今朝の朝刊は、文部科学省が30日に、09年度の教科書検定結果を公表し、小学校で11年度から使われる教科書についての具体的な姿が見えたことが報道されていた。ただ、『郵貯上限2000万円で決着。亀井案軸。6月にも実施』というニュースにやや押されている感はあったが。
毎日の見出しだけを拾ってみると 1面は“「脱ゆとり」鮮明。教科書分厚く。算数、理科3割超増” 3面では“「愛国心」色濃く。竹島~国境明記を・伝統文化~神話も登場” 12面では“思考力、活用力養成が柱。「言語活動」全教科で重視”30面では“教科書検定・発想の転換必要。内容1.4倍 教師ら不安の声” となっている。
生徒として習う立場の時から教える立場として35年と学習指導要領との付き合いは長かった。今は少し離れた位置にいるので、『Wikipedia』の《学習指導要領の変遷》に沿って気楽に考えることができる。
学習指導要領の変遷
年度は小学校で本格的に開始された年度である。
1単位時間は小学校は45分、中学校及び高等学校は50分である。
1947年(昭和22年)
第二次世界大戦後しばらく行なわれていた学習指導要領。手引きという立場であり、各学校での裁量権が大きかった。1953年(昭和28年)までは学習指導要領(試案)という名称であった。
小学校において、戦前からの修身、地理、歴史が廃止され、社会科が新設され、家庭科が男女共修となった。自由研究が新設された
私はまだこの世にいないが、教員の絶対数不足、価値観の転換による喪失感などで混沌としていたことを映画や本を通して知った。
1951年(昭和26年)
1951年から実施された学習指導要領。
小学校の総授業時数は5780コマ。中学校の総授業時数は3045コマ。
自由研究は廃止され、教科以外の活動(小学校)、特別教育活動(中学校)と改められた。中学校の習字は国語科に、国史は社会科に統合された。体育科は保健体育科に改められた。職業科は職業・家庭科に改められた。
この年の1月に私は生まれた。1951年はサンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約の調印がなされ、GHQの日本占領が終了し新たな一歩を踏み出した年である。小学校低学年まではこの指導要領で学習していた。小3の算数で、九九を覚えるのに、全員床に正座し、自信のある者だけ挙手をして一の段から九の段までつまらず、まちがわなければ100万円ではなく、椅子に座れる。ということを2週間以上やっていたと思う。1日に2~3人合格するだけで、ほとんど沈黙の苦痛な時間であった。私は七の段が舌がまわらず絶望的だったのでひたすら正座に耐える道を選んでいた。この授業以外はほとんど記憶がない。
1961年(昭和36年)
系統性を重視したカリキュラム。道徳の時間の新設、科学技術教育の向上などで教育課程の基準としての性格の明確化を実現。公立学校に対して強制力がある学習指導要領が施行された。
小・中学校の学習指導要領は1958年(昭和33年)に告示され、小学校は1961年(昭和36年)度から、中学校は1962年(昭和37年)度から実施されたが、道徳のみ1958年10月から実施されている。 高等学校の学習指導要領は1960年(昭和35年)に告示され、1963年(昭和38年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5821コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3941コマ。中学校3年間の総授業時数は3360コマ。
中学校の職業・家庭科が技術・家庭科に改められ、高等学校の古典、世界史、地理、数学II、物理、化学、英語にA、B(または甲・乙)の2科目を設け、生徒の能力・適性・進路等に応じていずれかを履修させるようにするなど、科目数が大幅に増加した。高等学校の外国語が必修となったほか、科目の履修に関する規定が増加した。
小学校高学年から中高にかけて、この指導要領で学習した。びっしり授業があった。という印象がある。公立高校の受験科目が9教科だったのでハードであった。勉強即暗記という図式があったが、中3の時、意欲的な校長先生が転勤してきて、思考を重視するということで“バズ学習”を取り入れた。ただ、教師の方は未消化だったみたいで、「とにかくグループになって、みんなでにぎやかにしゃべれ」なんて指示を出したので雑談していたことを覚えている。教師に自信がないなと見抜くと生徒は崩れるということを学んだ。
1971年(昭和46年)
