十一日は鏡開き。わたしは三時のおやつにおぜんざいにしていただきます。
この日、主人の里では年明けて初めて麺類を食すことが許されます。むかしご先祖が正月に火を出したことがあったそうで、どうやらそのとき台所で麺に火を入れていたのが原因だったらしいと義父母から聞いています。その出火事件以来、年明け十日間は麺を忌むことによりその年の家内安全を祈るようになりました。それにならい、わが家も十日までうどん、そば、パスタなどの麺類を避けてきましたので、十一日の晩は甲州名物のほうとうを有難くいただこうと思っています。今年の大河ドラマは「風林火山」ですしね(笑 そんなわけで、今回も消しゴムはんこで遊んでみました ^^
主人の実家は、庭にお稲荷さまとご先祖を祀った祠(ほこら)、敷地に神社、裏山の天辺に山神さまを祀った祠があり、家の居間には神さまと仏さまが並んでおられるという、「おみごと!」というほかない神仏混淆の日本の仏教を代表するような家です。元旦に義父と主人が裏山を登って、酒、米、塩、橙(だいだい)、餅を山神さまに捧げます。そのほか、家内の神仏には六日までお神酒とお雑煮を供えるなどのこまごましたきまりがあるようなのですが、まだわたしは覚えきれていません。今後の課題です。
お正月は、こうした家のしきたりによって神仏やご先祖にふれるよい機会ですね。おそらく主人も、子どものころは意味など知らず正月の「麺類禁忌」や元旦の「山神さま参詣」を守ってきたのだろうと思いますけれども、そんな年々の繰り返しのおこないが主人の家のかたちをつくってきたのでしょう。
しきたりとはがんじがらめのようで、実はそのしきたりを守りさえすれば子々孫々お家の繁栄と安泰が約束される有難いものなのだと、ようやくこの歳になって分かるようになりました。
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宗派は道元を祖とする曹洞宗(禅宗)です。いずれこの家を継ぐ主人とわたしは、家の祭事などにふれながら仏教について意識して考えるようになりました。七日から五夜連続で放映されていますNHKハイビジョンの特集「五木寛之 21世紀・仏教への旅」を主人と見ています。作家の五木寛之さんが2500年前の仏陀の生誕地・インドから世界各国に根を下ろした仏教を訪ね歩き、いまの混迷の世をどうすればよりよく生きてゆけるかを探るのですけれども、主人とわたしはインドと中国という仏教大国にはさまれた人口60万の小国・ブータンの人々の暮らしに驚き、感動いたしました。仏教を国教とするブータンでは(チベット)仏教がそのまま暮らしであり、生きとし生けるものすべてが
六道輪廻(迷いの世界)から解脱できるよう日々祈りつづけています。人々にとっては生きとし生けるものすべて(「
無我」)とそれらとの関わり(「
縁起」)がもっとも重要で、「
仏教に帰依し、仏の教えに従い、慈しみのこころをもっていまを生きること」こそ解脱に近づく道だと信じており、自我や自分自身の幸福の追求など「非常にレベルの低い話だ」と喝破します。国は近代化や経済開発に慎重な態度をとり、国民総生産(GNP)の代わりに
国民総幸福量(
Gross
National
Happiness)という考えを掲げています。平均所得が日本の50分の1に及ばない国で、人々は自給自足で得た食糧を分け合い、互いに助け合い、日々祈りをささげ、おだやかな表情で暮らしている。このような理想郷がこの世に存在したのか‥ 主人もわたしも、いまだに信じられないような、でもひとすじのたしかな光を仏教に見たような、そんな思いでいっぱいになりましたのです。
生きることそのものが修行であり、日々功徳を積むことによって輪廻から解脱することができるという自力への信頼と、京都の龍谷大学に学び、自ら仏教徒として人のこころを見つめてきた五木寛之さんがたどりついた他力の思想が、いったいどのように融合するのか、十一日夜の番組最終回に期待が高まります。
一筆箋