1993年3月25日。
「神の愛の宣教者会」全会員にあてて。
「ベナレスからの手紙」 その一部。
黙想の指導者選びに注意しなさい。すべての人がわたしたちの精神を正しく理解しているわけではないのです。聖なることや学識のあることは、彼らがわたしたちの召し出しの恵みを理解しているということを意味しないのです。もしマザーがこの手紙に書いていることと違うことを彼らが言うのなら、それは聞かないように、それがあなたたちを混乱させないように望みます。イエスの渇きは、「神の愛の宣教者会」であることすべての焦点なのです。教会はそのことを何度も何度も確認してきました。わたしたちのカリスマは、愛と魂のためにイエスの渇きを癒すことなのです。貧しい中でももっとも貧しい人々の救いと聖化における働きによって、何も違ったことはありませんし、何もほかのことはありません。神がわたしたちの会にくださったこの贈り物を守るために、出来ることは何でもしましょう。
愛する子どもたち、私を信じなさい。マザーが今言っていることによく注意しなさい。イエスの渇きだけが、それを聞くこと、感じること、こころをつくしてそれに応えることが、マザーが去ったあともこの会を生き生きとしたものとするでしょう。それがあなたたちの生活となるなら大丈夫です。もしマザーがあなたたちのもとを去るときも、イエスの渇きは決して去って行きません。貧しい人々のなかで渇いているイエスは、いつもあなたたちのそばにいるのです。
どのようにしてあなたたちはイエスの渇きに近づくのですか。そこには一つの秘密があります。{イエスに近づけば近づくほど、あなたたちはイエスの渇きをもっと知ることになるのです。}「悔い改めて、信じない」とイエスはおっしゃっています。何を悔い改めるのですか。わたしたちの無関心と、こころの頑なさです。何を信じるのですか。あなたたちのこころの中で、そして貧しい人々の中で、イエスは今でも渇いているということです。イエスはあなたたちの弱さを知りながら、あなたたちの愛だけを、そしてあなたたちを愛する機会だけを望んでいるのです。イエスは時間によって縛られることはありません。イエスに近づくたびに、わたしたちは聖母、聖ヨハネ、そしてマクダラのマリアと仲間になるのです。あなた自身の名前を聞きなさい。わたしの喜びと、あなたたちの喜びを完全なるものにしなさい。
これがベナレスからの手紙から抜粋です。
全文はこの五倍以上になります。
マザーの切なる思いが十分に伝わることと思います。
マザーは今もなお、あなたを愛しています。