先週の土曜日、山谷に久しぶりに中谷神父がミサをあげに来てくれた。
中谷神父は2011年まで山谷に23年間居たフランチェスコ会の司祭であり、おじさんたちへの炊き出しやミサ、死刑囚の訪問などをしていた、私が日本で一番最初に親しくなった司祭でもある。
約8年ぶりに私は中谷神父と会い、山谷の昔話に花を咲かせた。
せっちゃんと言う老女のことを中谷神父はとても懐かしそうに話していた。
もう20年ぐらい前に山谷に居た老女であるが、私もせっちゃんのことはよく覚えていた。
せっちゃんは背が小さいにも関わらず、気が強く、男性とも口ケンカではあるが平気でしていた。
私が覚えているのはせっちゃんがアイスを食べていた時、そのアイスをくれと言ったおじさんと大ケンカをしているのを思い出した、と言うか、それはケンカではなく、ただせっちゃんが怒りまくっていただけのことで、最期にはおじさんは謝り、また笑っていた。
そんなケンカ早いせっちゃんであったから、冬場、今では考えられないが当時は公園や福祉センターの前では焚き火をしていたおじさんたちがいた。
ある時、ケンカからだろう、せっちゃんは焚き火のなかへ男性に放り込まれ、一命は取り止めたが上半身と顔に大ヤケドをおった。
それからせっちゃんはいつもマスクするようになった。
そんなことがあっても、せっちゃんは相変わらずだった、女性だけど、着物を着ていたので可能だった立ちションベンもしていた。
もうそうした豪快な女性は山谷のどこを探しても見られない。
せっちゃんは二人の娘がいたそうだが、その関係は複雑であった、最期は施設で死を迎えたとのことで、中谷神父は安堵したと教えてくれた。
現在の山谷はとても綺麗になった。
ゲストハウスも増え、海外の旅行者も多い、昔の面影などは想像すら付かなく、無くなってきている。
路上生活者の人たちも一見見た目では分からないほど小奇麗にしている人が多い、そうしなければ路上でも生き続けて行けなくなってきているのだろう。
だが、孤独の人が居なくなった訳ではない、生きることに必死な人たちは炊き出しに来る。
目に見える様相が変わったとしても、私たちは愛情深く彼らと接する必要があり、それを無くしては暴力にはなり得、大切な意味がなくなってしまう。
彼ら、貧しい人たちはマザーテレサが言う神さまだからである。