雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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よみがえる乾山

2006年07月27日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 九州および四国地方が梅雨明けしました。暑中お見舞い申し上げます。関東の梅雨明けは月末か八月初めまでずれこみそうですが、昨日は久しぶりに夏の青空となり、湿気のないさわやかな風が吹きました。当ブログも背景を夏用に替えました ^^ 


 さて今回は、うつわと料理の関係についてのお話です。
 わたしが敬愛する琳派(※-1)。展示会に出かけたり、図録をながめたり、関連の書籍を開いたりと、これまで何度も琳派のことをここに書く機会はあったのに、あまりにも「琳派が好き」という気持ちがつよすぎて、どうしても書けませんでした。ところが、六月のある日の朝刊の片すみに、「乾山の器に折々の料理」という見出しを発見。料理本のアカデミー賞といわれるグルマン世界料理本大賞2005年の写真部門に、江戸時代の名陶・尾形乾山(おがたけんざん、1663~1743年、尾形光琳の実弟です)のうつわに四季折々の料理を盛った写真集『美し(うまし・うるはし) 乾山四季彩菜』(MIHO MUSEUM出版)が最優秀賞を受賞した、とあるのを読んで、書かずにはいられなくなりました。

 これまで、魯山人のうつわに料理、という企画なら、図録やテレビの特集などで見てきたけれど、乾山のうつわに料理を盛ったものは初めて。記事には乾山の「色絵短冊皿」に手まり鮨を盛った写真が添えられていて、細長い四方皿に盛られた手まり鮨はまるで花のようで、皿の手描き文様がちょうど葉の役割を果たすように見えるのです。この美しさは、いったい何なのでしょう‥

 滋賀県のMIHO MUSEUMに問い合わせましたら、書店には置いていないというので、すぐに郵送してもらいました。写真家の越田氏が、乾山のうつわと料理で四季を表現するため、およそ一年をかけて撮影した写真集です。春は焼筍、山菜の天ぷら、夏は茹でトマト、鮎の塩焼き、秋は栗の渋皮煮、田楽、冬はふろふき大根、野菜の炊き合わせ‥ こんな料理の数々が、乾山ならではの飄逸な線で銹絵(さびえ)や色絵をつけた皿に美しく盛られています。乾山ファンのひとりとしましては、もう、たまりません。

 新聞の記事には「器は独特の、変化に富んだ意匠で人目を引くが、不思議と料理を引き立てたたたずまいに、関係者も驚いた」とありますが、わたしはいままでがまちがっていたのだと思えてなりません。美術館のガラスケースを通してしか実物を見ることのできない“美術品”だった乾山のうつわが、料理を盛ることによりついによみがえった、というほうが正しいでしょう。こんなにうれしいことはありません。それに、乾山のうつわは彼の生前から公家大名から庶民の間にまで知られていたし、当時の茶会記にも乾山の名は記録されていて、うつわは向付(むこうづけ ※-2)として活躍していたのですから。

 届いた写真集の中から、乾山の「色絵阿蘭陀写市松文猪口(いろえおらんだうつしいちまつもんちょこ)」を、恋文をしたためるような気持ちで水彩画に描きました。市松文様は、深くて味わいのある藍色。なんてモダンな意匠なのでしょう。乾山は、破天荒で天才肌の兄・光琳とはちがって、温和で几帳面なひとだったのだろうな、と思う。線に迷いはないけれど、ひとつひとつが計算しつくされていて、その計算どおりに丁寧に描かれていることが、絵筆をとおしてじかに伝わってくるのです。
 この市松文は、京都の桂離宮の松琴亭の襖の意匠にも使われています。「阿蘭陀写(おらんだうつし)」とあるのは、長崎の出島を通じてもたらされたオランダのデルフト焼き(※-3)がモデルだからだそうです。


