雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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風の姿で‥ ~山折哲雄先生のお話から~

2016年03月25日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 横浜能楽堂にて「生と死のドラマ」というテーマの狂言「野老(ところ)」と能「芭蕉」を鑑賞しました。公演前に宗教学者の山折哲雄先生から、日本古来の死生観についての興味深いお話がありました。

 記紀万葉の時代、人は死ぬと風葬され、のちに肉体から魂が遊離して風とともに遠くへ運ばれてゆき、ときにその魂は何ものかに憑いて(憑依して)物狂いとなり、現世に再現する‥と考えられていたそうです。室町期に能を大成した世阿弥にとって、この物狂いが重要なテーマであったことは周知のとおりで、風(笛の音)とともに、こころを残して死んだもの(シテ)が生きた人の姿を借りて(憑いて)旅の僧(ワキ)の前に現れ、哀しい物語りをしつつ狂おしく舞い、やがて僧の読経などによって成仏し消えてゆくという、いわゆる能のステレオタイプ(夢幻能)が完成しました。このことは、いまを生きるわたしたち日本人の死生観につながっているのですが、山折先生は「そこにはいつでも、風が吹いている」と言います。

 古くからわたしたち日本人は、目に見えない何ものかを風に感じてきました。たとえば平安期の歌人・藤原敏行の「秋来ぬと目には さやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」(『古今集』)、宮澤賢治の『風の又三郎』、最近では「千の風になって」(♪わたしののお墓の前で泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を吹きわたっています‥)、さらには、桜吹雪、葉擦れの音、風になびくすすきの姿に、もの思いする‥と、枚挙にいとまがありません。わたしたちは、風に“何か”を感じずにはいられないのです。

 20世紀初頭にヨーロッパのユングやフロイトが考えたように、世阿弥は物狂いのシテ(=クライアント)と旅の僧(=カウンセラー)という関係を、すでに600年も前に考え深めていたこと。そして最古の体系的な能の理論書『風姿花伝』を編んだこと‥それはまさに、「風の姿で、能の真髄である花を伝える」ためだったこと。山折先生のお言葉が、わたしのこころに重く深く沈みました。


 でも、たとえ風が吹かなくても‥

 さまざまなこと思い出す桜かな(芭蕉)
 なにごとの おはしますかは知らねども 恭(かたじけ)なさに 涙こぼるる(西行)

赤地花樹飛鳥文臈纈染布

2015年03月13日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
東大寺所蔵の天平裂を、京都の染色家・吉岡幸雄氏が復元した臈纈(ろうけち)染布です。第218世東大寺別当・森本公誠氏が、晋山の折に関係者にのみ頒布したと思われるもので、花卉と飛鳥、枝垂れ花葉のおおらかな意匠と、まろやかな草木染めの色に魅かれます。
 → 赤地花樹飛鳥文臈纈染

蝋防染による臈纈は、その技法のむつかしさから平安期には廃れてしまった染色法のひとつ。この布はだから、奈良時代の染色技術の高さを物語っています。

ご縁あって入手したのが3月12日、奇しくも東大寺お水取りの日でした。はるか天平のむかしにおもいを馳せます。

 

人間国宝の競演

2013年05月13日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 喜多流能シテ方人間国宝・友枝昭世氏と、大蔵流狂言師人間国宝・山本東次郎氏による能楽の舞台を鑑賞する機会に恵まれました。演目は狂言「木六駄」、能「羽衣」。山本氏の情感あふれる太郎冠者、友枝氏の中空を漂うかのごとくかろがろとした天女の美しい舞に、極上の週末を満喫。この日の解説者には歌人であり能楽にも造詣の深い馬場あき子氏、舞台後は三氏によるフリートークというほんとうに有難い企画で、演者の素顔に触れることができたこともしあわせでした。馬場氏のナビにより明らかにされた、型の連続の中に太郎冠者のこころの移ろいを表現することのむつかしさや、羽衣の色に白でなく紫を選んだことの真意等々、人間国宝おふたりのご苦労や工夫がとても勉強になりました。

