東京国立博物館平成館の特別展「仏像 一木にこめられた祈り」の会場に全国各地から集った百数十体の仏像を観覧しました。展示期間中、数十万人の善男善女がそれら仏像の間を絶え間なく往来したそうです。いまは(わたしも含めて)無宗教を自認する日本人が多いと聞きますけれども、こうした状況を目の当たりにしますと、そういう話はあまり信じられなくなります。なんらかの宗教に帰依するかどうかは別として、科学や医療がどんなにすすんだ文明社会に生きようとも、日本人の神仏への信仰心は失われていないように思えてきます。
自分はどこの寺の檀家だとか、先祖代々わが家は○○宗だということをふだんから意識していなくても、この仏像展をご覧になって、仏さまのお顔と天衣につつまれた麗しい容姿、一木から仏の姿を彫出した仏師の篤い信仰心とその技に、打たれた方は多かったでしょう。白洲正子さんが『十一面観音巡礼』(※)に書いていられるように、むかしのひとたちの信仰心と、仏像をとおして見えてくる古人の信仰の姿に打たれるわたしたちのこころとは、そんなにちがうものではないと思えます。また、(仏像以外の)美しいものにふれたときの、言い表し難いよろこびや感動ほど信仰に近いものはないのではないでしょうか。「美は宗教」とは、いったい誰が言ったのか失念しましたけれども、なるほどそうかもしれないとうなづけます。
そういうことを感得しますと、神は目に見えないけれども、はるばるこの極東の島国に渡来した仏さまが、濁世のほかのようなその美しいお姿をわたしたちの祖先の眼前にさらしたとき、山川草木あらゆるものに神が降臨すると信じて疑わなかったかれらが、そこに神の俤(おもかげ)を重ねたのもごく自然なことだったでしょうし、かれらが身近な霊木に宿るという神(仏)の姿をぜひ見てみたい‥と願ったとしても、それもまた当然のことではなかったでしょうか。とすれば、“見えないものを見えるようにする”のが当時の仏師たちの仕事だったといえるかもしれません。あるいは、日本各地に伝わる無数の仏像は、“見えないものを見ようとする”日本人の性向と仏師の信仰心とがみごとにコラボレーションして生まれたものである、と言い換えられないでしょうか。
以上のことは、むかしもいまも変わらずすべての芸術家の仕事にもあてはまるでしょう。芸術家にしか見えなかった美が、その美に肉薄しようとするかれらのたゆまぬ努力とその芸(わざ)によって可視化され、その結果凡人のわたしたちにも見えるようになるのです。それは、ほんとうに有り難く、仕合せなことではないでしょうか。わたしは、そんな美との出合いのひとつひとつに深く感謝せずにはいられません。
上野の会場を出てすぐ銀座へ向かい、ついでに和光ホールで行われていた「江里康慧・江里佐代子展 仏像と截金(きりがね) 今、その語りかけるもの」を観たのですけれども、截金の人間国宝・江里佐代子さんの仏像装飾はさすがにみごとだったものの、残念ながら仏像そのものに生気が感じられませんでした。それは、千数百年という時と信仰の重みの差のせいなのでしょうか。
わたしは奈良後期から平安初期に活躍した名も無き仏師たちの仕事へと自分の意識が帰ってゆくのを感じながら、ま新しい木仏の発する清香につつまれた会場をあとにしました。
一筆箋 (雪月花へメールする)
※ 白洲正子さんの『十一面観音巡礼』は さくら書房 で紹介しています。