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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

午前は鶴見緑地でのフラワーフェスティバル、午後は交野九条の会による講演とミニコンサートに

2012年10月27日 | 日記
 イベントの秋である。各施設、各団体でさまざまな催しがなされている。所用のついでに鶴見緑地に立ち寄ってみるとフラワーフェスティバルをしていた。植木市、花のコンテスト、花関係の業者のブースがずらりと並んでいた。
 ちょうど高校生によるフラワーアレンジメントのコンテストの真っ最中で審査員の厳しいまなざしの中、黙々とアレンジメントに取り組んでいた。昨今は料理、お菓子など様々な分野での高校生の進出が耳目を集めているが、ここにもその世界があるのだなとしばし眺めていた。


 午後からは交野市のゆうゆうセンター多目的ホールで開催された“交野九条の会”主催の『ミニコンサートと講演のつどい』に出かけた。第一部のミニコンサートは交野うたう会の女声合唱。
 一本筋の通っている合唱団でいつも美しいハーモニーを聴かせてくれる。特に♪ダニーボーイ♪がこころにしみた。

 第二部の講演は中嶌鉄演氏の『いのちか 原発か~宗教者からのメッセージ~』であった。中嶌氏は1942年小浜市に生まれ、東京芸術大を中退し高野山大学仏教科卒業後真言宗御室派棡木山明通寺の住職をつとめながら1968年より「原発設置反対小浜市民の会」の事務局長をなされてきた方である。

 講演会のチラシを見た時中嶌さんと明通寺から2冊の本が頭の中に浮かんだ。1つは高橋秀実さんの『からくり民主主義』。その第7章“危険な日常~若狭湾原発銀座~”に中嶌さんへの取材ルポがある。このルポは15年前の1997年に書かれたものである。原発の安全神話が崩れていない時である。ていねいな取材をしているということを今回、中嶌さんの話を直接うかがってよくわかった。フクシマの事故後という大きな状況の違いはあるが話の内容に重なることが多かった。

 2時間余りでは語りつくせないことも多かったのではないかと思った。会場で販売されていた風媒社から2012年3月20日に出版された小出裕章との対談“いのちか原発か”を購入した。

 もう1つは、白洲正子さんの『私の古寺巡礼』である。その“若狭紀行”に明通寺が登場する。

 明通寺は大同元年(806)、坂上田村麿の草創による古刹である。ゆずり木の大木で、三尊仏を彫刻したと伝え、昔は「ゆずりき寺」とも称したと聞くが、現在の山号も「棡木山(ゆずりぎざん)明通寺」という。その名にふさわしい幽邃の境で、杉木立の中を登って行くと、右手にどっしりとした本堂が見えて来る。その向こうに軽快な三重塔も望める。ともに鎌倉時代(十三世紀)の堂々とした建築で、本堂の内陣には、藤原時代の薬師如来を中尊に、二体の脇士が祀ってある。脇士の降三世(ごうざんぜ)明王と、深沙大将(じんじゃだいしょう)は、特にみごとな彫刻で、いかにも山奥の寺らしい森厳の気にあふれている。


 この文章にふれてから、明通寺をはじめ若狭にある古寺は私の引き出しに大事にしまわれている。そういうこともあり今回の講演はご縁を感じるものであった。
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