雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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水無月

2008年06月30日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 水無月の夏越しの祓する人は 千歳のいのち延ぶといふなり


 六月尽の今日は、各地で茅の輪くぐりなどの「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」が行われますね。

 写真は、氷室から切り出した氷をかたどった伝統的なお菓子、「水無月」です。数日前につくって冷やしておいたものを、今朝主人と食べました。手前味噌ですけど、品のある甘みが後をひくおいしさです ^^

 宮中では、平安時代から6月30日に氷室から切り出した氷を食し、半年の穢れと暑気を祓いました。旧暦ですから、新暦ではひと月後の七月末、夏まっ盛りのころのこと。この風習がやがて庶民にも広がって、氷に見立てたお菓子になったものがこの「水無月」。小豆は魔除けの役目です。


 初めてつくってみたのですが、つくり方はいたって簡単です。薄力粉と砂糖と水を混ぜ合わせてなめらかにしたものを型に入れて蒸し、ういろう状になったところで、加糖のゆで小豆をのせてさらに蒸しただけ。数日冷蔵庫に入れておいても、もちもちした食感は損なわれませんでした。
 ゆで小豆の代わりにかのこ豆や甘納豆もよさそうだし、ういろうの生地にふくらし粉を加えて、もうすこし厚みを出してみたい。旧暦の六月尽(新暦 7月31日)に、もういちどつくるつもりです。


 夏空の恋しい方、長雨のせいで気分のすぐれない方にも。見た目に涼しくお口に甘い、やさしいお菓子です ^^
 

梅雨の花

2008年06月27日 | 筆すさび ‥俳画
 
 梅雨の花、というタイトルで記事を書いているところに、福岡の boa!さま から郵便が届きました。分厚い封筒に同封されていた墨彩画に目がとまり、これはとおもってさっそく掲載させていただいた次第です。

 最近、こうした偶然がつづいていて、不思議におもうと同時に、いよいよわたしにもある種の能力がそなわったのかもしれないと、こわいような、うれしいような、妙なこころもちです。いえ、単なるおもいすごしでしょう。

 ともあれ、boa!さまご本人の許可なく掲載させていただいたことをお詫びします。一期一会のこととて、どうかご容赦ください。


 さて、梅雨の花です。

 退院してまもないころ、気のいい大家さんが、庭に自生する蛍袋とユキノシタをひと抱えも分けてくださいました。水上げがよく、つぼみだったものもぽつぽつ開いて、家の中はしばらくうす紫色をした釣鐘状の花でいっぱいでした。


 耳をすませば、チリリン‥と鈴の音が聞こえてきそうでした ^^


 蛍袋とユキノシタ。水を好む花が、なぜこのような住宅街の片隅にあるのかしらと不思議におもい、聞くと「このあたりはむかしは山で、ここには池があったから。毎年、刈っても刈っても出てくるのよ」と、芝刈りに精を出すご主人をよそ目にうれしそうに話してくださった大家さん。そのお話は、住宅砂漠のようなこの町にひどく渇きを感じていたわたしのこころに、とつぜんうるおいをもたらしてくれました。と同時に、わたしたちの暮らしが、多大な犠牲の上に成り立っていることを、あらためて実感することにもなったのでした。


 お礼のつもりで、はがきに蛍袋を描いたものを差し上げたところ、「これも絵にするんだったら」と、こんどはねぢ花を鉢植えにしてもってきてくださいました。
 ねじれて螺旋状に花をつけるねぢ花。別名、もぢずり、文字摺草。面白いことに、左巻きと右巻きの両方があります。花をよく見ますと、まるで蘭とそっくり。ねぢ花は、ラン科の多年草なんですね。


 梅雨空に向かってねじれながらぐんぐん伸びています。まだ俳画にはできていません。

 絵にならぬまま日はすぎぬねぢり花 (雪月花)


 花の先に雨上がりの空が広がっています。
 

めだか工房、世に出る

2008年06月24日 | 和楽印 めだか工房
 
 「和楽印 めだか工房」 よりお知らせです。

 めだか工房の消しゴムはんこの図案集が出ました。
 本日24日から書店に並びます。

 消しゴムはんこ作家 8人でつくった、ちいさな図案集。今年のはじめにお話をいただいてから、およそ半年。ようやくかたちになりました ^^ 

『消しゴムはんこ ちいさな図案集』
 ブティック社
 レディブティックシリーズ no.2709
 定価 900円 (本体 857円)

 わたしが担当したテーマは、「はんなり和のはんこ」。

 ・めだか工房製はんこ小物の写真‥ p.40, 41
 ・めだか工房オリジナル図案‥ p.42, 43
 ・小物のつくり方‥ p.81-83
 ‥計 7ページです。

 ほかの作家さんたちのアイデアも、とってもすてきです ^^ 写真、図案ともカラーで掲載。はんこの押し方のテクニックや、掲載作品のつくり方もわかりやすく図説しているので、初心者の方も気軽にとり組めます。

 書店で見かけたら、手にとって見てください。消しゴムはんこにご興味のある方は、ぜひ買ってくださいね。きっとお役に立ちます。


 本の詳細およびご購入は ↓こちら からどうぞ。(めで鯛をクリック)

本の詳細へ
めでたい!
(掲載図案)

 じつは、本誌に掲載されためだか工房の作品はほんの一部。掲載されなかった作品たちは、今後すこしずつブログ上でご紹介してゆきます。


 すてきな本にしてくださったブティック社さんと、わたしの入院中に病院まで校正紙と赤ペンを届けるなど全面的に協力してくれた主人に、感謝しています ^^
 

母ふたりの梅仕事

2008年06月20日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 お店に「青梅の販売は今回で終わりになります」と札が出ていました。今年は豊作ときく梅の実ですが、収穫は終わりなのですね。


 先週末、法要のため集った親族とともに、主人の家の庭の実梅をとりました。幼い子どもたちは、頭上からばらばらと落ちてくる梅に大はしゃぎ。「青梅の下に集る童かな」(子規)。もうすっかり熟していて、皮はそばかすだらけだったけれど、みなうれしそうに持ち帰りました。わが家は、義母が大鍋ふたつ分も煮いた煮梅をたっぷり分けてもらい、帰りに立ち寄った実家では、母が梅ジャムをひと瓶用意して待っていました。



 左が義母の煮梅、右が母の梅ジャムです。

 昨年の義母の煮梅は青色をしていましたが、今年はこんな色になるまで、辛抱づよくアクをとり除きながら煮つめたそうです。コクがあってプルーンのような食感。毎朝、プレーンヨーグルトにのせて食べます。



 母の梅ジャムは、いったん煮た梅を流水にさらしてから種を除き、アク抜きをこまめに繰り返しながら電子レンジで煮たもの。すっきりとした味わいです。残りすくなくなった母の手製の梅ジュースに、このジャムを浮かべて梅ゼリーをつくりました。


 ひ~んやり、冷えてます♪

 この琥珀色‥ あるいはシャンパーニュというのかしら、見つめているだけで梅雨のじめじめ感が消えて爽快な気分になれます ^^ 食べるのが惜しいくらい、きれい。


 ふたりの母の梅仕事に、今年も甘えられるしあわせ。

 それぞれの母の工夫の煮梅かな (雪月花)


 明日21日は、夏至です。
 

源氏の薫り

2008年06月18日 | くらしの和
 
 香を薫くのにふさわしいのは、雨上がりのしめやかなひととき。日本における薫香の発達は、この多湿な気候と風土によるところが大きいのだそうです。


 郡山(福島県)にお住まいの月十丸さんが、お手製の文香を分けてくださいました。香のお教室で、今年は「源氏物語千年紀」にちなんだ香をつくっておられるそうで、文香は光源氏と紫の上をイメージして調合したとのこと。


