カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは6月でしたがお休みします。

視点。

2018-02-14 13:25:18 | Weblog

 夜とその次の日の朝、BSでインドのドキュメンタリーを少し見た。

 インドの光景を見ることは私の心を郷愁にかられもするが、それは一瞬にして時間を飛び越え、現在に実感しているに等しく、私が経験した音や匂い、空気の淀み、埃まで感じる気がしてならなくなった。

 同じものを見たとしても、誰もが、その感じ方、解釈の仕方、受け取り方は様々であり、一人ひとり変わるのであろう、と私は思う。

 そのドキュメンタリーが嘘だとは言っていない、私の知っているインドはもちろんそのドキュメンタリーのようなところもあるが、決してインドはそれだけではないと言いたくなってしまったのである。

 逆説的ではあるが、好きな人に対して、良くない時の自分を見られ、それを自分自身のすべてだと思われたくないと思うことと似ているような気がした。

 昨日カルカッタでステーションワーク{路上から患者を施設に運んだりする}しているイタリア人のファビオに日々の駅の状況を聞いて見ると「警察との問題があり、シリアスな患者を駅のプラットホームで見つけても運ぶことが出来ない」と返信があった。

 これがどんなことであるかは上記の文章だけでは分からないであろう。

 簡単に言うと、激しい雑踏のなか、汚れにまみれきり、苦しみに苦しみに抜いた挙句、息絶え絶えの死に行く人をその場で看取らなくてはならないと言うことである。

 だが、もちろん、何も出来ないと言うことではない、その場で祈り、愛し、顔だけを綺麗にしてあげたりすることは可能である。

 「あなたは愛されている」とその人に伝えることが出来ないと誰が言えよう、マザーテレサはそうしなさいと言い続け、そうしてきた人である。

 祈りと行いを一つにして生きた聖女であった。

 どんなことがあっても微笑みを忘れずに、神さまが、マザーがいつも一緒にいると、後でファビオにメッセージを送るつもりである。
コメント
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