雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
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椿物語 ふたたび

2009年03月31日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 
 先週末、例の「花ごろも」の小紋で主人と世田谷美術館を訪ね、特別展「~みちのくの浄土~ 平泉」を鑑賞しました。「さくら祭」当日の砧公園でしたが、肝心の桜はちらほら咲きで、美術館への道中、北風にあおられほろほろと落ちるやぶ椿の紅がわたしには気にかかるのでした。


 平安後期、平泉浄土を荘厳した名宝の数々は、黄金色に輝き、京の都や鎌倉殿から遠く離れた辺境の地とはとうてい思われない豪華さと、それを支えた確かな技術にただ関心しながら眺めていましたところ、ふと背後からご婦人に「すてきなお召しもの‥」と声をかけていただきました。ふり返りますと、声の主は藤色のスーツ姿に手入れのゆきとどいた白髪の美しい老婦人です。目が合うと「おきもの‥ すてきね」とふたたび褒めてくださいました。

 着姿に自信がなく、やっとのおもいで「有難うございます」と申し上げたのですが、しきりにお話をされたいごようすなので、「あの‥」と問いかけると同時にご婦人のほうから、自分は(椿と桜の花道家で、三年前の三月に亡くなられた)安達瞳子さんの古い友人で、わたしのきものの好みや背丈がちょうど「瞳子さんに似ていらしたものですから。ずっと気になって後を追っていましたの」とおっしゃるのでした。


 「瞳子さんが、瞳子さんが、ここへいらしたんだわ、とおもいましたの」とご婦人。もちろん、わたし自身はあの美しい花道家になどすこしも似ていません。ですが、三年前の三月、「椿物語」と題して安達瞳子氏への追悼文を綴ったことは忘れるべくもなく、折しも椿の花の季節の、この唐突な出会いはけして偶然ではない、いとしい椿と、安達先生のお導きにちがいない‥という熱い思いがこみ上げてきたのでした。でも、館内で大きな声は立てられません。なんとかして、その興奮と感激をご婦人に伝えたいというわたしのきもちは、空まわりするばかりでした。

 ご婦人は安達先生と二十歳のころからのおつきあいで、しばしば(当時「椿の家」と呼ばれていた)安達家に遊びにゆかれ、「お庭は椿でいっぱい。お二階へ通されてね、瞳子さんの生け花を見るのが楽しみでした。彼女はね、できるだけ切らない生け花をしましたのよ。どうしても切らねばならない枝には、『ごめんなさいね』と謝って切るの。三十のとき、家を飛び出してからは吉野の桜をすべて見てまわってね。彼女は、あの桜をそのまま生け花に表現したかったのね‥」と、お話は尽きそうにありませんでした。もしあのとき、係員の女性が「ほかのお客さまがいらっしゃるので‥」と、彼女を制することがなかったなら‥。


 きものにも、相当の思い入れがおありでした。幼いころから和裁を習い、草履で歩くことが不自由になるお年まで和装でいらしたとか。係員の目を避けながら「きものをつくるたくさんの人たちに感謝してね。どうぞどうぞ、四季折々のおきものを存分に楽しんでください」と、念を押すように二度おっしゃり、その後するりとわたしから離れてゆかれたのでした。

 名残惜しく、姿を追いましたものの、どういうわけか、もうお目にかかることはありませんでした。‥‥‥


 きものをゆたかに楽しむ秘訣は、きものに物語をつくること。

 そう教えていただいたのは、つい最近のこと。

 「瞳子さんの、椿の花のきものは忘れません」

 わたしの花ごろもも、桜でなく椿です‥と、伝えたいきもちでいっぱいです。
 

花ごろも

2009年03月27日 | きもの日和
 
 呉服商に勤めていた友人の案内で足を踏み入れたきものの世界。そこで出合ったのは小紋でした。

 お茶のお稽古を始めたばかりのころで、きものの基本すら知らなかったわたしにとって、決め手は色と柄。手からこぼれる落ちる質感の、退紅(あらぞめ)に桃をかけたような色目の縮緬地にところどころ宝尽くしの柄がごく淡く浮かぶのをながめながら、京言葉で「はんなり」というのはこういうものかしらと勝手な思いこみをして、初めて誂えたきものです。


 じつは長い間封印してきたきもので、この春ほんとうに久しぶりに畳紙を開いて風をとおし、できるだけ袖をとおしています。

 「花の色はうつりにけりないたづらに‥」の歌のごとく、きものが眠っている間にすっかりわたしは色あせて(泣)しまったのに、衣桁にかけたとたんにすぅーっと皺が消え、しどけなく、やがてふっくらとつやを増すきものに、嫉妬どころか畏敬の念さえ覚えてしまうのです。


 でも、最近ちまたはシックな色柄のきものであふれていますのに、この年齢で全身にこの色をまとい街を歩くのは勇気の要るものです。白、紅、桃、桜、黄、山吹、土色‥ あらゆる春の色を凝縮し「宝尽くし」という名の蝶を舞わせた色柄のきものに、少々とまどうけれど、桜花のうつろうまでせいいっぱい春風をとおしてやりましょう。青葉の季節を迎えたら、悉皆屋さんにたのんで色をかけてもらうつもりです。


 いまのわたしの気分なら、どんな色かな。 ‥と、精々悩むのも、楽しいきもの時間です。
 

酒まんじゅう

2009年03月18日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 お彼岸の入りから、春をとおりこして初夏の陽気です。墓参のため、主人の里へ帰省します。

 お供え 兼 お土産に、手づくりの酒まんじゅうを。ふっくらと蒸し上がり、見た目は上々です。ただ、下戸のわが家にはお酒がなく、料理酒を代用したのが失敗かも。酒粕は上等な大吟醸ですのに、あまり香がたちません‥ 冷めたら箱詰めして持参します ^^


 いま、友人の勤める会社で仕事をしています。仕事といいましても、短期の(はずの?)ささやかなお手伝いにすぎないのですが、百年に一度というこの不況のさなかにお仕事をいただけるなんて、有難いこと‥とおもいつつ、久しぶりに都心に通う日々をおくっています。時間に追われながらも、電車の中の読書(途中からおねむ‥)、都会に春を見つけること、友人とのランチ、(友人のいない日に)自分のためにつくるお弁当も、楽しみになっています。

 ブログが手つかずになっていますが、ペースを落としてつづけます。留守の間に訪れてくださったみなさま、有難うございます。


 お彼岸が明けたら、各地から桜のたよりが届きそうですね。
 

雪のお節句

2009年03月04日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 三日の東京は、雪の節句となりました。

 しんしんと雪ふる桃の節句の夜、酒粕を砂糖水でクツクツ煮て、甘酒に。白いうつわに注ぎ、紅梅の花弁を浮かべました。お雛さまは相変わらず実家に置いたままだけど、主人とおこたでぬくもりながら甘酒とともにひなあられをほおばり、ほっこりしました ^^


 酒粕は、「田淵俊夫展」で墨染めの桜を友人と鑑賞した後、お昼膳をいただいたお店から「お土産にどうぞ」といただいたもの。まだ余りがあるので、酒まんじゅうをつくるつもりです。


 友人からプレゼントされた両口屋是清製の「二人静」は、やわらかな和三盆の甘みがお口にひろがります。これも、桃の節句にふさわしいお菓子ですね。