現代化カリキュラムといわれる濃密な学習指導要領。時代の進展に対応した教育内容の導入で教育内容の現代化を実現。
1950年代、ソ連が1957年に人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことは、アメリカの各界に「スプートニク・ショック」と呼ばれる衝撃が走った。アメリカ政府は、ソ連に対抗するためにまずは学校教育を充実し、科学技術を発展させようとした。これに伴って、「教育内容の現代化運動」と呼ばれる、小中学校からかなり高度な教育を行なおうとする運動が起こった。この運動が日本にも波及し、濃密なカリキュラムが組まれたが、授業が速すぎるため「新幹線授業」などと批判された。当時は公立学校も私立学校もあまり違いがない学習内容だった。結局、教科書を消化することができず、教科書の内容を一部飛ばすなどしてやらない単元を残したまま進級・卒業をさせる場合もあった。
小学校の学習指導要領は1968年(昭和43年)に告示され1971年(昭和46年)度から実施、中学校の学習指導要領は1969年(昭和44年)に告示され1972年(昭和47年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1970年(昭和45年)に告示され、1973年(昭和48年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5821コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3941コマ。中学校3年間の総授業時数は3535コマ。
高等学校の社会科や理科で旧課程のA・Bの区分は止め、新たに地理A(系統地理的)、地理B(地誌的)などを設置した
大学に入学したのが1970年(昭和45年)なので、ちょうど教育実習の時がこの学習指導要領のスタート間もない頃であった。特に、数学の中身がガラリと変わり、今大学で習っている概念が小中に直接持ち込まれた。その代表が《集合》というものだった。実習先が教育大学の付属中学だったので最先端の授業をしなければいけなかった。多くの学者から危惧されたが、混乱だけを残し、このとき導入された現代化の内容は10年余りで消えていった。ひどい後遺症を残したように思う。
1980年(昭和55年)
ゆとりカリキュラムといわれる、教科の学習内容が少し削減された学習指導要領。各教科などの目標・内容をしぼり、ゆとりある充実した学校生活を実現。
現代化カリキュラムは過密であり、現場の準備不足や教師の力不足もあって、大量の付いて行けない生徒を生んでしまい、これに対する反省から授業内容を削減したもの。1976年(昭和51年)に学習内容を削減する提言が中央教育審議会でなされた。私立学校はあまり削減を行なわなかったので、公立学校との差が付き始めた。学習内容が全て削減されたわけではなく、漢字数などはむしろ増えているため、意図したほどゆとりを生まなかったという批判もある。学校群制度なども影響し、公立学校の進学実績の低下が明らかになった時期でもある。
小中学校の学習指導要領は1977年(昭和52年)に告示され、小学校は1980年(昭和55年)度から、中学校は1981年(昭和56年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1978年(昭和53年)に告示され、1982年(昭和57年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3659コマ。中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
中学校の選択科目の選択肢が拡大された。高等学校の科目履修の基準が緩和された。
このあたりは入試制度を変更することで教育の現状が変わるという幻想にとりつかれた時期である。大学入試では国立一期校、二期校という入試から共通一次試験の実施へと大きく変わった。高校入試では公立で学校群制度が多くの所で取り入れられた。
学習内容も削減されたが、荒っぽい美容整形みたいで、ただ削ったというだけでバランスの悪い教えるのに苦労するものだった。
1992年(平成4年)
新学力観の登場。個性をいかす教育を目指して改定された、教科の学習内容をさらに削減した学習指導要領。生活科の新設、道徳教育の充実などで社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成を実現。
学習指導要領は1989年(平成元年)に告示され、小学校は1992年(平成4年)度、中学校は1993年(平成5年)度から実施された。高等学校は1994年(平成6年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、国・算・理・社・生活の合計授業時数は3659コマ。中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
小学校の1・2年では理科・社会科を廃止し生活科が導入された。高等学校では社会科を地理歴史科と公民科に再編するとともに、家庭科を男女必修とした。
小学校1・2年の生活科導入には危惧の声があがった。今回の算数・理科の3割増しはこの時にあがった声をやっと反映したというべきもの。反省の弁がほしいと考える由縁である。
2002年(平成14年)
戦後7度目の改訂といわれる、現行の学習指導要領。教育内容の厳選、「総合的な学習の時間」の新設により、基礎・基本を確実に身に付けさせ、自ら学び自ら考える力などの「生きる力」の育成を実現。
小中学校の学習指導要領は1998年(平成10年)に告示され、2002年(平成14年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1999年(平成11年)に告示され、2003年(平成15年)度の第1学年から学年進行で実施された。内容の一部については2000年(平成12年)度から先行実施された。
小学校6年間の総授業時数は5367コマで、国・算・理・社・生活の合計授業時数は3148コマ。中学校3年間の総授業時数は2940コマ。
学校完全週5日制が実施された。中学校では英語が必修となった(実質的には大部分の学校で以前も必修扱いであった)。また、小学校中学年から高等学校において総合的な学習の時間が、高等学校において情報科が創設された。その一方で、教科の学習内容が大幅に削減され、さらに、中学校・高等学校においてはクラブ活動(部活動)に関する規定が削除された。
総合的な学習の時間と個人選択授業の実施は現場に多大な混乱を起こした。理念が先行して、それにともなう教職員の配備、設備の充実、予算の裏づけなど物理的な保障が充分でなかった。すべてに中途半端であったという印象を持っている。
これほど短期で見直しの声が多く出た改訂はなかったように思う。
ゆとり教育見直しへの流れ
学習内容の削減について中学受験塾の日能研は大々的に『円周率が「3」と教えられる』(実際には円周率を「3」と教えているわけではない)や、「学習内容が3割減らされる」などと広告を打ち、多くの論者が論争に参加したため、「2002年問題」として大きく騒がれた。こういった危機感もあり、そのうえ、私立学校との格差は一層広がったため、首都圏などでは中学受験熱に拍車が掛かった。
2002年(平成14年) の学習指導要領は、学力低下批判を受けて2003年(平成15年)12月26日に一部改正され、指導要領の位置付けを「最低基準」へと変更し、指導要領の範囲を超える発展的内容を教えることを可能にした。
しかし2005年(平成17)2月、中山成彬文部科学大臣(当時)が中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、「中教審」)に全面的な見直しを要請するなどしたことで「学習指導要領改訂」の流れが加速した。
そして、2007年(平成19年)10月30日、中教審が「審議のまとめ」(中間報告)を発表した。今回の報告で、学力低下の指摘に対し「ゆとり教育」の反省点に初めて触れ、「基礎・基本の習得」の強調がなされた。「総合的な学習の時間」(総合学習)や中学の選択授業が削減される一方、国語、算数・数学、英語など主要教科の授業時間は「小学校で約10%、中学で約12%増やす」とした。
「審議のまとめ」では、ゆとり教育を進めてきた現行の指導要領について異例の反省を記載。以下の5点を挙げた。
①「生きる力」について文部科学省と学校関係者、保護者、社会の間に十分な共通理解がなかった。
②子供の自主性を尊重するあまり、指導を躊躇する教師が増えた。
③総合学習は、各学校で十分理解されていなかった。
④必修教科の授業数が減少した。
⑤家庭や地域の教育力の低下への対応が十分でなかった。
ゆとり教育を見直すものの、子供たちの学習量は減り続け、昭和50年代のピーク時からは半減しているため、教師らからは「中途半端」、「ゆとり教育がようやく定着しつつある中で大幅な方針転換とは朝令暮改ではないか」との批判も出ている。