小島悳次郎の型染めの世界

2013年05月07日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 五月初旬にシルクラブにて催された「小島悳次郎(こじまとくじろう)の型染めの世界」展へ出かけました。心待ちにしていた展観だったし、小島氏のご次男夫妻の親切な案内にも恵まれて、わたしも友人らも興奮気味に半日をすごしました。小島悳次郎の型染め、と聞いてすぐに思い出すのは、清野恵里子さんの『きもの熱』で和久傳の若女将、桑村祐子さんが結城縮のお単衣に合わせていた藍地の帯「唐草鳥獣紋」。さまざまな動物や植物が色彩ゆたかに並び、まるで音楽を奏でるような楽しいモチーフは、洋楽をこよなく愛した小島氏ならではの作品ですが、清野さん所蔵のその帯も、樋口可南子さん所蔵のどんぐりの帯も、久しぶりのお里帰りをよろこんでいるかのように、たくさんの愛おしい遺品たちの中に溶けこんでいました。

2011年11月30日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 染色家・吉岡幸雄先生(「染司よしおか」五代目ご当主)による日本の色についてのお話会に参加するため、紫野和久傳丸の内店へうかがいました。

 テーマは「藍」。吉岡先生が収集された、日本のみならず世界中のたいへん貴重な藍染めの布や紙などを拝見しました。


 ジャパン・ブルーとも呼ばれる藍は、日本ならではの色と思われがちですが、紀元前ものむかしから世界各地で藍染めが行われており、それぞれの風土に適した藍の研究がなされてきました。

 わたしも、先日「世界の絣」展でナイジェリア(アフリカ)の木綿の紺絣を目にしたとき、それが日本のものに酷似していて驚きました。絹が中国を出発点にシルクロードを経て世界へ流通したように、もしかするとかつて「藍ロード」なるものが存在し、どこかの国を拠点に世界各地へ普及していったのかしらとそのときは考えましたが、先生の研究によれば、どうやら藍染めは自然発生的らしいです。

 また、藍には高貴な藍と庶民の藍というふたつの系統があるという先生のご主張も興味深く、たとえば「辻が花」や「茶屋辻」といった将軍家にのみゆるされた美しく清んだ藍と、麻や木綿の紺絣の、濃くしっかりと染められた庶民の藍という、この日本に見られるふたつの藍の流れが、どの国にもみられるそうです。

 「紺地銀泥経」(東大寺二月堂焼経。奈良期)、「紺地金泥経」(神護寺経。平安期)、茶屋辻の帷子(徳川家大奥のご婦人の夏衣。江戸元禄期)といった国宝級の残欠などをじっさいに手にふれ拝見しながら、数千年ものあいだ世界中の人々を魅了してきた「藍」という色の不思議と底知れない魅力に、ますますひきこまれたひとときでした。


 このお話会への参加者は当選者のみの10名で、和久傳さんのお土産付きという、なんともぜいたくな丸の内イベントでした。藍を意識した和装で参加しました ^^


和久傳さんのお持たせ


 12月20~25日に日本橋高島屋にて「王朝のかさね色 吉岡幸雄の仕事展」が開催されます。期間中毎日、吉岡先生の解説があります。
 

京舞と一管の夕べ

2011年09月02日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 京都に魅せられ通いはじめたころのこと、春らんまんの祇園で「都をどり」を堪能しました。日本一の花街の華やかさ、艶やかさはいまも脳裡に焼きついていて、日本の春こそここに極まれりと感嘆したものです。

 あれから十数年。先週、国立劇場にて「京のみやび 京舞と一管の調べ」を鑑賞しました。井上八千代さん(京舞井上流五世お家元)と、藤舎名生さん(藤舎流笛方)による京舞と笛の競演は、かつての印象を引きずったままのわたしには意外なほどすっきりとした演出。舞台よりも、たくさんのきれいどころの埋めた一階観客席のほうが華やかに見えたくらいですが、地方と芸妓さんたちの、黒衣の裾にひと群れの秋草を白く染めたそろいの衣裳から涼風の立つのを感じながら、超一流の舞と笛に酔う晩夏の夕べを友人とともにすごしました。


 お能との関係も深い舞は、まさに型の美。驚くのは、動きが大きくなっても、おきものから手首や足首がのぞくことはないし、上前も跳ねないこと。演者と同化し、ただその形の美しさに酔えばよい‥とお能の美を説いた白洲正子さんのお言葉がよくよく実感されました。

