


午後からは交野市のゆうゆうセンター多目的ホールで開催された“交野九条の会”主催の『ミニコンサートと講演のつどい』に出かけた。第一部のミニコンサートは交野うたう会の女声合唱。

第二部の講演は中嶌鉄演氏の『いのちか 原発か~宗教者からのメッセージ~』であった。中嶌氏は1942年小浜市に生まれ、東京芸術大を中退し高野山大学仏教科卒業後真言宗御室派棡木山明通寺の住職をつとめながら1968年より「原発設置反対小浜市民の会」の事務局長をなされてきた方である。
講演会のチラシを見た時中嶌さんと明通寺から2冊の本が頭の中に浮かんだ。1つは高橋秀実さんの『からくり民主主義』。その第7章“危険な日常~若狭湾原発銀座~”に中嶌さんへの取材ルポがある。このルポは15年前の1997年に書かれたものである。原発の安全神話が崩れていない時である。ていねいな取材をしているということを今回、中嶌さんの話を直接うかがってよくわかった。フクシマの事故後という大きな状況の違いはあるが話の内容に重なることが多かった。

もう1つは、白洲正子さんの『私の古寺巡礼』である。その“若狭紀行”に明通寺が登場する。
明通寺は大同元年(806)、坂上田村麿の草創による古刹である。ゆずり木の大木で、三尊仏を彫刻したと伝え、昔は「ゆずりき寺」とも称したと聞くが、現在の山号も「棡木山(ゆずりぎざん)明通寺」という。その名にふさわしい幽邃の境で、杉木立の中を登って行くと、右手にどっしりとした本堂が見えて来る。その向こうに軽快な三重塔も望める。ともに鎌倉時代(十三世紀)の堂々とした建築で、本堂の内陣には、藤原時代の薬師如来を中尊に、二体の脇士が祀ってある。脇士の降三世(ごうざんぜ)明王と、深沙大将(じんじゃだいしょう)は、特にみごとな彫刻で、いかにも山奥の寺らしい森厳の気にあふれている。
この文章にふれてから、明通寺をはじめ若狭にある古寺は私の引き出しに大事にしまわれている。そういうこともあり今回の講演はご縁を感じるものであった。