雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

BUNDAN

2015年09月02日 | 本の森
※写真はお店の許可を得て撮影し掲載しています。転載はご遠慮ください。

 秋の夜長の愉しみは‥ もちろん読書、という方は多いでしょう。

 今日は駒場東大前の日本民藝館にてしばし昭和にタイムスリップした後、せっかくの気分をこわしたくなくて、民藝館からすこし歩いたところにあるブックカフェを訪ねました。

 日本の文学作品や作家にちなんだこだわりのメニューが楽しみなカフェ「BUNDAN」。店内に入りすぐ目に飛びこんでくるのは、天井の高さまである書棚に収められた夥しい数の本‥ それはもう壮観だけれど、控えめな照明のせいか圧迫感はありません。むしろインテリアの一部としてなじんでいます。

 (ほんとうはヒミツにしておきたい)隠れ家のような空間で、時間の降り積もったシックな調度品にかこまれて本をひらく‥ いえ、たとえ本をひらかなくとも、メニューの由来に目をとおしたり(この日わたしが注文したのは「古川緑波の氷あずき」。トッピングされた小倉餡も、バニラアイスもわらび餅も、ひとつひとつが丁寧につくりこまれて美味でした)、書棚にならぶ本のタイトルをながめるだけでも、湿り気を帯びた本をひらいたときや、印刷されたばかりの活字から立ちのぼる、あの独特の匂いの記憶がふとよみがえってきて、いつのまにか文学の世界に没入してしまいそう。

 ここには押しつけがましい音楽(BGM)がないのも、おすすめのポイント。
 ぜひお訪ねください。

 

『星の衣』

2015年08月17日 | 本の森
 
 ことしの六月に亡くなられた作家、高橋治氏の代表作『星の衣』(吉川英治文学賞受賞作品)を十数年ぶりに再読しました。

 舞台は染織品の宝庫・沖縄。首里織と八重山上布を織る女性ふたりの生きざまを軸に、染織にたずさわる沖縄の女たちの葛藤、琉球文化と沖縄人(うちなんちゅ)の誇り、戦時中の沖縄でいったい何があったのかが丁寧に描かれ、作家が知るかぎりの沖縄のすべてがこの小説に結実したとおもわれる作品です。読みすすむほど何か見えない重いテーマがのしかかり、琉球の染織品と戦争、内地(日本本土)との複雑な関わり合いをふかく考えさせられます。沖縄のきものを着ることは、覚悟がいることかもしれません。

 それでも、小説の中で首里織の汀子も、八重山上布の尚子にも、古きよき琉球染織へのリスペクトがあり、本流から逸れない仕事をしていること、そして、一流の染織家をめざす彼女たちを厳しくもつよく育て、温かく見守る人たちがつねに存在することにすくわれます。(もちろん、高橋氏もそのひとりだったのでしょう) 沖縄だけでなく日本各地の布も、その風土と切り離しては考えられないし、彼女たちの織る布のように、古いものへのリスペクトがあるものにふれたいというおもいは、ますますつよくなりました。(そういったものが、いまでは“民芸調”という言葉でひとくくりにされて、まるで古めかしいむかしの遺物のように扱われたりするのは、ずいぶん浅はかなことで、かなしい)

 わたしの好きな椿の花が、物語が展開する上でのひとつのキーになっていることと、講談社文庫版は誤植が多くて、高橋氏もさぞこころ残りだろうなとおもったことも、書き留めておきます。

 

追悼 宮尾登美子さん

2015年01月22日 | 本の森
 

宮尾登美子さんが亡くなった。

『一絃の琴』の苗、『序の舞』の津也、『春燈』の烈‥ 芯が強く、どんな逆境も忍びまっすぐに生きる女性を描かせたら、このひとの右に出る作家はいないとおもう。宮尾さんご自身もまた、小説の主人公さながらに生きぬいた人だったそうだ。山崎豊子さんにつづき、またひとり偉大な女流作家がこの世を去った。

ご冥福をお祈りいたします。

 

『日本橋』

2014年03月20日 | 本の森
 
 1971年に近代文学館より復刻された、泉鏡花の千草館版『日本橋』。小村雪岱が装幀した美しい一冊を、古書店で見つけました。折しも、この週末から坂東玉三郎さんの特別公演「日本橋」が映画公開されますが、「外科室」(泉鏡花作、坂東玉三郎 監督映画)を観てからというもの、「高野聖」「天守物語」「海神別荘」(以上はシネマ歌舞伎)と、玉三郎さんの意欲的な鏡花作品の映像化に注目しています。「日本橋」は高橋惠子さんとの共演も楽しみ。鏡花×雪岱×玉三郎という、底知れぬ美の世界を堪能する春です。
 

