雪月花 季節を感じて

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雪中花 二編

2006年01月21日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
清澄な冬の朝
花器に挿した和水仙が ほのかに香ります

すっと伸びた翠緑の先にうつむく白い小花
空気がそこだけ清み ぴぃんと張りつめているよう


水仙の香に いつか訪れた京都嵯峨野の思い出を重ねます
藤原定家が小倉百人一首を編んだ山荘の跡と伝わる尼寺(※)
わたしの思いちがいと 庵主さまのご厚意により
一度だけお庭を見せていただきました

庵主さまのお気持ちがうれしくて
近くのお店で数本の和水仙をつつんでもらい
背丈ほどの枝折戸をたたきました

小柄な庵主さまは毛糸のまるい帽子をかぶり
帽子の下のちいさな白いお顔は水仙の花のようで
花束をお渡ししたとき 「まぁ‥」と目をひらいて
そのやさしいお顔が明るんだのが印象的でした


水仙の香は そんな思い出と
もう二度とあの庵をおとなうことはないという
すこしばかり淋しい思いも 漂わせています

 水仙の花の台(うてな)に菩薩笑む


 ─ * ─ * ─ * ─ * ─ * ─

 幸い大正生まれの母から、和服についての一般的な知識を、日常の生活を通して教わることができた。亡くなる直前までお花とお茶の師匠をしていた母は、こよなく和服を愛する人でもあったからだ。

 母の和ダンスに、単衣に青藍の縦縞が美しい結城紬があったのを思い出した。亡くなってから、母のきものを身に付ける機会が増えた。生きていた頃は、むしろ和服を着なさい、とすすめる母を疎ましく感じていた。藍の結城をはおって鏡の前に立ち、はっとした。母とわたしが一枚のきものを通して交感している錯覚に陥ったのである。
 思えば、仕事に疲れ、物思いに沈んだ時、知らず知らず、母が生前着ていた和服を眺めたり、はおったりするようになった。あれは、母との密会、誰にも侵されることのない、魂の交感を楽しんでいる時間なのでは。
 父母のいなくなった実家のもぬけの殻になった座敷や台所を見ていると、胸のどこかをカラカラと風が吹きぬけるような寂しさを覚えてしまう。きものをしげしげと眺め、はおり、たったひとりでそんな時間を楽しむようになったのは、この世でわたしはたったひとりなのだという孤独をかみしめているときなのかもしれない。


 とめどなく挽歌つづりて亡き母に甘ゆる夜を水仙の雨

 (随筆、短歌とも作者不詳)


※ 現在この尼寺は拝観謝絶です。わたしの思い違いにより、庵主さまにはご迷惑をおかけしました。庵主さまのご健康をお祈りし、庵の静寂が今後も保たれるよう祈っております。
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『国家の品格』

2006年01月14日 | 本の森
 
 本書(新潮新書)は最近のベストセラーなので、すでに手に取られた方も多いでしょう。著者の藤原正彦氏(数学者、某公立大学理学部教授)が、資本民主主義、そして米国流論理的思考の限界を説き、金銭至上主義がもたらしたいまの世界的斜陽を救えるのは世界で唯一「情緒と形の文明」と「武士道精神」をもつ日本であり、いまこそ日本人は「国家の品格」を取りもどすべきである、と提言しています。(けして過激なナショナリズムを説くものではありません) 藤原氏のような真の国際人にここまで声高に憂国と今後の指標を語られると、なかなか痛快です。

 米国流論理の限界を、著者はこう解説します。 ①-「AならばB、BならばC、CならばD、‥YならばZ。」という整然とした美しい論理に人は酔いやすい。しかし、仮説Aの選択を間違うと、とんでもない結論Zを生むことになりかねない。論理の出発点であるAを選択し決定する人の総合力が問われるのであり、その力はその人を形成してきたバックグラウンド(宗教、慣習、形、伝統など)、つまり「情緒と形」によるところが大きいこと。 ②-よりよく生きるために必要なことの多くは論理では説明できないこと。 そして、卑怯を憎み、正義、勇気、惻隠(他者の不幸に敏感なこと)を重んじる武士道精神こそ、情緒を育み、これまでの日本人の行動や道徳の規範になってきた、と明言します。(武士道そのものの復活を望んでいるのではなく、武士道“精神”の重要性を言っています)

 現代の日本人が連発する「かわいい」という単純な形容詞が米国に安易に受け入れられたり、多くの日本の芸術品が海外に流出していること、自給自足率や学力が低下し続けている現状を直視すれば、日本人がわずかな期間に、長い年月をかけて先人たちが築いてきた宝ものをいかにおろそかにしてきたかが分かります。初等教育において、国語や道徳の時間を削り、小学生に英語、銀行や債権、株式市場の仕組みを教える必要があるでしょうか? そう問いかける著者は、美しい田園風景をもち自然を尊ぶこの国で、情緒やもののあはれを解する感性を養い、古今東西の名著を読み、祖国の言葉と文化、歴史をきちんと学ぶことこそ真の国際人への第一歩、と主張します。
 また、美しい環境に育まれた情緒が独創的な創造を生むという指摘や、直接は世のため人のためにならない、非能率で非合理的な学問や芸術こそ崇高なものであるという見識には溜飲の下がる思いです。


