雪月花 季節を感じて

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雛送りによせて

2008年02月29日 | 筆すさび ‥俳画
 
 今日は閏の29日。地球が四年をかけて貯金してくれた貴重な一日ですから、たいせつに使いたいですね ^^

 二月の初めより、壁の塗替えのため窓が開けられない状態がつづいていましたが、一昨日ようやく足場が解体され、ひと月ぶりに気兼ねなく窓から風を入れることができました。よく見ますと壁だけでなく、バルコニーの内側や物干竿を掛ける鉄製の台もきれいに塗り替えられています。風のつめたい季節ですから、住人は窓を開けなくてもなんとかすごせますけど、この時期を選んで長期にわたる作業をしなければならない現場の方々のご苦労がよく分かりました。いまは感謝の気持ちでいっぱいです。毎日町を見下ろす高所で作業をしながら、春の光や風を感じる余裕はあるのでしょうか。


 春一番が吹きました日、百貨店の雛飾りとランドセルの特設会場を横目に見ながら、子どものころの楽しみをなつかしく思い出しました。所せましと並んだ雛飾りは桃の花がいっせいに開いたような艶やかさですし、色とりどりのランドセルはチューリップの花束に見えます。でも、ランドセル売場は家族連れでにぎわっていましたのに、雛飾りのほうはもう買い時がすぎたのでしょうか、客の姿はありませんでした。ゆくあてのないあのお人形たちはどうなるのでしょう。
わたしの赤いランドセルも雛人形も、実家に置いたまま。今年もまた暗い押入れの中でひっそりとすごすランドセルと人形たちのことを考えますと、申し訳ない気持ちになります。

 子は嫁ぎ母と残さる雛かな (雪月花)

 代わりに‥というのではないのですけど、俳画教室で習いました「流し雛」を飾っています。昨年は複数組の人形を竹にはさんだ流し雛でしたけど、今年は桟俵(さんだわら)にのせた一対の紙人形。どちらも鳥取県の郷土玩具とうかがいました。鳥取市の用瀬(もちがせ)では、三月になりますとあちこちの店頭にこの流し雛が並び、旧暦三月三日に菱餅や桃の小枝を添えて千代川(せんだいがわ)に流すそうです。この行事に使われる桟俵と紙人形は、いまも用瀬の人たちがひとつひとつ手づくりしています。
 
 このような雛送りの行事は、ご存知のとおり平安期の「ひいな遊び」と人形(ひとがた)流しを原型とする禊祓(みそぎはらえ)のひとつです。三月三日だけでなく、わたしたちはあらゆる場面で身を浄めるための水をつかいますから、身近にある清らかな水の流れと日本人のくらしはつねに密接な関係にあります。昨年の「暑中お見舞い」の記事に、水に恵まれたくらしの中で水と親しみ、水流のごとくさらさらと流れる時に身をゆだねるという処世術を、わたしたち日本人は身につけているということを書きましたけれども、それを逆説的にいえば、水を失うことは日本人にとってとても危ういことなのでしょう。

 さまざまのもの流れけり春の川 (二柳)

 二柳は芭蕉を慕い、生涯を芭蕉の顕彰に尽くした江戸期の俳人です。この句から芭蕉の「さまざまのこと思ひ出す桜哉」が想起されますが、「‥流れけり」という作者の気づきと感動が新鮮で、何度詠んでもひかれます。厳しい季節を耐えたものにとって、春の川を流れるのは雪や氷だけではないのでしょう。


ひなあられ

 日本の各地にたくさんの河川や湖沼があり、それらがもたらす恵みの大きさに気づいていたわたしたちの祖先は、水への信仰を深め、それが宗教(仏教)と結びついた例もすくなくありません。何かにいきづまったり、ひどく疲れたり、人間関係に悩んだりするとき、水辺に立ったり川風に吹かれながら歩くことで自分をとりもどすことを、誰もがきっとしてきただろうと思うのです。ひとりでいることのたいせつさを、無意識ではあってもちゃんと知っているからでしょう。人の不幸のほとんどは自分ではない別の何かと対立したり比較することから始まります。その苦しい関係を断ち切り、自然とのつながりの中に身をおくこと。それは、対立や比較を生みやすい多元の世界から、すべてが等しく同じ根源をもつという一元の世界への出発点なのではないでしょうか。

