● 青嵐(あおあらし)
青々とした草木や、野原の上を吹き渡っていく風で、薫風よりもいくぶん強い風のこと。せいらん。夏の季語。
青嵐 定まる時や 苗の色 服部嵐雪
● 青東風(あおこち)
初夏のころの 青葉を揺らして吹きわたる東風のこと。また、夏の土用の時期に、雲一つない青空を吹きわたる東風。
● 暁(あかつき)
夜が明ける直前のほの暗いころのこと。「明か時(あかとき)」が「あかつき」に変化したもの。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ」「曙(あけぼの、明けゆく空)」と表現していたそうです。
● 秋茜(あきあかね)
あかとんぼのこと。秋の季語。夏の間は山地ですごし、涼しくなると低地に舞い下りてきます。
● 秋の七草(あきのななくさ/秋草)
萩の花 尾花 葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花
女郎花(をみなへし) また 藤袴(ふぢばかま) 朝顔の花
(山上憶良 『万葉集』巻八 より)
秋の野に咲く代表的な七種の草で、萩・尾花(= すすき)・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗 のこと。『万葉集』では桔梗のかわりに 朝顔 を入れていますが、この朝顔も桔梗をさすと言われています。ただ、『枕草子』(清少納言 著)では、萩、すすき、撫子、女郎花、桔梗、朝顔は風情があってよい(第六十七段)、 と書かれてあり、朝顔と桔梗は区別されていたようです。
● 曙(あけぼの)
ほのぼのと夜が明けはじめるころ。百人一首の「朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」(権中納言定頼)の「朝ぼらけ」より時間的に少し前をさします。夜明け。「春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。‥」(清少納言『枕草子』冒頭)はもちろんご存知ですね。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁(あかつき、夜明け前のほの暗いとき)」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ)」「曙」と表現していたそうです。
● 紫陽花(あじさい)
ユキノシタ科の落葉低木。「あじさゐ」は“藍色の花が集まる花”を意味する「集真藍(あづさあゐ)」が転じた言葉だそうです。色が変わってゆくので別名「七変化(しちへんげ)」あるいは「八仙花(はっせんか)」で、花言葉は「移り気」。花色は土壌の酸性度が高いと青色に、低いと桃色になります。「紫陽花」は中国の詩人、白楽天が名づけ親だそうです。「四葩(よひら)」は額紫陽花の古名です。
夏もなほ心は尽きぬ あじさゐのよひらの露に 月もすみけり 藤原俊成
● 天の川(あまのがわ)
(中国の伝説に、牽牛星と織女星とがこの河を渡って、七月七日に出逢うという)銀河の異称。秋の季語。天の川は地球上から見る銀河系の宇宙の姿。初秋の八月頃に最も明るく見えます。数億以上の微光の恒星から成り、天球の大円に沿って淡く帯状に見える。
● 暑さ寒さも彼岸まで
春秋のお彼岸を境に寒さや暑さが衰えて、すごしやすい気候になってゆくことをいいます。
● 霰(あられ)
雪の結晶に過冷却状態の水滴が付着して凍り、白色不透明の氷の小塊になって地上に降るもの。冬の季語。古くは雹(ひょう)をも含めていう。雪あられ。氷あられ。
● 有明の月(ありあけのつき)
旧暦の十六日以降の、夜が明けてもなお空に残っている月のことをいい、四季を通じてもっともあわれ深い風情の象徴とされました。王朝時代には、後朝(きぬぎぬ)の有明の月の下での別れを惜しむ恋の歌や、哀しみ、あきらめ、来ぬ人への恨みごとなどを込めた歌に数多く詠まれました。
帰りつる 名残の空をながむれば なぐさめがたき有明の月
(『千載集』 恋の歌より)
帰るさの ものとや人のながむらん 待つ夜ながらの有明の月
(『新古今集』 恋の歌より 藤原定家)
● 沫雪(あわゆき/淡雪)
泡のように解けやすい雪。「淡雪」は春に降るやわらかで消えやすい雪のことで春の季語。『北越雪譜』(鈴木牧之 編)にこんな一節があります。
