雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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草木布(二) 葛布

2010年09月30日 | きもの日和
 
 これも このところ習いと 門毎に 葛てふ布を 掛川の里
 (『夫木和歌抄』より)

 よみ人は鎌倉後期の歌人、冷泉為相(れいぜいためすけ、藤原為家の子)。「葛てふ布」とは、秋の七草のひとつである葛(くず)を原料とする布のことです。当時より遠州国の街道筋にて葛布(くずふ)を織り、販売する家が多かったことがこの歌から分かるそうです。葛布の歴史はさらにさかのぼり、古墳時代前期にすでにその使用がみとめられ、また『万葉集』にも葛から糸を引き布にすることを詠んだ歌が複数あります。(参考文献:竹内淳子著『草木布I』)


 掛川(静岡県)の葛布との出合いは、国産の草木布ばかりを集めた展示会です。葛布の九寸名古屋帯が二本並んであり、ひとつは生成り色、もうひとつは生成りに朱をさしたような淡い柑子色(こうじいろ)で、太く節のある緯糸の光沢は、かつて柳宗悦が『手仕事の日本』の中で「絹にも麻にも木綿にもない味わい」と形容したように、しずかで、品があり、とくに柑子色の糸にはふくよかな色香まで感じられて、目が離せなくなりました。

 職人の厳しい目が、地を這うあまたの葛の蔓から糸に最適なものだけを選り、いくつもの工程を経て糸を績み、機にかけ布にし、仕上げに砧打ちをすることによって、葛布ならではの光沢を生みます。韓国産の安価な葛布に圧されて一時は衰退したものの、もう一度自分たちの手で作ろうと数人の職人さんたちの地道な努力によりよみがえりました。


 「淡い柑子色のほうを」とお願いしたのは、それからおよそひと月後のこと。川出幸吉商店さんの職人らしく実直なお人柄が、電話をとおして伝わってくるあたたかな対応にも惹かれて、この帯はわたしのところへやってきました。

 葛布は紺絣によく映えます。帯の中心に、その糸色を凝縮したかのような朱漆の帯留めをのせるとき、こころにぽっと温かな灯がともります。きものをまとう女性のよろこびでしょうか。
 

とうなす と お月見

2010年09月22日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 九月も下旬というのに、まだ油蝉が鳴いています。「暑さも彼岸まで」だといいのですけど。


 主人の里へ帰省し墓参を済ませました。裏山はツクツクボウシの蝉時雨、お庭は色とりどりの秋桜が伸び放題。マメな義父も暑さに負けて手入れをあきらめたようです。畑の夏野菜も猛暑で枯れたらしいけれど、とうなすとしょうがを分けてもらえました。

 「とうなす」をご存知ですか? 漢字で書くと「唐茄子」。でも、ナスではありません。義母によると、かぼちゃの別名なのだとか。
 雪化粧かぼちゃのように皮が白く、名に「唐」がつくので外来のかぼちゃかしらと思って調べると、「狭義には西洋カボチャの渡来以前に栽培されていた‥カボチャ」とか、「ふつう日本カボチャをいう」と辞書にあります。つまり、和かぼちゃのことなのですね‥、これまたややこしいお話です ^^;
 わたしの母は、西の出身らしく「かぼちゃは“なんきん”って言うけどね。とうなすは知らなかった」ようです。

 かぼちゃの甘煮はわが家の常備菜です。さっそくとうなすを煮ると、大学いものようにほくほく甘いお味♪



 十五夜のまんまるお月さまが東の空にぽっかり浮かんでいます。
 お天気は西から下り坂ですが、どうやらお月見はできそうです ^^


いただきま~す♪

 

音のTPO

2010年09月17日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 夏からつづいている仕事の息抜きをかねて、邦楽やクラシックなどの演奏会へ出かけています。一流の演奏家の奏でる音には、艶と深みと、そして軽みもあり、目をとじて耳を傾ければいつのまにか身もこころも音色に染められ、別世界を旅するようにただよいます。そこは隅田川の水上だったり、ハリウッド映画のワンシーンだったり、あるいはパリの街角だったり。よい音楽というのはよい読書に似ているな、とおもいながら会場を後にすれば、頭上は広々とした秋の空‥。気分を切り替え、ふたたび仕事に取り組んでいます。



 以前「音楽はいらない」と書いたことがあります。昨今はどこへ行っても音楽(BGM)があり、音楽=サービスの一環とかんちがいしているお店のなんと多いことか‥と嘆くきもちは、いまも変わりません。