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本をつくる 和装本と洋装本

2008年02月21日 | くらしの和
 
 雨水の候となりましてから、北風も止みおだやかな日和がつづいています。お月さまが見えますときは、旧暦ダイアリーを開いて何日月なのかを確認します。21日は、旧暦一月十五日の望月。旧暦の日付はそのまま月の満ち欠けに結びつきますので分かりやすいです。日中の光のつよさが増してくるのを「光の春」と表現しますけれども、お月さまの光もいくらか黄みをおびて、ほんのりあたたかさを感じます。


 すこし前のことになりますが、昨年師走に田中栞さん主催の製本教室に参加しました。朝10時から夕方6時すぎまで、洋装本、和装本、折本など、数種の本を実際に制作しながら、本のことをひととおり学ぶワークショップです。栞さんは書誌学に通じておられ、ご主人さまは古書店経営者という、ご夫妻そろって本の専門家というだけあって内容も充実。久しぶりに学生にかえった気持ちで学んでまいりました。読書は好きだけれど、本そのものを知る機会はなかなかないですものね。

 上の画像は、以前からつくってみたかった和綴じ本です。身近な材料を使った正統な制作方法を教えていただきました。うれしくて何度も手にとりながら、もったいなくて何に使おうかしらとまだ迷っています。

 下の画像は上製本です。表紙に家紋印を入れました ^^


 上製本は洋装本のひとつで、別仕立ての厚い布張りの表紙に高級感があります。現在、特注以外は全工程が機械化されており、大量生産が可能です。みなさまの卒業アルバムも、この上製本ではなかったでしょうか。
 上製本は、とにかくパーツも工程も多くて、制作にかなりの時間を要しました。切る、束ねる、そろえる、穴をあける、糸を通す、糊付けする、乾かす‥ これらの作業の中で、中身の紙、表紙・裏表紙の厚紙、中表紙、表紙布、花布(はなぎれ。中身の背の天地両端につける装飾用の布地)、しおり紐などのたくさんのパーツを扱わなくてはなりませんし、仕上げ後は本に重しをのせて数日間、糊が完全に乾くまで放置します。ですから、ようやく使えるようになったときは、よろこびもひとしお。ちょっと見ただけでは気づかない細かな部分の、お手製ならではの丁寧なつくりがうれしい♪ でも、当日はつくることに精一杯でメモをとる余裕がなかったので、すぐに同じものはつくれません‥ ^^; 

 対照的なのが和綴じ本です。力要らずで、工程も材料も数えるほどしかありません。これなら気軽につくれます。洋紙にくらべて和紙の扱いやすいこと‥ それに、なんといいましても手ざわりがあたたかくしなやかです。
 ご覧のとおりの単純なつくりですが、ひとつだけ見えないところに工夫がされています。中身の半紙を束ねているのは、(外から見える)色糸だけではないのです。最初に半紙を束ねますとき、色糸を通す位置よりもすこし内側の二カ所に、短く切ったこより(細長く切った和紙を糸のように撚って紐状にしたもの)で内止めをしています。(仕上げ後は表紙に隠れて見えません) この内止めがポイント。こよりはひと結びして、その結び目を半紙に食い込ませるように上から木槌で数回叩きます。かた結びせず、糊付けもしません。それなのに、まるでしっかりと糊付けをしたように半紙のふくらみを抑えて束ねることができる上、なんと数百年から千年はこの状態を維持できる(!)というのですから驚きます。和紙ならではの繊維質がそれを可能にするのでしょうか。これで、仕上げの色糸も通しやすくなります。
 わたしたちが数百年とか千年前の書物をいま目にすることができるのも、和紙や墨の驚くべき耐久性のおかげなのでしょうけれども、和紙の性質を熟知して活かし、後世によき文化を伝える役割を与えた先人の知恵には頭が下がります。(ただし、色糸のほうは本の開閉のたびに傷んでゆくため、もっと短い周期で修繕が必要です。これは古書を扱う人の仕事なのだそうです) その点、図書館の本などが数年ですっかり傷んでしまっているのを見るのはつらいものです。