文部科学省の幹部は、「授業時間の1割増で前々回の指導要領(平成元年改定)のレベルに戻ったが、内容はそこまでは戻さず、その分を知識の定着などに充てたい」という。また、関係者からはさらなる学習内容の復活を求める声も強い。
中教審は2007年11月7日に「審議のまとめ」を決定。2008年(平成20年)2月15日に小中学校の学習指導要領案が公表され、1ヶ月間のパブリックコメント(意見募集)の後、2008年3月28日に幼稚園教育要領・小学校学習指導要領・中学校学習指導要領が公示された。
小・中学校では2009(平成21)年度から算数・数学、理科、社会の一部、総合などが前倒しで実施され、小学校では2011(平成23)年度、中学校では2012(平成24)年度から完全実施される。
2002年(平成14年) の学習指導要領との相違点
週当たりの時間割にすると、総合学習を現行の週3~4時間から1-2時間削減。中学校に開設されている選択の授業をほとんど廃止し、総合学習と合わせて週2時間とする。その分、国語、算数・数学、英語などの主要教科や体育を増やす。
小学1年生の場合、現在は週3日だった5時間授業が毎日になり、国語、算数が1時間ずつ増えるほか、小学2年生では授業時間との兼ね合いから、これまでなかった6時間授業の日が週1日は登場することが確実である。また、国際化に対応するため、小学5、6年生に初めて「外国語(英語)活動」の時間を創設し、小学校における週1時間の英語教育が本格的に始まる。
中学でも特に理科、英語を約30%増しとするなどして主要5教科と体育が増える。特に英語は全学年で週1時間ずつ増えて週4時間となり、英語の合計授業時間数が初めて全教科中最多となる。
最後に生徒と接しているのは教師である。教科書の内容が変わったからと言って右往左往しては情けない。常に自分は教科を通して何を教えていくのかを問い続けていれば、学習指導要領の改訂やそれにともなう教科書の変更はあぶくに過ぎない。
無視をして勝手にするわけにはいかないが、うまく利用して自分のやりたいことをするのは可能である。明日から学校は新しくスタートをする。生徒を迎えるまでの1週間は多忙を極める。その中でも授業という一番大切なものをおろそかにしないでほしい。授業の初日、どういう顔で、態度で、何を発するかよく考える必要がある。先手必勝は勝負の極意
毎日の見出しだけを拾ってみると 1面は“「脱ゆとり」鮮明。教科書分厚く。算数、理科3割超増” 3面では“「愛国心」色濃く。竹島~国境明記を・伝統文化~神話も登場” 12面では“思考力、活用力養成が柱。「言語活動」全教科で重視”30面では“教科書検定・発想の転換必要。内容1.4倍 教師ら不安の声” となっている。
生徒として習う立場の時から教える立場として35年と学習指導要領との付き合いは長かった。今は少し離れた位置にいるので、『Wikipedia』の《学習指導要領の変遷》に沿って気楽に考えることができる。
学習指導要領の変遷
年度は小学校で本格的に開始された年度である。
1単位時間は小学校は45分、中学校及び高等学校は50分である。
1947年(昭和22年)
第二次世界大戦後しばらく行なわれていた学習指導要領。手引きという立場であり、各学校での裁量権が大きかった。1953年(昭和28年)までは学習指導要領(試案)という名称であった。
小学校において、戦前からの修身、地理、歴史が廃止され、社会科が新設され、家庭科が男女共修となった。自由研究が新設された
私はまだこの世にいないが、教員の絶対数不足、価値観の転換による喪失感などで混沌としていたことを映画や本を通して知った。
1951年(昭和26年)
1951年から実施された学習指導要領。
小学校の総授業時数は5780コマ。中学校の総授業時数は3045コマ。
自由研究は廃止され、教科以外の活動(小学校)、特別教育活動(中学校)と改められた。中学校の習字は国語科に、国史は社会科に統合された。体育科は保健体育科に改められた。職業科は職業・家庭科に改められた。
この年の1月に私は生まれた。1951年はサンフランシスコ平和条約、日米安全保障条約の調印がなされ、GHQの日本占領が終了し新たな一歩を踏み出した年である。小学校低学年まではこの指導要領で学習していた。小3の算数で、九九を覚えるのに、全員床に正座し、自信のある者だけ挙手をして一の段から九の段までつまらず、まちがわなければ100万円ではなく、椅子に座れる。ということを2週間以上やっていたと思う。1日に2~3人合格するだけで、ほとんど沈黙の苦痛な時間であった。私は七の段が舌がまわらず絶望的だったのでひたすら正座に耐える道を選んでいた。この授業以外はほとんど記憶がない。