『おもたせ暦』

2014年01月10日 | 本の森
 
 食いしんぼうならはずせない、フードジャーナリスト・平松洋子さんのエッセイ集。2006年の初版本を図書館で見つけ、一話一話をかみしめるように、味わうように、読みます。ファッション雑誌に時おり見かける平松さんのおきものの趣味や着姿がとても自然ですてきだなぁとおもっていたけれど、そういえばご本業の軌跡については何も知らなかった(!)ことのうかつさ‥にいまさら気づいて、すごく損をしたきもちです。

 平松さんったら、ほんとうにおいしそう~に、まるでたったいまわたしの目前で大好物をパクパク召し上がっているように表現されるんですよね。だから、睡眠前に本を開くのはいけない。お腹が空いてねむれなくなるし、そればかりか、すぐにもお店に駆けつけて買いたく(食べたく)なってしまうから(笑
 ずいぶん前に、「平和とは、安全に食べられること」という塩野七生さんのお言葉にハッとしたことがあるけれど、いつでも温かな(暖かな)食べものを味わえるしあわせは何ものにもかえがたいし、家族や周囲の人たちと共有したいという平松さんのお気持ちがうれしいこの本は、たいせつな蔵書のひとつになりそう。食べることはいのちを育み、よりよい関係を築くこと。このことを本書(と、NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」)から再認識します。

 週末は平松さんのレシピで「シュリカンド」を作るぞ。再来週は、仕事の合間をぬってローザ洋菓子店のクッキーかシュークリーム(主人の好物)を買うのだ。ふふふ~楽しみ、楽しみ♪ 平松さん、有難うございます ^^
 

『犬と鬼』

2013年12月17日 | 本の森
 
 『美しき日本の残像』以来、こちらも読まなくては‥とおもいつつそのままになっていたアレックス・カー氏の『犬と鬼』。十月末から朝日新聞にカー氏が連載されたのを機に、ようやく手に取りました。『美しき日本の‥』と同様に『犬と鬼』も、エリート官僚の牛耳る土建国家・日本の荒廃を赤裸々につづった大作です。「愛するものがあるなら、怒らなくちゃだめよ」という白洲正子氏の言に触発されたカー氏の“日本たたき”は徹底しており、ところどころ凄みすら感じます。けれど、その根底に氏のこの国への悲しいほど深い愛情を感じるから、腹立たしくなるどころか、この国のゆく末に暗澹たる思いを抱かざるをえません。氏が本著に提示する膨大な資料と分析の正確さについていろいろ言う人もいるけれど、いわゆる「美しき日本」ばかりが強調され氾濫する情報化社会の中で、常識的な日本人でさえ見えなくなっている不都合な現実を、この本によって直視できるし、見たくないものを見る力、知る努力が、瀕死の状態の日本をすくうための第一歩とおもえます。でも‥ もう、間に合わないかもしれないけれど。近代化の名のもと妄信的に破壊されつづけるこの国に、健やかな未来はあるでしょうか。
 

龍村平蔵

2013年04月19日 | 本の森
 
 来週より日本橋高島屋にて龍村平蔵展が始まります。ずいぶん前から楽しみにしていた展観なので、平蔵をモデルに書かれた宮尾登美子さんの『錦』を五年ぶりに再読し、あらためて平蔵の織物、錦に対する執念と激情にこころをゆさぶられる思いです。気をひきしめて作品に対峙しなければ圧倒されてしまいそうで、まだ見ぬ今から畏れます。友人らと和装で出かける予定なのですが、帯を何にしようかしら‥と迷います。

水をめぐる旅

2012年12月15日 | 本の森
 
 十月初旬に三泊四日で主人と伊勢神宮~琵琶湖半周の旅をしました。全日おだやかな晴天にめぐまれ、ゆく先々で無数の神さま仏さまを拝ませていただきました。ほんとうに有難いことでした。

 旅の直前まで読んでいたのは白洲正子さんの紀行文でしたが、旅のあと手にしたのは、竹西寛子さんの『五十鈴川の鴨』と清野恵里子さんの『樋口可南子のいいものを、すこし。その2』の二冊です。


