土曜日の白髭橋のカレーの炊き出しに40代ぐらいに見える男性が来た。
私は彼を以前見たことがあると思い、「久しぶりだね」と声を掛けると「二年ぶりぐらいに来ました」と彼は言った。
彼は今まで横浜の方に居て、久しぶりに山谷に戻って来たとのことだった。
薄汚れた服を着て、目の周りには目ヤニが酷くついていた。
「目をしっかりと水で洗い直すんだよ。痛くはない?」と彼に聞くと「痛くはありません」と答えた。
その次の土曜日、彼はまた炊き出しに来てくれた。
今度は目の周りには目ヤニ全くなく、綺麗だった。
私が「目は良くなったね」と言うと、彼は微笑んだ。
私はこのくらいのことしかしていない、ただ声を掛けるだけ、何もしていないに等しい。
日本人の教区司祭が書いたマザーテレサの本にこう書いてあった。
{マザーテレサはよく、「自分は、自分の今日やったことに対して満足感などいだいたことはなく、いつもどうしてあそこまでしか出来なかったのかと言う劣等感がむしろ残って、後悔をし、反省する」と言っている}
私も同感である、上記のマザーの言葉の繰り返しである。
しかしマザーはこうも言う「自分の出来る最良のことをし続けなさい」と。
いつも最良のことをしようと試み、行った行いを省みることも、私たちには必要なことであり、大切なことである、そこから謙虚さが育まれるのだろう。
そしてそれらの底辺にいつもあるのは「喜んでいなさい」との言葉がある。