ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

Y音は美人のことばと言っても過言ではない。

2007年09月15日 | Weblog
「メトロポリターナ」2007.9月号より。

感性アナリスト・脳科学者の黒川伊保子さんが「オフィスで役立つ魔法のことば」というコーナーで言っていたこと。とくに女性には気になるのではないでしょうか。

当然ですが、Y音とは“や、ゆ、よ”で始まることばです。日本人はこの音を無意識のうちにも効果的に使ってきたようですね。

「ようこそ、いらっしゃいました」「ゆっくりなさってください」「よろしいでしょうか?」などこれらのY音を発音する際には口元は緊張と緩和の組み合わせで出すことになる。そして、女性の口元を魅力的に見せる仕草となるようだ。

だからY音は美人のことばともいえるのかも。意味を考えても「ようこそ」「よろしく」「ゆるしてあげる」などは人間関係を和らげてくれるようだ。

上手に使えば、より素敵な女性になれる・・・かも。これを読まれた方、“よ~し、やってみる!?”


世の中の現象で理由がないものはない。

2007年09月14日 | Weblog

「サンケイエクスプレス」2007.9.10付けより。

このあとには、次のように続いていた。「しかし、その理由が1つとはかぎらないのである。」これは養老孟司さんが「虫の異変に思うマトモな時代」と題して書いている部分にあったもの。

氏の鎌倉の自宅には、今まで見られなかったチョウがやってくるという。それは南のチョウで、温暖化によって広がったと解釈されている。

またあるチョウはパンジーを広範囲で植えるようになったから増えたといわれる。それはそのチョウがもともとスミレの仲間を食べる大きなチョウだからというのが理由のようだ。

養老氏はものごとの理由は一つだけとは限らないと考えている。そのほかの要因としては、都市化で天敵が減ったことも考えられるようだ。

話は少しそれるが、体調がすぐれないというときは、単に過労や睡眠不足ばかりではなく、食生活のバランスが悪かったり、日頃のストレスがたまったり幾つもの要因が複雑に絡み合っていたりするのではないだろうか。

何ごとも一見単純なようで、複雑だったりする・・・ものだな。

(子供には)意味がわからなくても響きのきれいな言葉・・・

2007年09月13日 | Weblog
「アスパラネクストエイジ」2007.秋号より。

阿木耀子さん(作詞家)は唱歌や賛美歌には、子供には意味がわからなくても響きのきれいな言葉がいっぱい詰まっているという。大人でも歌はただ聴いているだけでは意味がつかめないものも多い。ただリズムがお気に入りなら言葉の深い意味まで考えたりしないかもしれない。

しかし、歌詞を見ずに覚えていると長い間勘違いしている言葉もある。阿木さんは「村の鍛冶屋」のフレーズ「~しばしも休まず」の部分を加治屋さんだから「火ばしも休まず」だろうとずっと思っていたという。しかも現代の若者に「火ばし」といってもピンとこないかもしれない。

昔の童謡のなかには現代人にとって死語や意味不明なものが多いかもしれない。たとえば「夕焼けこやけ」のなかの「山のお寺の鐘がなる~」の部分もなぜ鐘がなるのかわからない人も多いだろう。(もちろん時刻を知らせるためだが)

ついでに、ちょっと面白いことだが、最近では都内や私の住む地元では夕方の5時になるとこの「夕焼けこやけ」のメロディー自体が流れ、夕方の5時を知らせてくれる。話がそれてしまった。

そういえば、野口雨情の作詞した童謡や唱歌などは、中年以上の人にとっては郷愁を感じるのではないだろうか。子供のころ聴いた響きのいい言葉はいつまでも耳に残るもの。

蛇足

野口雨情(1882-1945)
詩人、童謡、民謡作詞家。代表作は『十五夜お月さん』『七つの子』『赤い靴』『青い眼の人形』『シャボン玉』『こがね虫』『あの町この町』『雨降りお月さん』『証城寺の狸囃子』など。他に『波浮の港』『船頭小唄』など。

