カルカッタより愛を込めて・・・。

次のアピア40のライブは9月13日(金)です。また生配信があるので良かったら見てください。

伴奏。

2009-07-05 13:14:21 | Weblog
 山手線に乗っていると、伊藤さんから電話があった。

 「Tetsuさん、今日はギターをMCに置いてきたから、伴奏をよろしく!自分はもう家なんだ。今日は用事があってギターだけMCに置いてきたよ。」少し笑いながら言った。

 「あぁ、はい。そうですか。」苦笑いをしながら返事をした。

 委員長のピーターがいなくなり、カレーを配りに行く前の祈りの時間のうたの伴奏がなくなった。

 やはり、伴奏がないと寂しいと言う声だけが大きく、誰が伴奏をすると言い出す者がなかなか居なかった。

 話し合った結果、伊藤さんがキーボードで伴奏することになった。その時から、自分もギターを弾いて欲しいと頼まれていた。

 MCでギターを弾くことは少し恥ずかしい思いがあり、出来ることならやりたくはなかったので、伊藤さんに用件を出していた。

 それは伊藤さんの家のアコースティックギターがあれば弾くということにした。MCにはクラシックギターしかなく、弾けないことはないが、アコースティックギターの方が弾きやすかった。

 冗談のつもりでいつも言っていたが、現実になってしまった。

 MCに行くとギターはちゃんと置いてあった。それを見た途端少し罰ゲームのような感じを味わった。

 ブラザーベネディクトに何を歌うのかを聞いた。その前に何が弾けるのかを見るために祈りの本を開けた。

 とりあえず、いつも歌っているうたのなかから二曲弾けそうなものを選んで、ほんの少し練習し、すぐに祈りに入った。

 山谷に来てから、この祈りの時間がこのような緊張をするのは初めてだった。少し間違えはしたが、どうにか無事に終えることが出来た。

 来週からと断ることも出来たが、やはり約束は守らなくてはならないと言う意志を大切にした。

 苦手だと感じ思っていることをしてみることはやはり良いと思った。そこには成長されないままの自分がいた。甘えてばかりの自分がいた。

 彼は無難にそれを出来たことに安堵した。苦手だと思ったいたことを経験することにより、自分が彼と出会い、会話をすることが出来た。

 そうしたものを伊藤さんが自分に与えてくれた。

 心は爽やかに穏やかにあった。
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今日。

2009-07-04 08:16:10 | Weblog

Yesterday is gone.
Tomorrow has not yet come.
We have only today. Let us begin.  {Mother}

 あなたは今日、何をするのだろう。
 
 あなたは今日、変えられぬことの出来ぬ過去に縛られて生きるのか。過去から現在の自己を解放させてはあげられないのか。

 誰がそうしているのか。誰がそうさせているのか。

 まだ来ぬ明日を生きようとするのか。手に触れることの出来ぬ明日に生きようとするのか。

 先のことは誰にも分からない。

 いまを生きるしかない。このいまを。

 さあ、始めましょう。いまを生きることを。しっかりと。
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エクボ。

2009-07-03 12:55:19 | Weblog

 「Tetsuさん、左頬にだけエクボがあるよ。」
 かおりちゃんに言われて気が付いた。

 だが、気が付く前は信じなかった。あるとしたら左だけではなく、両方にあると思い込んでいた。言われてから、よくよく自分の顔を見てみれば、ほんとうに左頬にしかエクボがなかった。

 何年か前の写真も見てみた。少し太っていた頃はその気配はあるが今のようなエクボはなく、やはり今の体型になってから、左頬にだけエクボがあった。

 思った。毎朝毎晩に顔を洗ったり、歯磨きをしているときに鏡は見ているけど、自分が見ているものは何なんだろう。

 知らない自分を知らされた。自分が見ている自分がすべてではないと感じた。それも何回も見ているもののなかに見えていないものがあることを知った。

 相手から教えてもらうことが大切なのだろう。小さな自分を微笑みながら感じた。エクボはそこに生まれているのだろう。
 
 見ていても、まだまだこの世のなかを見ていない自分がいるとするならば、好奇心は耐えることはない。

 何気なく観る世界のなかにはまだまだ何かはある。何もないと思っても何かはある。

 見ているものがすべてではない今を生きている。
 
 
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あなたのために祈る。

2009-07-02 12:26:12 | Weblog

 「私のために祈ってね。お願い、私のために祈ってね。」彼女は引っ切り無しに言った。

 それは少し引いてしまうほどだった。それだけ、誰かの力を必要としていた。それは自分自身の力に信じれず、勇気を持てず、誰かに、何かに依存しなくては立てないような苦しみのなかに居たのかもしれない。

 彼女はマザーの修道会に志願していた頃に一緒に駅で働いたことがあった。しかし、仕事の辛さから辞めてしまった。精神的にももたなかった。シスターカリーナからカトリックになる勉強も一緒に受けていたこともあった。もう五年も前のことである。

 それから、またほんとうにいろいろとあったんだろうが、どうにかやっと白いサリーを着れるようになった。昨年カルカッタに行ったときに、たまに会うと「私のために祈って。」と言い続けていた。

 その心の不安定さをずっと感じていた。駅で働いているときから、マザーのシスターになるのは、彼女にとって、とても難しいことだろうと。

 一昨日、友達から彼女が日本に帰ってきていると聞いた。
 MCを離れてしまったのだろう。いま、ほんとうに苦しんでいると思う。表面的にどう現れているかに関係なく、深いところでは苦しみはあり続けているだろう。それは長い時間を必要とするかもしれない。

 もう無理はしなくていい。ぼろぼろになるまで無理を続けなくていい。自分で自分を苦しめなくていい。またやり直せる。神さまはあなたを見捨てはしない。

 あなたがあなたを見捨てたとしても。そう思い込んでいても。

 これから癒される。

 あなたのために祈る。
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畑を歩く。

2009-07-01 12:40:12 | Weblog

 毎朝の日課のように雨が降っていなければ、タバコを一服しながら畑を歩く。

 コリアンダーの根を太くして青々としている姿は微笑ましい。スイカも徐々に花を咲かせ、自分の陣地を増やしているかのようにその手を伸ばしていく。

 ちょうど、今日、気が付いた。ひまわりが今、自分と同じ身長になっていた。大きな葉を広げ、立派になった茎はその大輪を支えるために身体を鍛えているかのように立派である。

 近くに寄り、自分の頭を触ってから、ひまわりの頭を触って、その高さを比べてみた。何だか少し面白くなった。柱に傷を付け、その成長の記録をつける兄弟のような身近さを感じる。

 きっと気が付かないうちにひまわりの自分の身長を超えるだろう。そして、大輪を咲かせる。葉たちは太陽の陽射しを申し受けるようにまわり、その中心には大輪が、それを見守る。

 その姿は雄大であろう。その彼にはもうすぐに会えるだろう。

 とうがらしも何本か生っていた。まだ青とうがらしだが、すぐに思う。カレーにはもう入れても大丈夫だって。それは楽しみを膨らませる。

 小さな畑に育つものたちの静かな呼吸のなかに幸せが溢れている。その呼吸に自分の呼吸を合わせ、いまのありのままの姿を喜ぶ。

 立派な梅雨が彼らを育てている。うまく成長するかしないかではなくても、育てている過程の今がある。彼らは健気にそれを受け容れている。

 自分の心もそうありたいと呼吸を整え、深く息をし、その教えを頂いた。
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