雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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年暮る

2005年12月22日 | 季節を感じて ‥一期一会
 雪の舞った翌日は一陽来復。やや北風の強い冬至の日、京都の雪景色を見るため山種美術館を訪れました。「年暮る(としくるる)」─東山魁夷画伯の連作「京洛四季」の最後に描かれた作品です。数年前に初めて落款の入った完成品を見て以来、毎年この時期にこの絵を見に出かけます。

 大晦日の夜の、町家の瓦屋根が身を寄せ合うようにひしめく京の町に降る雪、格子窓からもれる灯影。一年を息災にすごせた安堵感が漂い、家族のだんらんや夜更かしをしてにぎやかに戯れる子どもたちの笑い声が、除夜の鐘の音とともに雪につつまれて消えてゆきます。やさしい、人のぬくもりを感じる絵です。
 画伯の著書『京洛四季』(新潮文庫、絶版)の挿絵から、かなり大きな作品であろうと想像していたのに、初めて実物を見たとき、両の手を広げるより小さな作品だったので驚いたことを覚えています。どこまでも拡がってゆくこの枯寂の空間を見つめていると、必ず思い出すもう一枚の絵があります。与謝蕪村の「夜色楼台図(やしょくろうたいず)」。そうして、わたしはふたつの絵の雪に浄化されてゆく空気の中に、ゆったりと身も心もゆだねるのです。

 へだてゆく世々の面影かきくらし 雪とふりぬる年の暮かな
 (『新古今集』 皇太后宮大夫俊成女)

 比叡颪(ひえいおろし)に縮みこむほど底冷えの厳しい都の冬を思います。叡山は雪をいただいているでしょうか。

 京の家の瓦屋根の上に、しんしんと雪は降り積もる。
 おごそかな響きが鳴り渡り、長く尾をひく余韻を、
 夜の闇が深く吸い込んで、やがて静まりかえる。
 そしてまた鐘の響き‥
 人それぞれの想いを籠めて、年が逝き、年が明ける。
 (『京洛四季』より「年暮る」 東山魁夷)


 そろそろこの一年ともお別れです。春夏秋冬、こころに去来した美しいものはすべて消え去りました。まっさらな気持ちで新玉の年を迎えたいと思います。

 雪月花をよめる
 花と舞う雪の切れ間に月を愛で 時の流れを愛おしむらむ
 haru_machiさん @言ノ葉ツムギ。

 かへし
 吟友と花月に酔ひしひととせは 夢と知るまに雪と消えぬる

 haru_machiさん、すてきなうたを有難うございました。
 みなさま、どうぞお元気で、よいお年をお迎えくださいね。また新年にお会いしましょう。

 平成十七年歳暮 ご厚情に感謝しつつ
 雪月花
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「なにも見えねば大和と思え」 やまとうた一千年(二)

2005年12月17日 | 本の森
 仲秋のころから『日本の名随筆』(全200巻、作品社)をすこしずつ読んでいます。いま開いているのは『短歌』(別巻30)で、執筆者は斎藤茂吉、柳田國男、寺山修司、馬場あき子、大岡信、正岡子規、北原白秋、三島幸夫‥ というそうそうたる顔ぶれ。それぞれの短歌に寄する思いは十人十色なのですが、読むうちに、ある共通項に気づきました。それは、明瞭に“見えない何か”への憧れや郷愁のようなもの。まるで三方を翠巒に囲まれた山里に、にわかに霧がたちこめ、故郷の家々や田畑や人の営みがしだいに見えなくなってゆくさまを眺めているようなもの─それがやまとうたの世界であり、大和国なのだということでした。

 それを、北原白秋が『桐の花とカステラ』で詩的に表現しています。

 古い小さい緑玉(エメロウド)は水晶の函に入れて刺激の鋭い洋酒や
 ハシツシユの罎のうしろにそつと秘蔵して置くべきものだ。
 古い一絃琴は仏蘭西わたりのピアノの傍の薄青い陰影のなかにたてかけて、
 おほかたは静かに眺め入るべきものである。
 私は短歌をそんな風に考へてゐる。
 さうして真に愛してゐる。