1961年(昭和36年)
系統性を重視したカリキュラム。道徳の時間の新設、科学技術教育の向上などで教育課程の基準としての性格の明確化を実現。公立学校に対して強制力がある学習指導要領が施行された。
小・中学校の学習指導要領は1958年(昭和33年)に告示され、小学校は1961年(昭和36年)度から、中学校は1962年(昭和37年)度から実施されたが、道徳のみ1958年10月から実施されている。 高等学校の学習指導要領は1960年(昭和35年)に告示され、1963年(昭和38年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5821コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3941コマ。中学校3年間の総授業時数は3360コマ。
中学校の職業・家庭科が技術・家庭科に改められ、高等学校の古典、世界史、地理、数学II、物理、化学、英語にA、B(または甲・乙)の2科目を設け、生徒の能力・適性・進路等に応じていずれかを履修させるようにするなど、科目数が大幅に増加した。高等学校の外国語が必修となったほか、科目の履修に関する規定が増加した。
小学校高学年から中高にかけて、この指導要領で学習した。びっしり授業があった。という印象がある。公立高校の受験科目が9教科だったのでハードであった。勉強即暗記という図式があったが、中3の時、意欲的な校長先生が転勤してきて、思考を重視するということで“バズ学習”を取り入れた。ただ、教師の方は未消化だったみたいで、「とにかくグループになって、みんなでにぎやかにしゃべれ」なんて指示を出したので雑談していたことを覚えている。教師に自信がないなと見抜くと生徒は崩れるということを学んだ。
1971年(昭和46年)
現代化カリキュラムといわれる濃密な学習指導要領。時代の進展に対応した教育内容の導入で教育内容の現代化を実現。
1950年代、ソ連が1957年に人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことは、アメリカの各界に「スプートニク・ショック」と呼ばれる衝撃が走った。アメリカ政府は、ソ連に対抗するためにまずは学校教育を充実し、科学技術を発展させようとした。これに伴って、「教育内容の現代化運動」と呼ばれる、小中学校からかなり高度な教育を行なおうとする運動が起こった。この運動が日本にも波及し、濃密なカリキュラムが組まれたが、授業が速すぎるため「新幹線授業」などと批判された。当時は公立学校も私立学校もあまり違いがない学習内容だった。結局、教科書を消化することができず、教科書の内容を一部飛ばすなどしてやらない単元を残したまま進級・卒業をさせる場合もあった。
小学校の学習指導要領は1968年(昭和43年)に告示され1971年(昭和46年)度から実施、中学校の学習指導要領は1969年(昭和44年)に告示され1972年(昭和47年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1970年(昭和45年)に告示され、1973年(昭和48年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5821コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3941コマ。中学校3年間の総授業時数は3535コマ。
高等学校の社会科や理科で旧課程のA・Bの区分は止め、新たに地理A(系統地理的)、地理B(地誌的)などを設置した
大学に入学したのが1970年(昭和45年)なので、ちょうど教育実習の時がこの学習指導要領のスタート間もない頃であった。特に、数学の中身がガラリと変わり、今大学で習っている概念が小中に直接持ち込まれた。その代表が《集合》というものだった。実習先が教育大学の付属中学だったので最先端の授業をしなければいけなかった。多くの学者から危惧されたが、混乱だけを残し、このとき導入された現代化の内容は10年余りで消えていった。ひどい後遺症を残したように思う。
1980年(昭和55年)
ゆとりカリキュラムといわれる、教科の学習内容が少し削減された学習指導要領。各教科などの目標・内容をしぼり、ゆとりある充実した学校生活を実現。