 『五十鈴川の鴨』の舞台は、伊勢神宮境内をうるおす清流、五十鈴川。淡い仲だけれども確かな信頼関係のある壮年期の男性ふたりが、ふとしたきっかけで足を踏み入れた神域の川のほとりのできごとが、のちに忘れがたい一場面となって描かれます。
 五十鈴川のさらさらと流れる水とこの物語から想起するのは、『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし」と、わたしの好きな荘子のことば「君子の交わりは淡きこと水のごとし」です。『五十鈴川の鴨』は、誰もが日々積み重ねている人と人との淡くはかない交わりに光をあてると同時に、放射能という得体のしれない恐怖に不幸にもさらされてしまったこの国の未来をも映し出します。


中古からの歌枕・五十鈴川

 淀みしもまた立ちかへる五十鈴川ながれの末は神のまにまに
 (『風雅集』 光厳院)


 『樋口可南子のいいものを、すこし。その2』は発刊直後にぐうぜん書店で見つけ、開いてみると「湖西、湖北の、水をめぐる物語」と題した項から、わたしたちとまったく同じルートと目的で、著者の清野さんと可南子さんが琵琶湖を旅していたことを知りました。わたしがこの旅でもっともお会いしたかった石道寺(木之本町)の十一面観音さま(国宝)のみずみずしい慈顔にも再会でき、わたしをふたたび静謐な湖北の観音路へと連れもどしてくれた本です。


 水をめぐる旅はこれからもつづきそうです。


奥琵琶湖・海津大崎にて

 

りんどう忌

2011年09月09日 | 本の森
 
 九月七日は英治忌でした。
 さわやかな秋晴れとなったこの日、志野流(茶道)社中の方々の案内で東京の梅の郷・青梅にあります吉川英治記念館を訪ねました。山懐の緑に抱かれた記念館はひっそりとしたたたずまい。四季折々の訪問者をあたたかく迎えてくれます。

 英治忌にのみ公開される苑内の草思堂にてお仏壇に手を合わせ、お茶を一服いただきました。草思堂は吉川英治氏とご家族の疎開先で、一家は昭和19年からおよそ十年の歳月をすごし、青梅郷の人々と心安く親交しました。

 昭和25年にこの地で大作『新・平家物語』の執筆を始めます。古典の中でも平曲を愛するわたしは、来年のNHK大河ドラマ「平清盛」(主演:松山ケンイチ)をこころ待ちにしながら、友人の影響もあってすこし前から『新・平家物語』(講談社文庫全十六巻)に取り組んでいます。

 ようやく三巻目まで読みすすめ、ゆかりの地にて貴重なお道具や遺愛の品々を拝見する機会にめぐまれたことは望外のよろこびです。挿画を担当していた杉本健吉氏筆「(英治)涅槃図」、親交のあった白洲正子さん直筆の書簡等々から、英治氏の高潔で愛情深い人となりを偲びました。


 母おもいで子煩悩だった吉川英治は「‥ひっそりと野に咲く可憐な花、なかでも、りんどうは、その青紫の花弁の初々しさと、清楚なたたずまいを、ことのほか愛でていたようでございます。」(故・文子夫人談) 命日も、りんどうの花咲くころです。

記念館からすこし離れた、多摩川渓谷にかかる橋のそばに「紅梅苑」があります。故・文子夫人のお店だったそうで、青梅産の梅や柚子をつかったお菓子が美味。写真はカステラ饅頭「紅梅饅頭」と柚子饅頭の「柚子篭」。夏期はゼリーやシャーベットもおすすめです。


 菊一花天を載せたるたわわ哉 (英治)

 九月九日は「菊の節句」ですね。
 

『幸田家のきもの』

2011年08月26日 | 本の森
 
 大長編歴史小説を読むかたわら手にした、青木奈緒さんの『幸田家のきもの』。作家・幸田露伴の美意識を継ぐ幸田家の女性三代の、汲めども尽きぬきものがたりです。

 著者によれば、幸田家のきものは身の丈の範囲のやりくり上手。大枚をはたいてもとめた工芸品でなく、蒐集家のコレクションでもない、あくまでたつきに根ざした着手の心意気の表れであり、未練や執着はあってもいざとなればあっけないほど潔く、その清々しい決断はあっぱれです。

 幸田文さんの文体は少々苦手だけれど、孫娘の奈緒さんのそれは親しみやすい。けれど幸田家の文才の流れをしっかりくみ、本の中で露伴も、文さんも、青木玉さん(奈緒さんのお母上)も生きています。

 出色は、奈緒さんがフランスのクラシック音楽祭に着て出かけ、特別待遇を得たという個性的な濡れ描きのきもの。その艶やかな着姿を見ると、あふれんばかりの色の交響曲こそ、きものの真骨頂ではないかしら‥とおもえてくるのです。