今日のnhk「ほっと関西」の”しあわせニュース”では、プラネタリウムがドイツで誕生して100年という話題を取り上げていた。日本に入って来たのが昭和12年、大阪市立電気科学館にである。1937(昭和12)年3月、四ツ橋にオープンし、1989(平成元)年5月に閉館した。大阪市立科学館にバトンタッチするまでの52年間、「四ツ橋の電気科学館」「四ツ橋のプラネタリウム」と呼ばれていた。
当時の映像が流れた時、思わず「懐かしいなあ1」と声を出した。小学校の修学旅行で訪れたからだ。修学旅行は大阪、奈良、京都であった。大阪では雪印のアイスクリーム工場、大坂城、電気科学館をまわった。生まれて初めてのプラネタリウムに興奮した記憶が残っている。田舎であったから毎夜銭湯へ通う時、満点の星空を眺め北斗七星、カシオペア、オリオン座などを見つけながら歩いていたので星空そのものは珍しくなかったが、ドイツのカールツァイス社製のⅡ型プラネタリウムの姿に驚いた。
この装置は、肉眼で見ることができる約9,000個の星を投影し、さらに地球上のどの地点における星空でも再現できる機能、さらには過去から未来までの星空を再現できる機能も持っていて、当時の科学技術の粋を集めたものだった。電気科学館のプラネタリウムは、世界で25番目の導入といわれ、国内では初めてお目見えしたものだった。
修学旅行で一番記憶に残っていることである。
当時の映像が流れた時、思わず「懐かしいなあ1」と声を出した。小学校の修学旅行で訪れたからだ。修学旅行は大阪、奈良、京都であった。大阪では雪印のアイスクリーム工場、大坂城、電気科学館をまわった。生まれて初めてのプラネタリウムに興奮した記憶が残っている。田舎であったから毎夜銭湯へ通う時、満点の星空を眺め北斗七星、カシオペア、オリオン座などを見つけながら歩いていたので星空そのものは珍しくなかったが、ドイツのカールツァイス社製のⅡ型プラネタリウムの姿に驚いた。

修学旅行で一番記憶に残っていることである。