雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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花ごころ

2008年04月27日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 見わたせば百花繚乱の季節。蓄えたエネルギーをいっせいに爆発させるかのごとく、青葉と花があふれます。

 人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり
 (武者小路実篤)

 でも、「花の色はうつりにけりないたづらに‥」(小野小町)の歌ごころを知るひとは、たいせつな時機を見逃しません。日本の四季は、こちらからつねに追いつもとめつしなければ、つかむことのできない美です。


 季節は、晩春から初夏へ。
 一年でもっともめまぐるしく変化する季節の、一瞬の輝きをとらえたおふたりの写真をご紹介します。

 武蔵野の面影のこる台地にお住まいの紫草さま。
 ご自宅のベランダで季節の花を育てていらっしゃるまさおさん。
 いつも有難うございます。

 みなさまも、春からやがて雨季の色へとうつろふ花々をお楽しみください。


 僭越ながら、おふたりが手塩にかけた花々にいくらかでもむくいたくて、無心にお茶を点てました。わたしの精一杯の感謝のきもちです。

  雪月花 拝


花だより
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花/ 琵琶湖・海津大崎の桜(写真:まさおさん) 茶碗/ 古貫入  花/ 都忘れ・丁子草・藤(写真:まさおさん)  茶碗/ 仁清写・藤花文茶碗         花/ 鳶尾・小葉のとねりこ 花入/ 清時代「雨過天青」(写真:紫草さま) 茶碗/ 粉青茶碗「雨過天青」 菓子/ 柏もち
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2008年 晩春~初夏

※ 写真にマウスをのせるとスクロールが止まります

 風吹けば花咲く波の折るたびに桜貝寄る三島江の浦
 (『山家集』 西行)

 空間に夢をとどめてほのぼのと若葉にこもるむらさきの藤
 (『草木と共に』 窪田空穂)

 紫のひともとゆえに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る
 (『古今集』 読人しらず)


 みなさま、よい連休をおすごしください ^^

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躑躅哀歌

2008年04月24日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 かくて丘に上りて躑躅を見たり。
 躑躅は美なりしなり。
 されど唯赤かりしのみ。

 (泉鏡花 『外科室』より)


 毎年、春から夏の道の辺を彩り、目を楽しませてくれた躑躅と紫陽花。昨日、ブルドーザーの巨大な爪がそれらを伐採するのを見ました。

 いえ、伐採だなどと、そんな生やさしいものではありません。叩きつぶす。そう表現したほうが近い。

 いまを盛りに紅い花をたくさんつけていた躑躅と、ようやく新芽を吹きはじめた紫陽花に、ブルドーザーが容赦なく襲いかかり、ばきばきと音を立てて地面に叩きつけるのを目にしたとき、わたしはかれらの悲鳴を聞いた。 ‥そう感じました。


 人間の身勝手と傲慢。必要がなくなったとたんにあっさりと切り棄てる薄情さ。
 自分もまた、その身勝手で傲慢で薄情な人間であることがたまらなくなって、目をそむけ、その場を立ち去るしかなかった自分が、なお嫌になりました。しばらくは何も考えたくありませんでした。


 泉鏡花が、若き医学生と美貌の伯爵夫人との出逢いの場に選んだ
 泉水庭園の躑躅。

 幼いころの魯山人を美の世界に引きずりこんだ躑躅。

 わたしの眼前で悲鳴をあげた躑躅。

 どの躑躅も、目のさめるような、鮮烈な紅色でした。
 躑躅の紅に、人を惑わせる何かがあるのかもしれない。


 先日の椿につづき、躑躅も紫陽花も消えました。

 貴きいのちに手を下せし罪深き人間よ。お前はわずかでもその紅に輝けるいのちに哀れを感じたか。もしそうでなければ、この国は近い将来にきっとほろびる。

 そんな神の声を聞いたような、晩春のできごと。


 躑躅紅し立つにんげんのさびしらに (丸山久雄)

