雪月花 季節を感じて

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美の源流 仏師の仕事

2006年11月30日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 東京国立博物館平成館の特別展「仏像 一木にこめられた祈り」の会場に全国各地から集った百数十体の仏像を観覧しました。展示期間中、数十万人の善男善女がそれら仏像の間を絶え間なく往来したそうです。いまは(わたしも含めて)無宗教を自認する日本人が多いと聞きますけれども、こうした状況を目の当たりにしますと、そういう話はあまり信じられなくなります。なんらかの宗教に帰依するかどうかは別として、科学や医療がどんなにすすんだ文明社会に生きようとも、日本人の神仏への信仰心は失われていないように思えてきます。

 自分はどこの寺の檀家だとか、先祖代々わが家は○○宗だということをふだんから意識していなくても、この仏像展をご覧になって、仏さまのお顔と天衣につつまれた麗しい容姿、一木から仏の姿を彫出した仏師の篤い信仰心とその技に、打たれた方は多かったでしょう。白洲正子さんが『十一面観音巡礼』(※)に書いていられるように、むかしのひとたちの信仰心と、仏像をとおして見えてくる古人の信仰の姿に打たれるわたしたちのこころとは、そんなにちがうものではないと思えます。また、(仏像以外の)美しいものにふれたときの、言い表し難いよろこびや感動ほど信仰に近いものはないのではないでしょうか。「美は宗教」とは、いったい誰が言ったのか失念しましたけれども、なるほどそうかもしれないとうなづけます。
 そういうことを感得しますと、神は目に見えないけれども、はるばるこの極東の島国に渡来した仏さまが、濁世のほかのようなその美しいお姿をわたしたちの祖先の眼前にさらしたとき、山川草木あらゆるものに神が降臨すると信じて疑わなかったかれらが、そこに神の俤(おもかげ)を重ねたのもごく自然なことだったでしょうし、かれらが身近な霊木に宿るという神(仏)の姿をぜひ見てみたい‥と願ったとしても、それもまた当然のことではなかったでしょうか。とすれば、“見えないものを見えるようにする”のが当時の仏師たちの仕事だったといえるかもしれません。あるいは、日本各地に伝わる無数の仏像は、“見えないものを見ようとする”日本人の性向と仏師の信仰心とがみごとにコラボレーションして生まれたものである、と言い換えられないでしょうか。

 以上のことは、むかしもいまも変わらずすべての芸術家の仕事にもあてはまるでしょう。芸術家にしか見えなかった美が、その美に肉薄しようとするかれらのたゆまぬ努力とその芸(わざ)によって可視化され、その結果凡人のわたしたちにも見えるようになるのです。それは、ほんとうに有り難く、仕合せなことではないでしょうか。わたしは、そんな美との出合いのひとつひとつに深く感謝せずにはいられません。


 上野の会場を出てすぐ銀座へ向かい、ついでに和光ホールで行われていた「江里康慧・江里佐代子展 仏像と截金(きりがね) 今、その語りかけるもの」を観たのですけれども、截金の人間国宝・江里佐代子さんの仏像装飾はさすがにみごとだったものの、残念ながら仏像そのものに生気が感じられませんでした。それは、千数百年という時と信仰の重みの差のせいなのでしょうか。
 わたしは奈良後期から平安初期に活躍した名も無き仏師たちの仕事へと自分の意識が帰ってゆくのを感じながら、ま新しい木仏の発する清香につつまれた会場をあとにしました。

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※ 白洲正子さんの『十一面観音巡礼』は さくら書房 で紹介しています。
 
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紅葉 二題

2006年11月23日 | 筆すさび ‥俳画
 
 小雪の候 北国から次々に雪のたよりが届いています。例年より暖かかったせいで、街の銀杏や欅(けやき)はようやく色づき始め、野山の紅葉黄葉は見頃を迎えました。この週末は紅葉狩り、という方もいらっしゃるでしょう。

 今回は俳画の一回目のお稽古の画題だった「蔦紅葉」と、黄、橙、紅に染め分けた楓を描いてみました。
 十三夜に聞いたわびしい砧の音に蔦紅葉がからまります。

 みやこにも今や衣をうつ(宇津)の山ゆふ(夕)霜はらふ蔦の下みち
 (『新古今集』 藤原定家朝臣)

 『伊勢物語』の東下りの一節、「宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦、楓は茂り、物心細く‥」(第九段)をふまえて、砧を打つ哀しい女の気持ちにからめとられるように蔦紅葉が詠まれました。連れ添うた女を残して見知らぬ国へ旅立つ心細さ。俵屋宗達はそれを「蔦の細道」に描きました。
 さらに、深山を踏み分けゆけば、

