かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

愛知県立一宮高等学校正門(旧愛知県立第六中学校正門)

2012-12-18 | まちかどの20世紀遺産

 10月に苅谷高校を訪れ、愛知県内の現存する旧制中学時代の校門はほとんどこのブログで紹介できたと思っていましたが、一宮高校(旧制第六中学)を忘れていたことに気づきました。実は一宮高校は2006年に訪れ、旧制中学時代の校門を確認、撮影もしていたのですがブログにアップするのをすっかり忘れ、今回遅ればせながらの紹介となります。画像は6年ほど前のものになるので、本来なら新規に取り直すところですが、今さら校門だけを新しくするということはちょっと考えにくいので、今回はその時の画像をそのまま使わせていただきました。

 愛知県立一宮高等学校の前身は、いわゆるナンバースクールと言われる旧制中学の一つで、名古屋を除く尾張地方では明治33年開校の津島(第三中学)についで大正8年(1919)に愛知県立第六中学校として開校されました。苅谷(第八中学)も同じ大正8年開校ですので、大正末~昭和初めにかけて愛知県内各地で新しい中学が設けられたようです。

 現在の正門はその当時に校舎と一緒に造られたものですが、校舎はすでに建て替えられ現存していません。大正から昭和にかけて建てられた旧制中学の校舎は愛知県営繕課が担当しており、その当時の校門で現存確認できたのは、旧愛知商業、刈谷、津島、小牧、西尾と一宮で、デザインはほとんど同じ意匠で統一されています。


 
撮影:2006/05/21 

 



最新の画像もっと見る

2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
文中の表現について。 (ロクノマエハゴ)
2012-12-20 01:28:41
いつも楽しく拝見しています。ありがとうございます。

さて、文中に、気になる表現がありましたので、指摘させていただきます。

1、「尾張地方では明治33年開校の津島(第三中学)についで大正8年(1919)に愛知県立第六中学校として開校されました」

→この「尾張地方」というのは、「名古屋を除く尾張地方」という意味ですか? 「名古屋を含む尾張地方」という意味でしたら、「明治40年開校の瑞陵(第五中学)についで」が正しいです。

ちなみに、明治40年当時、瑞陵(第五中学)の所在地は、まだ名古屋市に編入される前であり、名古屋市の外、具体的には、「愛知郡呼続町」でした。

2、「当時の校門で現存確認できたのは、愛知商業、刈谷、津島、小牧、西尾と一宮で」

→愛知商業の表記だけでは誤解を受けるかもしれません。「旧愛商(現在の瑞陵の旧正門)」などと表記方法に工夫をするのはどうでしょうか? 

ちなみに、現在の愛知商業の所在地は、東区の旧制明倫中学の校地跡にあります。

若干細かい指摘で、すみません。 
返信する
Unknown (shortwood)
2012-12-20 12:25:21
ロクノマエハゴさん、はじめまして。
いつもご覧頂きありがとうございます。

ご指摘の点は早々訂正させていただきました。
学校に関する記述は卒業生の方の思いもありますので、できる限り正確なデータと適切な表現を心がけるようにしていますが、確かに尾張地方と愛商は紛らわしい表現でした。

これからもご覧頂く方に分かりやすい表現を心がけていくつもりですので、お気づきの点がありましたらまたよろしくお願いいたします。
返信する

post a comment