雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

ムーン・ドロップ

2006年12月14日 | うす匂い ‥水彩画
 
 今年も残すところ二週間余りですね。みなさまも年末年始のご準備等で外出の機会が多いことと思います。街もいそがしく動いているときですし、風邪が流行っていますから気をつけてお出かけください。

 さて、「美の源流」というテーマで二回にわたりご意見ご感想をお寄せくださいまして有難うございました。このテーマについてお話ししたいことはまだあるのですけれども、しばらくみなさまからの情報を整理したり、すすめていただいた関連書籍を読む時間をとり、さらに考えを深めてゆきたいので、ここでちょっとひと息‥ 冬空を見上げようと思います。
 オリオン座や冬の流星群など冬の夜空は星が主役になりますが、月は秋のころより輝きを増しています。

 冬の月寂寞として高きかな (日野草城)

 今宵(14日)は今月5日の望月から数えて九日目の月です。凍てつく夜空に煌々とかがやく月の光を受けていますと、しみついた師走の喧噪は去り、全身がすきとおってゆくようです。

 冬枯れのけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。‥‥
 年の暮れはてて、人ごとにいそぎあへるころぞ、またなくあはれなる。
 すさまじきものにして見る人もなき月の、
 寒けくすめる廿日(はつか)あまりの空こそ、心細きものなれ。

 (『徒然草』第十九段より)

 兼好先生は冬月のかかる空ほど心細いものはないというけれど、殺伐とした枯れ野をたったひとり西へゆく月もまた寂しくはないのでしょうか。

 冬の日、後夜の鐘の音きこえければ峰の坊へのぼるに、月雲よりいでて道をおくる。
 峰にいたりて禅堂にいらんとするとき、月また雲をおひてむかひの峰に
 かくれなんとするよそほひ、ひとしれず月のわれにともなふかと見えければ

 雲をいでてわれにともなふ冬の月 風や身にしむ雪やつめたき
 (明恵上人)

 冬の月と同じ孤独を友にした明恵上人は、「風が身にしみないか、雪はつめたくないか」と月にやさしく語りかけています。

 * * * * * * *

 住まいの近くに住居の一階部分をティールームにしている家がありまして、そこで定期的に手づくりのものの展示やミニコンサートなどが行われます。わたしは時折町の図書館からの帰り道などにお茶をいただきに立ち寄るのですが、先日は近所の主婦たちが集まって趣味で作っているというアクセサリーを展示即売していて、その中に下弦の月をモチーフにした銀のブローチがありました。アクアカラーの大きな石がひとつと、その上下に繊細なカッティングをほどこしたガラス玉がふたつ嵌めこまれていて、それらの石をつなぐ銀の模様も申し分のないデザインでした。ただ、サイズがかなり大きいのと(縦の長さが8センチくらいありました)思いのほか高価だったので買うのを断念。でも、デザインがとても好きだったので、帰宅してすぐ記憶をたよりに絵に残しました。石の水色が効いているので、ムーン・ドロップ、「月のしずく」と名づけました ^^

 このブローチなら聖夜の装いにもピッタリだし、もうすこしサイズがちいさければ、帽子や襟もとにつけたりチェーンをとおしてネックレスにしてみたかったのだけど、「催眠状態から抜けるため一度頭を冷やす」という“お買い物の鉄則”を守り、このお月さまとのご縁はあきらめました。もし予報がはずれて今夜が雨もようでなければ‥ これと同じかたちをした月のしずくがわたしのこころを満たしてくれることでしょう。

 にほんブログ村 美術ブログ 絵画へ

 一筆箋
 
コメント (10)

月の衣

2006年11月01日 | うす匂い ‥水彩画
 
 今日から霜月。月めくりの暦も残すところ二枚となりました。年賀はがきの発売が始まりますので、どんな絵柄にしようかしらと考えています。
 先日はみなさまの書棚の本や本にまつわるお話を紹介してくださり、有難うございました。おかげさまで深く広い本の森の散策を楽しみました。今後もお気軽にみなさまの本のことなどをコメント欄にお寄せください。


 十一月三日は旧暦の九月十三日、後の月見の日です。仲秋の東京はあいにくの雨月でしたけれども、後の月は拝むことができるでしょうか。
 仲秋と十三夜に、おだんごなどの供物をのせるわが家のうつわは「銀彩月明半月皿(ぎんさいつきあかりはんげつざら)」です。先日、手づくりのうさぎまんぢう「月兎」をのせましたのはこのお皿です。ふだん使いのうつわはシンプルな土もの(陶器)が多いのですが、季節ものの色絵皿などは暮らしのアクセントとして取り入れて楽しんでいます。