 もみぢ葉の散りゆくかたを尋ぬれば秋もあらしの声のみぞする
 (『千載集』 崇徳院御製)

 「あらし」に「嵐」と「有らじ」をかけて、散り敷いた紅葉の後は嵐の音のみがして、秋はもう去ってしまったとしきりに伝えている、という歌。詞書に「九月尽の心をよませ給うける」とあって、秋去り冬到来を告げるのに「あらし」と表現していることが、配流の地・讃岐にてわが身の不遇を恨んだままこの世を去った崇徳院のご気性の激しさまで表れているように感じられ、また「もみぢ葉の散りゆくかたを尋ぬれば‥」に敗戦の身の哀れさと、流れゆく地には何もなかろうという院の諦観にも受けとれます。
 定家の歌も院の御製も、花も紅葉も消えた冬枯れを予感し、ゆく先に不安を抱く歌であることでは同じでしょう。

 こうして古人の歌を味わっていますと、あらためて日本人は自然に寄り添うて生きてきたことを知ります。自然とともにあることが日本人の本来の姿であると。実際には自然は何も語らないのですから、つまり日本の詩歌や芸術の歴史は自然の声に耳をかたむけてきた民族の歴史といえそうです。自己主張をしない弱い立場のものに親しんできた歴史。
 ところが、明治維新以来、自然を征服してきた歴史をもつ西洋の先進国の文明がどんどんこの国に浸透して、身近な自然を日本人みずから破壊する歴史が刻まれてゆきました。やがてわたしたちは自然の声を聞かなくなって、自己主張ばかりするようになります。誰もがメディアをとおして「自分、自分」と叫んでいます。
 このことは、いまを生きる子どもたちにすくなからず影響していないでしょうか。子どもそのものは自然であるのに、自然の失われた環境で子どもたちは喘いでいる。自然である子どもが自然の声の届かない世界に生きるうち、自己主張のできない弱いものの言い分を聞かなくなり、ついにいじめるようになったと考えられないでしょうか。いじめの問題は、そんな現代社会の落とす闇のような気がしてなりません。


 初夏に緑風を運び、夏は涼しい蔭を落として、秋にみごとな綾錦を見せてくれる木々に、まもなく眠りの季節が訪れます。風に一枚、また一枚と枝を離れてゆきながら足早に遠のいてゆく季節の後姿を見届けながら、そのめぐみに感謝する気持ちをわたしたちはたいせつにしなくては‥ とつくづく思うのです。


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日本の名作音読カレンダー

2006年11月23日 | くらしの和
 
 みなさまは新年用の手帖や暦の準備はもうお済みでしょうか。わが家は、先日NHKの番組で紹介していたちょっと面白そうな暦を取り寄せました。「脳を鍛える大人の 音読カレンダー」という名の日めくりの暦です。

 この暦は、日本の名作文学の冒頭部分や名場面をお子さまと一緒に音読ができるようにふりがな付きの大きな文字で印刷されていて、一年間毎日音読をしてゆきましょう、というもの。日本の作家総勢86人(森鴎外、夏目漱石、尾崎紅葉、樋口一葉、有島武郎、与謝野晶子、菊池寛、芥川龍之介、宮澤賢治、林芙美子、太宰治‥ 等々)の小説、随筆、童話などの収録作品353編、新規作家と作品は16人24作品が収録されています。
 わたしは最近流行の“脳を活性化するためのトレーニング”というものにあまり関心がないのですけれども、毎朝わずかな時間でも日本の名作にふれることができるなんてすてきと思いませんか。まだ読んだことのない作品に出合ったら、それを読んでみるのもよさそう。新年になって、日めくりをするのをいまから楽しみにしています。
 ちなみに、新年元旦を飾っているのは夏目漱石の『吾輩は猫である』の冒頭文です。わたしの誕生日は夢野久作の『ドグラ・マグラ』、主人の誕生日は国枝史郎の『神秘昆虫館』。みなさまの誕生日にはどんな作品が紹介されているのでしょうね。

 「この暦がほしい」という方は、下記のくもん出版のページをご覧ください。ページの下のほうに商品情報があります。

 → 「2007年くもんのカレンダー特集


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残りの菊 (伊予の旅の記 二)