「春の雪は消えやすきをもって沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪の消えやすきを詩歌の作意とす、是暖国の事なり、寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし。いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥のごとし」
● 十六夜(いざよい)
旧暦八月十六日の夜、またはその夜の月のこと。この日の月は十五夜より50分遅れて出るため、いざよう(ためらう)月、という意味でこの名が冠せられ、万葉のころからこの名で呼ばれていたようです。十六夜‥と聞くと、必ず思い出すのは藤原道長の望月の歌です。
この世をば わが世とぞ思ふもち月の 欠けたることもなしと思へば
栄華を極めた藤原氏の最高権力者、道長の人生の頂点を詠ったこの歌は、実は十六夜に詠まれたものだったと、何かの書で読みました。諸行無常、盛者必衰の理かな。すでに月は欠け始めていたのかと、のちに道長は気づいたでしょうか。
● 銀杏黄葉(いちょうもみじ)
秋が深まり、銀杏の葉が深黄色に変化したようすをいいます。秋の季語。
銀杏は中国の原産で、鎌倉時代に日本に渡り、あちこちの寺社の境内に植えられました。黄葉も美しく 丈夫な樹なので、現代では街路樹として多く用いられています。この葉が散り始める頃は、銀杏(ぎんなん)の強い匂いがします。
● 一陽来復(いちようらいふく)
陰暦十一月、または冬至のこと。陰がきわまって陽がふたたび生じ始める日のことで、この日を過ぎると昼の日照時間が長くなってゆきます。冬が去り春(新年)が来ること、あるいは 悪いことばかりあったのがようやく回復して良い方に向いてくる意味にも使われます。
● 雨過天青(うかてんせい)
雨あがりの青空のような澄みきった青、中国の五代後周の皇帝が玉にならって造らせたという秘色釉(ひそくゆう)、あるいは 青磁の名品に添えられる言葉。一字違いの雨過天晴は、「雨過ぎて天晴る」と読み、好ましくない事態が好い方向に向かうことをいいます。
● 雨月(うげつ)
陰暦八月十五日の仲秋の名月が、雨にたたられて見えないこと。姿は見えなくとも、時折雲の切れ間から月の光がもれて明るんだり、雨の合間にほの明るくなる様子にすら情趣を感じていた古人のこころが偲ばれます。
● 打ち水(うちみず)
ほこりを鎮めたり暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水をまくこと。また、その水。夏の季語。
● 梅暦(うめごよみ)
梅の花のこと。または、野山で梅の花の咲くのを見て春の訪れを知ること。ばいれき、とも読みます。
● 盂蘭盆(うらぼん)
祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、陰暦七月十三日~十五日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊、新仏、無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈ります。一般には墓参、霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなきょう)にまわります。地方により新暦七月、八月など日が異なります。お盆、うらんぼん、盂蘭盆会(うらぼんえ)、精霊会(しょうりょうえ)とも。秋の季語。
● 送り火(おくりび)
盂蘭盆(うらぼん)の最終日に、祖先の精霊(しょうりょう)を送るためにたく火のこと。秋の季語。⇔ 迎え火 毎年八月十六日に行われる京都の夏の風物詩五山送り火は、町を抱く山々に浮かび上がる「大」「妙法」「鳥居形」「舟形」左の「大」の五つの火が宵闇を照らし出して、ふたたび冥土へ還る精霊を見送ります。また、同じく京都の花背や広河原などで行われる松上げという行事は、松明の火を頭上高く投げ上げて霊を見送る風習ですが、これは五山送り火の原形といわれています。
● おぼろ月夜(おぼろづきよ)
春の夜などの、ほのかにかすんだ月の出た夜のこと。「おぼろづくよ」とも。朧月夜。春の季語。霞(かすみ)は春の季語ですが、これは昼間に用いられる言葉で、同じ現象でも夜になると朧(おぼろ)といいます。
※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか
青々とした草木や、野原の上を吹き渡っていく風で、薫風よりもいくぶん強い風のこと。せいらん。夏の季語。
青嵐 定まる時や 苗の色 服部嵐雪
● 青東風(あおこち)
初夏のころの 青葉を揺らして吹きわたる東風のこと。また、夏の土用の時期に、雲一つない青空を吹きわたる東風。
● 暁(あかつき)
夜が明ける直前のほの暗いころのこと。「明か時(あかとき)」が「あかつき」に変化したもの。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ」「曙(あけぼの、明けゆく空)」と表現していたそうです。
● 秋茜(あきあかね)
あかとんぼのこと。秋の季語。夏の間は山地ですごし、涼しくなると低地に舞い下りてきます。
● 秋の七草(あきのななくさ/秋草)
萩の花 尾花 葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花
女郎花(をみなへし) また 藤袴(ふぢばかま) 朝顔の花
(山上憶良 『万葉集』巻八 より)
秋の野に咲く代表的な七種の草で、萩・尾花(= すすき)・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗 のこと。『万葉集』では桔梗のかわりに 朝顔 を入れていますが、この朝顔も桔梗をさすと言われています。ただ、『枕草子』(清少納言 著)では、萩、すすき、撫子、女郎花、桔梗、朝顔は風情があってよい(第六十七段)、 と書かれてあり、朝顔と桔梗は区別されていたようです。
● 曙(あけぼの)
ほのぼのと夜が明けはじめるころ。百人一首の「朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」(権中納言定頼)の「朝ぼらけ」より時間的に少し前をさします。夜明け。「春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。‥」(清少納言『枕草子』冒頭)はもちろんご存知ですね。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁(あかつき、夜明け前のほの暗いとき)」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ)」「曙」と表現していたそうです。
● 紫陽花(あじさい)
ユキノシタ科の落葉低木。「あじさゐ」は“藍色の花が集まる花”を意味する「集真藍(あづさあゐ)」が転じた言葉だそうです。色が変わってゆくので別名「七変化(しちへんげ)」あるいは「八仙花(はっせんか)」で、花言葉は「移り気」。花色は土壌の酸性度が高いと青色に、低いと桃色になります。「紫陽花」は中国の詩人、白楽天が名づけ親だそうです。「四葩(よひら)」は額紫陽花の古名です。
夏もなほ心は尽きぬ あじさゐのよひらの露に 月もすみけり 藤原俊成
● 天の川(あまのがわ)
(中国の伝説に、牽牛星と織女星とがこの河を渡って、七月七日に出逢うという)銀河の異称。秋の季語。天の川は地球上から見る銀河系の宇宙の姿。初秋の八月頃に最も明るく見えます。数億以上の微光の恒星から成り、天球の大円に沿って淡く帯状に見える。
● 暑さ寒さも彼岸まで
春秋のお彼岸を境に寒さや暑さが衰えて、すごしやすい気候になってゆくことをいいます。
● 霰(あられ)
雪の結晶に過冷却状態の水滴が付着して凍り、白色不透明の氷の小塊になって地上に降るもの。冬の季語。古くは雹(ひょう)をも含めていう。雪あられ。氷あられ。
● 有明の月(ありあけのつき)
旧暦の十六日以降の、夜が明けてもなお空に残っている月のことをいい、四季を通じてもっともあわれ深い風情の象徴とされました。王朝時代には、後朝(きぬぎぬ)の有明の月の下での別れを惜しむ恋の歌や、哀しみ、あきらめ、来ぬ人への恨みごとなどを込めた歌に数多く詠まれました。
帰りつる 名残の空をながむれば なぐさめがたき有明の月
(『千載集』 恋の歌より)
帰るさの ものとや人のながむらん 待つ夜ながらの有明の月
(『新古今集』 恋の歌より 藤原定家)
● 沫雪(あわゆき/淡雪)
泡のように解けやすい雪。「淡雪」は春に降るやわらかで消えやすい雪のことで春の季語。『北越雪譜』(鈴木牧之 編)にこんな一節があります。
