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フィクションが理解できないと、ユーモアのセンスがなくなる。

2013年11月16日 | Weblog
フィクションが理解できないと、ユーモアのセンスがなくなる。

「なぜあの人には、センスがあるのか」中谷彰宏著より。

ギャクにのっていけるのも、フィクションが理解できるからだった。ここには、また次のようにもあった。“「たとえば話」をどれくらい楽しめるかは、あなたのセンスや想像力がどれだけあるかにかかっている”と。

なんでも「なってみないとわからない」と答える人にはセンスがないようだ。たとえば、をもっと楽しむべきだったのだ。ユーモアのセンスは、のっていけるセンスだった。

楽しむというのは、現実にあることだけを楽しむのではなかった。センスのいい人は、どんな質問をしても、必ず自分なりの答えをすぐに出す人だった。

ここでの結論は「フィクションを、楽しめる遊び心を持とう」だった。確かにいろいろなことを想像するだけで、楽しめるしそれを実現すれば、結果的にクリエイティブなこともできるものだ。