現代化カリキュラムは過密であり、現場の準備不足や教師の力不足もあって、大量の付いて行けない生徒を生んでしまい、これに対する反省から授業内容を削減したもの。1976年(昭和51年)に学習内容を削減する提言が中央教育審議会でなされた。私立学校はあまり削減を行なわなかったので、公立学校との差が付き始めた。学習内容が全て削減されたわけではなく、漢字数などはむしろ増えているため、意図したほどゆとりを生まなかったという批判もある。学校群制度なども影響し、公立学校の進学実績の低下が明らかになった時期でもある。
小中学校の学習指導要領は1977年(昭和52年)に告示され、小学校は1980年(昭和55年)度から、中学校は1981年(昭和56年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1978年(昭和53年)に告示され、1982年(昭和57年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、国・算・理・社の合計授業時数は3659コマ。中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
中学校の選択科目の選択肢が拡大された。高等学校の科目履修の基準が緩和された。
このあたりは入試制度を変更することで教育の現状が変わるという幻想にとりつかれた時期である。大学入試では国立一期校、二期校という入試から共通一次試験の実施へと大きく変わった。高校入試では公立で学校群制度が多くの所で取り入れられた。
学習内容も削減されたが、荒っぽい美容整形みたいで、ただ削ったというだけでバランスの悪い教えるのに苦労するものだった。
1992年(平成4年)
新学力観の登場。個性をいかす教育を目指して改定された、教科の学習内容をさらに削減した学習指導要領。生活科の新設、道徳教育の充実などで社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成を実現。
学習指導要領は1989年(平成元年)に告示され、小学校は1992年(平成4年)度、中学校は1993年(平成5年)度から実施された。高等学校は1994年(平成6年)度の第1学年から学年進行で実施された。
小学校6年間の総授業時数は5785コマで、国・算・理・社・生活の合計授業時数は3659コマ。中学校3年間の総授業時数は3150コマ。
小学校の1・2年では理科・社会科を廃止し生活科が導入された。高等学校では社会科を地理歴史科と公民科に再編するとともに、家庭科を男女必修とした。
小学校1・2年の生活科導入には危惧の声があがった。今回の算数・理科の3割増しはこの時にあがった声をやっと反映したというべきもの。反省の弁がほしいと考える由縁である。
2002年(平成14年)
戦後7度目の改訂といわれる、現行の学習指導要領。教育内容の厳選、「総合的な学習の時間」の新設により、基礎・基本を確実に身に付けさせ、自ら学び自ら考える力などの「生きる力」の育成を実現。
小中学校の学習指導要領は1998年(平成10年)に告示され、2002年(平成14年)度から実施された。高等学校の学習指導要領は1999年(平成11年)に告示され、2003年(平成15年)度の第1学年から学年進行で実施された。内容の一部については2000年(平成12年)度から先行実施された。
小学校6年間の総授業時数は5367コマで、国・算・理・社・生活の合計授業時数は3148コマ。中学校3年間の総授業時数は2940コマ。
学校完全週5日制が実施された。中学校では英語が必修となった(実質的には大部分の学校で以前も必修扱いであった)。また、小学校中学年から高等学校において総合的な学習の時間が、高等学校において情報科が創設された。その一方で、教科の学習内容が大幅に削減され、さらに、中学校・高等学校においてはクラブ活動(部活動)に関する規定が削除された。
総合的な学習の時間と個人選択授業の実施は現場に多大な混乱を起こした。理念が先行して、それにともなう教職員の配備、設備の充実、予算の裏づけなど物理的な保障が充分でなかった。すべてに中途半端であったという印象を持っている。
これほど短期で見直しの声が多く出た改訂はなかったように思う。
ゆとり教育見直しへの流れ
学習内容の削減について中学受験塾の日能研は大々的に『円周率が「3」と教えられる』(実際には円周率を「3」と教えているわけではない)や、「学習内容が3割減らされる」などと広告を打ち、多くの論者が論争に参加したため、「2002年問題」として大きく騒がれた。こういった危機感もあり、そのうえ、私立学校との格差は一層広がったため、首都圏などでは中学受験熱に拍車が掛かった。