一辺がたった2cmの折紙豆本も‥ ^^

 当日はもうひとつ驚いたことが。参加者は女性ばかりと思いきや、なんとわたし以外はみな男性でビックリ。「最近は男性の方もよく参加されるんですよ」と栞さん。ごあいさつ代わりに用意しためだか工房の雑貨も、女性向けに準備していたので残念。それでも、快く受け取ってくださった男性諸君と、年の瀬にもかかわらず終日自宅を開放してくださった栞さんとご家族のみなさまに、あらためてお礼を申し上げます。有難うございました。


 田中栞さんの製本教室は、四月からほぼ毎週(予定)、横浜のご自宅で開催されます。ワークショップの後は、当日の時間の許すかぎり、消しゴムはんこの基本も教えていただけますよ。ご興味のある方はぜひ参加ください。わたしも、もういちどメモをとるために参加したいです ^^
 下の画像をクリックしていただくと、お教室の詳細ページへ飛びます。

栞さんの製本ワークショップへ go!
蔵書票(栞さんの消しゴムはんこ作品)


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椿

2008年02月14日 | 筆すさび ‥俳画
 
 この冬はたびたび東京に積雪があり、都心より平均気温が2、3度高い伊豆大島にも雪が舞って、うすく雪化粧をした大島椿の花の映像を見ることができました。(伊豆大島では、3月24日まで「椿まつり」が開催されています) 大島椿といえばやぶ椿ですが、やぶ椿の初花を見ましたのは、お正月明けに訪れた湯布院温泉でした。由布岳の麓の小径を点々と花の紅が染めていて、早朝まで降りつづいた雨に濡れて鮮やかでした。九州の春は早いな‥と思いましたものです。


 今回は昨年師走の画題、椿です。わたしのもっとも好きなやぶ椿と、清楚な白椿を一輪ずつ。白椿のほうは、新年用の賛(『新春』『初笑ひ』など)を添えて賀状にも使います。じつは、先生のお手本は「つぼ椿」という筒咲きの花を数輪なげ入れた絵だったのですけど、葉が多くてもさもさした感じが気になって、途中で描くのをやめてしまいました。愛しい花を、一輪だけ‥と思い、別のお手本を臨書したものです。
 思うようにやぶ椿の花弁を描けなくて、幾度も描きなおしては反古にしてしまい、そのうちに身のまわりが椿の散華のような状態に。これは花を絵にするときの楽しみのひとつで、描き損じたたくさんの花がわたしをとり囲んで話しかけてきたり、よい香を放ったりするのですよ ^^ 片づけるのが惜しくて、描き終えた後もしばらく花に囲まれたままぼーっとしていることも。そして、さぁ片づけよう、と手を伸ばしますと、花は絵にもどるのです。(‥わたしの気のせいです)
 書き散らした椿は、手にとろうとしたのにこぼれていった花々。それらはみな仏になります。幾度も手をさしのべて、ようやく一輪だけ手中におさめたものが今回の絵なのですけれども、仏の姿にはほど遠いようです。

 落椿ひと日の余白埋め尽くし (伊藤千代江)
 落椿書いては散らす閑居かな (雪月花)


 連休に、東京国立博物館平成館で開催中の「宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝」を見てまいりました。(~2月24日まで) 印象にのこった作品は数々あるのですが、二百数十点にも及ぶ作品のほとんどが墨跡だったことは特筆すべきでしょう。平安~江戸時代の御宸筆をはじめ、藤原家一門の能書家や文化史上著名な人物の達筆を追ううちに、展観そのものが古筆の手鏡のように思われました。このことと、日本のあらゆる文化の歴史をさかのぼれば、近衛家のルーツである摂政関白・藤原道長の時代にゆきつくことを考え合わせますと、文房四宝(筆、紙、墨、硯)がいかにこの国の文化に貢献してきたかが分かります。
 千年もの時間をかけて、人々は道を究めた先人の書画を模写することで技とこころを磨き、次代につないできたのです。俳画をとおして文房四宝にふれることの幸せを思うと同時に、それらが急速に忘れられつつあることに一抹の不安を感じています。

