雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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あ~お で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 青嵐(あおあらし)
青々とした草木や、野原の上を吹き渡っていく風で、薫風よりもいくぶん強い風のこと。せいらん。夏の季語。

 青嵐 定まる時や 苗の色  服部嵐雪


● 青東風(あおこち)
初夏のころの 青葉を揺らして吹きわたる東風のこと。また、夏の土用の時期に、雲一つない青空を吹きわたる東風。


● 暁(あかつき)
夜が明ける直前のほの暗いころのこと。「明か時(あかとき)」が「あかつき」に変化したもの。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ」「曙(あけぼの、明けゆく空)」と表現していたそうです。


● 秋茜(あきあかね)
あかとんぼのこと。秋の季語。夏の間は山地ですごし、涼しくなると低地に舞い下りてきます。


● 秋の七草(あきのななくさ/秋草)

 萩の花 尾花 葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花
 女郎花(をみなへし) また 藤袴(ふぢばかま) 朝顔の花
 (山上憶良 『万葉集』巻八 より)

秋の野に咲く代表的な七種の草で、萩・尾花(= すすき)・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗 のこと。『万葉集』では桔梗のかわりに 朝顔 を入れていますが、この朝顔も桔梗をさすと言われています。ただ、『枕草子』(清少納言 著)では、萩、すすき、撫子、女郎花、桔梗、朝顔は風情があってよい(第六十七段)、 と書かれてあり、朝顔と桔梗は区別されていたようです。


● 曙(あけぼの)
ほのぼのと夜が明けはじめるころ。百人一首の「朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」(権中納言定頼)の「朝ぼらけ」より時間的に少し前をさします。夜明け。「春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。‥」(清少納言『枕草子』冒頭)はもちろんご存知ですね。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁(あかつき、夜明け前のほの暗いとき)」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ)」「曙」と表現していたそうです。


● 紫陽花(あじさい)
ユキノシタ科の落葉低木。「あじさゐ」は“藍色の花が集まる花”を意味する「集真藍(あづさあゐ)」が転じた言葉だそうです。色が変わってゆくので別名「七変化(しちへんげ)」あるいは「八仙花(はっせんか)」で、花言葉は「移り気」。花色は土壌の酸性度が高いと青色に、低いと桃色になります。「紫陽花」は中国の詩人、白楽天が名づけ親だそうです。「四葩(よひら)」は額紫陽花の古名です。

 夏もなほ心は尽きぬ あじさゐのよひらの露に 月もすみけり  藤原俊成


● 天の川(あまのがわ)
(中国の伝説に、牽牛星と織女星とがこの河を渡って、七月七日に出逢うという)銀河の異称。秋の季語。天の川は地球上から見る銀河系の宇宙の姿。初秋の八月頃に最も明るく見えます。数億以上の微光の恒星から成り、天球の大円に沿って淡く帯状に見える。


● 暑さ寒さも彼岸まで
春秋のお彼岸を境に寒さや暑さが衰えて、すごしやすい気候になってゆくことをいいます。


● 霰(あられ)
雪の結晶に過冷却状態の水滴が付着して凍り、白色不透明の氷の小塊になって地上に降るもの。冬の季語。古くは雹(ひょう)をも含めていう。雪あられ。氷あられ。


● 有明の月(ありあけのつき)
旧暦の十六日以降の、夜が明けてもなお空に残っている月のことをいい、四季を通じてもっともあわれ深い風情の象徴とされました。王朝時代には、後朝(きぬぎぬ)の有明の月の下での別れを惜しむ恋の歌や、哀しみ、あきらめ、来ぬ人への恨みごとなどを込めた歌に数多く詠まれました。

 帰りつる 名残の空をながむれば なぐさめがたき有明の月
 (『千載集』 恋の歌より)

 帰るさの ものとや人のながむらん 待つ夜ながらの有明の月
 (『新古今集』 恋の歌より 藤原定家)


● 沫雪(あわゆき/淡雪)
泡のように解けやすい雪。「淡雪」は春に降るやわらかで消えやすい雪のことで春の季語。『北越雪譜』(鈴木牧之 編)にこんな一節があります。

「春の雪は消えやすきをもって沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪の消えやすきを詩歌の作意とす、是暖国の事なり、寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし。いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥のごとし」


● 十六夜(いざよい)
旧暦八月十六日の夜、またはその夜の月のこと。この日の月は十五夜より50分遅れて出るため、いざよう(ためらう)月、という意味でこの名が冠せられ、万葉のころからこの名で呼ばれていたようです。十六夜‥と聞くと、必ず思い出すのは藤原道長の望月の歌です。

 この世をば わが世とぞ思ふもち月の 欠けたることもなしと思へば

栄華を極めた藤原氏の最高権力者、道長の人生の頂点を詠ったこの歌は、実は十六夜に詠まれたものだったと、何かの書で読みました。諸行無常、盛者必衰の理かな。すでに月は欠け始めていたのかと、のちに道長は気づいたでしょうか。


● 銀杏黄葉(いちょうもみじ)
秋が深まり、銀杏の葉が深黄色に変化したようすをいいます。秋の季語。
銀杏は中国の原産で、鎌倉時代に日本に渡り、あちこちの寺社の境内に植えられました。黄葉も美しく 丈夫な樹なので、現代では街路樹として多く用いられています。この葉が散り始める頃は、銀杏(ぎんなん)の強い匂いがします。


● 一陽来復(いちようらいふく)
陰暦十一月、または冬至のこと。陰がきわまって陽がふたたび生じ始める日のことで、この日を過ぎると昼の日照時間が長くなってゆきます。冬が去り春(新年)が来ること、あるいは 悪いことばかりあったのがようやく回復して良い方に向いてくる意味にも使われます。


● 雨過天青(うかてんせい)
雨あがりの青空のような澄みきった青、中国の五代後周の皇帝が玉にならって造らせたという秘色釉(ひそくゆう)、あるいは 青磁の名品に添えられる言葉。一字違いの雨過天晴は、「雨過ぎて天晴る」と読み、好ましくない事態が好い方向に向かうことをいいます。


● 雨月(うげつ)
陰暦八月十五日の仲秋の名月が、雨にたたられて見えないこと。姿は見えなくとも、時折雲の切れ間から月の光がもれて明るんだり、雨の合間にほの明るくなる様子にすら情趣を感じていた古人のこころが偲ばれます。


● 打ち水(うちみず)
ほこりを鎮めたり暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水をまくこと。また、その水。夏の季語。


● 梅暦(うめごよみ)
梅の花のこと。または、野山で梅の花の咲くのを見て春の訪れを知ること。ばいれき、とも読みます。


● 盂蘭盆(うらぼん)
祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、陰暦七月十三日~十五日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊、新仏、無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈ります。一般には墓参、霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなきょう)にまわります。地方により新暦七月、八月など日が異なります。お盆、うらんぼん、盂蘭盆会(うらぼんえ)、精霊会(しょうりょうえ)とも。秋の季語。