 江戸時代、琳派は、その絵もうつわも人々の暮らしを美しくする道具でした。宗達が下絵を描き、光悦が流麗な書をしたためる。乾山がつくる皿に兄の光琳が自由闊達に絵付けをする。そんな、「和して同ぜず」という、凡人にはとうてい達することのできない至福を、心底うらやましく思うのです。

 食器には、料理を盛りつけてみて初めて、その美の真価を目の当たりに
 する凄さがひそんでいます。それは視覚的な美しさからだけでは
 わからない、食の美との協働によって湧きいづる「用」の美しさです。
 乾山のやきものの本領、そして奥深さは、まさにそこにあるといえます。

 (『美し 乾山四季彩菜』より)

 ちなみに、今回のグルマン世界料理本大賞には世界各国から実に6,000冊の応募があったそうですが、この乾山の賞のほかにも他部門で日本勢の料理本が最も多く受賞したそうです。世界に誇る日本の食文化は、まだ健在なのですね。うれしいニュースでした。


* * * * * * *

※-1 琳派
   本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山、酒井抱一など、江戸時代に
   同じ表現方法で装飾的な絵画や陶芸の作品を数多く生んだ美術家・
   工芸家たちをさす名称。おもな作品は、「楽茶碗 銘『不二山』」(光悦)、
   「風神雷神図」(宗達)、「紅梅白梅図」「燕子花図」(光琳)、
   「色絵絵替土器皿」「花籠図」(乾山)、「夏秋草図」(抱一)など。

※-2 向付は、懐石料理で、膳部の向こう側に置く刺身・酢の物などの料理を入れるうつわ。
   またはその料理のこと。

※-3 オランダの陶都デルフトのデルフト焼きは、17世紀の中国陶器、ペルシア、
   日本の伊万里焼きなど東方貿易の影響を色濃く受け、模倣と試行錯誤の末、
   完成されたそうです。品のあるデルフト・ブルーが特徴。

 
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天上の花

2006年07月20日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 送り梅雨の候 各地で大雨による被害が出ています。気温もぐんと下がり、七月下旬の気候と思えない肌寒い日がつづいています。みなさま、お気をつけておすごしくださいますよう。

 このころ、「蓮葉(はちすば)のにごりに染(し)まぬ心もて なにかは露を玉とあざむく」(『古今集』 遍照)と詠まれた蓮の花が咲き始めます。白亜紀からすでにこの世に存在していた太古の植物は、一億数千万年という気のとおくなるような時間を秘めて、早暁にお釈迦さまの蓮華座のような美しい花を咲かせ、わずか四日間の花のいのちをわたしたちの記憶に留めて散ってゆきます。

 水走る散華つと見え蓮嵐 (皆吉 爽雨)

 一日目。朝まだき薄明の中で、かたく閉じられていたつぼみがわずかに開き、午後にはまた閉じてしまいます。
 二日目。早暁に香るような萌黄色の花芯をのぞかせて発(ほっ)と開花し、夕刻にはまたつぼみにかえります。
 三日目。微風にも崩れそうなほど開ききり、つぼみにもどる余力もなく、そのまま夜をすごします。
 そして、四日目の午後。花弁は、ひとひらひとひら、散ってゆきます‥

 精根尽きた蓮が花弁を傾けて夕陽を浴びている様子を見ていると、
 そのまま人の一生もこの四期に尽きるのではないかと思われる。
 幼年、青年、壮年、老年と、花の開閉は人の生涯を連想させずには
 おかない。

 (志村ふくみ著 『語りかける花』 二千年と四日の命 より)

 京都は洛西双が岡(ならびがおか)のふもと、花園にある待賢門院璋子(※)の私寺・法金剛院は、七十を越える品種の蓮が苑地を彩ります。風のまだ涼しい早朝に雪色の花弁を広げた蓮に出合うと、ほんとうに清々しい気持ちになります。白蓮が、妄執を解脱し雲上の仙境でこころしづかに玄宗皇帝との連れ舞いをなぞらう玉三郎さんの「楊貴妃」の舞姿なら、紅蓮は西行の憧れの君、待賢門院のお姿でしょうか。艶麗でふくよか、気品にみちています。