 古書店で山下景子さんの『美人のいろは』(幻冬舎刊 ※)という本を見つけて読んでいましたら、今年の十三夜にふさわしい、きれいな言の葉を拾いました。「落葉衣(おちばごろも)」─ 本には「木の間からもれる月の光。それが衣服に影を落として、落ち葉の模様を描いている‥ それを落葉衣と呼びます」とあります。落葉の季節に迎える十三夜にぴったりの季語と思いませんか。
 「落葉衣」を詠んだこんな和歌があるそうです。

 秋の夜の月の影こそこのまよりおちば衣と身にうつりけれ
 (『後撰集』 よみ人しらず)

 十三夜は外でお月見をするのもよさそう。落葉の散りかかる木々の下をただよいながら、木の間から後の月を仰ぐ‥ 落葉衣を身にまといつつ。

 また、果てしなくすすき野の広がる武蔵野の月夜に詠まれた衣もあります。かつて、歌枕の武蔵野には衣を打つ砧(きぬた ※)の音がひびいていました。

 さ夜ふけてきぬたの音ぞたゆむなる月を見つゝや衣うつらん
 月見をしながら衣を打っているのだろうか、砧の音がとぎれがちのようだ
 (『千載集』 仁和寺後入道法親王覚性)

 冷たく、氷のような月のかかる夜に、武蔵野の村にさびしくひびきわたる砧の音。和歌や能の世界においては砧を打つのは女性ときまっていますが、遠く離れている恋人への想いをこめた砧の音は、さえぎるもののない荒涼とした武蔵野をさまようばかりだったのではないでしょうか。

 落葉衣も、想い人を偲ぶ衣も、あはれが身にしむ秋の月夜ならではのものだったのですね。

 唐衣(からころも)なれにしつまをしのぶ夜はかたぶく月の影にうつろふ
 (雪月花)


 よいお月見を‥

 にほんブログ村 美術ブログへ


※ 『美人のいろは』は雪月花のWeb書店で紹介しています。
※ 砧は、麻・楮(こうぞ)・葛(くず)などで織った布や絹を木槌(きづち)で打って柔らかくし、
  つやを出すのに用いる木または石の台のことです。また、それを打つことや打つ音のこと。



 ↓ 下の「お知らせ」も見てくださいね ↓
 
コメント (12)

和火

2006年09月09日 | うす匂い ‥水彩画
 
 先月、よくうかがうサイトのトップページに「大江戸牡丹」という名のきれいな線香花火の写真が掲載されていたので、「線香花火にも種々あるのですね」とコメントしたところ、サイトの管理者さんが気をきかせて三種の線香花火を送ってくださいました。
 赤、青、黄の紙袋に十本ずつ入っていて、赤い袋には「三河伝承 大江戸牡丹」、青は「九州三池・筒井時正の 不知火牡丹」、黄には「火の国熊本産 有明の牡丹桜」と書かれています。火薬をつつんでいる和紙の色も、それぞれちょっとずつちがっています。

 国産の線香花火には悲しい歴史がありました。
 国内の線香花火工場が次々と閉鎖に追いこまれる中、ただひとつ「九州八女の長手牡丹」を製造していた工場だけが残っていましたが、存続の努力もむなしく、1999年に廃業となりました。のちに、「はかなく繊細で、芯が強く潔く、そして華麗な和火を消してはならない」と、東京下町の問屋が立ち上がります。試行錯誤を繰り返し、およそ八年の歳月をかけてついに純国産の線香花火を復活させ、「大江戸牡丹」の製作に成功したのでした。(東京蔵前の花火問屋「山縣商店」のホームページより)
 花火を送ってくださったのも、こんな花火悲話を知ってのことなのだろうと、送り主さまのさりげない心遣いに感謝しています。


 先週末、夫が遅い夏休みをとって一緒に義父母の家ですごしたので、家族みんなでこの線香花火を楽しめるかしら、と思って出かけたのに、なんやかやと夜をすごすうちに花火をする間もなくすぎてしまい、そのまま持ち帰ることに。(残念‥) 今週末こそ、どんな花をつけるのか見てみたいのですけれども‥。名まえにすべて「牡丹」とあるので、さぞかし大きく華やかな和火なのだろうな、と想像しています。すこし遅い夏送りでしょうか。

 手花火の珠をかばひて闇忘る (文挾夫佐恵)

 線香花火って、うまく火球を大きくすることができて、菊の花弁のような火花をチッ、チッと散らしている間はとても華やかなのに、とつぜん玉が落ちて闇になってしまう‥と同時に、「夏休みが終わっちゃうんだ」と、子どもごころに思ったものです。楽しくて、やがてさみしい散り菊の花‥ でした。


