続いて、「書状 四条金五殿女房御返事」(文永12年・1275、日蓮筆、
紙本墨書、29.7/44.6cm、一幅、TNM所蔵)は、文久12年正月27日、
日蓮聖人が檀越の四条金吾頼基の妻に宛てた自筆の書状。
この書は、頼基の妻が33歳の厄年にあたって日蓮聖人に布施を捧
げたことに対し、その返信として教えを説いたもので、女人の成仏を
説く経典が「法華経」のみであることを示し、夫婦で心身を強く持つ
ことにより厄は転じて福となる、と励ましている。本品は全部で12紙
からなる書状の11紙目にあたる。
表具の裏には寛永19年(1642)と元禄10年(1697)の墨書銘があり、
前者が日暹上人(久遠寺26世住持)と日明上人による極書、後者が水野
重良(紀州新宮城主)とその内室の慧雲院日理比丘尼が、鎌倉の高松寺
に奉納したという由緒書。
「本阿弥行状記」第222段に“祖師御返書余多あり”として2点の書
状の本文が掲載され、日蓮聖人の遺文に対する関心の高さが伺える。
光悦が真蹟を拝したことがあったのかは定かでない。
日蓮の書風は力強くうねるような筆跡に対し、光悦がその遺文を
書写したものは、直線的で鋭い筆致をみせ字形の変化に富んでいる
ことが特徴だ。
また本幅には、光悦が日蓮の著作「如説修行妙」の一部を書写し
た一幅が付属されている。
TNM(台東区上野公園13-9)
紙本墨書、29.7/44.6cm、一幅、TNM所蔵)は、文久12年正月27日、
日蓮聖人が檀越の四条金吾頼基の妻に宛てた自筆の書状。
この書は、頼基の妻が33歳の厄年にあたって日蓮聖人に布施を捧
げたことに対し、その返信として教えを説いたもので、女人の成仏を
説く経典が「法華経」のみであることを示し、夫婦で心身を強く持つ
ことにより厄は転じて福となる、と励ましている。本品は全部で12紙
からなる書状の11紙目にあたる。
表具の裏には寛永19年(1642)と元禄10年(1697)の墨書銘があり、
前者が日暹上人(久遠寺26世住持)と日明上人による極書、後者が水野
重良(紀州新宮城主)とその内室の慧雲院日理比丘尼が、鎌倉の高松寺
に奉納したという由緒書。
「本阿弥行状記」第222段に“祖師御返書余多あり”として2点の書
状の本文が掲載され、日蓮聖人の遺文に対する関心の高さが伺える。
光悦が真蹟を拝したことがあったのかは定かでない。
日蓮の書風は力強くうねるような筆跡に対し、光悦がその遺文を
書写したものは、直線的で鋭い筆致をみせ字形の変化に富んでいる
ことが特徴だ。
また本幅には、光悦が日蓮の著作「如説修行妙」の一部を書写し
た一幅が付属されている。
TNM(台東区上野公園13-9)