雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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『にごりえ・たけくらべ』 一葉忌に寄せて

2005年11月26日 | 本の森
 十一月二十三日は樋口一葉(1872~1896)の命日でした。東京の「一葉記念館」(台東区)と法真寺(文京区)では、毎年この日に一葉忌が営まれます。(今年「一葉記念館」は改築のため行事を休止しました) 明治女流文学の第一人者であり天才とまでいわれた作家・一葉の、哀しみに彩られた美しい言の葉に触れる作品です。(岩波文庫、新潮文庫)

 新潮文庫版は全8編からなる短編集。どの作品も「自由のない女の哀しみ、救いようのない貧困」というふたつのテーマが底辺にあり、一葉自身、結核を患い二十四歳の若さでこの世を去るまで生涯を不遇のまますごしました。
 子どもの世界を詩情豊かに描いた『たけくらべ』には、いずれ遊女となり客をとるさだめの少女・美登利と僧侶の息子・信如の、大黒屋の格子門を隔てたこころの葛藤がゆれています。吉原遊郭に降る時雨に滲む友禅の紅が美登利なら、霜の朝に清い姿のみを残した水仙の白は信如。遊郭とは背中合わせ、自らも身売り寸前の暮らしを余儀なくされた一葉の、小品に織りこまれた美しい季節の欠片は淡くせつない余韻を残します。そして、落ちぶれた愛人への思いに殉じた『にごりえ』のお力、貧しい一家の糊口のために盗みを犯してしまう『大つごもり』のお峯、横暴な夫との暮らしと親兄弟の恩愛の狭間で惑う『十三夜』のお関‥、彼女たちのゆく末に救いも解決もいっさい期待されないまま、物語は閉じられています。読みながら、全作品にしずかに流れる短調のひびき、どん底の暮らしをじっと見つめつづけた一葉のこころの叫びが聞こえてくるのです。


 収録されている作品は一葉晩年のたった一年間、いわゆる“奇蹟の十四ヶ月”に生まれたいのちの名作です。

 「我れは人の世に痛苦と失望とをなくさんために生まれ来つる詩のかみの子なり」
 (明治27年の一葉の残簡より)

 貧苦の中で強靭な精神力と感性を養い、研ぎ澄ませていった一葉。もっと生きて、その慟哭をいつか昇華させてほしかった。

 塵に散る野菊慕いて一葉忌


雪月花のWeb書店でも紹介しています。

※ 日本の美しいもの(文化、伝統芸能なども含む)、季節感、歴史に関連のあるもので、みなさまのおすすめの本をご紹介ください。いつでも受け付けます。
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菊日和

2005年11月19日 | 季節を感じて ‥一期一会
 冬どなりの季節に菊の花が咲きそろいました。白いの、黄色いの、紅いの、紫の、大きいの、小さいの、千本咲きのもの。みなさまのお好すきな菊は、どれですか。

 新暦では季節がずれてしまうせいか、九月九日の重陽の節句はいまの暮らしから遠ざかってしまったけれど、秋桜もすすきも末枯れたころの、うららかな陽光のもとをすこし歩けば、八重九重に咲ききそう菊の花たちが「わたしを忘れないで」と、語りかけてきます。平安期に大陸から渡来した花は、当初は薬用として珍重されました。


 濡れてほす山路の菊の露の間に いつか千歳をわれはへにけむ
 (『古今集』 素性法師)

 山路の菊の露に濡れてしまった衣を干すのは
 ほんのわずかな時間(=露の間)のはずなのに、
 いつの間に自分は千年もの時を経てしまったのだろう‥

 「山路の菊」という故事から、菊花は日月両方の霊気をもち、菊の露を飲むと(あるいはこれを食すと)身の穢れが清められ、長寿を保つことができると伝えられてきたのです。

 わがいのち菊にむかひてしづかなる (水原秋櫻子)

 菊花と対峙し、こころしづかにおのれの命を見つめる‥、そんな暮秋のひと日があってもよいですね。


 白菊のごとき紀宮さまが佳き日を迎えられたいま、この花が満開であることもおめでたいことです。菊の御紋に叛いたかどで一時は逆賊とされた足利氏ゆかりの寺を訪ねると、七五三祝いの親子連れで賑わっていました。大銀杏の黄葉も美しい古寺の境内は、振袖よりも長い千歳飴の袋を提げた幼な子たちを迎えて華やいでいました。

 神の子のたわむれゆきし菊日和


 花の終わりに菊枕をつくり、菊香につつまれて眠る─ なんて、いかがでしょう。
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錦繍

2005年11月13日 | 京都 ‥こころのふるさと
北山時雨が京の紅を呼ぶという
「京都南部の午前中は、時雨雲がとれにくいでしょう」
早朝の予報がそう告げた旅の初日
京都は晴れ、時々、時雨であった


 いやもう紅葉が美しい。見上げれば満点紅葉の幕である。
 眼をおとせば 又 満地紅葉の褥(しとね)である。
 そして今また はらはらと散りつつある。
 (『紅葉の雨に濡れて』より 山口青邨)