 ごく細いひと筋の線が、ぶれない直線と優美な曲線を描き、時にそれがふと切れたとおもうと、絶妙の間をおいてふたたび線を描いてゆく‥ 芸の神髄でしょうか。舞台にひらいた時の花に、藤舎さんの笛がそっと都の山紫水明を添えていました。


 毎年東京都の主催する「伝統WA感動」で、数々の伝統芸能が披露されるのですが、どんなに東京が「東京から伝統の発信を」と息巻いたところで、千年の都にはとうていかなわないと、認識をあらたにした夜でした。
 

お能 夢とうつつのあわい

2011年08月23日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 能楽にとりこになりつつあります。これまでにぽつぽつ読んできた能楽関連の本をあらためて読み返しつつ、能楽堂へ出かけています。


 「熊野」「隅田川」「杜若」「小督」「鉄輪」につづき、先日ははじめて薪能へ。演目は夏の夜にふさわしい五番目物「紅葉狩」です。

 急ごしらえの舞台を秋たけなわの戸隠山と自らに言い聞かす間もなく、橋掛を世にも美しい上臈が次々に現れると、舞台は一瞬にして満目の紅葉山です。

 上臈たちの宴もたけなわ、そこを過ぎようとする平維茂の袂にすがる女の、なんと艶やかなこと。やがて序破急の舞とともに、あたりはすさまじい紅の嵐となって悪鬼が正体を現じ、神託と護身の太刀を得た維茂と対峙したまさにそのとき、遠雷がゴゴゴ‥と鳴り渡ったのは偶然ともおもえません。岩壁にとりすがる鬼をひきずり下ろし、その背に情け容赦なく太刀をふり下ろす維茂。「あっ」とおもった瞬間、紅葉錦秋も悪鬼も跡形なく消え失せていました。


 夜空へ拡散するお囃子の響き、通奏低音のごとく間のびする地謡が何よりの演出である薪能。遠雷が鳴り響き夜風が頬をなでる野外では、堂内で観る印象とまるでちがいます。

 舞いおさめた後、突如おとずれる寂。と同時に味わうむなしさ。いったい夢だったのか現実か。自分だけがとり残され、夢うつつの“あわい”に無理矢理つき落とされるこの感覚! それが忘れられなくて、今後も能楽堂へ通うことでしょう。
 

クレーの実験室

2011年06月15日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 東京国立近代美術館にて開催中の「パウル・クレー展」へ出かけました。

 自由でやわらかな線描、つい触れたくなるカンバスの質感、まるで和色の見本帖のような色彩‥ いつもながら引きこまれます。さらに今回の展観は、絵を回転させたり、写したり、切って・分けて・貼ったり‥という、さまざまな試みから作品が生まれるまでの過程を追う興味深い構成で、会場はさながらクレーの実験室のよう。画家自身の風貌も、芸術家というより科学者みたい。クレーの意外な一面を見るようです。

 クレーとの出会いは、ちょっと変わっています。
 ある図録に、梶川芳友氏(何必館・京都現代美術館館長)が茶室の床にクレーの「舵手」を飾り、魯山人の織部の籠花入を取り合わせているの見たとき、クレーと魯山人が響き合い、なまなましい土の質感が伝わってくるのをとても不思議におもいました。以来、パウル・クレーから目が離せません。(このことは、以前このブログに書きました

 いっしょに鑑賞したのは、昨年の紬塾で知り合った友人ふたり。そのせいか、アースカラーを基調とした作品の多くが着尺や帯地に見えてしまうという楽しさも。三人の紬のきものと帯もしっくりと場になじみ、眼福のひとときでした。


 ちなみに、上の絵はクレーの作品ではありません。クレーの作品に影響を受けた日本の銅版画家・駒井哲郎氏(1920-1950)の「Nature Morte(静物)」です。「え。クレーじゃないの‥」という方。ふふふ、だまされましたね ^^
 