 街の雪景色を一望する山荘でピアソラのタンゴを大音響で聞かされたり、竹林の中にたたずむ瀟酒なレストランに陽気なサンバがかかっていたり、そうそう、送り火の点火を待つ夜の会場の拡声器からはお琴の演奏が流れていたっけ。(それで、こころ静かに死者を送ろうなんてムリです。) ‥そんなことはしょっちゅうです。もちろんセンスの問題もあるけれど、たとえ場にふさわしい音楽でも、音量に配慮したお店ってすくない。もしかして、音楽がないと不安なのでしょうか。せっかく日常を離れてすごすたいせつなひとときを、望まない音楽で邪魔されたくないのですけど。

 うるさいことを言うな、と叱られそうですが、あらゆる音のあふれる世の中では、知らぬ間に聴覚や思考まで汚染されてしまいそう。意識して、音のTPOを自分で決めなくてはいけないのかも。



 ようやく訪れた秋です。
 すてきなシルバーウィークをおすごしください ^^
 

月見草

2010年09月08日 | 筆すさび ‥俳画
 
 東京は久しぶりの雨音を聴いています。台風9号が被害をもたらすことなく、しつこい夏だけを連れ去ってくれることを願います。


 先月の画題は「月見草」。
 でも、調べてみましたら、正しくは「待宵草」のようです。盛夏から晩夏の季語として詠まれます。

 「月見草」は白花、「待宵草」は黄花です。共通しているのは ①北米原産の植物であること、②アカバナ科で花弁が四枚、③花は夕方に咲き翌朝しぼむこと、など。でも、待宵草が帰化植物となり野生化しているのに対して、月見草は根付かず、いまではもうほとんどその姿を見ることはできません。
 また、(本来は存在しない)「宵待草」がいまでは「待宵草」の別名とされ、「待宵草」は俗に「月見草」と呼ばれるため、混乱します。さらには昼咲きの「荒れ地待宵草」(大型の黄花)や「昼咲き月見草」(桃色)もあって‥、あぁややこしい ^^;


 ‥ひととおりおさらいしましたから、良夜をさそう花の風情を楽しみましょう。今年の中秋は9月22日、十三夜は10月20日です。

 月見草夢二生家と知られけり (文挟夫佐恵)

 月見草青眉(せいび)にふるる風ありて (鷲谷七菜子)
 

 さて、俳画のお稽古は五年目に入ります。
 

草木布(一) しな布

2010年09月02日 | きもの日和
 
 『木綿以前の事』(柳田国男著、岩波文庫)はまだ読んでいないけれど、“木綿以前”の庶民の衣服が草木布(そうもくふ)であったことは、民俗学者の竹内淳子氏が著した『草木布I』『草木布II』(法政大学出版局)に詳しいです。草木布とは、苧麻、亜麻、芭蕉、しな、藤‥などの草木が原料のいわゆる麻布のことで、つまり“木綿以前”とは、山野に自生する草木から繊維をとり、糸を績(う)み、機(はた)にかけ、布を織って、衣服や寝具などの生活必需品を自給自足していた時代のこと─。


 新潟県北部の山村でいまも織られている、しな布です。原料はシナノキの樹皮の内皮。5mあまりのしな布を自分でかがり、八寸名古屋帯に仕立てました。(和裁は素人だから、縫製はかなり適当だけど ^^;) 写真は無地に見えますが、しな糸そのままの色が多様な濃淡の縞を見せています。初夏からもう何度も締めています。

 張りのあるしな布は締めにくいといわれますが、いったん型をつけてしまえば苦もなく結べます。ついた型は、霧吹きで水を含ませればもとの状態に。使うほどしなやかになり、もちろん、軽くて涼しい。

経絣の小千谷ちぢみにしな布の帯は、夏の間好んで着た組合わせ。鈴木牧之の『北越雪譜』にあるように、小千谷ちぢみもしな布も、越後の雪が育てる草木布です。
 草木布の歴史は貧しい農村に生きた女性たちの哀史でもあることを、竹内氏の著書『草木布』から教わりました。木綿以前の時代から、女性たちは思いのたけを草木布に織りこめました。


 花のころ、東京展でお目にかかった「ゆずりは」の女将の、紙糸紬にもじり織りのしな布の帯姿がすてきでした。しな布は透け感のないものなら真冬以外は使えます、と教えていただきました。