 おたよりに添えられた調合法の説明です。

 「紫の上のほうは、さくらやうめ、バニラ、白檀、おしろいの香りなどを含み、甘くてフルーティです。光源氏の香りは、沈香と白檀が多めで、あとはラベンダー、安息香、はっか、アンバーなどを含みます。どちらも15種類ほどの香材料を含んでいます

 香を聞きますと、紫の上のほうは甘さがきわだちます。ちなみに、『源氏物語』「梅枝(うめがえ)」の帖で、紫の上が調じた六種の薫物(むくさのたきもの)のひとつ「梅花」も、やや甘い香だそうです。
 源氏のほうは、海のむこうの異国の香りがします。舶来品である“唐(から)もの”を珍重した、源氏らしい香かも。


 香包みの和紙は、桜、萩、菊の花を散らした意匠。伝統的な「春秋のあらそひ」が、こんなところにも見られます。


 『源氏物語』にも、六条院の春の町に住む紫の上と、秋の町の秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)が、春秋の風情を競いつつ文のやりとりをする場面があります。みなさまは、春と秋ではどちらがお好きですか。


 文香を人さまに差し上げてしまうのが惜しくなってしまったわたし。そこで、銀座香十さんで見つけたサシェ用のオーガンジーの袋に文香を入れ、匂い袋にしています。バッグや懐にしのばせて。


 香十さんのお店のカードには、源氏香之図の「若紫」がデザインされていますね。


 月十丸さんに触発されて、わたしもつくってみましたよ、お文香。
 ↓これ、何だかわかります?


 うふふ、ヘラではありませんよ、「誰が袖」文香です ^^ きものの袖のかたち。(つくり方はこの記事の下に) 京都の香老舗・松栄堂さんの袖型匂い袋をまねてつくりました。

 色よりも香こそあはれとおもほゆれ たが袖ふれし宿の梅ぞも
 (『古今集』 よみ人しらず)

 こんな、「わかる人にはわかる」という世界こそ、奥ゆかしき日本文化。『源氏物語』は、その頂点にあるといって過言ではないでしょう。


 おかげさまで、香道は門外漢のわたしも、『源氏物語』の薫りの世界を、ほんのわずかですが垣間見ることができました 。さらにご興味のある方は、尾崎左永子さんの『源氏の薫り』(朝日選書、絶版)をお読みください。


 月十丸さんのご主人さまは陶芸家、お義姉さまはちぎり絵の作家さんです。それぞれ下記のホームページやブログでご覧いただけます。

 ・月十窯
 ・月十窯ブログ
 ・ちぎり絵ギャラリー


お義姉さまのちぎり絵

 

* * * * * * *

 【「誰が袖」文香のつくり方】
 お好きな和紙や千代紙などを用意し、長さ5.5センチ、幅3センチくらいの袖型を二枚つくって貼りあわせ、中に掛香などお好みの香を適量入れて、のりでとじます。きものの袖ですから、① 四辺にR(まるみ)をもたせて型を切ること、② においのすくないのりを使うこと、がポイントです。

 

紫陽花

2008年06月16日 | くらしの和
 
 本日16日は「和菓子の日」ですね。

 主人が源吉兆庵さんの生菓子を買ってきてくれました。包みに「紫陽花」とあるので、きんとんかな、とおもったら、うす紫色の黄身しぐれです。



 ふと、このお菓子にぴったりのガラス茶碗があるのをおもいだしました。
 以前、手仕事に自信のある作家さんたちの作品展で、チャリティー・オークションがありました。「ぜひ使ってみたい」とおもう作品に適当な価格をつけて入札すると、もっとも高い値をつけた入札者に購入権が与えられるという企画で、幸運にもわたしは色のきれいなガラス茶碗(茶筅付き)をひとつ、言い値で購入することができたのでした。
 昨年はとうとう使わずじまいだったけれど、そうそう、梅雨の中やすみの、こんな日にこそ使わなくては。


 浅紫、白、桔梗色‥ 色被せガラス?というのでしょうか。かたちはいびつでガラスの厚みも一様ではありません。全体にまるみがあり、ぽってりとやわらかな手ざわり。


 お菓子と同じ色みですし、お茶碗の銘も「紫陽花」にしましょう♪


 今日は主人がおやすみなので、これからふたりでお散歩がてら冷茶用のお抹茶を買いにゆきます ^^ 
 

紫のゆかり ふたたび

2008年06月12日 | 本の森
 
 手術後、回復のきざしが見えはじめたとき、窓辺の時計の針が悠然とすすむのを感じてうれしくなり、窓を開け放して風を入れ、創部をかばいながら身を横たえて『源氏物語』の再読を始めました。


 「むかし、どの帝の御代のことでありましたか、女御・更衣などたくさんのお妃がお仕えしている中に‥」─ 八年前に手にした尾崎左永子さんの『新訳 源氏物語』(全四巻、小学館 ※)。数ある訳本の中から尾崎本を選んだのは、訳文がそれはそれは美しかったから。みやびな王朝絵巻、光源氏と輝く日の宮で始まる物語なのですから、文章が美しくなかったら台無しです。それに、装幀がまた美しい。本にふれると夢見ごこちになれるんです。


 蝶、ほととぎす、菊の籬に秋草が咲き乱れる意匠で、一巻ごとに色を変えています。第一巻は紫、そして浅葱、紅梅色とつづいて第四巻の宇治十帖がお抹茶色なのも、にくい演出 ^^ 尾崎さんが装幀にどれだけこころをくだいたかがわかるというもの。


 退院までに二巻を終え、退院後に残りの二巻を読みました。
 『源氏物語』って、登場人物のこころのゆれを綴った物語なんですね。ことごとにもの思いに沈み、その思いを真摯に受け止め、向き合う。だれもみなその態度は同じなのだけど、その時々の心映えが優れているか否かで優劣や正誤が決まり、そこにドラマが生まれて物語が展開してゆく。描かれているのは、まさに匂うがごとく栄えた時代を生きた人々のこころのうつろいなんです。
 しかも、それが自然のうつろいとまったくシンクロしていて‥というより、自然のうつろいに人のこころが左右されているといってよいでしょう。この時代は、まだ自然が背景として独立しておらず、人と自然は一心同体なんですね。
 そんなの、物語の中の和歌をいくつか知っていれば一目瞭然でしょう、といわれたら、ごもっともなんですけど。

 わたしにとってこの再読は、八年前に絵巻物をひもとくようにこころをときめかせて読んだときとはまったくちがう読後感だったのです。年を重ねたせいでしょうか、ある意味さめた現実的な読みかたをしたかもしれません。

 でも、たったひとつだけ当時と変わらず熱いおもいで読んだところもあるんですよ。それは、つねに世を憂し(宇治)と感じながらも出家までいたらず、うじうじ(宇治宇治)と中途半端に生きている宇治十帖のヒーロー、薫の中将の悲恋物語。つつしみ深くストイックで、歯がゆいほど恋におくてな薫君(かおるきみ)が、たまらなく好きなんですよね ^^ゞ


 『源氏物語』一千年紀の再読を終えて、さぁ次回は原文で、いつ読みなおそうかなぁと思案中。




※ 尾崎本 『新訳 源氏物語』 は、さくら書房 で紹介しています。
 

柘(つみ)の花

2008年06月09日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 どういうわけか、昨年までひとつも花をつけなかった実家の庭のやまぼうしが、今年になってはじめて花をつけました。母もよろこんでいます。秋の紅葉もきれいですし、庭に隣接する六畳間の障子に木の姿がシルエットになって浮かぶのもすてきなんです ^^


 写真は、折々に季節の茶花のお話を聞かせてくださる紫草さまからいただきましたもの。おたよりに「万葉時代には山法師を『柘(つみ)』と呼び‥」とあり、『万葉集』の歌二首が添えられていました。

 この夕柘のさ枝の流れ来ば簗は打たずて取らずかもあらむ
 (巻三 386)

 いにしへに簗打つ人の無りせばここにもあらまし柘の枝はも
 (同 387)

 吉野に伝わる柘枝仙媛(つみのえやまひめ)の伝説です。
 むかし、ある男が梁にかかった柘の枝を拾い上げたところ、枝が美しい女・柘媛(つみひめ)に化身して男に添うのだけれど、ある日柘媛はとつぜん昇天して消えてしまうという、仙女のおはなし。
 巻十の1937の長歌にも「柘の小枝(つみのさえだ)」が詠まれています。神名備山の柘の小枝のほととぎすが妻恋をする‥とあり、「妻恋」を消えた柘媛を(男が)慕うと解釈すれば、やはり柘媛伝説をもとにした歌なのでしょう。


 調べるうちに、はて、これに似た物語をどこかで読んだような。とおもったら、そうそう、木下順二の『夕鶴』。あの“つう”の物語でした。「鶴の恩返し」はみなさまもよくご存知ですよね。木下順二は、もしかすると柘枝仙媛の伝説を知っていたかもしれません。


 ほら、やまぼうしの花が、鶴の舞姿に見えてきませんか。 
 

始末のよいはなし

2008年06月06日 | 小魚庵だより ‥日々の拾遺
 
 しとしと雨の昼下がり、ちいさなおかずや常備菜をちょこちょことつくっています。上の写真は、わが家の一食分(二人分)のお味噌汁につかう昆布とかつおぶし。かつお風味のつよいおだしが苦手で、かつおぶしはすくなめです。基本の万能だしですから、煮物にもつかいます。

 おだしを引いたあとのだしがら数回分を冷凍しておき、時間のあるときに昆布の佃煮とおかかふりかけにします。どちらも、おしょうゆとみりんでじっくりと(汁気がなくなるまで)煮こむため、保存できて重宝です。

 昆布の佃煮は、お茶漬けやお弁当のおともに。子どものころは塩昆布(しおこぶ)でお茶漬けをするのが大好きでした ^^



 おかかふりかけには、大好きなゆかりとごまを混ぜこみます。ちりめんや山椒の実も合いそうなので、試してみるつもり。


 コレ、ごはんがすすむんですよね ^^ 昨夜は、残りもののアスパラをうす味のきんぴらにして、おかかふりかけと和えました。



 始末のよい仕事のあとは、気分もすっきり。
 なかなかまめにはできないけれど、こんなくらしのくふうをすこしずつしてゆきたいです。
 

今日無事

2008年06月03日 | 筆すさび ‥俳画
 
 梅雨入り前の十日間あまりを病院ですごしました。生まれてはじめての手術と入院生活。にもかかわらず、麻酔科医である友人からよい先生を紹介してもらったせいもあり、多少痛いのをガマンすること以外、なんの不安もなくすごすことができたのは幸いでした。母と主人にはたいそう面倒をかけましたけれども。
 ただいま、半自宅療養中。といいましても、ほぼ健常者の生活にもどっていますから、ご心配無用です。

 わずかでも身をもって痛みを知ったことと、体が弱っているときに人のやさしさにふれたことは、想像していた以上によい経験となって、今後よい作用をもたらしてくれそうです。


 俳画は、すこし前に先生にいただいた短冊を写したもの。

 禅語にいう「無事」は、「何事も無い、無事である」という一般的な意味とちがって、「仏道の完成を他に求めないこころ」のことをいうそうですが、「今日無事」となると、その解釈もなんだかしっくりこないな‥ と不思議におもっていました。

 ところが、退院してしばらくぶりに自宅にもどり、玄関先に掛けておいたこの俳画を見ましたとき、すんなりとその疑問が氷解したのです。

 ─ ただただ、今日無事であることの有難さ。
 それは、自分の力だけではけして成り立たないものであり、つまり「おかげさま」ということでした。

 たくさんのものに支えられて、わたしはこうして今日無事にある。そのことへの感謝のきもちが、姫だるまの福々しい表情からふつふつとあふれていたのです。


 雨の季節は心身ともに不調になりやすいとき。
 みなさまも、大事にしてくださいね。