 もともとわたしたち日本人は、獲物を求めて転々と移住する狩猟民族であった欧米諸国と違い、風土になじみ土着した生活を営んできた農耕民族です。森羅万象を敬い、ゆたかで美しい自然と親しく結びついて暮らし、繊細な感性を培ってきました。ですが、戦後になって急速に欧米化がすすみ、鄙(田舎めいたもの)を疎み、自然を征服し、里山から遠くへ遠くへと住まいを移し、あまりにも自然からかけ離れた暮らしを求めすぎたのかもしれません。

 「国家の品格」は「人間の品格、品性」とも読みかえられるでしょう。諸外国から羨望される物質的な豊かさより、尊敬されるこころの豊かさをもたなくてはならない。本書を読み、そんな思いを新たにしました。


雪月花のWeb書店でも紹介しています。
※ 日本の美しいもの(文化、伝統芸能なども含む)、季節感、歴史に関連のあるもので、みなさまのおすすめの本をご紹介ください。いつでも受け付けます。
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干支の置物 戌

2006年01月07日 | くらしの和
 
 お正月はいかがでしたか。松の取れる七日は七草ですね。せり、なづな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。寒の入りをすぎてますます寒さはつのりますが、お腹にやさしい七草粥であたたまりましょう。

 みなさまのお部屋にも、今年の干支、犬の置物がありますか。師走のころの店先で、陶製のもの、ちりめん細工のもの、木彫り、ガラス細工‥ と、さまざまな意匠の置物を眺めるのも楽しみです。わたしは数年前からすこしずつ集め始めました。左の写真のものは香合になっています。この意匠が好きで、卯、虎、巳は香合です。干支の置物は、住まいの南西の場所に南西を背にして置くのがよいそうです。

 人と犬との関わりの歴史は古く、身近な動物ですし、それに犬は忠実ですね。一般に戌年生まれは勤勉で努力家といわれます。すべて十二支は親しみ深い動物ばかりですが、なぜ猫が入っていないのか、(よく話題になりますが)ご存知ですか? 諸説あるらしく、たとえば、

 ・猫がねずみに動物たちが神さまのもとに参集する日を確認したところ、
  意地悪なねずみが一日遅れの日を教えたため、当日に間に合わなかった。
  (だから、いまでも猫はねずみを恨んで追いまわる)
 ・猫がお釈迦さまの薬を取りに行ったねずみを食べてしまったために
  入れてもらえなかった。 ‥等々。

猫とねずみは相容れない運命? でも、犬猿の仲なのに犬と猿は入っていますし、桃太郎の家来にも犬と猿がいますよね。(そこで、「犬猿の仲」の語源を調べてみたら、案外つまらない内容でした)

 この機会にもっと干支のことを学んでみませんか。「干支情報サイト」は、十二支についての雑学や、干支占い、世界の干支、干支にちなんだ料理など興味深い情報が満載です。


 昨今は、人も歩けば犬にあたる、と思うほど「犬は家族の一員」というご家庭も多くなりました。昔からお犬さまは神の使いとされてきましたから、戌年の今年、犬たちは歳神の化身と考えてよいかもしれませんね。(桂昌院と綱吉公が悦びそう) わが家では、もし犬を飼うなら白毛の柴吉(柴犬)がいいね、と話しています。


 これからすこしずつ、ふだんの暮らしをいろどるささやかな和のもの、美しいものをご紹介してまいります。
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「おたから、おたから」

2006年01月01日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 謹賀新年 みなさまのご健勝とご多幸をお祈りいたします

 「おたから、おたから!」
 正月二日の晩の寒空のもと、元気な子どもたちの声が響きます。子どもたちが、小さく切った半紙に七福神を乗せた宝船の絵と、

 なかきよのとをのねふりのみなめさめ なみのりふねのをとのよきかな
 (永き世の遠の眠りのいま目覚め 浪乗り船の音の良きかな)

という廻文(かいもん※)歌を刷ったものを売り歩く呼び声です。

 でも、これはひと昔前のお話。二日の夜にこの紙を枕の下へ入れて眠るとよい初夢が見られると信じられていたころの、長閑なお正月の風物です。子どもたちは売ったお金のいくらかをお小遣いにもらったそうですが、松の内のひっそり閑とした夜に愛らしい天使が舞い下りてきて、幸先のよい初夢をみなに等しく分けてくれていたのかな‥ と想像するだけで楽しくなりませんか。
 そんな風流はどこへやら、いまでは多くの人が「一攫千金!」を夢見て、年末ジャンボ宝くじの束を神棚や枕頭に置いて眠りに落ちるのかもしれませんね。


 ご自由に上の絵をクリックして印刷し、二日の晩に枕下に入れておやすみください。一富士、二鷹、三茄子。みなさまの初夢がすてきな一年のスタートとなりますように。本年も、どうぞよろしくお願いいたします。

 平成十八年 元旦
 雪月花


※ 廻文 ‥和歌や俳諧などで、上から読んでも下から読んでも同じ音になるように作ってある文句。例として「竹屋が焼けた」「惜しめどもつひにいつもとゆく春は 悔ゆともつひにいつも止めじを」。「神話の森のブログ」に、「初夢と宝船」「回文歌」が詳しく紹介されています。
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