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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

“ビューティモリワキ・創業60周年記念 梅原司平コンサート”へ

2012年10月15日 | 日記
 情報誌「ぱど」で応募していて送られてきた『梅原司平コンサート』のチケット、月曜日の18時開演、場所は星の里いわふねのホールと普通でない設定に「どんなコンサートやろ」と疑問を持ちつつ早めの夕食を済ませて出かけた。家から歩いて45分、我が家では徒が歩圏内である。

 途中、妻も不安に思ったのか、日付と場所まちがってないやろなとチケットを確認し始めた。「おいおい」と言いたくなったが気持ちはわかる。会場が遠目に見えてきた時、車を誘導している人や橋を渡ってセンターに向かっている人などが確認でき、まちがいないとホッとする。

 橋を渡って玄関に向かうと入口付近に10数名の黒のTシャツ姿の今風の若者が明るく出迎えてくれていた。「いったいこの雰囲気はなんだ?どんなコンサートなんだ?」と新たな不安が生まれる。

 シャツにプリントされた“MORIWAKI”の文字を見て、思わず「モリワキさんの主催だったのか」と声を上げてしまった。「ハ~イ、そうですいつもお世話になっています。チケットお持ちですか?」と少しけげんそうな顔で答えてくれた。創業60周年記念という看板の文字が目にとびこむ。

 そうか60年にもなるのかと自分の年齢と重ねて考えてしまった。ちょうど30年ほど前、上の娘と息子をあさひ幼児園に送迎していた時、園を出た道の斜め前にあった2階建てのビルのいっかくに“モリワキ美容院”が開店したので印象に残っている。感じのよい若夫妻で店を切り盛りしていて季節に合わせたセンスのよい飾りつけなど、当時これといった店もない星田界隈ではシャレた感じで目をひいた。

 それからあちこちに店を出して広げていったように記憶する。基本的には私とは無縁の世界ではあるが地域でしっかり根ざしているということはいろいろな場所にある店の前を通るたびに思ってきた。

 入口でいただいた袋に入っていた店舗新聞である「ほころび新聞」の内容やミャンマーへの「命の泉事業」への参加、止揚学園への協力などの報告などを読んで、スタッフの顔に生き生きとしたものを感じた理由がわかったような気がした。単に利益のみを追求するのではなく、「やさしい会社」を目指すというトップのしっかりした理念が根底をに流れている。

 そのことは、過去2度の区切りの記念行事にも梅原さんのコンサートを開き、今回は3度目であるということにもうかがわれる。
 梅原さんの歌とトークには自分の足で歩き、現場でのふれあいを通じて感じ、考えたことがぎっしりつまっていた。1946年に生まれ1971年から音楽活動を開始し、数々のコンクールで好成績をおさめ1980年にCBSソニーより全国デビューを果たすが、大きな挫折を味わう。

 2008年にキングレコードより再デビューを果たし、全国のさまざまな場所で魂の歌を届けているシンガーソングライターである。66歳の年齢を感じさせない伸びやかな声で2時間余り、休憩をいれず13曲を歌いきった。間にはさまれたトークも40年余りの地道な歌手活動で培われてきた味わい深いものであった。
 歌もさることながらギターもなかなかのものであった。中学時代に始めたそうだが、古賀メロディの爪弾きから♪禁じられた遊び♪と当時ギターにあこがれる人の定番の流れに乗った中で、のめりこむ決定打はラテンとの出会いだと語られていた。最初に聞いた時からフォークではない響きを感じていたが原点にラテンがあると聞いて納得した。

 おじさん=演歌という図式があるが、昭和20年代に生まれた世代は今よりもっとたくさんのジャンルの音楽を耳にしながら育ったように思う。ジャズ、ラテン、シャンソン、カンツォーネ、アメリカンポップス、フォークローレ、歌謡曲などがもっとあふれていて今より豊かな環境だったのではと梅原さんも話していたが同感である。

 思いがけない楽しいひと時を過ごした。入るときは道路の温度が21℃表示だったものが帰る時は15℃になっていたが、ホットな気分で足取りも軽かった。

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