素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「本音で向き合う。自分を疑って進む」(佐伯夕利子著・竹書房)

2024年05月02日 | 日記
 秦郁彦さんの「日本近代史12の謎を解く」と一緒に「本音で向き合う。自分を疑って進む」(佐伯夕利子著・竹書房)も買った。4月25日のブログに書いた、夕刊の特集ワイド、田原和宏さんの「フィールドの向こうに」の中で紹介されていた本である。機会があればとチェックしておいた本である。
 田原さんが「一読して、目を開かれる思いがした。」と書かれていた通りであった。
 プロローグから第1章「11歳にキレられた新米コーチ時代」、第2章「30歳で味わった濃厚な4週間」、第3章「ビジャレアルの指導改革」まで一気に読んだ。テヘランで生まれ、日本、台湾、また日本と父親の仕事の関係で両親についてきた佐伯さんが18歳の時、バルセロナオリンピックが行なわれる年の1992年春に父親の転勤でスペインにやって来た。ここから本格的にサッカーと向き合う人生がスタートしたのだが、転機となったビジャレアルでの指導改革に至るまでの20年余りの道のりが簡潔に書かれている。サラッと書かれているが想像力を働かすと「ものすごいことだ!」と感嘆した。

 私もひょんな巡り合わせからサッカー部顧問として35年余り関わって来たので心に響くフレーズがいくつかあった。
「うまくいかないとき、選手は他者に責任転嫁し始める。スペインの人たちに限らないかもしれないが、物事がうまくいかないと自分以外の人に原因を見つけ出そうとする傾向があった。それが私はとても不愉快だった。
 そもそもサッカーというスポーツは、対立軸が生じやすい構造だ。攻撃側と守備側で分かれている。例えば失点したとき、攻撃側はゴールを守れなかった守備陣を責めがちだ。対する守備側が「そこでドリブルじゃなくて、パスを早めに出しておけばカウンターを食らわなかったのに」と言い返せば、ピッチ上の人間関係は泥沼と化す。
 他にも、左サイドと右サイド、同じサイドの後ろと前、ベンチと選手。さまざまな場所に対立軸が存在しうる。そのなかで各々が自分の言動に疑いをかけ、己に矢印を向けられれば、組織として必ず前進する。逆に矢印が外側に向いた人たちばかり集まれば、そこには何も生まれないのだ」


 私もこれがチーム作りの土台だと思ってきた。いろいろな機会を通じてこのことを浸透させることができたならチーム作りはうまく行ったと言っても良い。私がよく言っていたのは「サッカ―は刻々と変わる試合展開の中で常に判断を要求される。」「しかも、その判断はじぶんでしなければいけない」「その判断は個々違うものである。そこに正解はない。」「他者が自分と異なる判断をした時はそのことを生かすように自分の考えを切り替える。常に他者の判断を尊重する心を持つ」ということ。このことを浸透させるのは簡単ではなく、練習やゲームにおいて常に意識して声掛けをしていかなければならない。

 チームの勝ち負けはその次に来ることである。佐伯さんの本は私に元気を与えてくれるビタミン剤のようなものである。秦さんの本と並行して読み進めていきたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする