土曜日の山谷のMC{マザーの男子修道会}の炊き出しは白髭橋で配るのと、同じ時間に浅草方面に数人が自転車に乗って30個ぐらいのカレーを配りに行く。
これは路上生活をし、場所をあまり動かない人たちにカレーを配りに行き、時には行き倒れになりつつある人{私は以前三日間何も食べていない人に会ったこともある}にも出会うこともある。
私はいつも白髭橋の方に行くので、浅草方面にはしばらく行っていない。
三週間ぐらい前から浅草方面に行くボランティアたちが心配していたおじさんが居た、彼はもう何も食べることが出来ないが病院に行くのはずっと拒んでいた。
しかし先週の中頃、救急車で病院に運ばれたとのことだった、にもかかわらず、どうしても悲観的なことを私たちは今までの経験から感じてしまう。
二年前も同じようなケースのおじさんが入院し、ガンの末期であることが分かり、一ヶ月半でそのまま病院で亡くなった。
浅草方面に行っているボランティアは、私もその人を知っていると言う、良くノートに詩を書いていたおじさんであると。
私は詩を書いていた人のことは微かに覚えているが、彼の顔まで脳裏に浮かび上がらなかった。
だが、何を書いていたのだろうかと思わずにはいられなかった。
何のために、誰に何を知らせるために、詩を書き続けていたのだろうか、きっと誰に見せる、読ませるものではない、ならば、あの方との、それは会話ではなかったのだろうか、そんなことをどうしても考えてしまう、救いがそこにあったことをどうしても願ってしまった。
土曜日は食事の後、ロザリオの祈りを祈る。
ブラザーたちと一緒に祈るが、ここまでいるボランティアは四五人である。
この日「入院したTさんのために祈りましょう」とロザリオの祈りは始まった。