雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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梅林の珍客

2009年02月25日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 足早に花の季節をすぎつつある梅林に、珍客がいっぱいです。


 雨上がりの空のもと、メジロとヒヨドリのご一行様が、そばに寄るわたしをすこしも恐れることなく、せっせと蜜を吸い、それ名残りの雪とばかりに白花を散らしております。

 ある風のつめたい日の昼下がりには、ふくらスズメのご一行様がぴーちくぱーちく、さかんにおしゃべりをしながら花を散らしておりました。

 さらに前‥それは、ちょうど春立つ日の宵のこと。
 午後8時半ごろでしたか、帰宅途中の主人から「梅林にネコがあつまってる」と電話があり、駆けつけてみましたら、のらネコのご一行様がお花見の宴もたけなわ、中にはほろ酔い気分で(?)高いところまでのぼってしまったネコさまも数匹いるではありませんか。(こんなことは初めてだったので、主人もわたしもビックリ。せっかくの機会とおもい、ごあいさつしてしばらくお相伴させていただきました)

 
 春霞のごとく白花をいっぱいにつけ、あまやかな香にみちていた梅林も、いまでは日替わりにおとずれる珍客のせいで見るかげもありません。こうしてふたたび冬枯れの風情に返りつつある梅林ですけれども、珍客のざわめきに身もこころも春めき、あたたかな気もちになるこのごろです ^^



体操なら、ウルトラC級かな ^^

 

菜の花のペペロンチーノ

2009年02月19日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 光の春をむかえ、近所の畑の菜の花が咲きそろいました。「花よりだんご」のわが家は、さっそく菜の花を買いもとめ、まずは春色パスタに‥ 菜の花のペペロンチーノがおいしくできました ^^

 この時季ならではの苦みをかみしめて、春のおとずれを実感。のこりは菜の花ごはんにしていただきました。パスタなら、カルボナーラに菜の花を添えてもよさそうですね♪ 卵色を花に見立てた菜の花のカルボナーラ、ぜひトライしてみようとおもいます。


 メジロやひよどりが梅の花を散らし、猫の恋をさそう春宵に星がかがやきます。沈丁花や桜のつぼみが順調にふくらみ、早すぎる春のおとずれに少々とまどうこのごろです。


 花粉症の方はお大事になさってください。
 

禅とは何か

2009年02月13日 | 本の森
 
 高橋伴明監督の映画「禅」を見て、水上勉の『禅とは何か -それは達磨から始まった-』(新潮選書 ※)を読んでいたら、腑に落ちたことがありました。鎌倉の動乱期、栄西や道元が命がけで海を渡り入宋してこの国に将来した禅は、広く武家や庶民の間に伝播して、今日まで永々と伝えられているけれども、そうはいっても「禅は一代のもの」であるのだから、いまどんなにもとめても、道元の禅、あるいは道元の正師である天童如浄、さらにさかのぼって達磨の禅‥というものは、どこを探してもない、ということ。曹洞宗の禅、道元の禅‥というものは存在しないのです。

 誤解のないように付け加えれば、たしかに道元の禅(それは「只管打坐(しかんたざ)」、つまりは悟りであり、お釈迦さま以来の正伝の仏法だった)はありました。すくなくとも、道元が生きている間は。もしかすると、道元から直接嗣法した二世・懐奘(えじょう)の時代までは、あったかもしれない。が、それ以降、道元の禅なるものは跡形もなく消えました。

 なのに、何故禅を信頼するかといえば、ふとした折に真実が見えたりつながったり、一瞬呼吸が止まるほどの美に出合ったときの、言葉に表せない恍惚感が実際にあり、しかもそれらはみな次の瞬間にはおぼろげになり、消えて失くなってしまうものであるということを体験から知っていて、もともと不立文字、教外別伝という禅そのものが、そのような直覚の世界に全幅の信頼を寄せているらしいと、これまた直感するからです。


 ‥という具合に、はなはだ抽象的なお話なのですが、つづけます。
 不思議なことに、このことをお茶にあてはめてみると、氷解することがすくなくないのです。これまで、京都・大徳寺の山門前に立つたび「利休の茶とは、いったい何か」とおもっていたところ、利休の茶もまた一代かぎりであり、「利休の茶なんてものは、ない」と得心すれば、自由になれる。利休の茶をもとめるような茶、まして茶道具を所有し衒う茶など茶ではない。これはつまり、健康や名声、悟りなどを目的とした坐禅は五味禅であり、本来の禅(一味禅)ではない、ということとつながります。坐禅そのものが悟りなのだから、お茶でいえばその形こそ悟りととらえるべきでしょうか。坐禅もお茶も、無となってはじめて、直覚の世界に入るのでしょう。茶禅一味といいますが、このことは禅と茶にかぎったことでなく、行いのすべてにあてはまりそうです。


 道元は「眼横鼻直(がんのうびちょく)」を学び、無手で帰朝しました。本来無一物なのだから、何ものかに固執したり、何かをもとめてする行いは、すべて五味禅に落ちることを、何よりもまず最初に身をもって示したのでしょう。


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 すこし前に、小川洋子さんの『博士の愛した数式』という本が話題になり映画化されましたね。つい先日も、テレビで再放映されましたけれども、この物語の底流に禅を感じた人がいたらうれしいな、とおもいます。


さくら書房 で 『禅とは何か -それは達磨から始まった-』 を紹介しています。
 

福ハ内

2009年02月03日 | 筆すさび ‥俳画
 
 今年の俳画のお稽古初めの画題は「節分」。赤鬼と青鬼のお面、それにお福さんの復習です。鬼の面はこの季節ならではの題材ですが、お福さんはお年賀から一年をとおして使える絵です。

 いかつい鬼の顔は、にらみをきかせた大きな眼がいのち。濃墨で力強く描きます。お面の輪郭やへの字の口は、ゆがんでもそれがかえって面白いので、お福さんより気軽に筆を使える絵です。ふたつの鬼の顔色を金と銀にすると、さらにおめでたい気分になります。

 賛は「福ハ内」のみ。「鬼ハ外!」は鬼の渋面にあずけて省略‥ と解釈するよりも、山を下り、里に春を告げる鬼神さまへの敬意を表した絵とみるほうが自然のような気がします。


おりがみの三方に節分豆を入れて


 明日は立春ですね ^^