 古い小さい緑玉、古い一絃琴。異国の輝きをよそに、和歌はひそやかに嘆息するのです。


 山ごもれるうるはしの大和は、孤独を好むように、風雪が花をもみぢを消し、雲が月を隠し、雨露や霧、霞や靄がたちこめて哀調を帯びます。いつもしめじめとして、ぼんやりとかすんでいたり見えなかったりする─日本の風土とはそんなものではないでしょうか。だから、写実主義を説いた子規の門人の長塚節もまた、師の短歌に「色は、匂いは、そしてそのうえに留まるじぶんの心象は、ということの全体の<見えるもの>と<見えないもの>が織りなす構成を追いもとめざるを得なかった」(『長塚 節』 吉本隆明)のだし、定家は「見渡せば花も紅葉もなかりけり‥」に冬枯れの美を見出したのでしょう。

 冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ
 (『古今集』 清原深養父)

 見えない現実を前にして、詩人は多くのものを見ようとする。霞や雲や風のむこうの豊かさをうたう。


 金子兜太の『自然の歌』に、こんな歌が紹介されています。

 春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和と思え
 (前川佐美雄)

 これは文字どおり大和に住み大和を慈しんだ歌人のものだけれど、やまとうたを詠じていると思えてなりません。春霞がたちこめる。やがて何も見えなくなる。そこに、うたの姿、こころが宿っていると。

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【お知らせ】 「日本の四季 雪月花」展 @山種美術館
東京の山種美術館にて、「日本の四季 雪月花」展が開催されています。「雪月花」を画題とした日本画の展示です。ぜひみなさまもご覧になってくださいね。
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『風雅の虎の巻』 やまとうた一千年

2005年12月09日 | 本の森
 やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづの言の葉とぞなれりける。
 ‥生きとし生けるもの、いづれかうたをよまざりける。力をもいれずして
 天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれとおもはせ、
 男女のなかをもやはらげ、猛(たけ)き武士(ものゝふ)のこころをも
 なぐさむるは、うたなり。

 紀貫之の『古今集』序文から1100年、『新古今集』成立より800年目を数える今年は、美しい四季に恵まれた風土と繊細な感性が生んだ和歌(やまとうた)の世界に浸った一年でもありました。そこで、今回は名訳ベストセラー『枕草子 桃尻語訳』で知られる橋本治さんの『風雅の虎の巻』(ちくま文庫)をご紹介します。
 本書は和歌に親しい方はもちろん、「日本の美とか文化って、つまり何なの?」という疑問をお持ちの方にもおすすめ。橋本先生が明解に、そして愉快に♪解説してくれる、“分かる人には分かっちゃう”日本文化論です。

 それでは、先生のお言葉を拝借しながら「風雅 ─日本文化とは何か」をご一緒に考えてまいりましょう。(その前に、これまでお茶やお花をきちんと学ばれてきた方へ。先生はしばしば逆説的な?もの言いをされるので、くれぐれも誤解のなきようお願いします)


(以下、「 」内は本書より抜粋、太字は雪月花です)
【お茶とお花】
 「“茶の道”っていうのは、“遊ぶと実生活の調和をはかる”ってやつだからつまんない。‥侘茶の享受者がみんな金持ちだったから、一番貧乏から遠い人間にとって一番貴重な鄙びた茶室にお金をかけ」たんです。それに、「生花は‥全体の調和というものがよく分からない人だけが“特殊な意味”を発見してしまう“お花”と称される“格式”」です。

【美しいもの】
 「めんどうくさいことをすべて取り去ってしまって『あぁ美しい‥』の一言ですませてしまう簡単が“美”」なんだけど、「“面白さが分からない”レベルにいる人が、すべてのものを“つまんないもの”に変えてしまう」。『新古今集』の撰者、藤原定家なんか、「分からないやつには分からせてやんないっ」て、ふてくされながら歌を詠んでたんだよ。

