かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

揚輝荘・聴松閣/名古屋市千種区~建物外観

2014-11-26 | 名古屋の近代建築

 北園から連絡通路を通り南園にある聴松閣を訪れました。南園には洋風の聴松閣と並んで和風の揚輝荘座敷が現存していますが、現在は聴松閣だけが公開されています。

 揚輝荘は、いとう呉服店(後の松坂屋)の初代社長伊藤次郎左衛門祐民が開設した別荘なのですが、そもそも揚輝荘と言う建物は存在せず、別荘の1万坪の敷地全体を指して「揚輝荘」と呼んでいました。大正~昭和にかけての最盛期には、大小三十数棟の建物が軒を連ね、テニスコート、弓道場、温室などもあったようです。

 今回訪れた聴松閣は昭和12年、宮家や政治家など各界の要人が集まる迎賓館として建てられましたが、祐民の意向でアジアの留学生が寄宿する学生寮として国際交流の場としての役割もになっていたようです。戦後はGHQに接収され、その後松坂屋社員寮として使われ改装が繰り返されましたが、2013年の開館に合わせ創建当初の姿に復元されました。


◆揚輝荘・聴松閣/名古屋市千種区法王町2-5-17
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:竹中工務店
 施工:竹中工務店
 構造:木造地上3階、地下1階
 撮影:2014/11/22
 ※名古屋市有形文化財





■南園入口



■戦後揚輝荘の敷地はマンションなどの開発が進み、南北に分断されました



■聴松閣全景~外観は柱を外壁に露出したハーフティンバー様式の山荘風で、上高地の帝国ホテルを参考に建設されました


■聴松閣の西隣に建つ揚輝荘座敷



■山荘風の外観ですが、外壁は隣の和館にあわせ、創建時のべんがら色に塗られています。
写真などを見ると戦後外壁が白壁だった時期もあるようで、個人的には山荘風が似合う白も捨てがたい・・・





■建物西側~隣の座敷と結ぶ通路は現在閉鎖されています



■地階の明り取り用の窓が設けられています



■ハーフティンバーの外壁と玄関の石積の柱が、山荘の雰囲気を醸し出しています



■玄関前に鎮座するのはトラでしょうか?



■玄関入口



■北園と結ぶ通路の脇に、伊藤銀行本店ビルに飾られていた「いとう丸」の商標が置かれています




次回は聴松閣内部を探訪します~



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