2006年11月15日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
  
 叔母とともに、養護施設にお世話になっている祖母を訪ねました。玄関先のガラス戸のむこうに食堂があり、その入口にいちばん近いテーブルに祖母が両手をついて、一点を見つめて身じろぎもせず座っていました。「おばあちゃん、くぅちゃんが来てくれたんよ」と叔母が声をかけると、「ふぅん?」と顔を上げてこちらを見てくれても、もうわたしのことは思い出せないようでした。「こちらがご主人さん」と夫を紹介すると、「はぁ」と言って頭をちょこんと下げました。その日の祖母は瞳がきれいで肌のつやもよく、おだやかな表情をしていました。

 待合室の窓際の椅子まで手を貸しながら祖母を歩かせて、叔母が持参したいちじくの実をみんなで食べました。入れ歯を入れていないのに、祖母はおいしそうに三つをぺろりと平らげたので、わたしも夫も驚きました。あわあわと甘いいちじくの実は、祖母の好物だったようです。
 祖母は、身体も顔の大きさも元気だったころの半分くらいになっているのに、指は太く手のひらはわたしのよりも大きくて、話をする間はずっとその手を握っていました。ひんやりと冷たくて爪の形のきれいな祖母の手。この手で幼いわたしをおぶって歩き、お米をつき、ヨモギを摘んでお餅をつくり、畑で野菜を育て、柿やみかんをもいで、わたしの家族に毎年送ってくれたのでした。「おばあちゃんの送ってくれたお米もお餅もみかんも、みんなおいしかったよ」と言ったら、祖母はこころからうれしそうな笑顔を見せてくれました。
 待合室の椅子にちょこんと座り、まっ白になった髪は短く切りそろえられて、大きな瞳をきらきらさせながらおしゃべりをしてくれた祖母の顔は、まるで夢みる少女の面差しのようであり、陽だまりの田舎道にひっそりと咲く一輪の白菊のようでもありました。聡明だった祖母がこんなにぼけてしまったけれど、これまでの苦労や苦悩からいっさい開放されて、いまは幸せなのかもしれない‥ と思ったら、どんなに施設のひとたちに手数をかけても、わたしのことなど思い出してくれなくても、ずっと生きていてほしい‥ と、祈るような気持ちになりました。帰りぎわ、「おばあちゃんみたいにぼけてしまうのが、いちばんええのかもしれんね」と叔母が言いました。
 「さよなら。また来るからね」と手をふったら、大きな目をさらに見ひらくようにして笑顔で手をふってくれたおばあちゃん。ほんとうに会えてよかった。うれしかった。

 施設を出た後、祖父の墓前で、どうかもうすこしおばあちゃんと一緒にいさせてね、とお願いしました。家主を失った祖父母の家は、どの窓にも雨戸がさしてありしんとしていました。裏庭に熟柿がすこし、畑にはみかんがたくさんなっていました。軒下に吊るされた数個のたまねぎを見つけたとき、急に「おばあちゃん‥」とかなしい気持ちが押し寄せてきました。


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「生々去来」 刺繍人間国宝・福田喜重の世界

2006年11月10日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 先日ご紹介しました刺繍の人間国宝・福田喜重さまの作品展へ行ってまいりました。この世のものとも思われない御作の数々を拝見して、いま思い出してもこころがときめいてドキドキいたします。この感動のさめないうちに‥と思い、記事を書いています。

 都心の無機質なビルの会場を彩っていたのは、きものに咲いた美しい花々‥ いえ、花以上の美でした。生地の選択から、地染め、箔押し、刺繍まで一貫して福田氏おひとりで制作されるそうですが、唐織のような重苦しさは微塵もなく、意匠はじつにモダン、つややかな絹の衣に日本の伝統色が華やかに染め分けられ、そこに抽象化された自然の景物や文様がさらさらと流れるように、あるいはリズミカルにちりばめられています。耳を澄ますと聞こえてくるのは雅楽でなく、モーツァルトの室内楽のように軽やかなアンサンブル。福田氏の作品を外国の方がご覧になったら、これを異文化のものと思わないかもしれません。福田氏の紡ぎ出す美は、軽々と国境を超えてゆくでしょう。

 刺繍に目を凝らしますと、神業としか思えない緻密な世界ですのに、すこし後ろに下がって全体をながめますと、そこはもう無限の宇宙。いのちの宿る森羅万象を、この目でたしかに見、肌で感じた、という気がいたしました。
 また、これらの作品にかけられた気のとおくなるような時間と手間ひまに思いをいたせば、自分がいかに時を無駄にして日々を送っているかが自覚され、「これまでの四十年間、いったいわたしは何をして生きてきたのだろうか」とつくづく情けなくなります。こういう体験をしますと、やはりわたしたちは意識して先達の残してくれたものにふれる機会をもたなくてはいけない、とあらためて思うのです。