【やまとうた ─日本文化の低荷なるもの】
 まぁ、「『日本文化の中心にあるのは和歌である』なんてことは、どうせ誰かが言っていることですが、実際正しくその通り。‥王朝の貴族達は、和歌を詠むことによって何を表したのかといったら、二つです。『きれいだなぁ』と『つらいなぁ』の、この二つです。それ以外はないと言っても過言ではありません。‥“文化的なソサエティ”(貴族たちのサロン)では‥あんまり剥き出しに、自分の喜怒哀楽(感情)を表明してはいけない─下品であるっていうことになっている。だもんだから、感情というものは全部景色に仮託されるんです。世界広しといえども、折にふれて和歌を詠んで、その後はなにかっていうと俳句を詠んで、自分の周りにある“風景”というものを人間感情でどこもかしこもビショビショにしちゃった文化は他にあるまいってもんですが、日本文化っていうのは、自分の中には自分がなくて、自分を探したかったら周りの風景にさわれっていう、初めからアイデンティティなんてものを無視している文化なんですね。言ってみれば、自分という“肉体”はなくて、“自分”を知りたかったら、感じたかったら、自分にふさわしい“衣装”をまとえという、そういう文化です。‥要するにその、“衣装”の文化が“風雅”なんですね。‥自分の感情との類縁関係ばっかりを探しているのも“風雅”ではありますから」。


 なるほど、自我を追及しない土壌に哲学は育たないワケですね。
 さて、先生のお話をうかがって、つい笑っちゃった方、そして野の花や夜空の月を見ては絵に写したり、和歌や俳句を詠んだり、詩そして日々のつれづれなんかを綴っているあなた! あなたはやっぱり日本人。 ‥で、そろそろ先生、結論を。

【風雅とは】
 「風雅というのは、白紙のような、見えない豊かさ」です。「人間というのは不思議なもので、いつの間にか『何をどうやっても楽しい、遊んでいられる』という境地はやって来てしまう訳で、それが“悟り”という修行のゴール」なのです。

 風雅は余白の美にもつながるのですね。橋本先生、本日は有難うございました。 ‥みなさま、風雅を“自覚”されましたでしょうか?


雪月花のWeb書店でも紹介しています

※ 日本の美しいもの(文化、伝統芸能なども含む)、季節感、歴史に関連のあるもので、みなさまのおすすめの本をご紹介ください。いつでも受け付けます。
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玉梓

2005年12月02日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 拝啓 落葉ふりつもる師走の候、いかがおすごしでしょうか。

 いつも何かとお心にかけてくださり有難うございます。この秋は比叡山から近江路の紅葉を愛でられたとか。夏の終わり‥ 送り火の消えた朝、わたしも同じ山路をたどり、霊峰にしずもる根本中堂の荘厳、美しい坂本の石積み、満々と水をたたえた琵琶湖のほとりを、緑蔭をもとめつつ歩きました。あれから二年の歳月が流れ、時はたがえども、思いがけなく同じ旅路の邂逅にいることを不思議に思い、感慨深い気持ちでございます。

 もみぢ葉の散りゆくなべに 玉梓(たまづさ)の使ひを見れば逢いし日思ほゆ
 (『万葉集』 柿本人麻呂)


 夏祭の鉦の音も、荒ぶる神を呼ぶ音頭方の扇の一閃もすでに遠く、季節は流れ、知らぬまに古都の水際にも秋が深まっていたのですね。水鏡の影は、御山の深秋のありのままの美しさなのでしょう。龍田姫のお渡りになられた跡を、氷雪が覆い、ふたたび桜樹が枝をのべ水面に花の色を落とすまで閉じこめておくことができたなら、どんなにすてきでしょう。

 そのかみの姿とどめよ龍田川 みなものこほり風のとくまで

 
 こちらは鎌倉あたりが見頃を迎えたようです。雪のふりしきる吉野山に分け入り奥州をめざした孤独なひとと、鎌倉殿を前にそのひとを恋い慕いつつ幽艶に舞い納めた白拍子の面影を、古都の紅葉に追ってみたいと思います。

 向寒のみぎり、お風邪など召されませぬようご自愛くださいませ。略儀ながら、書中をもちまして御礼を申し上げます。

 かしこ


※ 玉梓(たまづさ)‥手紙、書簡のことです。
  写真は、長年お世話になっていますサイトの作者さまからいただきました。深謝。
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