● 送り火(おくりび)
盂蘭盆(うらぼん)の最終日に、祖先の精霊(しょうりょう)を送るためにたく火のこと。秋の季語。⇔ 迎え火  毎年八月十六日に行われる京都の夏の風物詩五山送り火は、町を抱く山々に浮かび上がる「大」「妙法」「鳥居形」「舟形」左の「大」の五つの火が宵闇を照らし出して、ふたたび冥土へ還る精霊を見送ります。また、同じく京都の花背や広河原などで行われる松上げという行事は、松明の火を頭上高く投げ上げて霊を見送る風習ですが、これは五山送り火の原形といわれています。


● おぼろ月夜(おぼろづきよ)
春の夜などの、ほのかにかすんだ月の出た夜のこと。「おぼろづくよ」とも。朧月夜。春の季語。霞(かすみ)は春の季語ですが、これは昼間に用いられる言葉で、同じ現象でも夜になると朧(おぼろ)といいます。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

か~こ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 鏡開き(かがみびらき)
正月十一日に、鏡餅を下げてお雑煮やお汁粉に入れて食す行事です。近世、武家では、正月に男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月二○日(のち十一日)に割って食べたことに始まります。おめでたい新年の行事ですから、餅を「切る」でなく「開く」と表現されました。鏡割りともいいます。新年の季語。または、祝事に酒樽のふたを割って開くこと。鏡抜き。


● 風花(かざはな)
晴天にちらつく雪。風上(かざかみ)の降雪地から脊梁山脈を越えた空っ風に乗って、きらきら光りながら舞い降りてくる雪をいいます。群馬県では吹越(ふっこし)とも呼ぶそうです。または初冬の風が立って雪または雨のちらちらと降ること。


● 襲の色目(かさねのいろめ)
衣の襲色合。女房の表着(うわぎ)・五衣(いつつぎぬ)・単(ひとえ)などのかさなった色合。または直衣(のうし)・狩衣・下襲(したがさね)などの表裏の地色の配合。紅梅・桜・桔梗など、季節によって着用する色がある程度決まっていました。もっとも一般的なのは、袷の衣類での表地と裏地との配色で、合色目ともいいます。同系色の濃淡で構成する「匂(におい)」、下二領を白にする「薄様(うすよう)」、同系の色合いを混ぜて用いる「村濃(むらご)」などがあって、多様性と同時に統一性に配慮しています。代表的な襲の色目を下にいくつかご紹介します。ただし、組合せはこれに限らず幾通りもあって、思い思いの襲の色目を楽しんでいたそうです。

春-紅梅 ‥表 紅梅/裏 蘇芳
桜  ‥表 白/裏 紅花 または 葡萄
夏-橘  ‥表 濃朽葉/裏 黄
撫子 ‥表 紅梅/裏 青
秋-桔梗 ‥表 二藍/裏 濃青
萩  ‥表 蘇芳/裏 青
紅葉 ‥表 黄/裏 蘇芳
冬-雪の下 ‥表 白/裏 紅梅
松  ‥表 青/裏 紫


● 霞(かすみ)
春の季語。秋の季節のものは秋霞(あきがすみ)。


● 門松(かどまつ)
新年に、歳神を迎える依代(よりしろ)として家々の門口に立てて飾る松。松飾り。飾り松。立て松。新年の季語。

 門松は冥土(めいど)の旅の一里塚

門松を立てるごとに年を重ねるから、門松は死に近づくしるしであるということ。一休の狂歌「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」による。


● 冠雪(かむりゆき)
草木や花、電信柱などのてっぺんに、冠(かんむり)をかぶせたように積もる雪のことです。綿帽子ともいわれます。綿雪または綿帽子雪といえば、大きな粒のぼたゆきのことをいいます。


● 空梅雨(からつゆ)
ほとんど雨の降らない梅雨。照り梅雨。夏の季語。


● 蚊遣火(かやりび)
蚊を払うために焚く火。夏の季語。


● 寒椿(かんつばき)
冬の間に早咲きをする椿を、歳時記で「寒椿」と定義づけるそうです。冬椿、冬咲椿、早咲の椿 とも。ところが、山茶花の寒椿系の品種の獅子頭(ししがしら)は、別名 寒椿 と呼ばれます。 ‥ ややこしいですね (^ ^;


● 寒梅(かんばい)
早咲きの梅の中でも寒中に咲く梅のこと。また、古歌には「年のうちの梅」とか「年のこなたの梅」と詠まれており、これも寒梅です。寒紅梅(かんこうばい) は梅の一品種で、寒中に咲く八重の梅をいいます。冬至のころに白い花をつける 冬至梅(とうじばい) という梅もあるそうです。


● 神無月(かんなづき)
陰暦10月の呼称「かんなづき」は、もともと 神の月、神をまつる月 という意味だったそうです。神のまします山や森、神社の森を 神名備(神南備 かんなび) または みもろ と言います。この月、八百万(やおよろず)の神々 は人間の様々な願い事を叶えるという通常の仕事?から離れて出雲へ旅に出ます。出雲大社に参集して来年の人間たちの縁結びの相談をすると言われています。神様が国元を離れている間の留守居役が 留守神 です。

『徒然草』にこんな一節があります。
「十月を神無月といひて、‥‥当月、諸社の祭なき故にこの名あるか。この月、万の神達大神宮(=伊勢神宮のこと)へあつまり給ふなどいふ説あれども、その本説(=根拠)なし。‥」 (第二〇二段)

‥ということは、吉田兼好が『徒然草』を書いていた頃は、出雲大社でなく伊勢神宮が参集場所だったのですね。しかも、伊勢神宮は八百万の主神である 天照大神(あまてらすおおみかみ) がまつられているところですから、こちらの説のほうがもっともらしいですね。


● 観梅(かんばい)
梅の花を観賞すること。梅見(うめみ)。春の季語。これに対し、冬枯れに春の兆しを探して野山へ早咲きの梅を見に出ることを 探梅(たんばい) といい、これは冬の季語です。節分までを探梅、立春以降は観梅、となります。また、これらの言葉の発想元である中国では、梅林や庭の梅を観賞することを「観梅」、野山の梅を訪ねることを「探梅」といって、季節の使い分けはなかったそうです。


● 菊日和(きくびより)
陰暦九月、現在の十月~十一月の、菊花の咲く頃に見られる秋晴れのよい天気の日のことをいいます。

 山辺(やまのべ)の 小道の野菊日和かな 長谷川 櫂

明るく穏やかな秋の日には、のんびりと、道端に野菊の花咲く野山や里を 歩いてみたくなる言葉です。


● 錦秋(錦繍/金秋 きんしゅう)
紅葉があやなす錦のように美しくなる秋のことをいいます。または、美しい詩文の字句、花などのたとえとして使われることもあります。古代中国に起源をもつ哲理「五行思想」の五行(万物組成の元素である木・火・土・金・水)のひとつである 金 を四季にあてると秋にあたるので 金秋 とも。


