「一流をつくる法則」齋藤孝著より。
この番組とは「スター誕生!」だった。1971年10月3日に第一回の放送となっている。初めのうちは観ていなかったが、その後数年間は毎週のように観たものだった。12年間続いた番組だった。
アイドルの第一号は森昌子で、その後桜田淳子、山口百恵と続いていった。この3人は当時「花の中三トリオ」との呼ばれたものだ。もうみんな50代になっていることだろう。またこんな時代が懐かしいと感じる人はきっと50代以上の人ではないだろうか。
この番組からは87組91人がデビューをして、一応アイドルとして成功したのはその3分の1だというからかなりの確率といえる。だからこそ怪物番組といえるのだろう。その後はこれほどのアイドルを誕生させた番組はないと思われる。
公開スカウト番組というところが新鮮に思えたものだ。番組の企画者で審査委員を務めた阿久悠氏は、いわゆる上手そうに思える完成品より、今は未熟でも何か心に感じるところのある人を選ぼうということだったようだ。
放送時間は日曜日の午前11時からで、普通なら視聴率はあまり望めない時間帯だったにもかかわらず、全盛期は20パーセント以上の視聴率を稼ぎだしていた。その点でもかなりのヒット番組とも言える。
この番組とは「スター誕生!」だった。1971年10月3日に第一回の放送となっている。初めのうちは観ていなかったが、その後数年間は毎週のように観たものだった。12年間続いた番組だった。
アイドルの第一号は森昌子で、その後桜田淳子、山口百恵と続いていった。この3人は当時「花の中三トリオ」との呼ばれたものだ。もうみんな50代になっていることだろう。またこんな時代が懐かしいと感じる人はきっと50代以上の人ではないだろうか。
この番組からは87組91人がデビューをして、一応アイドルとして成功したのはその3分の1だというからかなりの確率といえる。だからこそ怪物番組といえるのだろう。その後はこれほどのアイドルを誕生させた番組はないと思われる。
公開スカウト番組というところが新鮮に思えたものだ。番組の企画者で審査委員を務めた阿久悠氏は、いわゆる上手そうに思える完成品より、今は未熟でも何か心に感じるところのある人を選ぼうということだったようだ。
放送時間は日曜日の午前11時からで、普通なら視聴率はあまり望めない時間帯だったにもかかわらず、全盛期は20パーセント以上の視聴率を稼ぎだしていた。その点でもかなりのヒット番組とも言える。