すべての古典はその時代のモダンアートだった。
「岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
これは忘れがちなことでもあるが、なるほどと思える。数百年もまえの歴史的建造物や創作物はその時には、どこにも見当たらない新鮮なものだったに違いない。
しかし、現在からみれば、すべては古典になってしまう。太郎が残した言葉には「法隆寺は焼けてけっこう」というのがある。失ったらもっとすぐれたものを作ればいいのだとも考えていた。
単に古いというだけで、守るべき伝統と考えるのはおかしかった。当時は、価値があったものでも、今も文化的・芸術的に生きて躍動しているわけではなかった。
太郎にとって常に大事なのは、過去でも未来でもなく、この瞬間瞬間に生きることだったのだ。形式よりも生命力こそに重きを置いていたようだ。
「岡本太郎の仕事論」平野暁臣著より。
これは忘れがちなことでもあるが、なるほどと思える。数百年もまえの歴史的建造物や創作物はその時には、どこにも見当たらない新鮮なものだったに違いない。
しかし、現在からみれば、すべては古典になってしまう。太郎が残した言葉には「法隆寺は焼けてけっこう」というのがある。失ったらもっとすぐれたものを作ればいいのだとも考えていた。
単に古いというだけで、守るべき伝統と考えるのはおかしかった。当時は、価値があったものでも、今も文化的・芸術的に生きて躍動しているわけではなかった。
太郎にとって常に大事なのは、過去でも未来でもなく、この瞬間瞬間に生きることだったのだ。形式よりも生命力こそに重きを置いていたようだ。