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母礼賛

2008年04月21日 | 小魚庵だより ‥日々の拾遺
 
 実家へ帰ると、母がいろいろなものをつくって待っています。だから、わたしはいつも上げ膳据え膳。こんなことだから、娘は何もできないまま大きくなってしまいました。


 母の味、五目豆。


 ふっくら、ツヤツヤです。お味はめずらしく少々濃ゆめかも。にんじん、ごぼう、れんこん、こんにゃく、さつま揚げ‥ み~んな同じサイズに切ってあります。母の几帳面さに、あらためてビックリ。口の中で、ひとつひとつ、噛みしめました。

 この日はお洗濯日和で、ベランダに山ほど洗濯物が干してあったのだけど、その干し方がまた芸術的。干し方に「芸術的」という表現が適当かどうか分からないけれど、ともかく美しいのです。


 おみやげは、季節のジャム二種です。


 左はいちご、右は梅とラズベリーのジャムなんですよ。梅酒に漬けていた梅を用い、きれいな赤色にするためラズベリーを加えたのだとか。梅の味がやわらいで、おいしい ^^♪ お母さんは天才だわ。甘党の主人もいちごジャムが大好き。さっそくパンケーキを焼いて、いただきました。


 ‥ごちそうさま ^^


 レシピを聞いても、「う~ん、適当なのよね」「レシピも、一度見たらあとは適当だから」と言うばかりでらちがあきません。ジャムのレシピだけはなんとか‥とせまったら、「あら、言わなかったっけ? 電子レンジでチンよ」。そう言うと、母はものの15分でシナモンフレーバーのりんごジャムをつくってみせました。


 わたしにとって、母は人間国宝です。
 (‥ほめすぎ?)

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日めくり万葉集

2008年04月18日 | 小魚庵だより ‥日々の拾遺
 
 わが家の日課(おめざ)、「日めくり万葉集」。
 朝食を済ませて台所で後かたづけをしていると、「始まるよ」と居間から主人が声をかけてくれます。毎朝、6時55分からきっちり5分間、ふたりで万葉の世界にひたります。


 平凡な歌が紹介されることもしばしば。でも、その平凡な歌に、選者ならではの注釈やエピソードが加わると、歌が生き生きとしてくるから不思議です。万葉びとの喜怒哀楽を、とつぜん目の前に差し出されたようなここち。科学や技術が発達しても、人の気持ちは何百年も前からちっとも変わらないんだなぁ。 ‥そうおもうのです。


 選者の思いを重ねつつ、ふたりで声に出して読むことも。すると、歌のあじわいはまた格別なものになります。

 「石ばしる垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも‥ なるほど。今日の歌は、『萌え~』だね」 ‥などと、くだらぬことを言いながら‥ ^^;


 最近、主人と思わず「う~ん」とうなってしまった歌を二首。みなさまも、声に出して読んでみてくださいね。いまも変わらぬ女性の激情に、たじたじになりますよ。

 飯(いい)食(は)めどうまくもあらず 寝(い)ぬれども安くもあらず
         あかねさす君がこころし 忘れかねつも

 (巻十六より、佐為王の婢 選者:歌人、馬場あき子氏)

 君がゆく道の長手を繰り畳(たた)ね
         焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも

 (巻十五より、狭野弟上娘子 選者:女優、真野響子氏)


 『万葉集』は、恋の歌がすてき。
 ドラマ「万葉ラブストーリー」(4月19日(土)、NHK総合テレビ 午後3:05~)も、見てくださいね ^^

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真田紐

2008年04月14日 | くらしの和
 
 わたしのたいせつなお茶碗を入れている木箱です。いえ、木箱でなく、木箱にかけている真田紐(さなだひも)のこと。お茶のお道具や貴重な美術品の入った桐箱の装飾用結び紐として、また帯締めにもなる真田紐は、緯(よこ)糸で模様を織り出すほかの織物とちがい、経(たて)糸で柄を出すため、縦に丈夫で伸びにくいという性質をもっています。時折、雑貨屋さんやラッピング・コーナーでも見かけます。色とりどり、その美しさに惹かれていつも手にとってしまいます。


