素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大阪倶楽部ホールでの『笑福亭 たま独演会』へ

2014年03月07日 | 日記
四条畷市市民総合センターでこのチラシを見た時、心が動いた。笑福亭たまという落語家よりも大阪倶楽部ホールという場所に惹きつけられた。

 「ごちそうさん」の悠太郎の世界ではないが大正から昭和初期、大大阪と言われていた時代に建てられたビルが北浜を中心にしたエリアに残っているということを『レトロ浪漫・中之島タイムトラベルコース』というウォーキングマップのチラシで知ったのが3年余り前。2010年9月12日にそのガイドをもとに淀屋橋から本町までのエリアを散策してデジブックにまとめた。(←クリック)その中に、大阪倶楽部も当然入っていた。会員以外は入ることができないのだが、今回は落語会の後内部を自由に観覧できるとあった。笑福亭たまさんの紹介を見ると、1975(昭和50)年1月6日大阪府貝塚市生まれ。京都大学経済学部卒業、平成10年4月「笑福亭福笑」に入門。平成15年大阪舞台芸術新人賞、平成16年文化庁芸術祭新人賞、平成23年なにわ芸術祭新人賞を受賞しているほか繁昌亭の輝き賞、創作賞、爆笑賞なども受賞していて勢いのある噺家だと直感した。入門して16年、40歳の手前という時期は1つの節にあたるように思う。

 レトロな倶楽部ホールで油がのってきた若手の落語を1000円で聞くことができるとはお値打ちだとすぐ申し込んだ。定員300名、ギリギリセーフであった。

 今日は夜の大阪倶楽部、3年余前とはまた違った印象であった。
 

 玄関を入ると、会館を災いから守る魔除けの「邪鬼」がお出迎え。ホールは4階。赤じゅうたんの今の基準では狭い急な階段を上がる。
     演目は文楽を題材にした創作落語とショート落語(創作小噺)に古典の「火焔太鼓」「壺算」であった。思った通り勢いのある小気味の良い高座だった。上方6江戸4ぐらいの絶妙のブランド味があった。

 落語の後は使用中の3階を除いた1、2階の娯楽室などを自由に見学する。内装は思っていたよりシンプルであったが、90年という時間の長さを経てきた品格というものを感じた。大阪倶楽部の会館の概要はこちらで(←クリック)
   

 アハハ・ウフフな夜だった。

   
コメント
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