清澄な冬の朝
花器に挿した和水仙が ほのかに香ります
すっと伸びた翠緑の先にうつむく白い小花
空気がそこだけ清み ぴぃんと張りつめているよう
水仙の香に いつか訪れた京都嵯峨野の思い出を重ねます
藤原定家が小倉百人一首を編んだ山荘の跡と伝わる尼寺(※)
わたしの思いちがいと 庵主さまのご厚意により
一度だけお庭を見せていただきました
庵主さまのお気持ちがうれしくて
近くのお店で数本の和水仙をつつんでもらい
背丈ほどの枝折戸をたたきました
小柄な庵主さまは毛糸のまるい帽子をかぶり
帽子の下のちいさな白いお顔は水仙の花のようで
花束をお渡ししたとき 「まぁ‥」と目をひらいて
そのやさしいお顔が明るんだのが印象的でした
水仙の香は そんな思い出と
もう二度とあの庵をおとなうことはないという
すこしばかり淋しい思いも 漂わせています
水仙の花の台(うてな)に菩薩笑む
─ * ─ * ─ * ─ * ─ * ─
幸い大正生まれの母から、和服についての一般的な知識を、日常の生活を通して教わることができた。亡くなる直前までお花とお茶の師匠をしていた母は、こよなく和服を愛する人でもあったからだ。
母の和ダンスに、単衣に青藍の縦縞が美しい結城紬があったのを思い出した。亡くなってから、母のきものを身に付ける機会が増えた。生きていた頃は、むしろ和服を着なさい、とすすめる母を疎ましく感じていた。藍の結城をはおって鏡の前に立ち、はっとした。母とわたしが一枚のきものを通して交感している錯覚に陥ったのである。
思えば、仕事に疲れ、物思いに沈んだ時、知らず知らず、母が生前着ていた和服を眺めたり、はおったりするようになった。あれは、母との密会、誰にも侵されることのない、魂の交感を楽しんでいる時間なのでは。
父母のいなくなった実家のもぬけの殻になった座敷や台所を見ていると、胸のどこかをカラカラと風が吹きぬけるような寂しさを覚えてしまう。きものをしげしげと眺め、はおり、たったひとりでそんな時間を楽しむようになったのは、この世でわたしはたったひとりなのだという孤独をかみしめているときなのかもしれない。
とめどなく挽歌つづりて亡き母に甘ゆる夜を水仙の雨
(随筆、短歌とも作者不詳)
※ 現在この尼寺は拝観謝絶です。わたしの思い違いにより、庵主さまにはご迷惑をおかけしました。庵主さまのご健康をお祈りし、庵の静寂が今後も保たれるよう祈っております。