集中力が視野を狭くする。

2007年09月12日 | Weblog
「ファイブエル」2007.9月号より。

“木村政雄氏の発言!”というコーナーで目にしたフレーズ。競走馬はしばしば遮眼帯とよばれる目隠しをしたまま走らされる。それはわざわざ視野を狭くして、前を見て走ることだけに集中させるためのようだ。もともと馬の目は顔の横についていて視野が350度もあるようだ。それに比べて人間の視野は両目で約200度らしい。

話はやや変わるが、たとえば親は子供を小さい頃から少しでもいい学校、いい勤務先や高収入が見込める職業に就かせようとしたりもする。要するに競争は幼いころから始まっている。競争のためには集中力を発揮せねばならない。ある意味外界の雑音を遮ることも必要になってくる。

しかし、いくら途中経過がよくてもその後の人生が幸せかどうかは約束されているわけではない。学生時代および社会人になってからもエリートと呼ばれる人たちが事件の主役になってしまうこともある。また優秀だからこそ落とし穴に落ちたりもする。

人間はしばしば周囲からの期待や命令で知らず知らずのうちに、競走馬の遮眼帯のようなものを身につけてしまうようだ。一般にはよく言われるのは世間知らずだったりもする。「こうしなさい」「ねばならない」「~べき」などが視野を狭くすることもあるだろう。

まあ、ものごとは思うようにいかないほうが多そうだな。自己満足と妥協の日々・・・かも。


モノを集めるのは人間の本能のひとつ・・・

2007年09月11日 | Weblog
「相鉄瓦版」2007.9月号より。

これは自身も三万冊の本のコレクターだという文芸評論家の長山靖生氏が言っていること。人にとっては何の価値のないものでも、自分には大切なものもある。

たとえば、お菓子の袋や箱はただのゴミにしかならないが、それを意識して100個ぐらい集め始めたとしたら、次にはもっといろいろな種類を集めたくなるのではないだろうか。

一般にコレクターというと美術品や高額な宝飾品や骨董品などが思い浮かぶが、それは一部の財力のある人に任せておけばいいだろう。庶民はむしろお金を使わなくても集められるものにこそ価値を見出したほうが長続きもするだろうし、楽しいのではないだろうか。

つまり、わざわざ集めるためにたくさんのお金を出さなくても長年かかって自然と収集できたものほど自分にとっては価値があるかもしれない。それは逆に言えば、お金をいくら積んでも買えないものだからだ。

たとえ一枚数十円の切手でも、漠然と集めるよりもあるテーマを持って集めたほうが面白そうだ。たとえば、絵柄のデザインが植物、昆虫、世界の建造物、歴史上の人物、楽器・・・など。

一般庶民はむしろ安くて身近に手に入るものを目指して、コレクターになるほうが気楽に長く楽しめそうだな。まずは何をコレクションするかを決めねば・・・

個人コレクションには限界がある。

2007年09月11日 | Weblog
昨日コレクションについて触れたら、思い出したのが森永卓郎さんだった。彼のコレクションもかなりすさまじいものがある。氏のホームページに“森永卓郎コレクション”というページがある。

しばしばテレビでも話題にしているのがミニカーだった。このおもちゃの車を集め始めたのは北原照久氏と同じくらいだったらしい。しかし、北原氏は徹底して買い集めたたため、それだけで「おもちゃ博物館」をいくつも作ってしまったほどだ。

私もかつて訪れたことがあるが、それは貴重な資料館でもあった。そして、そこには年間かなりの入場者があるため、ビジネスとしても成立してしまっている。やはり財力と情熱があるとすごいことになってしまう。もう個人でのお楽しみを超えている。

きっと森永氏もいずれコレクションしたものを資料館として保存する夢を持っているに違いない。それから、「相鉄瓦版」にはミュージシャンのタケカワユキヒデのコレクションも掲載されていた。彼は少年マンガ雑誌のコレクターだった。