 白露の候になりました。東京は長月に入ってから蒸し暑い日がつづき、時折どんよりした曇り空から雨露が落ちてきます。
 
コメント (13)

二十六夜待

2006年08月17日 | うす匂い ‥水彩画
 
 秋今日立つ。芙蓉咲き、法師蝉鳴く、赫々として日熱するも
 秋思已(すで)に天地に入りぬ。

 (徳富蘆花著 『自然と人生』より)

 精霊送りをすぎ、蝉時雨に「オォシィツクツク‥」と法師蝉の声が混じるようになりました。草叢に耳をすませば、虫の音が聞こえてきませんか。甲子園球場から高校球児が去るころは、頭上はもう、ゆきあいの空です。

 みな月つごもりの日よめる
 夏と秋とゆきかふ空のかよひぢは かたへすずしき風の吹くらむ
 (『古今集』 大河内躬恒)


 日本画家で随筆も一流といわれた鏑木清方の『秋まだ浅き日の記』に、「いつの頃からか、私のすっかり忘れてしまっている年中行事に、秋の二十六夜待(にじゅうろくやまち)がある。 ‥それは、旧暦七月二十六日の夜半、月海上を離れる時、弥陀三尊の御来迎が拝めると言い伝えた(※-1)ので、市内の高い丘や、海沿いのところへ、あっちこっちから夜の更けるのを待ってうちむれては出かけたのであった」とあり、調べましたら、江戸時代に旧暦の正月と七月の二十六夜に月待ちの行事があったようです。江戸では、中秋の名月、後の月とともに、江戸三大月見のひとつに数えられていました。一月は寒いので、七月二十六夜の月待ちがさかんに行われ、当時江戸では高輪や品川の海岸に多くの人が出てちょっとした祭事の様相だったらしく、そのようすを描いた浮世絵ものこっています。

 中秋や十三夜とちがい、二十六夜は月の出が遅いため、本来は、一切衆生を救い、願いを聞き届けてくださるという有難い阿弥陀さまのご来迎を念仏を唱えながら待つ講だったものが、いつしか夕涼みを兼ねた遊興的な行事へと変遷したようです。天保の改革(1841~43年)で倹約・風俗粛正が断行され、この行事が規制されるまで、人々は茶屋や船上で歌舞音曲とともに飲み食いをしながら月の出を待ち、夏の一夜をにぎやかにすごしました。中秋や十三夜のしずかなお月見とは、まったく趣の異なるものだったのですね。「月よりだんご」の二十六夜、といえましょうか。

 今年は旧暦の閏月が七月にあるため、旧暦七月二十六夜は新暦八月十九日と九月十八日の二日(※-2)あります。こんな年は(江戸時代にあったかどうか分かりませんけれども)、きっと陽気でおめでたい江戸の人たちのこと、よろこび勇んで「飲めや唄え」と二度の月待ちへ繰り出したことでしょう。


 月にえ(柄)をさしたらばよき団(うちわ)かな (山崎宗鑑)

 ふだん使いの秋草のうちわですが、涼月(旧暦七月の異称)のお月見にふさわしいと思い、描きました。寝苦しい夜を、お気に入りのうちわを手に晩酌(わたしは下戸なのでおだんごをいただきます)をしながら、二十六夜月を居待ちするのも一興かも。

 ふけにけるわが世の秋ぞあはれなる かたぶく月はまたも出でなん
 (『千載集』 藤原清輔朝臣)

 ちなみに、今年の中秋は十月六日、後の月は十一月三日です。


 青田をわたる風にさそわれて、女郎花や萩の花が咲きそめています。


※-1
二十六夜月は下弦の三日月ですが、当時は空も澄んでいて、地球照という現象により欠けている部分もうっすらと見えたようです。人々は、その欠けた部分に浮かび上がる、いわゆる月うさぎの形を阿弥陀三尊(阿弥陀仏、観音菩薩、勢至菩薩)に見立てて信心しました。

※-2
2006年8月19日の月の出は午前 0:10、同9月18日は午前 1:04 です。(「こよみのページ」より)

 
コメント (17)

雨過天青

2006年08月05日 | うす匂い ‥水彩画
 
 梅雨明け後の東京地方は、朝晩はまだ涼しくしのぎやすい日がつづいています。昨日、桜の木蔭を歩いていましたら、どの樹の幹にも樹液がたっぷりとついているのを見て驚きました。この琥珀色に光る液をもとめてたくさんの蝉が集まってくるのでしょうか。わたしは不思議に気持ちになって木下闇に立ち止まり、しばらく蝉時雨につつまれていました。空は、雲ひとつない快晴。

