ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

試験を受けるような仕事は全部ダメだと思った。

2007年08月21日 | Weblog
「好きなことをやって、成功する法則」竹村健一、中谷彰宏著より。

これは、竹村氏の言っていたこと。氏はかつて頻繁にテレビ番組やCMに出演していたので“電波怪物”とまで言われた時代があった。そして、けっこう自分の好きなように生きている感じもする。

竹村氏が大学生の初めごろ、外交官か弁護士になろうと思っていたという。しかし、その種の本を買って読んだら面白くなかったという。自分に性があわないと感じて、自分の好きなようにやったら世の中に受け入れられてけっこううまくいったと述懐している。

そうは言っても、実際の生活では実にハードにコツコツと勉強していたに違いない。それは昔書いた本からもうかがえる。几帳面にメモをして蓄積していたからこそ多くの著作を残せたに違いない。また誰にでもわかりやすく伝えられるのは自分がそれだけ深く理解しているからだ。

竹村氏の書いた本やテレビでの話は分かりやすい。私も高校時代に買った氏の著書をいまだに持っている。その後に買った本は捨ててしまっているのに何故か捨てられないでいる。それは『頭は使いよう』というタイトルの本だった。

この本が出版された当時、氏は追手門学院大学の助教授をしていた。つまり英語の先生だった。この本は海外旅行したときにメモをした海外の(当時は)新しいアイデアをまとめたものだった。「はじめに」の部分に“この本は努力しないで出世する法を実例で教え、君の人生観を変えるものである。”とあった。

私は高校時代にこれを読んで、ただただ努力が嫌いなだけの人間になってしまった・・・。


本は人と会うためのインフラだ。

2007年08月21日 | Weblog
「好きなことをやって、成功する法則」竹村健一、中谷彰宏著より。

この本は数年前にもざっと読んだことがあったが、再読してみた。これは2人の対談をまとめたものだった。するとその時は通り過ぎてしまった箇所が気になった。それが上記のフレーズだった。

これを言っていたのは中谷氏。この本が出版されたのは2001年だが、当時までで竹村氏は550冊の本を書いていて、中谷氏は400冊だった。中谷氏は本を書くことで人と会ったりできるから、本はそのためのインフラだと言っている。

彼にとっては本を書くことは最終目的ではなかったのだ。きっと竹村氏にとってもきっと同じだろうとも語っている。確かに著作があれば、それをたたき台の話題として人に会うときにはいいかもしれない。

でも、一般の人はそういうわけにはいかない。そこで、誰にでも簡単にできそうなのがインターネットではないだろうか。たとえば、自分のホームページやブログを通じてあらかじめ自分を知ってもらうにはけっこう役立ちそうだ。

ネット自体がインフラには違いないが、そこに書かれた内容は個人個人異なるからそこから個性も伝わるに違いない。だから、私たちはブログ(ウェブ日記)は人と会うためのインフラだ、と言い換えてもよさそうだな、と思った次第。

再チャレンジ人間の代表。

2007年08月21日 | Weblog
「産経新聞」2007.8.17付けより。

一面の“産経抄”というコーナーにあったもの。先週、大リーグのパイレーツ所属だった桑田投手はとうとう戦力外通告を受けてしまった。これで現役の野球人生は終止符をうとうとしている。

今後は指導者という立場になろうが、もう少し長くメジャーで活躍できると思ったが、残念!19試合に登板したが、0勝1敗だった。せめて1勝はして欲しかったが。(1回だけ勝ち星を手に入れそうになったこともあったな)

当初、38歳と言う年齢でメジャーにチャレンジすること自体難しいと思われていたが、それでも結果的にはメジャーのマウンドに立つことができた。これは野球に対してこつこつと努力していたご褒美みたいにも思える。

実際40歳を目前にして日本人としてメジャーに再チャレンジし、それを成し遂げてしまいオールドルーキーとなってしまうものすごいこと。よほど強い意志と技術がなければ無理だったに違いない。そんな意味でも再チャレンジの代表とも言えそうだ。

桑田投手の甲子園での通算20勝という記録は戦後最多となっている。また日本のプロ野球巨人では一流投手としての実績を残している。そして、彼自身も数ヶ月間のメジャー在籍で学んだことも多いだろう。

また日本の野球で培ったよいところもパイレーツには残せたようだ。投手として思い通りのところへボールを転がすバントの見本、一塁ベースカバーに全力で走ること、練習前の独自のストレッチ、若手捕手へのリードやキャッチングの助言等。

14年間連続で負け越しているチーム(パイレーツ)に桑田のプロ意識というか野球道はきっと伝わったに違いない。もしかしたら、桑田が身体で学んだ以上のことをそのチームの若手投手陣は学んだのかもしれない・・な。