粟生(あお)の光明寺
ゆるやかに傾斜した参道の綾錦に抱かれて歩く
大原三千院の紅葉を讃えた
青邨(せいそん)の言葉を思い出す

京都の秋は短い
時雨が紅葉をたたく
紅は枝を離れて地を染める

 全山は燃ゆるくれなゐ 北時雨われもろともに染めて過ぎゆけ


眼前を飛び交う光彩陸離
冷気の満ちた天空の金襴手
永遠につながる一瞬の輝きを
深くまぶたに焼き付ける


千年のいにしえから
あまたの歌人がはかない季節をいとおしみ
その美をたたえ
現世に生きるわたしたちをもひきつけてやまない
飛花落葉の都よ‥

 ゆく秋の形見なるべきもみぢ葉も 明日は時雨と降りやまがはむ
 (『新古今集』 権中納言兼宗)


錦繍の旅をふりかえり
いま 思うこと─

「京都は 美しい」

それだけです
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忘れ音

2005年11月05日 | 季節を感じて ‥一期一会
 立冬の候 こころにとめおきたい一瞬を栞として、めぐる季節に遊ぶみなさまへ。
 すぎゆく秋の形見に‥ と、これまでにいただいたうた(おもにコメント欄に残していただいたもの)と折々のうたを、感謝の気持ちをこめましてここに綴じておきます。今後もみなさまのつむぐ言の葉を、楽しみにしています。

 流れる心は思いを生み
 思いはやがて言葉を紡ぐ
 言葉は連なり詩(うた)となる
 詩は輪となり波紋となり
 心に流れを伝えていく   (蘇芳さん

※ 著作権はうたの作者に帰属します。無断引用、無断転載はお断りいたします。


● こころの秋

おぼつかな 秋はいかなる故のあれず すずろにものの哀しかるらむ
(西行法師)


● 秋空

匂やかに少し濁りぬ秋の空 (高浜虚子 from ゆかりんさん

ぞろぞろと鳥けだものをひきつれて 秋晴れの街に遊びゆきたし
(前川佐美雄)


● 花野にて

とんぼ飛ぶすすき野原の夕焼けに 手つなぎ歩く姉妹の長影
あやさん

秋風は涼しくなりぬ 馬並めていざ見にゆかな芽子(はぎ)が花見に
(『万葉集』)

藤袴うすむらさきに風を染め われの胸へも秋を連れ来る
店で見る萩の小花にそっと触れ 今年の残りふと数えおり
かささぎさん


● 嘯月

嬉しとや 待つ人ごとに思ふらむ 山の端出づる秋の夜の月
いかばかり嬉しからまし 秋の夜の月すむ空に雲なかりせば
(西行法師 from 朝子さま)

汁の実は月の姿よ十三夜
雲間より漏れる光に月想う (森のどんぐり屋さん

雲間より少しは覗け十三夜 片見の月となるは口惜し
かささぎさん

薄雲に霞む無月のにおいけり
立待の舟漕ぎ出でし宵の空 (蘇芳さん

牀前看月光 疑是地上霜
挙頭望山月 低頭思故郷
(牀前月光を看る 疑うらくは是れ地上の霜かと
 頭を挙げて山月を望み 頭を低れて故郷を思う)
(五言絶句 『静夜詩』 李白 from boa!さま

秋月夜 宙(そら)に小船を浮かばせて 逢いにゆきたしはるかなる父
(雪月花)


● 秋雨、露

宮城野の露吹きむすぶ風の音に 小萩がもとを思ひこそやれ
(『源氏物語』 桐壺)

霧雨に包まれるよに濡れそぼる 睫毛を伝う雨粒落つる
haru-machiさん

秋霖に身を縮めての帰宅かも (やいっちさん

秋霖の色づく木の葉に遊ぶ音 深まる秋の夜の寂しさ
蘇芳さん

ゆふぐれに零れおちなむ白玉の露抱く萩の野辺のあはれさ
つねっちさん

夕時雨 花のいのちの落つる時 露に消さるることば重ねむ
ゆかりんさん

白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
(『後撰集』 文屋朝康)

秋風は吹き結べども 白露の乱れて置かぬ草の葉ぞなき
(『新古今集』 大弐三位 from 秋の詩織さん

成田屋を惜しむ涙か 清水の石段濡らし時雨過ぎ行く
森のどんぐり屋さん

秋雨にとまどう菊の姿かな (雪月花)


● 実り

某(それがし)は案山子にて候 雀どの (夏目漱石)

里ふりて柿の木もたぬ家もなし (松尾芭蕉 from 頓休さま

郷(さと)の香をのせて届きし柿あまた (踏青さま

腸(はらわた)に秋のしみたる熟柿かな (各務支考)

里の野に祈りあつめる木守柿 (雪月花)


● 錦秋

めづらしと吾が思ふ君は 秋山の初黄葉に似てこそありけれ
(『万葉集』 from 月草さん

どのいろも 心にひびく 秋かくし
陽のいろも 遠かりきほど 思いはせり (hana-fumiさん


● 晩秋

君に逢う日の朝まだきぬくもっており
風和(な)いで猫のまどろむ菊日和 (雪月花)

‥‥

 とどこおりなく、季節はめぐりゆく─
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