 こんな日は、清々しい空色のお茶碗で冷茶をいただきます。銘は「雨過天青(うかてんせい)」。雨上がりのみずみずしい空の色、です。
 粉青茶碗で、土見(つちみ。茶碗の高台まわりなど釉薬がかかっていない素地土の露出しているところのこと)はまるで雪解けの景色を見るようにやわらかな印象です。もともと向付(むこうづけ)として作られたものだそうで、高台(茶碗の足の部分)は低くなっています。素地は非常にうすく作られており、口造り(くちつくり。うつわの口の部分)や土見、高台まわりは、こころして扱わないと欠けてしまいそうです。


 茶碗の由来です。
 京都におすすめの町家づくりの宿があります。「さろんはらぐち 天青庵(てんせいあん)」(※)。ほんとうは誰にも教えたくない隠れ家のような宿です。こちらのご主人は、日本に数人しかいない中国・南宋時代(1127~1279年)の官窯青磁(かんようせいじ)を作る陶芸家です。官窯とは、中国の宮廷で用いる陶磁器を製造した政府の陶窯のこと。とくに南宋の時代に、すぐれた青磁の作品がたくさん作られたそうです。
 ご主人から、官窯青磁は「雨過天青(うかてんせい)」の色とうかがいました。あるとき、南宋の皇帝が「雨上がりの空の色を」と陶工たちに作らせたのが始まりだそうです。大陸の国らしく、構想が壮大ですね。
 随筆集『雨過天青』の著者・陳舜臣(ちん しゅんしん、1924年~。作家)は、青という色を「青年とか青春とか、生命力に満ちたものに用いられる。わたしたちがさまざまな青を愛し、青磁の色に自分たちの理想を託そうとするのは、生命を愛するからにちがいない」と書いています。(紀伊國屋書店BookWebより)


 わたしは梅雨明けが近くなるとこの茶碗を取り出して、夏空の輝きを待ちどおしく思いながら一服のお茶を味わい、虫の音が聞かれるころまで楽しみます。唐物の茶碗を、こうしてふだん使いにするのは贅沢なことかもしれません。

 「天青庵」のご主人と奥さまにはお世話になりました。毎朝いただく奥さまの手料理が美味しいのです。みなさまも少人数で京都にお出かけの際は、ぜひご利用くださいね。


※ 「さろんはらぐち 天青庵
  東山のふもと、祇園円山公園のいちばん奥にあります。知恩院大鐘楼のすぐそば。

 
コメント (9)

夏鮎

2006年06月30日 | うす匂い ‥水彩画
 
 雨とモーツァルトをききながら、ぼんやり窓の外をながめていましたら、いつのまにか一年の半分がすぎていました。この半年の間、わたしは何をしていたかしら。みなさまは、いかがですか。

 陰暦六月晦日は夏越の祓(なごしのはらえ)です。
 この日、京都では氷室の氷を象った三角形の「水無月」という外郎製のお菓子を食すそうですが、わが家は先日のおやつに「夏鮎」をいただきました。どらやきのようなうすい皮に求肥(ぎゅうひ)をはさんだ夏の和菓子です。お店によってすこしずつ意匠がちがうようですが、基本は上の絵のかたちで、中は餡でなくやはり求肥ですね。頭から食べるのはちょっとかわいそう。でも、淡い甘みと求肥のもちもち感がたまりません ^^


 ふるさとの川に鮎が遡上します。「清流の貴婦人」の異名をもつ鮎。50~70cmのジャンプ力でちいさな堰を飛び越えて、秒速1~1.5メートルの速さで川上をめざします。産卵の時期を迎えて落ち鮎、錆鮎(さびあゆ)となるまで、天敵(わたしたち人間?)に捕えられてしまう危険をいくどもすりぬけながら‥

 松浦川(まつらがわ)川の瀬早み くれなゐの裳の裾濡れて鮎か釣るらむ
 (『万葉集』 作者不詳)
 松浦川の流れは早くて、娘たちは紅の裾を濡らしながら鮎を釣っているだろうか

 紅の裾が濡れることもかまわず釣りをする娘たちの健康な笑顔と姿が、銀色に光る背を見せて早瀬を遡上してゆく香魚の勢いのよさと重なります。水面をわたる風が涼しそう。夏越の禊(なごしのみそぎ)にふさわしい季節の歌でしょうか。


 鮎は、夏の膳の楽しみのひとつでもあります。京都の料理屋さんで、天然の鮎の、カリッと焼き上がった塩焼きを頭からそのままいただいたことがありますが、ほんとうにおいしかった。忘れられない夏の味です。

 鮎季(あゆどき)の山の重なる京都かな (長谷川 櫂)

 まもなく本格的な夏を迎えます。鮎もよいけれど、鱧(はも)も食べたい‥
 
コメント (17)