雪岱の雪

2010年02月11日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 この冬はじめての積雪を踏み分けつつ、ある画家の雪絵を見に出かけた。画家の名は小村雪岱(こむらせったい、1887~1940年)。資生堂化粧品のデザイン、書籍の装幀や挿絵(とくに泉鏡花の本の装幀を多く手がけた)、歌舞伎の舞台美術等々、53歳の若さで亡くなるまで多方面で才能を発揮した人物である。昨年末に訪れた金沢で、泉鏡花記念館が休館中だったため見逃した雪岱の装幀画が、画家の出身地の美術館で一挙公開されていると知り、こころ躍るきもちで雪の中を出かけていった。


 浮世絵系の絵ではあるけれど、同時代に活躍し親交もあった鏑木清方と同じく独自の絵の世界を展開した。かんたんに言えば、浮世絵から余計や無駄をすべて取り払ったら、表情どころか人そのものが画面から消え、余韻だけが残った‥という絵だ。《青柳》《落葉》《雪の朝》など、雪岱を代表する絵のいくつかでも知っている者なら誰しもそうおもうだろうし、画中に人物が存在しても、その表情はけしてゆたかとは言えず、むしろ無表情にちかい。いわゆるその引き目鉤鼻と、俗世を俯瞰する構図、また、紙面の三分の二ほどを大胆に占める空や海や川のかぎりなく深く静謐な藍は印象的で、見る者をまるで彼岸へと誘うかのようである。

 中でも、鏡花『愛染集』の装幀と見返しに描かれた江戸の雪景色は秀逸で、どこかで似た絵を見た気がしたら、蕪村の《夜色楼台図》と東山魁夷の《年暮る》であった。ただし、雪岱の雪はふたりのものとはちがう種類の雪だ。京都と江戸という単純なちがいではない。うまく言えないけれど、たとえば蕪村と東山の雪が三好達治の「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」なら、雪岱のは道元の「‥冬雪さえて、すずしかりけり。」で、何か禅的な雪なのである。人のぬくもりのある前者の雪絵に対し、後者はきびしく、そこに非情ともいうべき美を感じるのはなぜだろう。雪岱は、悟っていたのだろうか。あるいは、雪そのものを描いたのが雪岱だといえるだろうか。


 おだやかな性格が災いして仕事は増える一方、しかし引き受けた仕事は完璧にこなし多忙を極めた売れっ子画家は、興福寺の阿修羅像を理想とし、いずれ好きな仏画を描いてしずかに暮らしたいと願っていたそうだが、果たせなかった。


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 「小村雪岱とその時代」展は、埼玉県立近代美術館にて2月14日まで。もっと早くここでご紹介したかったのだけど、遅くなってしまいました。展示会を見逃してしまいそうな方は、『芸術新潮』二月号の特集「小村雪岱を知っていますか?」をぜひご覧ください。
 

貝紫幻想

2010年02月01日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 米沢の「野々花染工房」五代目・諏訪好風氏のお話をうかがう機会にめぐまれた。「貝紫」と墨書きされた桐箱にたいせつにしまわれていたのは、生成色の紬地に鮮やかな紫でペルシャ紋様を描いた帯地。その色は、黄金に匹敵するほど貴重なものだったことから「帝王紫」ともよばれ、かつてカエサルやクレオパトラが愛した、にごりのない、透明感あふれる紫である。染織家は、この幻の色を染めるため貝から抽出した染料を数十年ものあいだ寝かせておく。貝紫は紫外線を吸収し酸化することにより発色するため、時を経るほどよい色に染まるのである。さらに、いちど染めると退色しないという性質をもち、三千年以上も生きつづけるという。

 諏訪氏は、貝紫の神秘に魅せられた男女の物語を描いた芝木好子の『貝紫幻想』(絶版、男性のモデルは京都「染司 よしおか」の四代目)を読んだのだろうか。お太鼓部にならんだふたつの紫のペルシャ紋は、ふたりの人間を抽象化したようにも見え、その周囲は藍で染めたちいさなダイヤ紋が散りばめられていた。海の色と、ちいさな巻き貝の抱く色が、諏訪氏の織布の上でみごとに出合い、溶け合っていた。一瞬、地中海の海辺をさまよっているような錯覚を覚えたのも、不思議でないかもしれない。


 時空を超越したものに出合うとき、日々いたずらに時を費やしていることを思わずにいられない。