 先日、加賀錦織の真田紐を購入しました。トリコロール風の、こんな柄です。ひと結びして‥ 紐の端の処理は自分でします。簡単なんですよ。


 雑誌に紹介されていた結び方を参照して、愛用のデジタルカメラと主人の社員証のストラップにしました。ふたつの結び目の間隔を伸縮させて長さを調整できるようになっています。サッカーJリーグの横浜F・マリノスを応援している主人は、(マリノス・カラーの)このトリコロール風真田紐がお気に入り ^^


 この結び方はとっても簡単かつ便利なので、どこかのサイトで紹介していないかしらと探してみたのですけど、見つかりません。お知りになりたい方は、雑誌『和楽』三月号を見てくださいね。

 戦国時代を生きた真田一族に詳しい主人の話では、真田家が関ヶ原の合戦に敗れ、紀州・九度山に幽閉された折、生活の糧を得るために織ったのがこの真田紐で、たいへん丈夫だったため、刀の下げ緒や鎧兜を固定する紐として広く使われるようになったのだとか。ところが、「真田紐」の原型である「狭織紐(さおりひも)」の歴史はもっと古く、『万葉集』に詠まれ、正倉院御物にも見られるそうです。

 いにしへの狭織の紐を結び垂れ誰れしの人も君にはまさじ
 (『万葉集』巻十一より 但、異伝歌)


 ストラップ以外にもいろいろと応用してみたい♪
 次回京都へ出かけたら、主人と織元を訪ねるつもりです。

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花とくらす (五)

2008年04月11日 | 筆すさび ‥俳画
 
 山桜、糸桜、八重の桜‥ 花の色がうつろう中、春雨にうたれた木々の芽吹きが眠っていた山を目覚めさせます。ほんのわずかな間だけ、山が淡いパステルカラーに染まるとき。見逃してしまいますと、知らぬ間に夏になってしまいそうです。


 桜を俳画におさめたら、花遊びも終わりです。


 「夜桜」です。風に勢いを増す焔の表現がむつかしいところ。先生のお手本を見ましたとき、まず思い浮かべたのはこの切手でした。


 京都・円山公園の枝垂れ桜、作家は日本画家の志村正氏です。祇園の桜、籠松明、東山、月‥ これらはもう、画題の定番といえましょう。先日は「生誕100年 東山魁夷展」(東京国立近代美術館、2008年5月18日まで)で、画伯の祇園の桜「花明かり」を見ることができました ^^

 しばらくは花の上なる月夜かな (芭蕉)


 もうひとつ、祇園の桜で思い出すのはこの歌です。

 清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき
 (『みだれ髪』 与謝野晶子)

 古都の花と月に出逢ったときの、晶子自身の気持ちの昂揚が伝わります。鉄幹への熱い想いも、重ねられているのでしょうか。


 幸せそうなふたりはさておいて‥ 今年の花送りといたしましょう。晶子が見たら、がっかりするかな。


 提灯は色褪せにけり春の暮れ (雪月花)


 桜前線は東北地方に達しています。
 五回にわたり「花とくらす」におつきあいいただき、有難うございました。

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花とくらす (四)

2008年04月08日 | くらしの和
 
 昨夜から花散らしの風雨がつづいています。荒れ模様になる前に、昨日近くの公園で見ごろを迎えた糸桜を拝んでまいりました。閑静な住宅街にそぐわない妖艶な姿です。朝の早い時間でしたから、花見客はわたしひとりだけ。こころゆくまで花と対話することができました。


 四月八日は花まつり。お釈迦さまのお生まれになった日です。この日、各地のお寺で灌仏会(かんぶつえ)や花会式(はなえしき)などが行われて、甘茶をいただきます。旧暦の花まつりは新暦五月中旬なのですけど、「花まつり」の名から、桜の咲きほこる新暦四月八日のほうがふさわしいのかもしれません。
 わたしも、お釈迦さまの教えから学ぶことが多いので、お祝いと感謝の気持ちから写経をすることにいたしました。

 「一字蓮台」という写経があるのをご存知でしょうか。装飾経という写経法のひとつで、お経の一字を一仏に見立てて、彩色したちいさな蓮の花の上に経文を一文字ずつのせたものです。古いものでは、平安時代後期の「一字蓮台法華経」があります。
 一字一字をそれぞれ仏とみる‥というよりは、お経そのものが仏であり、よって一字もおろそかにしてはならない。という考えのもとに、こうした写経法が生まれたような気がします。