 蓮にまつわる美しいお話があります。
 清時代の中国に『浮生六記(ふせいろっき)』という本を著した沈復(シェン・フ)という貧しい学者がいました。いつもお金に困っていて、毎日の食べものにもこと欠くような生活をしていたのですが、芸(ユン)というこころやさしい妻がいました。夕刻、芸は蓮の花びらが閉じる前に、お茶の葉を布にくるんで花の中にいれ、翌朝、花がふたたび開くと、そこから茶葉を取り出して花の香のするお茶をいれて、夫婦で詩を朗読したりしながら幸せに暮らしたそうです。
 すてきなお話でしょう? 花のふくいくとした清香を楽しむお茶を、ためしてみたいものですね。ゆたかなお茶の文化と自然にとけこんだ清貧な暮らし。日本にも、同じようなお話がどこかにありそうな気がしませんか。


 泥中に生まれながらも、泥に染まらず。
 清い水に洗われて咲く 聖なる天上の花。
 蕾にも花にも、葉も枯れた花托にも。
 どんな姿にも 心揺さぶられる。

 いけてみてわかる神秘的な蓮の輝き。
 まっすぐな茎、艶やかな葉の表情にも、
 太古からの生命の不思議を思う。
 自分にとって、蓮は至上の花。終生のテーマです。

 (川瀬敏郎 『四季の花手帖 1』 春から夏へ より)


待賢門院璋子(1101-1145年)
  平安時代後期、第74代鳥羽天皇の中宮で、第75代崇徳、第77代後白河両天皇の母。
  女院は晩年を法金剛院ですごし、いまも法金剛院の北、花園西陵に眠っています。
  絶代の美貌を謳われ、信仰心も深かった女院。
  当時の歌僧・西行は、女院への思慕を断ち切るために出家したという説もあります。
  西行は女院を月にたとえて、こんな歌を詠んでいます。

  弓張りの月にはづれて見し影の 優しかりしはいつか忘れん
  面影の忘らるまじきわかれかな 名残を人の月にとどめて

  
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祭鱧 (まつりはも)

2006年07月13日 | 京都 ‥こころのふるさと
 
 シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、‥

 鱧の骨切りの音から、わたしの夏が始まった。
 祇園の花見小路を一筋、西に入った割烹店「川上」のご主人の年季の入った包丁さばきから、歯切れの良い、涼感あふれる音がうまれる。手もとには、上洛してまず訪れた祇園社の「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」の護符付きの厄除ちまき。これだけでもう十分、身もこころも夏本番なのだが、鱧の落しに白味噌の熱いお碗、鮎の塩焼き、夏野菜の冷製炊き合わせ、賀茂茄子の田楽、‥と、気取りのない佳い器に盛られた景色もみごとな夏料理の数々を堪能する。打ち水のされた路地の先にゆれる涼しげな麻のれんをくぐり、すこしばかり緊張してのぞむハレの日の店とはちがい、からりと引き戸をあけ、「ただいま」と言いたくなるような素朴さがこの店にはある。客も常連さんばかりだ。もちろん料理も美味いが、主張せず、でしゃばったところが微塵もない。食事の合間に先代と奥さまが傍らに来られ、「ようこそ、おいでやす」「おぉきに、有難うございます」と腰低く挨拶をされてゆく姿こそ、この店の真情なのだろう。わたしの尊敬する染色家、吉岡幸雄先生の店はこの近くで縄手にあるが、食べものにうるさい先生の行きつけの店だというのもうなづけた。