「春の雪は消えやすきをもって沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪の消えやすきを詩歌の作意とす、是暖国の事なり、寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし。いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥のごとし」
● 十六夜(いざよい)
旧暦八月十六日の夜、またはその夜の月のこと。この日の月は十五夜より50分遅れて出るため、いざよう(ためらう)月、という意味でこの名が冠せられ、万葉のころからこの名で呼ばれていたようです。十六夜‥と聞くと、必ず思い出すのは藤原道長の望月の歌です。
この世をば わが世とぞ思ふもち月の 欠けたることもなしと思へば
栄華を極めた藤原氏の最高権力者、道長の人生の頂点を詠ったこの歌は、実は十六夜に詠まれたものだったと、何かの書で読みました。諸行無常、盛者必衰の理かな。すでに月は欠け始めていたのかと、のちに道長は気づいたでしょうか。
● 銀杏黄葉(いちょうもみじ)
秋が深まり、銀杏の葉が深黄色に変化したようすをいいます。秋の季語。
銀杏は中国の原産で、鎌倉時代に日本に渡り、あちこちの寺社の境内に植えられました。黄葉も美しく 丈夫な樹なので、現代では街路樹として多く用いられています。この葉が散り始める頃は、銀杏(ぎんなん)の強い匂いがします。
● 一陽来復(いちようらいふく)
陰暦十一月、または冬至のこと。陰がきわまって陽がふたたび生じ始める日のことで、この日を過ぎると昼の日照時間が長くなってゆきます。冬が去り春(新年)が来ること、あるいは 悪いことばかりあったのがようやく回復して良い方に向いてくる意味にも使われます。
● 雨過天青(うかてんせい)
雨あがりの青空のような澄みきった青、中国の五代後周の皇帝が玉にならって造らせたという秘色釉(ひそくゆう)、あるいは 青磁の名品に添えられる言葉。一字違いの雨過天晴は、「雨過ぎて天晴る」と読み、好ましくない事態が好い方向に向かうことをいいます。
● 雨月(うげつ)
陰暦八月十五日の仲秋の名月が、雨にたたられて見えないこと。姿は見えなくとも、時折雲の切れ間から月の光がもれて明るんだり、雨の合間にほの明るくなる様子にすら情趣を感じていた古人のこころが偲ばれます。
● 打ち水(うちみず)
ほこりを鎮めたり暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水をまくこと。また、その水。夏の季語。
● 梅暦(うめごよみ)
梅の花のこと。または、野山で梅の花の咲くのを見て春の訪れを知ること。ばいれき、とも読みます。
● 盂蘭盆(うらぼん)
祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、陰暦七月十三日~十五日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊、新仏、無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈ります。一般には墓参、霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなきょう)にまわります。地方により新暦七月、八月など日が異なります。お盆、うらんぼん、盂蘭盆会(うらぼんえ)、精霊会(しょうりょうえ)とも。秋の季語。
● 送り火(おくりび)
盂蘭盆(うらぼん)の最終日に、祖先の精霊(しょうりょう)を送るためにたく火のこと。秋の季語。⇔ 迎え火 毎年八月十六日に行われる京都の夏の風物詩五山送り火は、町を抱く山々に浮かび上がる「大」「妙法」「鳥居形」「舟形」左の「大」の五つの火が宵闇を照らし出して、ふたたび冥土へ還る精霊を見送ります。また、同じく京都の花背や広河原などで行われる松上げという行事は、松明の火を頭上高く投げ上げて霊を見送る風習ですが、これは五山送り火の原形といわれています。
● おぼろ月夜(おぼろづきよ)
春の夜などの、ほのかにかすんだ月の出た夜のこと。「おぼろづくよ」とも。朧月夜。春の季語。霞(かすみ)は春の季語ですが、これは昼間に用いられる言葉で、同じ現象でも夜になると朧(おぼろ)といいます。
※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか