最近はベランダに出るたび、朝顔の緑のカーテンの成長具合を喜んで眺めている。
まだまだ完成には程遠い緑のカーテンではあるが、今年も順調である、いや、今年は昨年よりも素晴らしくなる期待がどこかにある。
種類の違う西洋朝顔三本と夕顔の三本で緑のカーテンを形つぐる、朝は朝顔を愛で、夜は夕顔を愛でるのである。
しかし、夕顔はまだ朝顔に比べ、成長が遅く、まだ二階のベランダまでには顔を見せていない。
それでも、目には見えぬその成長は確実に進んでいて、また遅いがゆえに私の期待は膨らんだつぼみのままのようになっている。
ふと思う、私はいつまで経ってもやはり夢見がちであることをそうしたことからも伺えてしまう、自分に笑う。
遠藤周作氏は大連にいた子供の頃、朝顔を大切に育てていて、毎日水をあげるようにと教わると、雨の日もジョウロで朝顔に水をあげていたらしい。
朝顔を眺め、そんなことも思い出し笑み、無垢な心とは、私のどこに隠れてしまったのか、朝顔のつぼみのなかまで探しに行きたくなる気持ちになってしまう。