そんなことは当たり前だよ、と誰かに言われてしまえば、それは仕方がないことではあるが、私は携帯をスマホに変えてから、海外にいる友達と連絡が簡単に取れるようになったことがやはり嬉しく思っている。
昨夜はドイツにいる親友のグレッグとタンがビデオ通話を掛けて来てくれた。
通話の音や画面の状態はあまり良くはなかったが、彼らの笑顔が見れ、私も愛犬あんを紹介したり出来て、通話を切った後もしばらく私から笑みは消えなかった。
一昨日の夜はカルカッタにいるべティーに「Send me photo」とメッセンジャーで送ると、一分後にべティーは満面の笑みの写真を送って来てくれた。
その写真の下に「Why?Is terrible?」とあった。
私はべティーの元気良さような可愛い笑顔に笑った。
べティーのシムカードは私がカルカッタを去る時に買ってあげた、と言うのも、その数日後には駅のボランティアでケイタイを使えるものが誰も居なくなってしまうので仕事がやりづらくなってしまうために、シアルダー駅のボランティアの寄付と言う形で買ったのであった。
その時、私はべティーにたまには写真を送るように言っておいたのだが、べティーは一枚も送ってこなかったので、しびれを切らせた私はメッセージを送ったのだった。
今日は半年カルカッタに滞在した最後のべティーのシアルダーのボランティアである。
辛いこともたくさん目の当たりにしたと思うが、またこの上なく美しいものも目の当たりにしたと思う。
べティーは心の底からシアルダーの仕事を愛していると書いてくれていた。
昨夜私が寝る前にはニューヨークに友達に会いに行ったケンが地下鉄Trade Centerの写真を送って来てくれた。
スマホと言うものを通して、身近に友達を感じれるようになった気がしている、それだけではない、彼らを思う気持ち、祈りも身近になっている。