 出口に向かいましたとき、控えの間から背広姿の老紳士が現れまして、わたしとすれちがうときにすっと腰を低められました。はっとして、すれちがいざまにあわててわたしも頭を下げたのですけれども、そのお方こそ福田喜重氏ご本人ではなかったでしょうか。一瞬の出来事でしたのに、なんと自然な立居振舞い、美しい身のこなしだったことでしょう。わたしはぼうっとしていたところに水をかけられたような気持ちになって、背筋が緊張し、会場を出ました後は恥かしい思いばかりが残りました。

 「伝統を守るのではなく、生かすことこそ刺繍の生きのびる道」。
 (福田喜重氏の言葉)

 温故知新。この展示会で見ましたのは古都のみやびではありません。帰りの電車の中で、見たばかりの“現代の”絵巻物が次々と頭の中に去来して、わたしは興奮していたようです。帰宅後はひと息つく間もなく、ここまで一気に書きました。日本の文化の源泉はやはり京都にあって、いまも息づいている。そんな思いを新たにいたしました。
 (今回の展示は11月11日(土)までです。福田氏の主な作品は こちら でご覧ください)

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※ 「生々去来」は福田氏の造語だそうで、この名を冠した刺繍訪問着の作品が
  東京国立近代美術館に所蔵されています。


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おいでんかなもし (伊予の旅の記 一)

2006年11月08日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 十数年ぶりに父母の故郷、愛媛へ行ってまいりました。父の墓があり、祖母、叔父がふたり、叔母がおります。夫は瀬戸大橋を渡るのは初めてで、岡山から予讃本線に入る特急「しおかぜ」の窓際をゆずったのですが、あいにく瀬戸の海は霞んでいて視界はよくありませんでした。むかしは連絡船で一時間もかかったのに、いまではあっという間に四国に入ってしまいます。列車が香川をすぎて愛媛に入ったとき、岡山駅で買いもとめたお弁当をひろげました。
 叔母の案内で父の墓参を済ませ、ホームにお世話になっている祖母をたずねました。祖父に先立たれた後すっかりボケてしまった祖母は、わたしの顔を思い出してくれませんでしたけれど、その日の祖母はおだやかで、夫とわたしに愛想よくほほえみかけてくれました。
 再会を約束して祖母と叔母と別れ、「しおかぜ」を乗り継いで松山へ。ホテルまで迎えに来てくれた叔父夫婦に瀬戸内の魚料理をごちそうになりました。伊予育ちの叔母も叔父もあたたかい人柄なので、夫も緊張が解けて、酒好きの叔父と酌み交わしつつ顔を赤らめていました。
 翌日は路面電車を使って城下町をゆっくりと散策。街には優雅な「マドンナバス」や汽笛を鳴らしながら「坊っちゃん列車」も走っていて、松山の名所旧跡のそばまで運んでくれます。天気の良い日で、松山城天守閣から見下ろす町も耳に入る伊予言葉ものんびりとして、夫はこの街が気に入ったようでした。
 「春や昔十五万石の城下哉」と詠んだ正岡子規はこの地で生まれました。折りしも子規の友人・夏目漱石の『坊っちゃん』執筆百周年記念の年で、記念行事が行われています。でも、『坊っちゃん』に描かれた松山の町の印象はけして良いとはいえないから、漱石も松山も、互いを利用しあっているといえなくもないけれでも、竹を割ったような性格の江戸っ子・坊っちゃん、正義感のつよい山嵐、インテリな赤シャツ、太鼓もちの野だいこが、この町で繰りひろげた騒動をいきいきと描いた小説はやはり傑作です。道後温泉本館の立派な構えを見上げたら、湯上がりで上機嫌な彼らが上階の窓からひょっこり顔をのぞかせて、「ようおいでたなもし」と手招きするかもしれません。
 次回松山へ来るときまでに、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでおこうね、と夫と約束しました。


 旅の楽しみのひとつはその土地の銘菓めぐり。「マドンナ団子」はいつできたのかしらん、むかしは「坊っちゃん団子」しかなかったと思う。「たぬき饅頭」は甘みがつよいから、渋めの緑茶のおともに。「母恵夢(ポエム)」はむかしから母とわたしの好物です。福島の銘菓「ままどおる」をご存知の方は、それによく似たお菓子と思ってください。ふんわり甘いママの味がします。「一六(いちろく)タルト」は厚い生地にくるまれた柚子餡が絶品。(これは類似品がたくさん出ている) お世話になった方や、目上の方へのお土産はこれがいちばん。
 旅の思い出に、俳画にしてみました ^^

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 (つづく)