● 薫風(くんぷう/風薫る)
新緑の頃、そよそよと吹いてくる、爽やかな薫るような風のこと。夏の季語。
青葉や草木の香を吹きおくる初夏の風。青嵐(あおあらし)。薫る風。


● 黄落(こうらく)
銀杏や欅(けやき)の黄葉した葉が散ることをいいます。一般に、楓などの紅葉よりも明るく しかも一斉に散ります。七十二候の晩秋・霜降の二候に「草木黄落」とあるらしく、ここから生まれた季語だそうです。


● 五行思想(ごぎょうしそう)
(以下、吉岡幸雄 著 『日本の色辞典』 紫紅社刊 より抜粋)

これは中国における古代の人々の世界観であり、人間が生きていくなかでの、天地に対する畏敬、尊敬がこめられた、自然崇拝から生まれた説である。紀元前六世紀頃の春秋時代から、紀元前三世紀頃の戦国時代にかけて形成された古代思想である。
五行思想とは、木、火、土、金、水を地球上の基本的な構成の五元素とし、人間が自然界で生活していくうえで、つねにもっとも大切にしていかなければならないものとする。木は火を生み、火は燃えて土に還る。土のなかにはさまざまな金属が含まれ、そのなかをくぐって水が生まれ、その水が木を育てるという五行循環の思想である。それを基本として、方向、色彩、四季感、あるいは人体の大切な臓器などが、それぞれになぞらえて考えられてきたのである。古代のギリシャの自然哲学では、これが土、水、空気、火の四大元素説となる。 ‥(中略)‥ 
五行は、東西南北、それぞれの方位にもあてられたが、それぞれの地には神獣が棲むとされていた。東には、青、青陽ともいわれる春に相応する青龍、南には火や赤、朱夏ともいわれる夏に相応する朱雀、西には、白、素秋(そしゅう、素は白色の意)ともいわれる秋に相応する白虎、北には、黒、玄冬(玄は黒色の意、紫となることもある)ともいわれる冬に相応する玄武(蛇亀)が配されて、四神(しじん)と呼ばれた。 ‥(以下略)


● 心の秋(こころのあき)
秋を「飽き」にかけて、心に飽きがくること、心変わりすることをいいます。または、もの寂しく哀れを感じる心。

 しぐれつつもみづるよりも 言の葉の心の秋にあふぞわびしき
 (『古今集』恋歌 詠み人知らず)


● 小正月(こしょうがつ)
1月15日前後(14日から16日くらい)を 小正月 といい、昔から新しい年の豊作を願う様々な行事が行われています。この日は旧暦の満月の日にあたります。1873年(明治6年)に現在の暦に変わりましたが、それまでは月の満ち欠けによる暦(旧暦)が使われていました。農家では暦が変わってもこの旧暦を使い続けたそうで、それが小正月として残りました。


● 東風(こち)
東方から吹いて来る春を告げる風。ひがしかぜ。春風。こちかぜ。
『万葉集』には、萩を散らす秋の「朝東風(あさこち)」も詠まれていて、もともと季節に関わらない東からの風だったそうです。平安時代以降は、東と春が結びつく中国の五行説の影響もあり、春風として詠まれました。菅原道真の歌は、道真が太宰府へ配流される前に自邸の梅に詠みかけたもので、その主人の気持ちを感じた梅は、自ら筑紫に飛んだという言い伝えがあります。(飛梅伝説)


● 小春日和(こはるびより)
小春は陰暦10月の異称で、陽暦では11月から12月上旬にあたります。寒くなって、風が冷たく感じられるころ。ところがこの時期に、暖かで穏やかな、まるで春を思わせる陽気になることがあって、これを小春日和といいます。ドイツでは老婦人の夏、ロシアでは婦人の夏、イギリスではセントマーチンの夏、北アメリカや欧州ではインディアン・サマーと表現するそうです。小六月 とも。冬の季語。


● 衣替え/ 更衣(ころもがえ)
季節の変化に応じて衣服を着かえること。平安期以降、四月一日から袷(あわせ)を、寒ければ下に白小袖を用いました。五月五日から帷子(かたびら)、涼しい時は下衣を用い、八月十五日からは生絹(すずし)、九月九日から綿入、十月一日から練絹(ねりぎぬ)を着用。江戸時代になると、旧暦四月一日、十月一日をもって春夏の衣をかえる日としました。現在では、六月一日と十月一日に、それぞれ制服を夏物、冬物に替えるところが多くなっています。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

さ~そ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● さざんか梅雨(さざんかつゆ)
秋から冬への変わり目に降る長雨のこと。晩秋の冷たい雨に濡れそぼって咲く山茶花の花の美しさも格別でしょう。


● 五月雨(さみだれ)
日本では、五月(旧暦)に降る雨、つまり、昔は梅雨、あるいは 卯の花腐たし を五月雨といいました。五月雨を降らせる雲は五月雲(さつきぐも)で、雲が重く垂れ込んで昼間でも暗い様子を五月闇(さつきやみ)といいます。また、五月雨に対して、梅雨の晴れ間を五月晴れとよびました。

 五月雨を集めて早し最上川  松尾芭蕉
 五月雨も中休みかよ今日は  小林一茶
 あふち咲く そともの木陰 露落ちて さみだれ晴るる 風わたるなり
 (『新古今集』 夏の歌より)


● 冴ゆ(さゆ/冴える)
古くは寒さに関係して用いられることが多かったことば。「冷え凍る」ことをいい、平安時代のある字書には「冴」「凍」「寒」にサユの訓が見られるそうです。サヤカと同根で、本来「冷え凍って澄んだ状態になる」ことを意味したらしいです。また、夏に月が澄んでいることを詠んだ「月冴えて」や、清水の音を詠んだものなど、凍らない「冴ゆ」が後になって登場し、近代では「色が冴える」と使われているものもあります。


● 早蕨(さわらび)
芽を出したばかりのワラビ。厳しい冬をくぐりぬけて、待望の春を迎える喜びを感じることばです。襲の色目では表は紫、裏は青。

 石走る 垂水の上のさわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
 (『万葉集』 第八巻より)


● 三寒四温(さんかんしおん)
三日ほど寒い日が続いた後に四日ほどあたたかい日が続き、これを交互にくりかえす現象。冬の季語。中国東北区や朝鮮などで冬季に使われた言葉が伝わったものだそうです。

 春未だ三寒に次ぐ四温かな  松尾目池


● 残暑(ざんしょ)
立秋後の暑さ。秋になってなお残る暑さ。秋の季語。


● 時雨(しぐれ/北山しぐれ)
晩秋から初冬にかけての晴れていたかと思うと一瞬に曇ってサァーっと降り、傘をさす間もなく青空が戻ってくるような通り雨のことです。初時雨、片時雨、横時雨、朝時雨、夕時雨、小夜時雨など、様々な名が付けられています。また、「似物時雨」といって、虫時雨、蝉時雨、木の葉時雨などとも表現されて、昔から時雨は日本人が美しいと感じる言葉の上位に入る表現でした。「しぐれ」という音もきれいですね。袖の時雨といえば、涙のことをいうそうです。京都の北山しぐれは有名で、この季節現象を京の歌人達は好み、平安の時代から詠い続けてきました。