これはかなり重いしかさばるから保管が大変そうだ。毎週確実に増えていくものを30年間以上集め続けるのも個人では限界があるだろう。しかし、資料としてはいいかもしれない。ただ単にコレクションといってもいろいろと苦労はつきまとうものだな・・・

蛇足

森永氏のすさまじいばかりのコレクションはこちらのアドレスをどうぞ。→http://www.rivo.mediatti.net/~morinaga/collect.html

コレクションの基準は、あくまでも自分自身にあります。

2007年09月09日 | Weblog
「相鉄瓦版」2007.9月号より。

この号の特集は「コレクションの密かな愉しみ」だった。何かを集めることを趣味としている人は多いだろう。簡単にはじめられるが、また簡単にやめてしまうものもこのコレクションという趣味ではないだろうか。

切手、野球(選手が印刷された)カード、漫画・アニメのキャラクターシール、グリコなどのおまけのフィギアなどが自分にとってのスタートだったろうか。子供のころからそんなものを集めてはほんの数年で飽きてしまい放り出してしまったものだ。

集め始めるとその先が際限ないことがわかり、途方にくれてしまったりする。いずれにしてもお金がかかるものには限度があるものだ。今ではほとんど見かけなくなったが、小さいマッチ箱を収集したものを約40年前の子供のころ兄からもらったことがある。そのころはまだ日常では安価なライターよりマッチのほうが多かったのだ。

マッチ箱にはその店独自のデザインがあって見ているだけでも楽しかった。しかし、実はコレクションは自分が集めるからこそ楽しいのだろう。苦労して集めたモノにはそれなりに思い入れがあるもの。単に人からもらったりしたものは、愛着がないだけに冷めやすい。

そうそう、タイトルにあげたフレーズはタレントの千秋さんが言っていたことだった。彼女の趣味はモノを集めることのようだ。彼女も飽きっぽいようでコレクションするモノはいろいろ変遷している。熱が冷めるまで2ヶ月だったりするようだ。しかし、ただ一貫して続けているのが「モノを集める」ということだという。

なんとなく自分もそんなところがあるかも、と頷いてしまった。たとえば、今書いているこの日記も“ちょっと気になるフレーズ”のコレクションかとも思ったり・・・(これはほとんどお金がかからない!)


罫線というミソ。

2007年09月08日 | Weblog
この数日間にわたって、ハガキについて触れてきたが、ふだんの生活の中でハガキを書く必要性も少ないかもしれない。ただし、営業、販売、サービス業にたずさわっている場合は、実際にワザワザ書くのが億劫なだけに逆に印象付けには有効な手段ともなるだろう。

一般家庭では、まずはハガキの予備がないことのほうが多いのではないだろうか。便箋、封筒、切手などを事前に準備することに比べたらハガキを用意しておくことはかなり簡単そうだが。実際はせいぜい年賀状程度しか書く機会はないかな。

またハガキを書く際にやっかいなのは、書く際に文字をまっすぐに書けるかどうかがちょっと不安になることだ。つまり、一般にはハガキには便箋のように罫線が引かれていないからだ。しかし、最近ではあらかじめ薄く罫線が印刷されたものも売られている。

そして、電気店などで買ったハガキサイズの印刷用紙には自分でパソコンで罫線だけ印刷したりして使用している。私はそれだけでかなり気楽にハガキが書けるようになったものだ。

この罫線があるかないかが「気楽に書く」場合のちょっとしたミソでもあるかな、と思っているが。(こういうのも手前ミソって言うんだろうか・・・)


短く書け、すれば人は好んで読む。

2007年09月07日 | Weblog
「前略ハガキでお客様をつかむ法」金田晃著より。

この本の結びの部分に、金田氏が大切にしているハガキの極意が紹介されていた。それは昭和初めの文芸評論家だった千葉亀雄氏が残した言葉だった。

そのはじめの部分が上記フレーズ。そしてその後には次のように続いていた。

「ハッキリ書け、すれば人は理解する。絵で書いたように書け、すれば人は記憶する。」

長い文章に出くわすと、なぜか読む前にちょっと躊躇してしまう。しかし、短いとわかっていればすんなりと読んでしまったりするものだ。それは宣伝コピー文が短いことからもわかる。