 この日の夜、四条大橋で祇園祭の行事のひとつ、神輿洗(みこしあらい)が行われた。飾りをつける以前の、男たちの「まわせぃ、まわせぃ」のかけ声で橋上をひきまわされる神輿はまだ町衆のもののようだが、鴨川の神水で浄められた神輿はとつぜんに神々しくなる。そうなると、もうたれのものでもない。神幸祭、還幸祭をへて、もういちど神輿が洗われて祭を終えるまで、それは神そのものなのだ。コンコンチキチン、コンチキチン。鉦の音が消えるのを合図に、神は、夜の夏を照らす南座と花街の灯のむこう、東山のふところへと消えていった。


 山鉾町では、釘一本使わない「縄がらみ」という伝統的な技法による鉾建てが始まっていた。いまはガテン系の汚れた作業服とねじり鉢巻姿で汗を流す男たちが、千年の重みを背負い、誇らしげに山鉾紋入りの浴衣をつけて、荒ぶる神とともに都大路を練りあるく日も近い。わたしはうだるような熱気につつまれた四条通りをぬけ、神宮神苑の栖鳳池の涼風に憩いながら、梅雨空の果てに白雲の峰のたつ都の空を仰いだ。どこからか、「エーン、ヤァラァヤアー」の勇ましいかけ声が聞こえたような気がした。


 夏座敷 鱧 川床(ゆか) ちまきにコンチキチン 油照り日の京の楽しみ

 祭はまもなくクライマックスを迎える。
 京都の夏は、熱い。


 * * * * * * *
 一年二ヶ月ぶりに京都へ行ってまいりました。
 絵は、毎年「あとの巡行」で先頭をゆく“くじ取らず”の曳山、北観音山のちまき。
 山の作事方「六角会」に所属する方から分けていただいたものです。

 
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お知らせ

2006年07月10日 | お知らせ
 
 ご訪問有難うございます。
 「雪月花」 は 7月10日(月)~12日(水) の間、おやすみです。
 

桔梗 夏の記憶

2006年07月06日 | 京都 ‥こころのふるさと
 季節はずれの台風が去り、京の町の空に雲が流れてさわやかな夏の一日になった。遠くに祭の鉦の音が響く。約束の夕刻まで間があったので、禅寺とは思えないやさしい枯山水の庭をながめながらお薄をいただき、なかば時間つぶしのための時をすごした。
 拝観者はわたしたちふたりだけの、閑かな週末の昼下りだった。雨に洗われたみずみずしい苔緑。ゆったりと横たわる鶴亀の石組。風が流れるたび、さらさらと音をたてて表情を変えてゆく竹林。わたしたちは長い時間そこに座したまま、あまり多くを語ることもなくすごしたが、その時間はわたしにとっては空白ではなかったし、東京の忙しい日々を離れ、ゆるやかな時空に気持ちを遊ばせる貴重なひとときだった。

 その後、隣接する寺の庭を訪れた。そこは桔梗の花の時期だけ拝観が許されている。可憐な紫の花は庭をうめつくすほど咲いていたが、庭全体は雑然としていて手入れもゆき届かず、おまけに奇妙な音楽のサービス付きで、わたしたちはすっかり興ざめしてしまい、花とゆっくり向き合うこともなくその場を離れた。

 「でも、この花に出会えたからよかった」
 寺の戸口を出たところの、ふっくらとした苔に沈む敷石のかたわらに咲いていた数輪の桔梗の花。清楚で、庭に咲き乱れていたたくさんの花よりもずっと気品があった。そして、友人のその言葉に、わたしは救われたような気持ちになったのだった。


 桔梗の花を愛する友人と、花に逢うために京の禅寺を訪れた夏の思い出はもう遠い。わたしは凛とした花の姿を思いながら薄茶を点て、梅雨明け前の蒸し暑いひと日をやりすごす。茶の緑を抱いた碗には、いまもあの日の紫の花がゆれている。
 
 桔梗(きちかう)の姿したひて一碗の苔の翠(みどり)をひとりただよふ
 
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