 神無月 時雨に逢へる もみぢ葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに
 (『万葉集』 巻第八 より)

もみぢ葉は、時雨にせかされて枝を離れてゆきます。


● 東雲(しののめ)
夜明け、東の空がわずかに明るんでくるころのことです。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁(あかつき、夜明け前のほの暗いとき)」「東雲」「曙(あけぼの、明けゆく空)」と表現していたそうです。


● 驟雨(しゅうう)
急に降り出し、間もなく止んでしまう雨で、時折青空ものぞきます。にわか雨とも。夏の夕立や雷雨、また 寒冷前線の通過によっても起こります。


● 秋涼(しゅうりょう)
秋、特に初秋の涼しさをいいます。秋涼し、初涼、新涼とも。 残暑が衰え待ちわびた秋がようやく訪れて、すがすがしい涼しさ、さわやかな風を感じさせます。秋の季語。また、秋の涼しい風、あるいは陰暦八月をさすこともあります。


● 秋霖(しゅうりん)
「霖」とは長く降りつづく雨のことで、和歌などで多くもの思いにふける意の「眺め(<ながあめ)」にかけて用いられてきました。三日以上降り続く雨をいうこともあります。

 あかねさす日に向かひても思ひいでよ 都は晴れぬながめすらむと
 (『枕草子』 第二百四十段「御乳母の大輔の命婦」 より)

 (そなたは日向の国で明るく幸福に暮らすであろうが、
  都では長雨で気も沈んで、もの思いにふけつつ
  暮らしていることだろうと、わたしのことを思い出してほしい)

秋霖は秋の長雨で、降雨量は梅雨よりも多いそうです。秋黴雨(あきついり)ともいいます。この時期に台風がやってくると大雨になって、被害をもたらすこともあります。春霖(しゅんりん)は春の長雨。霖霖(りんりん)と字を重ねると、雨が長く降り続いて止まないようす。


● 秋冷(しゅうれい)
秋のひややかな気候。秋冷え。秋の季語。


● 春光(しゅんこう)
春の景色。春景。春色。


● 春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)
春の景色がのどやかなようす。春風がのどかに吹くさま。転じて、性格や態度がのんびりしているさまをいいます。


● 小雪(しょうせつ)
二十四節気のひとつで、11月22日 または 23日。北国からは雪の便りが届き始めて、北風が強まり、市街でも霜を置くようになる季節です。「小とは寒さまだ深からずして、雪いまだ大ならざるなり」


● 初夏(しょか)
夏の初め。はつなつ。


● 初秋(しょしゅう)
秋のはじめ。はつあき。


● 除夜の鐘(じょやのかね)
除夜(おおみそかの夜)の夜半、正子(ね)の刻(十二時)に諸方の寺々で、百八つの煩悩を除去する意を寓して百八回つく鐘のこと。


● 深秋(しんしゅう)
秋も深まったころのこと。


● 新雪(しんせつ)
地面や古い積雪の上に、新しく降り積もったばかりの雪のことです。


● 新緑(しんりょく)
晩春や初夏の頃の若葉のみどり。夏の季語。


● 翠雨(すいう)
青葉に降りかかる雨。新緑の頃に降る雨は緑雨、麦の熟する頃に降る雨は麦雨。また、草木を潤す雨は甘雨、穀物の成長を助ける雨は瑞雨(ずいう)。


● 簾戸(すど)
竹で編み造った戸。簾を障子の枠中にはめこんだ戸。夏に通風をよくするために用いる。


● 歳暮(せいぼ)
年の暮れ。歳末。または 歳末の贈答品。お歳暮。冬の季語。『徒然草』では 新年の支度をすることを春のいそぎ(第十九段)といっています。

 年暮れて 我が世ふけゆく 風の音に 心のうちのすさまじきかな
 『紫式部日記』 より

 隔てゆく 世々のおもかげ かきくらし 雪とふりぬる 年の暮れかな  藤原俊成
 (『新古今和歌集』 冬の歌 より)


● 清浄明潔(せいじょうめいけつ)
二十四節季のひとつ「清明」はこの言葉の略語で、万物清明の意。清明は陽暦の四月五日ごろで、この時節になると野山の草花が咲き始め、鳥たちもにぎやかにさえずりだします。この日には、野に出て青い草を踏んで遊ぶ踏青(とうせい)の風習がありました。踏青は、素足でじかに春を感じる喜びにあふれた趣向です。


● 雪月花(せつげっか)
月雪花(げっせっか/つきゆきはな)とも。雪と月と花。四季折々のながめ。


● 節分(せつぶん)
季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称。特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒った大豆をまきます。豆をまいた後、数えの年齢の数だけ豆を食べ、その年の無病息災を祈ります。また、まいた豆を足で踏むと、足にできものが出来るとも言われています。この季節に咲く 節文草(せつぶんそう) という花があって、これはキンポウゲ科の多年草で早春に咲き出すので、この名があります。山地の樹陰などに群落をなし、地中に球状の塊茎があり、高さ10~20cmくらい。二~三月頃になると白色五弁の小花を開きます。観賞用にも栽培できるそうです。


● 蝉時雨(せみしぐれ)
木の生い茂ったところなどで蝉が群がって鳴きたてるさまを、時雨の音にたとえていうことば。夏の季語。東京の蝉時雨はほとんどアブラゼミで、立秋をすぎると徐々に法師蝉の声が増えるようですが、京都では関西のせいか、アブラゼミよりもクマゼミの威勢が良かったです (^-^) みなさまのお住まいの地域ではいかがですか。


● 早春(そうしゅん)
春のはじめ。初春。浅春。


● 日照雨(そばえ)
日光がさしているのに降る雨のこと。狐の嫁入りがあると言われています。お天気雨のことを 狐の嫁入り ともいいます。早春の京都で日照雨でなく風花に出会いました。光の中、小雪がきらきら風に吹かれて舞うようすはほんとうに綺麗でした。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

た~と で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 大寒(だいかん)
二十四節季の最後の節季で、立春前の十五日間、またはその初日のことで、一年中で最も寒さの厳しい時期です。意外に暖かな大寒の日々が続くこともあり、こんな諺(ことわざ)が生まれました。「小寒の氷大寒に解く」 ‥ものごとは必ずしも順序どおりにいかないたとえです。


● 七夕(たなばた)
五節句のひとつ。秋の季語。天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に一度相会するという、七月七日夜、星を祭る年中行事。中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の風習とわが国の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習合したものらしい。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭。
七夕の飾り竹を海や川に流すことを 七夕送り といいます。