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文様印(九) 雪輪・海松丸・利休梅

2008年02月07日 | 和楽印 めだか工房
 
 四日の立春、そして旧暦一月一日にあたる七日も、東京は雪晴れとなりました。ベランダから見はるかす家並はどこまでも白くて、これからこの純白のキャンバスがすこしずつ春色に染まってゆくのを見るのはこころ楽しいものです。小鳥たちのさえずりも軽やかに聞こえます。
 立春から、季語も沫雪、わすれ雪、薄氷(うすらい)、余寒、春寒(はるさむ)‥と、春の気配を感じさせる言葉に変わります。昨日は雪がちらつく中を出かけたのですけど、傘を開かずに歩いている人を多く見かけて、沫雪のせいなのかな、それとも、なごりの雪を惜しんでいるのかしら‥と、わたしも傘を持たず顔や衣服にふれては落ちて消えてゆく雪の軽さを思いながら歩いていました。

 枯芝にのりてしばらく春の雪 (長谷川浪々子)


 久しぶりの文様印は、明けゆく春への思いをこめて「雪輪」「海松丸(みるまる)」「利休梅」の三種です。

 【雪輪】
 雪の結晶を意匠化したもので、日本人が古くから愛用してきた文様です。江戸中期の浮世絵師・鈴木春信が、美人画のきものにこの文様を好んで使ったそうですが、現代のきものや和装小物にもよく見られます。「雪輪」に春の草花(桜、芹など)をあしらって季節のうつろいを表したり、夏の和装にとり入れて涼感を添えたり。あらゆるシーンに適応可能な文様です。
 雪の異称は六花といいますから、雪輪文や雪花文は六角形を基本にした形をしていますが、中には五角形のもの、七角形以上のものもあるようです。

 【海松丸】
 名のとおり海藻を丸文にしたもので、平安時代から有職文様として使われてきました。画像の「海松丸」は、そのまま帯の模様として使えそうな気がしませんか。「海松丸」に貝などの海の景物を合わせた模様は「海部文(かいぶもん)」というそうです。また、「海松色(みるいろ)」といえば、オリーブ・グリーンのような色ですね。
 今回彫ったはんこは直径5.5cmくらいの大きめのもので、見た目にも有職文らしく格式の高さを感じますけれども、ちいさな海松丸文なら、もっと使いやすいはんこになりそう。

 【利休梅】
 千利休遺愛の文です。利休が愛用した黒棗の仕覆に用いられた名物裂「利休緞子(りきゅうどんす)」がこの文様だったため、こう呼ばれるようになりました。お茶をたしなむ方には親しみのある意匠でしょう。わたしの楊枝入れと愛用のノートも「利休梅」。単純で使いやすい図柄なので、どんなものにも押してみたくなります。主人には「鉄アレイがたくさん並んでいる」ように見えるそうですけど‥ ^^; そうそう、春から初夏にかけて花を咲かせる利休梅という低木もあります。文様も木の花も、茶方好み。


 今月から消しゴムはんこでカレンダーをつくっています。毎月気軽につくりたくて、こよみの文字と数字部分はパソコンで制作しました。下の画像をクリックして、カレンダーの全体像も見てくださいね。

クリックしてカレンダーを拡大
「梅にうぐいす」とめだかのはんこを使って‥


 めだか工房では、新しい文様印をぞくぞく制作中です。はがき、しおり、ぽち袋、メッセージカードのほかに、ブックカバー、コースター、文香、香包み‥などなど、はんこ小物の幅も広げて、消しゴムはんこはますます楽しくなってきました ^^♪ 今年もまたすこしずつご紹介してゆきます。

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