 そこで、花まつりによせて「一字台」というのをおもいつきました。一字一字を桜の花の上にのせるのです。一字写すごとに、桜のはんこを押して‥ 手間はかかりましたけど、こんなふうになりました。


 ‥写経用紙はお花でいっぱい ^^
 「こんなことをして」と、お釈迦さまはびっくりされるかしら。


 願いごとをしたため、いずれどちらかのお寺に納めたいとおもっています。

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花とくらす (三)

2008年04月04日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 見わたせば 柳桜をこきまぜて 宮こぞ春の錦なりける
 (『古今集』 素性法師)


 このたびも、まさおさんからいただきました京都の花の写真です。

 「柳緑花紅真面目(りゅうりょくかこうしんめんもく)」。中国北宋期の詩人・蘇東坡(そとうば)の言葉です。「柳緑花紅」は、春の美しい景色を表すとともに、禅語にもなっていて、その場合は「ありのまま(の自然)」あるいは「あたりまえのこと」を意味します。ありのままが真実の姿である、そういうことです。これは、まっすぐに物事をとらえず、自分の考えをさしはさんだり、疑ったりする人のこころをいさめているのですね。

 
 自然にふれてやすらいだり、身近な動物にいやされたり。自然も、動物も、ありのままで人のこころを和らげてくれます。しかも、かれらは無意識でそれをやってのけるのです。これって、すごいことですよね。

 人は、ありのままで、ほかの人のこころを和らげることができるでしょうか。できない‥ わたしはできません。そういう意味で、自然や動物のほうが、わたしよりずっと仏にちかいとおもうのです。


 でも‥ います。わたしにとって、仏にちかい人。

 たとえば、母です。
 「愛とは存在だ」といった人がいますけど、母がいることが、わたしにとってどれだけ支えになっていることでしょう。元気かどうかでなく、存在です。生きてこの世にあること。母はありのままでわたしを支えている。このこと、本人はきっと気づいていないでしょうね。

 お母さん、長生きしてください。


 * - * - * - * - * - * - *

 今日から清明の候、「万物発して清浄明潔となり、百花咲き競う季節」です。しきりに花が散ります。ツバメの飛ぶ姿を見かけました。めまぐるしく変わる自然の営みに、学ぶことの多い日々です。


 本日のおいやし‥ さくらまんぢう ^^


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花とくらす (二)

2008年04月02日 | 和楽印 めだか工房
 
 花の季節は騒々しくていけません。母と出かけた千鳥ヶ淵も、人、人、人の波。いたづらな春風が容赦なく花を散らし、つむじ風を起こしては落花をきりきり舞いさせていました。予約しておいたお店でほっとひと息、ゆっくりとお昼の膳をいただいたら、お濠端で列をなす花見客をしりめに早々に退散しました。

 古来、陰暦弥生の桜花の散るころ、疫病神をはらうために行われきた花鎮めのまつり「鎮花祭(ちんかさい)」。なるほど、いっせいに咲きあわただしく散る花に心身ともに翻弄されれば、この「花鎮め」は妙に現実味をおびてきます。冬のころから待ちわび、いつのまにか憑いて離れない花を鎮める‥ そんなひとときがあってもよさそうです。


 それなら、自分流の花鎮めを‥と、消しゴムはんこと料紙を使って花遊びをしています。
 今月のカレンダーは「花筏」。「変わり観世水」という流水文様は、桜のほかに菊の花を合わせて「菊水」、紅葉なら「竜田川」といった文様のバリエーションを楽しめます。画像をクリックすると、ほぼ原寸大(はがきサイズ)のカレンダーをご覧いただけます。


 桜色の料紙にはんこを押し、折形でつくった香袋です。中に桜香のインセンスを入れました。香をたきしめた部屋で読書を‥


 桜茶はお手軽なティーバッグ。塩漬けの桜は入っていませんけど、お味も香も桜湯と同じなんですよ。


 花鎮めといいながら、日本人って桜を飲んだり食べたりしちゃうのですよね‥ ^^


 花を追わず、しずかに花と向き合う日です。

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