 契りけむ心ぞつらき織女(たなばた)の 年に一度(ひとたび)逢ふは逢ふかは
 (『古今和歌集』 秋の歌より)


● 中秋(仲秋 ちゅうしゅう)の名月

 月ごとに 見る月なれどこの月の 今宵の月に似る月ぞなき  村上天皇
 月月に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月  大内の女房

旧暦八月十五日の夜の月のこと。秋(旧暦七、八、九月)の最中(もなか)に当たる八月を中秋といったそうです。別名 芋名月。古来観月の好時節とされ、詩歌を詠じ、民間では月見団子、芋、神酒などを供えて尾花(すすき)、秋草の花を盛ってこの月を祭りました。この十五夜に対して旧暦九月十三日の夜の月を 後の月(のちのつき) といいます。これは日本固有のものらしく、宮中では宇多天皇の御代から観月の宴が催されたといわれています。別名 女名月、豆名月、栗名月、閏月。十五夜の月を見て、後の月を見ないのを 片見月 といって忌むべきこととされていました。

「秋の月はかぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひわかざらむ人は、無下に心うかるべきことなり。」
「八月十五日、九月十三日は婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。」
 (吉田兼好『徒然草』 第二百十二段 および 第二百三十九段)

お月さまのことなら、こちらが詳しいです。


● 月の客(つきのきゃく)
お月見や月の宴で人を招いたとき、主は月の主、客を月の客、あるいは月の友といいました。広く月を見る人のことをさすこともあります。

 岩端(いわはな)やここにもひとり月の客  向井去来

もともと岩上で月を見ている人を、去来が客観的に詠んだ句でしたが、師匠の松尾芭蕉は、「月を主とし、自分自身を月の客とするように」と教えたそうです。


● 梅雨(つゆ)
ちょうど梅の実が熟す時期に降る雨なので梅雨。(中国唐代の『歳華記麗』の梅雨の項より 「梅熟する時の雨」から)入梅は6月11日か12日。梅雨入りは 栗花落(ついり) とも言われて、この頃は栗の花が咲き散る頃でもあります。江戸時代あたりから梅雨は「ばいう」から「つゆ」と呼ばれるようになり、それ以前は歌語として「長雨(ながめ)」「五月雨(さみだれ)」を用いていたそうです。物が湿り腐る「潰ゆ(ついゆ)」、あるいは「露(つゆ)」からきているという説があります。


● 露(つゆ)
空気中の水蒸気が、冷えた草木に触れて水滴となったもの。秋の季語。0℃以下に冷えていると霜(しも)になります。露は儚く消えるものにたとえられ、露の命、露の身、露の夜と、和歌や詩、俳句に好んで用いられます。別名 月の雫(しずく)。

 身にかへて いざさは秋を惜しみみむ さらでももろき 露の命を
 (『新古今集』 秋の歌より)


● 梅雨雲(つゆぐも)
梅雨時のうっとうしい雲。五月雲。


● 梅雨の中休み
梅雨の合間に、一時的に晴れた日が続くこと。雷をともなった集中豪雨や夕立は中休みの後、梅雨の後半に多発します。その頃になると、梅雨明けはもう間近です。


● 梅雨冷え(つゆびえ)
梅雨時に気温が急に下がること。


● 照葉(てりは)
紅葉して 秋の日に美しく照り輝く葉のこと。照紅葉(てりもみじ)。秋の季語。本来は、光沢があって美しく輝く葉のことすべてをいったそうですが、やがて秋の紅葉に限って使われるようになりました。


● 冬至(とうじ)
12月21日または22日で、二十四節気のひとつです。昼間がいちばん短く寒さがますます厳しくなってゆく時期ですが、この日を境にして日足は徐々に伸びてゆくため「冬至冬なか冬はじめ」といわれます。陽気の回復、再生を願って祝う儀式は世界各国に残されており、クリスマスもその風習が背景にあると考えられています。日本では、この日に神聖な旅人が村を訪れると信じられ、弘法大師が村をめぐるという伝承が広く伝えられています。

この日は 「ん」のつくもの(れんこん、みかん、こんにゃくなど)を7種類食べるとよいといわれ、また 柚子湯を立てたり、小豆入りのおかゆ(冬至粥) や この日まで保存しておいた かぼちゃ(冬至南瓜) を食べて無病息災を祈ります。

<それぞれの意味>
かぼちゃ‥ 冬至にかぼちゃを食べると中風にならない、といわれています。栄養価が高くて保存性に富んでおり、冬に不足がちな野菜に代わる栄養補給元として重宝されます。

柚子湯‥ ビタミンCとクエン酸を含む柚子は、血行促進、神経痛・腰痛などを和らげて肌をひきしめ滑らかにするなどの効果があります。輪切りか半分にしたものを袋に入れて湯に浮かべます。柚子の芳香で心も体もリラックス♪

小豆粥‥ 日本だけでなく、韓国でも冬至に食べるそうです。行事食として小正月や引越の時にも食べる習慣があります。ビタミンB1を多量に含む小豆は、古くから解毒、利尿などにすぐれているとされ、薬剤としても使われていました。


● 踏青(とうせい)
春の野山で萌え出た青草を踏んで遊ぶこと。春の野遊び。古く中国で、おもに清明節に行われていたそうです。

 踏青や 嵯峨には多き 道しるべ (鈴鹿野風呂)


● 冬眠(とうみん)
冬期に、ある種の動物が運動・摂食をやめ、物質代謝の極めて不活発な状態に入る現象。両生類・爬虫類など多くの変温動物がこれを行い、ハリネズミ・コウモリなどのような哺乳類にも見られる。リス・ヤマネ・クマなどの冬ごもりの状態(時々覚醒して排泄・摂食などを行う)は、擬似冬眠と呼ぶ。また、植物などが寒期に成育を止めることをいうことがある。

東京の都心では、ヒートアイランド現象(都市の高温化)と一晩中明るい不夜城が原因で一年中眠ることが出来ず、冬枯れの季節の街路樹が盛りの季節のように葉を緑に茂らせていたりするとか。(2000年2月 朝日新聞「空の色 風の音」 より)
桜の花は、夏にはすでに花実をつけ、冬に連続十日以上の寒気にあたり、その後の気温の上昇によって目覚め、開花するそうです。暖冬の影響で開花が遅れるということもあるのでしょう。


● 燈籠流し(とうろうながし)
本来は、盆の終りの日に、小さな燈籠に火を点じて川や海に流す魂(たま)送り、精霊送りの習俗です。秋の季語。送り盆の十五日の夕方あるいは十六日、さまざまな供物とともに茄子や胡瓜で作った精霊馬を川や海に流す精霊流しという習わしがありますが、供物の上にロウソクを灯したものを燈籠流しといいます。真夏の夜の水辺の行事で、流れる灯の群れはとても美しくて別世界にいるようです。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

な~の で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 夏越の祓(なごしのはらえ)
毎年水無月晦日に行われる大祓の神事。神社では参詣人に茅の輪をくぐらせて祓い浄める。邪神を和めるために行うところから名づけた。夏祓。みなづきのはらえ。輪越祭。夏越の御禊(なごしのみそぎ)。京都では古くからこの日「水無月」という菓子(お冷し=氷室 の氷を象った三角形のういろうに小豆をのせたもの)を食べ、疫病から逃れることを祈ってきたそうです。


● 名残の雪(なごりのゆき)
春になってから冬のなごりに降る雪のこと。涅槃雪(ねはんゆき)、雪のはて、忘れ雪ともいいます。春の季語。


● 夏木立(なつこだち)
夏の頃の青々と繁った木立。

 夏木立 しげき梢に鳴く蝉の 声聞くからに暑くもあるかな


● 熱帯夜(ねったいや)
夜になっても気温が下がらず、一日の最低気温が25℃以上の日をいいます。暑くて寝苦しい夜。


● 野分(のわき)
(野を吹き分ける風、草木を吹き分ける風の意から) 二百十日・二百二十日前後に吹く秋の暴風。台風。また、秋から初冬にかけて吹く強い風。秋の季語。清少納言の『枕草子』には「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ。立蔀、透垣などのみだれたるに、前栽どもいと心くるしげなり。」とあり、颱風(たいふう)という言葉が使われる前は、野分といった。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

は~ほ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 葉桜(はざくら)
花が散って若葉が出はじめたころの桜。夏の季語。「葉桜」って、実に日本的な表現だと思いませんか?「葉桜」と言うとき、もうそこに花はほとんど無いのに、それでもなお、一瞬の春の夢を見せてくれた桜花への せつない想いがこめられている言葉‥。


● 初嵐(はつあらし)
秋の初めに吹く強い風。秋の季語。

 空を飛ぶ 烏いびつや 初嵐  高浜虚子


● 初音(はつね)
その年初めて鳴く鶯(うぐいす)・杜鵑(ほととぎす)などの鳴き声。初声(はつこえ)。


● 初春(はつはる しょしゅん)
春の初め。新春。新年。新年の季語。また、初春月(はつはるづき)といえば陰暦正月の異名で、春の季語になります。陽暦の一月にも用いられて、早春の意味にも使われます。
陰暦では春は立春から立夏の前日までの三ヶ月間をさし、初春・仲春・晩春の“三春”に分けます。

 初春や 家に譲りの 太刀はかん  向井去来


● 花筏(はないかだ)
花が散って水面に浮び流れるのを筏に見立てていう言葉。または、紋所の名のひとつで、花の枝を折りそえた筏の文様。


● 花霞(はながすみ)
遠方に群がって咲く桜の花が、一面に白く霞のかかったように見えるさま。「花」と言えば多くは桜の花を指しますが、梅の花をいうときもあります。ちなみに「花の香」と言えば、古くから梅の香を意味します。

 花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに  小野小町
 人はいさ心も知らずふる里は 花ぞ昔の香ににほひける  紀 貫之


● 花雲(はなぐも)
咲きつらなっている桜の花を 雲にたとえていう言葉です。花の雲 とも。


● 花曇り(はなぐもり)
桜の花の咲く頃、空が薄く曇っていること。養花天(ようかてん、 花を養う空のこと)ともいいます。春の季語。


● 花狂い(はなぐるい)
「花」は桜を意味しますが、桜花の艶然とした姿や妖しげな美は、ときに人を狂わせます。「狂い」は 能の表現にしばしば取り上げられるテーマでもあり、花の持つ魔性を表現すると同時に、男女間の愛情や 親子の情の極まりをも表しています。


● 花疲れ(はなづかれ)
花見をしながら歩きまわって疲れてしまうこと。春の季語。


● 花野(はなの)
人為的にこしらえた花壇や庭園の花ではなく、自然の野に咲く花のことをいいます。花野原とも。秋の季語。“花”という言葉から春の野の草花を想像しますが、春は主に木の花を、秋は草の花を詠むようになりました。秋の七草だけでなく、曼珠沙華(ヒガンバナ)、水引草、蓼(たで)、野菊などの花も含みます。


● 花冷え(はなびえ)
陽気の移ろいやすい桜の花の咲く頃、一時的に寒さがもどって冷え込むこと。春の季語。


● 花吹雪(はなふぶき)
桜の花びらが吹雪のようにたくさん舞い散ること。桜吹雪。


● 春嵐(はるあらし/しゅんらん)
春先に吹く強い風。雨を伴うこともある。春荒れ。


● 春雨(はるさめ)
三月から四月にかけての天気がぐずつく時期の、いつまでも降り続く地雨性のしっとりとした雨で、春の後半のいわゆる菜種梅雨の頃の雨をいいます。 春霖(しゅんりん) あるいは 春の長雨 ともいいます。春の雨はひと雨ごとに、芽ぐみの緑を色深く鮮やかに変えてゆきます。

 わが背子が衣はるさめ降るごとに 野辺の緑ぞ色まさりける  紀 貫之


● 春時雨(はるしぐれ)
春だというのに、暖房がほしくなるほど寒くなり、冷たい雨が降ることがあります。まるで時雨を思わせるところから、これを春時雨といいます。または、春の、急にぱらぱらと降ってはやむにわか雨のこと。惜しむべく落花の後の雨を詠んだ歌にこんなのがありました。

 花は散り その色となくながむれば むなしき空に春雨ぞ降る
 (『新古今集』 春の歌より)


● 春の七草(はるのななくさ)
正月七日、雪の下で芽生え始めたばかりの七種の草を摘み採って 七草粥 を作ります。七草粥は、お正月のお雑煮や料理で荒れた胃を休めるために食すともいわれます。七種の若菜は次の通り。「芹(せり)・薺(なずな)・御形(ごぎょう)・はこべ(ら)・仏座(ほとけのざ)・菘(すずな)・清白(すずしろ) これぞ七種」と覚えます。菘(すずな)は蕪(かぶ)、清白(すずしろ)は大根のことですが、新春にふさわしく 清々しい名に代わったものですね。


● 晩夏(ばんか)
夏の末。まもなく秋が訪れるころのこと。


● 晩秋(ばんしゅう)
秋の末。まもなく冬が訪れるころのこと。


● 飛花落葉(ひからくよう)
春の花が風に舞い、彩づいた木の葉が秋に落ちるように、世の移り変りの無常であることのたとえ。


● 光の春(ひかりのはる)
立春をすぎても、まだ余寒が厳しく寒い日がありますが、陽の光は日増しに強くなってきて、寒い中にも春の訪れを感じることがあります。そんなときのことを 光の春 というそうです。


● ひなまつり
三月三日の上巳(じょうし)の節句に、女児のある家で雛壇を設けて雛人形を飾り、調度品を具え、菱餅・白酒・左近の桜(向かって右側)・右近の橘(向かって左側) などを供える祭。雛遊び。ひいなまつり。雛壇のそばには桃と菜の花、雛菓子等を添えます。聞いた話によると、雛人形はその女児一代のみのもので、代々受け継いでゆくものではないとか。。 また、「嫁き遅れる」という理由で節句がすぎるとすぐに片づけてしまうところもあれば、地方によっては三月いっぱい~四月三日まで飾っておくところもあるそうです。


● 吹寄せ(ふきよせ)
吹きよせること。種々とり集めること。きのこや枯松葉、 松毬(まつぼっくり)、紅色の楓、黄色のいちょう、白い銀杏(ぎんなん)、栗など、色とりどりに混ぜて野趣あふれる風情が楽しい干菓子。 冬が近づいているのを感じます。


● 伏流水(ふくりゅうすい)
地上の流水が地下に一時潜入して流れるもの。砂礫などの粗い物質から成る場所、たとえば扇状地や砂漠に多い。富士山に降り積もる白雪が、長い時間をかけてろ過され麓に湧き出す伏流水は、主要な水源となるところから「泉瑞」と呼ばれ、水神として崇められました。富士山麓では銘水百選のひとつ、忍野八海 が有名です。


● 冬枯れ(ふゆがれ)
冬に草木の葉が枯れること。また、そのさびしい眺め。冬枯れた落葉は、朽ちて栄養分になります。冬に訪れる客が少なくなることを 冬枯れ と表現することもあります。


● 冬籠り(ふゆごもり)
ふゆごもること。冬の間寒さを避け、家の中にこもってすごすこと。雪国では 雪籠り ともいうそうです。

 雪降れば 冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける  紀 貫之


● 冬隣(ふゆどなり)
冬のきびしさや暗さをまもなく迎える晩秋のころのことをいいます。秋の季語。


● 『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)
著者は鈴木牧之(1770-1842)で、晩年の作品。北越の庶民生活をいかんなく表した、今日では古典的名著。越後(現在の新潟県南魚沼郡あたり)の雪国の冬の生活を、牧之が40年の歳月をかけて著したものであり、当時の雪国を知る最も重要な書物とされています。

「我が国の雪意(ゆきもよい)は暖国に均(ひと)しからず。およそ九月の半(なかば)より霜を置きて寒気次第に烈しく、九月の末に至れば殺風肌(はだえ)を侵して冬枯の諸木葉を落し、天色霎(しょうしょう)として日の光を看ざること連日是れ雪の意(もよおし)なり。天気朦朧(もうろう)たること数日にして遠近の高山に白を点じて雪を観せしむ。これを里言(さとことば)に岳廻り(たけまわり)といふ。又海ある所は海鳴り、山ふかき処は山なる、遠雷のごとし。これを里言に胴鳴りといふ。これを見これを聞きて、雪の遠からざるをしる。年の寒暖につれて時日はさだかならねど、たけまはり、どうなりは秋の彼岸前後にあり、毎年かくのごとし。」

「そもそも うみはじむるより おりをはるまでの手作(てわざ)すべて雪中にあり、‥‥雪中に糸となし、雪中に織り、雪水に洒(そそ)ぎ、雪上に晒(さら)す。雪ありて縮(ちぢみ)※あり、されば越後縮は雪と人と気力相半(あいなかば)して名産の名あり。魚沼郡の雪は縮の親といふべし。」

※ 縮 ‥織地のひとつ。縒りの強い緯を用い、織り上げたのちに、もんで皺をよせ、ちぢませた織物で、麻地の夏の服装。


● 蛍(ほたる)
梅雨の合間の夜、幻想的な光の舞を見せてくれる蛍。古くから夏の風物詩として多くの人に親しまれてきました。「蛍」は平安時代から歌ことばとして定着していました。

 物思えば 沢の蛍もわが身より あくがれ出づる 魂(たま)かとぞ見る  和泉式部

日本ではゲンジボタルとヘイケボタルが有名です。夜間でなく昼間飛びまわる蛍(オバボタル、オオオバボタルなど)もいるそうですが、やはり蛍といえば一般的には前者のほうをさします。ゲンジボタルは6月の中旬~7月中旬くらいまで、ヘイケボタルは長いものでは9月初め頃まで見られるそうです。幼虫は清流に棲むカワニナ(巻貝の一種)を食べて成長し、羽化して成虫になった蛍は夜露を吸うだけで他のものは一切口にせず、たった3~4日の短い命を終えます。蝉(成虫は約7日間生きる)よりも短いのですね。そのほんの僅かの間に子孫を残すために儚い光を放ちながら夏の夜に飛び交います。

面白いのは、関東と関西の蛍では光りの点滅の間隔が違うことです。関東の蛍は約4秒間隔、関西の蛍はせっかち(?)なのか2秒だそうです。ところが、最近では「蛍鑑賞会」というような催しが全国各地で行われるようになり、関西の蛍を捕獲して関東で放すようなこともあるため、いつのまにか交配して、点滅の間隔が3秒になっている蛍が見つかっているそうです。

上記のようなお話を聞かせてくれた方が、「捕獲した虫は必ず捕獲したところと同じ場所へ返すようにしてください。そうしなければ生態系が崩れて絶滅の危機にさらされます」と警告されていました。水田が減り、昔に比べて激減した蛍の数も、地元住民の方々の努力で年々すこしずつ増えているようです。「蛍狩り」といいますが、来年もまた夏の訪れを告げる美しい光の乱舞を楽しめるよう、蛍を捕えて持ち帰るようなことはやめましょう。


● 蛍狩り(ほたるがり)
蛍を捕る遊びのこと。夏の季語。谷崎潤一郎の小説『細雪』に、蛍狩りの様子を描いた美しい文章があります。情景を思い浮かべながら、読んでみてください。

「ずっと川の縁の叢(くさむら)の中へ這入り込んで見ると、ちょうどあたりが僅かに残る明るさから刻々と墨一色の暗さに移る微妙な時に、両岸の叢から蛍がすいすいと、すすきと同じような低い弧を描きつつ真ん中の川に向かって飛ぶのが見えた。‥‥見渡す限り、ひとすじの川の縁に沿うて、何処迄も何処迄も、果てしなく両岸から飛び交わすのが見えた。 ‥(中略)‥ 幽鬼めいた蛍の火は、今も夢の中にまで尾を曵いているようで、眼をつぶってもありありと見える。 ‥(中略)‥ なるほど蛍狩と云うものは、お花見のような絵画的なものではなくて、冥想的な、‥‥とでも云ったらよいのであろうか。それでいてお伽噺の世界じみた、子供っぽいところもあるが。‥‥あの世界は絵にするよりは音楽にするべきものかもしれない。お琴かピアノかに、あの感じを作曲したものがあってもよいが。 ‥‥
彼女は、自分がこうして寝床の中で眼をつぶっているこの真夜中にも、あの小川のほとりではあれらの蛍が一と晩中音もなく明滅し、数限りもなく飛び交うているのだと思うと、云いようもない浪漫的な心地に誘い込まれるのであった。何か、自分の魂があくがれ出して、あの蛍の群れに交って、水の面を高く低く、揺られて行くような、 ‥(中略)‥ みんなが手に手に幾匹かの蛍をそれぞれの容器に入れて持ち、幸子と雪子は袂の先に入れて握りながら。 ‥‥」