まあ、ハガキに限らず相手に短時間で理解を求めるときは、“要するに何が言いたいのか”がわかることが先決だろう。誰もがそう簡単に絵を描くように文章を書けるとは思わないが、それを意識することは無駄ではないだろう・・・な。

ということで、今日は短く書いたつもりだが・・・(結局なにを言いたいのか分からないかも)


一枚のハガキに「ワザワザ」をどれだけ込められるか・・・

2007年09月06日 | Weblog
「前略ハガキでお客様をつかむ法」金田晃著より。

(前日の続き)
金田氏からの初めてのハガキを受け取ったのは1998年3月だった。それからその後、なんと2003年3月までハガキのやり取りは続いたのだ。(約5年間だった)プラスチックのハガキケースに取っておいた枚数を初めて数えてみたら116枚あった。そのほかに封書でのやり取りも1、2回ほどあったが。

今まで読み返したくなるような心のこもったハガキはほとんどなかったが、この金田氏のものは何度でも読んでみたくなる。サインペン、万年筆で力強いが親しみのある文字。さらにたいていワンポイントのイラストがあった。

営業や販売、サービスにたずさわる人にとって何よりもほしいのはお客さんだ。そのコミュニケーションの接点としての“自筆によるハガキ”はいまほとんど忘れられているかもしれないな・・・

金田氏がご多忙のため、その後はハガキでのやり取りはないが、メールではたまにやり取りはあった。今でも全国で講演していることだろう。しかもセミナーや研修を受けた受講生にも、ハガキをすすめているようだ。

そうすれば返事を書きますと言っていたらしいから、毎日膨大な枚数が届けられ返事を書いていたことだろう。ご多忙な中感謝でした。ホームページのアドレスは下記。
http://www.spk-co.com/

ふれあいのタネをまく一枚のハガキ。

2007年09月05日 | Weblog
「前略ハガキでお客様をつかむ法」金田晃著より。

たまたま書棚を見ていたら、ふと目に入ったので再度ぱらぱらと読み返してみると懐かしくなって数ページを読んでしまった。ずいぶん昔に買った本も捨てられないものが何冊もある。この本はもう10年前に買ったものだが、やはり捨てられないでいる。

それはこの本にはある思い入れがあったからだ。最後のページまでくるとそこには次のようにあった。「本書における感想を“ハガキ”でお送りください」と。そして筆者自身が必ず返事を書いてくれるという。

金田氏は販促コンサルタントをしていて、全国をまわり講演活動をしている。かなりご多忙に違いないが、自身がハガキについて触れた本だからちゃんとその見本を見せようということだったのだろう。

この本のあちこちが気に入ったので、とりあえずハガキを書いて送付してみた。すると数日後筆者の金田氏からハガキが届いたのだ。その最後の部分には次のように記されていた。

「余人はともあれ、私たちは“葉”が“木”になるように頑張りましょう。またお便りを!(出雲に向かう電車の中でユレつつ・・・)」

筆者からの自筆のハガキはうれしいものだ。



「まなぶ」と「まねる」のあいだから。

2007年09月04日 | Weblog
「美しいってなんだろう?」森村泰昌著より。

一般的に「人まね」「ものまね」はあまりいい意味では使われませんが、「学ぶ」は勉強を意味しています。また「まねぶ」ということばはかなり古くからあったようです。

人は人のまねをすることで、実際は多くを学んできました。普段の話し言葉も自然と人まねから身についたものでした。書道もいかにお手本どおりに書けているかが問われました。文字のバランスが悪ければ赤筆で訂正されたものです。

またすべてのスポーツ、音楽、楽器等も基本をまねることから始まっていました。自分なりのコツをつかむまでは苦労しますが、そこそこできたときには喜びを感じるものですね。仕事もまねて学んでの繰り返しですね。


結局学ぶことの始まりはまねることでもあったのですね。美術も上達への道はまずは、どれだけ対象に忠実にまねられるかがとわれます。それはデッサンでの描写力でしょうか。本物の芸術家はそこからさらに独自の道を発見できたということでしょうね。

そういえば、ベストセラー作家の浅田次郎もデビュー前は、自分のお気に入りの作家の作品を原稿用紙に写しながら小説の書き方を学んだといいます。何事も上達するには地道な努力しかないかな~

自分が美術作品に「なる」

2007年09月03日 | Weblog
「美しいってなんだろう?」森村泰昌著より。

「見る」「作る」「知る」について、美術家を目指す森村氏にとって努力していたにもかかわらず、難しいことだった。長時間絵の前に立ち尽くしても絵は何も語りださない。本を読み知識をいくらたくわえても自分がつかみとった発見という喜びや手ごたえがなかった。またいくら絵を描くのは好きでも、そこそこ上手な人は世の中にゴマンといたのだ。

結局美術家としての森村氏は苦労の末、別の新しい自分の道を探すことにしたのだ。その第四の道が「なる」ことだった。それで世間の評価を受け認められていた。だからこそ美術館で展覧会を催せるのだろう。

実際にある有名な作品の登場人物に自分がなりきってしまうという実にユニークな表現方法を思いついている。そして、ゴッホの自画像やモナリザにもなっている。衣装、帽子、パイプまで自分で制作している。

美術館にはフェルメールの大掛かりな室内の作品が出来上がっていた。それは作品の世界と全く同じ舞台装置のようだった。自ら絵画の登場人物になりきり道具を持ってポーズを決めている。それを写真で撮りコンピューターで合成して作品に仕上げてある。

とうてい一人ではできない。何人ものスタッフの協力で出来上がった作品でもある。美術のこんな世界の驚きは当然感動にもつながる・・・かな。

「見る」「作る」「知る」

2007年09月02日 | Weblog
「美しいってなんだろう?」森村泰昌著より。

この本は先月半ば、横浜美術館での氏の展覧会を見たあとで、出口のところで買ったもの。氏のいくつかの作品もカラーで掲載されていて気楽に読める。サブタイトルは“美術のすすめ”とあった。そして、美術という世界に近づくためにはまず、3つの道があるという。それは次のようなものだった。

「見る」・・・美術鑑賞。美術館に行って絵などを見ること。
「作る」・・・自分で絵を描いたり、粘土をこねて作品をつくること。
「知る」・・・本で読んだり、美術に詳しい人に教えてもらい知識を得ること。

知ることについて、ここではゴッホの絵を例にとっていた。ゴッホは1853年生まれで1890年に自殺している。37歳という若さだったが、自画像は意外に老けて見える。

片耳に包帯をまいている自画像について。一度は仲がよかったゴーギャンと仲たがいして、激情して自分の耳を切ってしまった。こんないきさつを「知る」ことで、絵の内容も少しは分かってくる。まあ、この程度のことならかなり知られているかも。

「ネットカフェ難民」の万引きが目につく。

2007年09月01日 | Weblog
「朝日新聞」8月31日付けより。

数日前の新聞記事にはネットカフェ難民という造語があり、いったい何のことかと思った。つまりこれは定まった住居がなくインターネットカフェなどで寝泊りしている人たちのことだった。

そして週の半分以上を常連的にネットカフェで過ごしている住居喪失者が約5400人と推計していた。この数字が多いのか少ないのかはよく分からない。また、20代が27%で最多で、次には50代の23%だという。(厚生労働省の調査)

さらに驚いたのは、電気街、秋葉原とオタクが集う「アキバ」環境の中では、、「ネットカフェ難民」による万引きが多いことだった。盗んだゲームソフトや電気製品を中古買取り店やネットオークションで売りさばいている。

そのネットオークションもネットカフェのパソコンを使っているケースもあるというからさすがオタクは悪いことも徹底している。約500メートル四方に600近くの電気店がひしめき中古品を買い取る業者も400店を超えるという。う~む。買い取る側もそれが盗品と判断がつかないかな~