしい。(2008年のデータだそうだ)今ではもっと増えているという。

そんな世界的な発明品も、自宅の小屋で生まれていたのだった。研究所とは全く異なっていて、むしろ台所といってもよかった。それらしい道具は手動式の製麺機程度で、あとは調理台、鍋釜、はかり、などありきたりのものしかなかった。

ヒントは天ぷらからだった。アイデアは庶民的で、あとは試行錯誤を繰り返して、製品を完成させていた。お湯をかけるだけで食べられる即席麺は画期的なものだった。道具よりもむしろアイデアをどう実現するかに最大の努力を注いだのだろう。庶民的な発想から形になるまでには何年もの苦労を重ねたに違いない。

日本が世界に誇れるこんなアイデアさえも安藤氏は独占せず、多くの会社に製法の使用許可を与えていた。もうけよりも、社会貢献をしたいという思いの強い人だったという。ここには、「安藤氏は手間暇の節約法」を発明したのかもしれないともあった。

この記事を読んで、立派な道具より、むしろアイデアをどう生んで、それを形にしていくかの方が大事なことだと感じた次第。たとえば、パソコン1台あれば、それでいろいろな物を作ることができる。文字ばかりでなく、色、形、映像、ネット・・・と、組み合わせによって無限の発想が可能になる。

もし啄木の手紙が出たなら欲しいものだと・・・

2010年05月03日 | Weblog
「死んだら星に生まれかわる」新井満著より。

これは、「啄木の詫び状」と題した随筆のなかのワンフレーズだった。新井さんは昔から石川啄木が好きだったという。だから、もし彼の手紙が出たら欲しいと思っていたそうだ。

すると、銀座で画廊を開いているある知人が、持っているので譲ってもいいと申し出たのだ。しかし気になる値段は新井さんが付けて欲しいと言われて困ったらしい。

それは啄木がある人物に送った詫び状だった。ここには新井さんがそれをいくらで購入したのか、その結末については触れられていなかった。

それにしても、手紙といえば極めて個人的なプライバシーが書かれているものだが、有名人のハガキなどはよく古書市などでも販売されている。文豪ともなれば、かなりの値段で取引されているようだ。

ここに、数年前の週刊誌からの抜粋(文豪の手紙の値段)が掲載されていた。たとえば、夏目漱石400万円、芥川龍之介450万円、高村光太郎65万円、尾崎紅葉10万円、川端康成40万円、三島由紀夫120万円などと。

もちろんそれが文豪から有名人へ宛てたものなら、より価値が上がるのではないだろうか。文豪ともなれば作品以外のものまでも取引対象になっている。当然ながら希少価値であるものほど高額ということになるのだろうな。

自由と合理と軽快は、文庫本のコンセプトであった。

2010年05月02日 | Weblog
「死んだら星に生まれかわる」新井満著より。

この一冊は過去に書かれた自選随筆集だった。それにしても、文庫本について“自由と合理と軽快”とまでかなり大げさとも思える表現を使っていたので、さすが作家はすごいとも思った次第。

ふだんよく文庫本で読んだりはしているが、そこまで考えたことはなかった。小型で軽くて比較的安価だと思っていたが。そういえば、たいてい小型のショルダーバッグの中には文庫本が1冊か2冊入っていることが多い。文庫本もあまり分厚いものは重たくなってしまうが。

新井さんは、会社勤めをしていたときには、なんと背広姿に赤いナップザックを背負って通勤していたという。かなり目立ちそうだ。勇気がないとそんな姿はできそうもない。

このバッグについても文庫本と同じように、自由と合理と軽快だという。確かに背負ってしまえば、両手を使うことができる。しかもその中にはちゃんと文庫本を入れることは忘れなかったようだ。

たとえば、ノートなどのサイズを伝えるとき、文庫本サイズだと言うだけでたいてい大きさが想像できる。ハガキのサイズもほぼ同じくらいだ。単行本サイズというのはほとんど聞いたことはないな。