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「一筆箋」 開設のお知らせ

2006年11月07日 | お知らせ
 
 「立冬 山茶始開(つばきはじめてひらく)」の候となりました。
 七日の朝、近畿地方に木枯し一号が吹いたそうです。

 このたび、メールフォーム「一筆箋」を開設いたしましたのでお知らせします。
 メールは本日から受け付けております。

  ・ メールでゆっくりお話ししたい方
  ・ コメント欄に足跡を残したくない方
  ・ 記事以外のことでご連絡のある方  ‥等々

 みなさまからのおたよりをお待ちしています。 → 「一筆箋」 はこちらです

 【ご注意】
 添付ファイルは受け付けておりません。
 お返事はコメントの場合より遅くなります。

 

月の衣

2006年11月01日 | うす匂い ‥水彩画
 
 今日から霜月。月めくりの暦も残すところ二枚となりました。年賀はがきの発売が始まりますので、どんな絵柄にしようかしらと考えています。
 先日はみなさまの書棚の本や本にまつわるお話を紹介してくださり、有難うございました。おかげさまで深く広い本の森の散策を楽しみました。今後もお気軽にみなさまの本のことなどをコメント欄にお寄せください。


 十一月三日は旧暦の九月十三日、後の月見の日です。仲秋の東京はあいにくの雨月でしたけれども、後の月は拝むことができるでしょうか。
 仲秋と十三夜に、おだんごなどの供物をのせるわが家のうつわは「銀彩月明半月皿(ぎんさいつきあかりはんげつざら)」です。先日、手づくりのうさぎまんぢう「月兎」をのせましたのはこのお皿です。ふだん使いのうつわはシンプルな土もの(陶器)が多いのですが、季節ものの色絵皿などは暮らしのアクセントとして取り入れて楽しんでいます。

 古書店で山下景子さんの『美人のいろは』(幻冬舎刊 ※)という本を見つけて読んでいましたら、今年の十三夜にふさわしい、きれいな言の葉を拾いました。「落葉衣(おちばごろも)」─ 本には「木の間からもれる月の光。それが衣服に影を落として、落ち葉の模様を描いている‥ それを落葉衣と呼びます」とあります。落葉の季節に迎える十三夜にぴったりの季語と思いませんか。
 「落葉衣」を詠んだこんな和歌があるそうです。

 秋の夜の月の影こそこのまよりおちば衣と身にうつりけれ
 (『後撰集』 よみ人しらず)

 十三夜は外でお月見をするのもよさそう。落葉の散りかかる木々の下をただよいながら、木の間から後の月を仰ぐ‥ 落葉衣を身にまといつつ。

 また、果てしなくすすき野の広がる武蔵野の月夜に詠まれた衣もあります。かつて、歌枕の武蔵野には衣を打つ砧(きぬた ※)の音がひびいていました。

 さ夜ふけてきぬたの音ぞたゆむなる月を見つゝや衣うつらん
 月見をしながら衣を打っているのだろうか、砧の音がとぎれがちのようだ
 (『千載集』 仁和寺後入道法親王覚性)

 冷たく、氷のような月のかかる夜に、武蔵野の村にさびしくひびきわたる砧の音。和歌や能の世界においては砧を打つのは女性ときまっていますが、遠く離れている恋人への想いをこめた砧の音は、さえぎるもののない荒涼とした武蔵野をさまようばかりだったのではないでしょうか。

 落葉衣も、想い人を偲ぶ衣も、あはれが身にしむ秋の月夜ならではのものだったのですね。

 唐衣(からころも)なれにしつまをしのぶ夜はかたぶく月の影にうつろふ
 (雪月花)


 よいお月見を‥

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※ 『美人のいろは』は雪月花のWeb書店で紹介しています。
※ 砧は、麻・楮(こうぞ)・葛(くず)などで織った布や絹を木槌(きづち)で打って柔らかくし、
  つやを出すのに用いる木または石の台のことです。また、それを打つことや打つ音のこと。



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お知らせ

2006年11月01日 | お知らせ
 
 すてきな展示会のお知らせです。
 東京の東銀座のギャラリーにて、刺繍の重要無形文化財保持者(人間国宝)・福田喜重さまの個展が開催されます。深まる秋のひと日、自然の色と格調高い刺繍の織りなす精華に触れるひとときはいかがでしょう。ぜひご家族、お友だちをお誘い合わせの上、お出かけください。

 日時: 2006年11月6日(月)~11日(土)
     午前11:00~午後7:00(最終日は午後4:00まで)
 場所: 銀座東和ギャラリー
     東京都中央区銀座3-10-7 電話 (03)3542-8662
 ※ 福田喜重さまの主な作品は こちら からご覧ください。
 
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