2002年(平成14年) の学習指導要領は、学力低下批判を受けて2003年(平成15年)12月26日に一部改正され、指導要領の位置付けを「最低基準」へと変更し、指導要領の範囲を超える発展的内容を教えることを可能にした。
しかし2005年(平成17)2月、中山成彬文部科学大臣(当時)が中央教育審議会(文部科学相の諮問機関、「中教審」)に全面的な見直しを要請するなどしたことで「学習指導要領改訂」の流れが加速した。
そして、2007年(平成19年)10月30日、中教審が「審議のまとめ」(中間報告)を発表した。今回の報告で、学力低下の指摘に対し「ゆとり教育」の反省点に初めて触れ、「基礎・基本の習得」の強調がなされた。「総合的な学習の時間」(総合学習)や中学の選択授業が削減される一方、国語、算数・数学、英語など主要教科の授業時間は「小学校で約10%、中学で約12%増やす」とした。
「審議のまとめ」では、ゆとり教育を進めてきた現行の指導要領について異例の反省を記載。以下の5点を挙げた。
①「生きる力」について文部科学省と学校関係者、保護者、社会の間に十分な共通理解がなかった。
②子供の自主性を尊重するあまり、指導を躊躇する教師が増えた。
③総合学習は、各学校で十分理解されていなかった。
④必修教科の授業数が減少した。
⑤家庭や地域の教育力の低下への対応が十分でなかった。
ゆとり教育を見直すものの、子供たちの学習量は減り続け、昭和50年代のピーク時からは半減しているため、教師らからは「中途半端」、「ゆとり教育がようやく定着しつつある中で大幅な方針転換とは朝令暮改ではないか」との批判も出ている。
文部科学省の幹部は、「授業時間の1割増で前々回の指導要領(平成元年改定)のレベルに戻ったが、内容はそこまでは戻さず、その分を知識の定着などに充てたい」という。また、関係者からはさらなる学習内容の復活を求める声も強い。
中教審は2007年11月7日に「審議のまとめ」を決定。2008年(平成20年)2月15日に小中学校の学習指導要領案が公表され、1ヶ月間のパブリックコメント(意見募集)の後、2008年3月28日に幼稚園教育要領・小学校学習指導要領・中学校学習指導要領が公示された。
小・中学校では2009(平成21)年度から算数・数学、理科、社会の一部、総合などが前倒しで実施され、小学校では2011(平成23)年度、中学校では2012(平成24)年度から完全実施される。
2002年(平成14年) の学習指導要領との相違点
週当たりの時間割にすると、総合学習を現行の週3~4時間から1-2時間削減。中学校に開設されている選択の授業をほとんど廃止し、総合学習と合わせて週2時間とする。その分、国語、算数・数学、英語などの主要教科や体育を増やす。
小学1年生の場合、現在は週3日だった5時間授業が毎日になり、国語、算数が1時間ずつ増えるほか、小学2年生では授業時間との兼ね合いから、これまでなかった6時間授業の日が週1日は登場することが確実である。また、国際化に対応するため、小学5、6年生に初めて「外国語(英語)活動」の時間を創設し、小学校における週1時間の英語教育が本格的に始まる。
中学でも特に理科、英語を約30%増しとするなどして主要5教科と体育が増える。特に英語は全学年で週1時間ずつ増えて週4時間となり、英語の合計授業時間数が初めて全教科中最多となる。
最後に生徒と接しているのは教師である。教科書の内容が変わったからと言って右往左往しては情けない。常に自分は教科を通して何を教えていくのかを問い続けていれば、学習指導要領の改訂やそれにともなう教科書の変更はあぶくに過ぎない。
無視をして勝手にするわけにはいかないが、うまく利用して自分のやりたいことをするのは可能である。明日から学校は新しくスタートをする。生徒を迎えるまでの1週間は多忙を極める。その中でも授業という一番大切なものをおろそかにしないでほしい。授業の初日、どういう顔で、態度で、何を発するかよく考える必要がある。先手必勝は勝負の極意
限られた状況のなかで”やるしかない”とみんながんばっています。でも、中には自分の心や体を壊してしまう方も・・も。
会社員の息子の生活は、確かに多忙だけれど、メリハリがついていて、休日は本当にはじけて楽しんでいるのに、私たち学校現場の者は、いつもなにかを引きずっていますね。先生、現場もどってきてくださあ~~い。特に数学・理科の先生まったくいないらしくて・・。登録したら翌日からの出勤ですよ。ぜひ考えてみてくださいね。年度途中でもOKですからね。よろしくお願いします。