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

ま~も で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 待宵(まつよい)
旧暦八月十四日の夜。翌日の十五夜、仲秋の名月を待つ宵のこと。またはその夜の月(小望月 こもちづき)。もとは通いに来る(妻問いの)男を待つ夜のことをいったそうです。

 まつ宵や 女あるじに 女客 (蕪村)


● 真夏日(まなつび)
最高気温が25℃以上の日を夏日、30℃以上の日を真夏日といいます。または、真夏の日中。


● まゆ玉飾り(まゆたまかざり)
養蚕が盛んだった頃に 新年のまゆの豊作を願って各家庭で行われた行事です。まゆ玉飾りにはお膳とダルマをお供えし、床の間には蚕の神様(蚕影山 こかげさん)の掛軸を掛けたそうです。


● 迎え火(むかえび)
盂蘭盆(うらぼん)の初日(7月または8月13日)の夕方に、祖先の精霊(しょうりょう)を迎えるために焚く火。門前で麻幹(おがら)や樺(かば)を燃やすのが一般的だそうです。魂迎えとも。秋の季語。反意語は、送り火。


● 無月(むげつ)
陰暦八月十五日の仲秋の名月が、くもり空に姿を見せないけれども、どこかほの明るい様子をうかがわせていること。曇る名月ともいいます。古の人たちは、見えない月を恨むことなく、想像する楽しみをこの言葉にたくしました。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

や~よ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 柳は緑 花は紅(やなぎはみどり はなはくれない/柳緑花紅 りゅうりょくかこう)
春の美しい風景のたとえ。また、物が自然のままで、少しも人工が加えられていないことのたとえ。禅宗で悟りの心境を言い表す句。


● 山笑う(やまわらう)/山粧う(やまよそおう)/山眠る(やまねむる)
「春山淡冶(たんや)にして笑ふが如く、夏山蒼翠にして滴るが如く、秋山明浄にして粧ふが如く、冬山惨淡として眠るが如し」(『臥遊録』)から季題になった言葉。「山笑う」は春の季語で、春の山の草木が芽吹き花も咲きほころぶころ、山の表情が明るくなるようすを、「山粧う」は秋、紅葉し色づいた秋の山を、「山眠る」は冬、冬山が雪をかぶり、静まりかえったさまを表しています。

 故郷や どちらを見ても 山笑ふ (正岡子規)


● 夕立(ゆうだち)
夏のにわか雨のこと。積乱雲が発達して急に曇り、夕方前後に短時間に雷を伴った激しい雨を降らせることがあります。「白雨(はくう)」とも。夕立は狭い範囲に降ることがほとんどで、日が照っているのに雨が落ちてくることもあって、これを「狐の嫁入り」とか「日照雨(そばえ)」などと呼ぶそうです。


● 川床(ゆか)
川に突き出して設けられた涼みのための桟敷。特に、京都の四条河原や貴船川の清流沿いのものが有名です。ゆかすずみ。ただし、貴船の川床は「かわどこ」と読みます。

 青き葉の流れてくるや川床涼み  長谷川 櫂

江戸時代の京都 四条河原では、ちょうど祇園祭の頃、旧暦六月七日から十八日にかけて大掛かりな夕涼みが行われ、川岸の料亭や茶屋が川の上に桟敷を張り出して客を迎えたそうです。


● ゆきあいの空
ふたつの季節が行き交う空や、夏から秋にかけての空を ゆきあいの空 といいます。例えば、入道雲の上にすじ雲と呼ばれる巻雲が出ている夏の終わりのころの空をそのように表現するそうです。

 夏と秋と ゆきかふ空の通い路は 片方(かたへ)涼しき風や吹くらむ
 (『古今和歌集』 夏の歌より)


● 雪化粧(ゆきげしょう)
積もった雪で景物・景色が白く美しくかわるさま。


● 雪解流(ゆきげりゅう)
雪が解けて水となり流れるさま。また、その流れ。


● 雪見(ゆきみ)
雪景色を眺め鑑賞すること。また、その遊びや宴。雪見は平安時代には宮廷行事となり、鎌倉時代以降は幕府も催して、江戸時代には庶民の間に広まりました。

 いざ行(ゆか)む 雪見にころぶ所まで
 (松尾芭蕉 『笈の小文』)


● 雪意(雪催い ゆきもよい)
空がどんより曇って今にも雪が降りそうな様子。


● 夜の秋(よるのあき)
夏の終わりのころの、気配の秋めいた夜。

 涼しさの 肌に手を置き 夜の秋 (高浜虚子)


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

ら~ろ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 立夏(りっか)
二十四節気のひとつ。夏の始め、太陽暦の5月5日か6日頃です。夏立つ日で、暦の上ではこの日から立秋前日までが夏です。

 春過ぎて夏来にけらししろたへの 衣ほすてふ天のかぐ山  持統天皇


● 立秋(りっしゅう)
二十四節季のひとつで、陽暦の八月七日または八日。秋立つ日。暦上で秋とはいえ、実際には最も暑い時期です。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる  藤原敏行


● 立春(りっしゅん)
二十四節気の最初の節。春の始め、節分の翌日で現在の二月四日頃。八十八夜、二百十日など、すべてこの日から数えます。この日、曹洞宗では「立春大吉」と書いた札を入り口に飾る風習があって、よく見ると、これは表から読んでも裏から読んでも「立春大吉」なのです (^ ^) 昔は節分が大晦日、立春が新しい年の始まりでした。ところが、いわゆる閏年には月の運行が遅れるために、十二月中に立春が来てしまうことがありました。平安時代末期には、「旧年立春」「歳内立春」という歌題があるそうです。

 年のうちに春は来にけりひととせを 去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ
 (年の改まらないうちに春がやって来た。この一年を去年と言うべきか、今年と言うべきか‥)
 (『古今集』春の歌上 より)


● 柳絮(りゅうじょ)
春に、柳の熟した実から綿毛をもった種子が飛び散るさま。また、その種子。柳のわた。風に流された柳から黄色い花粉が舞い上がると、桜花の開く時期の到来となるそうです。


● 涼味(りょうみ)
涼しい感じ。すずしさ。


● 良夜(りょうや)
月の美しい、陰暦八月十五日の十五夜、同九月十三日の十三夜のこと。「八月十五日、九月十三日は、婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす」(『徒然草』 第二三九段より)からきている言葉で、「婁宿」は中国の古い星図の分類のことだそうです。


● 緑蔭(りょくいん)
青葉の茂ったかげ。木陰。夏の季語。同じ初夏の木陰でも、木下闇(このしたやみ)というと暗さを感じますが、緑蔭は夏の光を感じる明るさがあります。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか