雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

『風の盆恋歌』

2005年08月28日 | 本の森
 晩夏を迎えると高橋治さんの『風の盆恋歌』(新潮社文庫)が読みたくなります。(わたしはまだ聴いたことがないけれど)石川さゆりさんの歌でもよく知られていますね。

 坂の町、雪流しの水の音につつまれた越中八尾(やつお、富山県八尾町)で、毎年、九月一日から三日間行われ、越中おわら節と艶やかな音色の胡弓と踊りに誰もが酔う「おわら風の盆」。往時を留めた古い町並みを駆け抜ける二百十日の荒ぶる風を鎮め、五穀豊穣を願い、男も女も叙情豊かに唄い舞う─。すべてのことは夢幻のうちにすぎゆくような三日間、えり子はいまにも儚く消えようとするうつつを抱きしめるように、風の盆の八尾で待つ都築の胸の中ですごします。これまで耐えてきた三十年という歳月を、その三日間で埋めようとするかのように、ふたりは求めあい、愛しあう。けれども、朝のうちに白く咲き、昼下りから酔い始めたように色づいて、夕暮れには紅に染まって散る酔芙蓉の花が、ふたりのゆく末を暗示します。

 夕されば 酔いて散り行く 芙蓉花に わが行末を 重ねてぞ見る

この世のものとも思えない美しい祭りの中、ふたりは生き、命を燃やしました。「おわらを愛したお二人のためにどうか踊って上げて下さい。みなさん、今夜は命を燃やすお祭りでございます」‥ 一度は見てみたい祭のひとつです。


雪月花のWeb書店でも紹介しています
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月の女神に守られて

2005年08月20日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 今宵はまぁるいお月さま。単衣の生絹(ひとえのすずし)をふわりと纏い、ほんのり艶めいています。降りそそぐ月光のもと、何かに優しく抱かれているような安らかな気持ちを不思議に思います。あなたの街の空にも見えますか。

 日中は蝉時雨のかまびすしい厳しい残暑だったのに、宵の口には虫の音がまさり、いつのまにか夜空の月の輝きが増しています。夜はすっかり秋の風情です。
 いつだったか、わたしと同じ初夏生まれの友人が教えてくれました。「わたしたち蟹座生まれは月の女神が守護神だから‥」。そんな素敵なことを教えてくれた友人に感謝しています。
 
 ‥そうそう、今年の十五夜は九月十八日、十三夜は十月十五日です。
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挽歌 ~十六夜焦がす五山送り火

2005年08月16日 | 京都 ‥こころのふるさと
 夏は河原の夕涼み 白い襟あしぼんぼりに
 かくす涙の口紅も 燃えて身をやく大文字
 祇園恋しや だらりの帯よ
 (「祇園小唄」より)

 灯かげ涼しき加茂川に 祇園ばやしも遠のいて
 月にささやくふたりの胸を こがす想いの大文字
 (「京小唄」より)


 山とも空とも見分けのつかない闇に燃え上がる「大」の字が、十六夜の月をも焦がす京の夏の夜‥、二〇〇二年八月十六日夜、五山送り火は漆黒の闇に沈む千年の都を照らし続けました。

 午後8時10分、「妙」「法」点火─ 山々に浮かび上がった達筆の二文字は、みるみる勢いを増して山ごと迫ってくるように見え、ことさら暑かった夏に思いを馳せます。
 5分後、「舟形」「左大文字」の点火─ 冥土への道を迷うことのないよう、不滅の灯明のごとく精霊たちの帰路を照らします。つづいて「鳥居形」点火─ 中世以降、虚空をただよう数知れない死者の霊と生者の祈りがひとつになります。
 送り火とともに京都の夏の暑さは和らいでゆくそうです。精霊を送る灯に、わたしたちの祖先への畏敬の念を想起せずにはいられません。死者とともにすごし、一夜の送り火のもと心安らかに冥府へと帰っていただく。五感の夏にふさわしい都の盂蘭盆会です。

 すこしずつ火勢を弱め消えゆく灯に、誰もがひと夏の終わりを感じたことでしょう。‥ふり返ると、東の空には十六夜の美しい宵月がかかり、山を下るわたしたちの足もとをわずかに照らしていました。


※ 写真は京都の Kさん からいただきました。有難うございました。
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をみなへし (女郎花)

2005年08月14日 | 季節を感じて ‥一期一会
 通りかかったお宅のお庭に女郎花の花が風にゆれているのを見つけました。秋は確実に夏の気の中にひそんでいるのですね。

 朱雀院のをみなへしあはせにてよみてたてまつりける
 をみなへし 秋の野風にうちなびき こころひとつを だれによすらん
 (『古今和歌集』 秋の歌より)

 そよ風になびいてその姿(心)をいったい誰に傾けているのでしょう。「をみな」は若く美しい女性にたとえられて、平安期には花を和歌に詠みこんで美の優劣を競う歌合(うたあわせ)が行われたそうです。それを「女郎花合(をみなへしあはせ)」といいました。なんとも優雅なお話ですね。

 秋の野に なまめきたてるをみなへし あなかしがまし 花もひととき
 (同 雑躰より)

 どんなに競い合っても、その美しさはいつかうつろうものであるのに‥

 清んだ秋空に映える明るい花なのに、そのつつましい姿にはどこかさびしげな風情がただよいます。
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千古の花

2005年08月14日 | 季節を感じて ‥一期一会
 近くの水田に大賀ハスが咲くというのでさっそく会いにゆきました。昭和二十六年三月三〇日、千葉県検見川遺跡の泥炭層から古代ハスの実が3個、大賀一郎博士によって発掘されました。二千年以上もの間地下に眠っていたハスの実は、同年五月、3個のうちの1個が発芽し、翌年七月十八日に淡紅色の美しい花を咲かせました。その後世界各地に移植され、命の神秘を今に伝えています。大賀博士のことば‥
 「千古を通じてあやまりなき世界最古の生命の発露である」。

 二千年もの間眠っていた種子は、偶然大賀氏の発見によって目覚め、たった四日間の花の姿を記憶に留めて散ってゆきます。朝まだき薄明の中で、かたく閉じられていたつぼみがわずかに開き、午後にはまた閉じてしまう一日目。早暁に香るような萌黄色の花芯をのぞかせてぽっと開花し、夕刻にはまたつぼみにかえる二日目。三日目は、そよ風にも崩れそうなほど開き切り、つぼみにもどる余力もなく、そのまま夜をすごす。そして、四日目の午後、花弁はひとひらずつ散ってゆく‥。

 「精根尽きた蓮が花弁を傾けて夕陽を浴びている様子を見ていると、そのまま人の一生もこの四期に尽きるのではないかと思われる。幼年、青年、壮年、老年と花の開閉は人の生涯を連想させずにはおかない」。(志村ふくみ 著 『語りかける花』 -二千年と四日の命- より)

※ 開花時期: 7月下旬~8月上旬 早朝

なつやすみ

2005年08月07日 | たまゆら ‥日々是好日(随筆)
 連れが一週間あまり海外出張に出かけていたので、このところメダカの世話はわたしがしていた。三、四日に一度は水を取替えてやるが、水槽の内側に藻がついてしまっていて、見た目に涼しいとは言い難い。メダカたちは毎日何を考えて生きているのだろう? それでも、わたしが水槽のそばに寄ると「餌がもらえるんだ」と思うらしく、いっせいに水面近くにきて口をパクパクさせたり、指を伸ばすと磁石にすいよせられるように全員(いや全魚か)顔を近づけたりするから、なかなかかわいい。餌を与えるとピチピチと音をさせながら、ちょっとケンカしながら、一日二回の餌の時間を惜しんで一生懸命に食べている。そんな姿を見ていると、「無心」という言葉が頭に浮かんでくる。でも愛想といえばそのくらいなもので、あとは水槽の中を勝手気ままに泳いでいる。

 夏の終わりに避暑旅行をする予定なので、この夏休みのイベントといったら、かねてから訪れてみたかった箱根の美術館へ出かけたことくらいだけれど、箱根の山に蝉の声は聞かれなかった。紫陽花の返り花とまろみのある箱根山の豊かな緑につつまれた美術館のアプローチには、数羽のうぐいすの透明な鳴き声だけが細く遠くへこだましていた。空にはわたあめのような雲がふわふわと西の方角へ流れていた。 ‥‥

 夕涼みがてら戸口の外へ出たら、住まいのそばの草むらから「スィーッチョ、スィーッチョ」が聞こえてきた。そうだ、日曜日はもう立秋なのだ。とはいえ今宵も熱帯夜、エアコンのきいた部屋で、八ひきのメダカとすごした夏休みを惜しんでいる。
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あ~お で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 青嵐(あおあらし)
青々とした草木や、野原の上を吹き渡っていく風で、薫風よりもいくぶん強い風のこと。せいらん。夏の季語。

 青嵐 定まる時や 苗の色  服部嵐雪


● 青東風(あおこち)
初夏のころの 青葉を揺らして吹きわたる東風のこと。また、夏の土用の時期に、雲一つない青空を吹きわたる東風。


● 暁(あかつき)
夜が明ける直前のほの暗いころのこと。「明か時(あかとき)」が「あかつき」に変化したもの。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ」「曙(あけぼの、明けゆく空)」と表現していたそうです。


● 秋茜(あきあかね)
あかとんぼのこと。秋の季語。夏の間は山地ですごし、涼しくなると低地に舞い下りてきます。


● 秋の七草(あきのななくさ/秋草)

 萩の花 尾花 葛花(くずばな) 撫子(なでしこ)の花
 女郎花(をみなへし) また 藤袴(ふぢばかま) 朝顔の花
 (山上憶良 『万葉集』巻八 より)

秋の野に咲く代表的な七種の草で、萩・尾花(= すすき)・葛・撫子・女郎花・藤袴・桔梗 のこと。『万葉集』では桔梗のかわりに 朝顔 を入れていますが、この朝顔も桔梗をさすと言われています。ただ、『枕草子』(清少納言 著)では、萩、すすき、撫子、女郎花、桔梗、朝顔は風情があってよい(第六十七段)、 と書かれてあり、朝顔と桔梗は区別されていたようです。


● 曙(あけぼの)
ほのぼのと夜が明けはじめるころ。百人一首の「朝ぼらけ 宇治の川霧たえだえに あらはれわたる 瀬々の網代木」(権中納言定頼)の「朝ぼらけ」より時間的に少し前をさします。夜明け。「春は曙。やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。‥」(清少納言『枕草子』冒頭)はもちろんご存知ですね。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁(あかつき、夜明け前のほの暗いとき)」「東雲(しののめ、東の空がわずかに明るんでくるころ)」「曙」と表現していたそうです。


● 紫陽花(あじさい)
ユキノシタ科の落葉低木。「あじさゐ」は“藍色の花が集まる花”を意味する「集真藍(あづさあゐ)」が転じた言葉だそうです。色が変わってゆくので別名「七変化(しちへんげ)」あるいは「八仙花(はっせんか)」で、花言葉は「移り気」。花色は土壌の酸性度が高いと青色に、低いと桃色になります。「紫陽花」は中国の詩人、白楽天が名づけ親だそうです。「四葩(よひら)」は額紫陽花の古名です。

 夏もなほ心は尽きぬ あじさゐのよひらの露に 月もすみけり  藤原俊成


● 天の川(あまのがわ)
(中国の伝説に、牽牛星と織女星とがこの河を渡って、七月七日に出逢うという)銀河の異称。秋の季語。天の川は地球上から見る銀河系の宇宙の姿。初秋の八月頃に最も明るく見えます。数億以上の微光の恒星から成り、天球の大円に沿って淡く帯状に見える。


● 暑さ寒さも彼岸まで
春秋のお彼岸を境に寒さや暑さが衰えて、すごしやすい気候になってゆくことをいいます。


● 霰(あられ)
雪の結晶に過冷却状態の水滴が付着して凍り、白色不透明の氷の小塊になって地上に降るもの。冬の季語。古くは雹(ひょう)をも含めていう。雪あられ。氷あられ。


● 有明の月(ありあけのつき)
旧暦の十六日以降の、夜が明けてもなお空に残っている月のことをいい、四季を通じてもっともあわれ深い風情の象徴とされました。王朝時代には、後朝(きぬぎぬ)の有明の月の下での別れを惜しむ恋の歌や、哀しみ、あきらめ、来ぬ人への恨みごとなどを込めた歌に数多く詠まれました。

 帰りつる 名残の空をながむれば なぐさめがたき有明の月
 (『千載集』 恋の歌より)

 帰るさの ものとや人のながむらん 待つ夜ながらの有明の月
 (『新古今集』 恋の歌より 藤原定家)


● 沫雪(あわゆき/淡雪)
泡のように解けやすい雪。「淡雪」は春に降るやわらかで消えやすい雪のことで春の季語。『北越雪譜』(鈴木牧之 編)にこんな一節があります。

「春の雪は消えやすきをもって沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪の消えやすきを詩歌の作意とす、是暖国の事なり、寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし。いかんとなれば冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥のごとし」


● 十六夜(いざよい)
旧暦八月十六日の夜、またはその夜の月のこと。この日の月は十五夜より50分遅れて出るため、いざよう(ためらう)月、という意味でこの名が冠せられ、万葉のころからこの名で呼ばれていたようです。十六夜‥と聞くと、必ず思い出すのは藤原道長の望月の歌です。

 この世をば わが世とぞ思ふもち月の 欠けたることもなしと思へば

栄華を極めた藤原氏の最高権力者、道長の人生の頂点を詠ったこの歌は、実は十六夜に詠まれたものだったと、何かの書で読みました。諸行無常、盛者必衰の理かな。すでに月は欠け始めていたのかと、のちに道長は気づいたでしょうか。


● 銀杏黄葉(いちょうもみじ)
秋が深まり、銀杏の葉が深黄色に変化したようすをいいます。秋の季語。
銀杏は中国の原産で、鎌倉時代に日本に渡り、あちこちの寺社の境内に植えられました。黄葉も美しく 丈夫な樹なので、現代では街路樹として多く用いられています。この葉が散り始める頃は、銀杏(ぎんなん)の強い匂いがします。


● 一陽来復(いちようらいふく)
陰暦十一月、または冬至のこと。陰がきわまって陽がふたたび生じ始める日のことで、この日を過ぎると昼の日照時間が長くなってゆきます。冬が去り春(新年)が来ること、あるいは 悪いことばかりあったのがようやく回復して良い方に向いてくる意味にも使われます。


● 雨過天青(うかてんせい)
雨あがりの青空のような澄みきった青、中国の五代後周の皇帝が玉にならって造らせたという秘色釉(ひそくゆう)、あるいは 青磁の名品に添えられる言葉。一字違いの雨過天晴は、「雨過ぎて天晴る」と読み、好ましくない事態が好い方向に向かうことをいいます。


● 雨月(うげつ)
陰暦八月十五日の仲秋の名月が、雨にたたられて見えないこと。姿は見えなくとも、時折雲の切れ間から月の光がもれて明るんだり、雨の合間にほの明るくなる様子にすら情趣を感じていた古人のこころが偲ばれます。


● 打ち水(うちみず)
ほこりを鎮めたり暑さをやわらげたりするため、道や庭先などに水をまくこと。また、その水。夏の季語。


● 梅暦(うめごよみ)
梅の花のこと。または、野山で梅の花の咲くのを見て春の訪れを知ること。ばいれき、とも読みます。


● 盂蘭盆(うらぼん)
祖霊を死後の苦しみの世界から救済するための仏事で、陰暦七月十三日~十五日を中心に行われ、種々の供物を祖先の霊、新仏、無縁仏(餓鬼仏)に供えて冥福を祈ります。一般には墓参、霊祭(たままつり)を行い、僧侶が棚経(たなきょう)にまわります。地方により新暦七月、八月など日が異なります。お盆、うらんぼん、盂蘭盆会(うらぼんえ)、精霊会(しょうりょうえ)とも。秋の季語。


● 送り火(おくりび)
盂蘭盆(うらぼん)の最終日に、祖先の精霊(しょうりょう)を送るためにたく火のこと。秋の季語。⇔ 迎え火  毎年八月十六日に行われる京都の夏の風物詩五山送り火は、町を抱く山々に浮かび上がる「大」「妙法」「鳥居形」「舟形」左の「大」の五つの火が宵闇を照らし出して、ふたたび冥土へ還る精霊を見送ります。また、同じく京都の花背や広河原などで行われる松上げという行事は、松明の火を頭上高く投げ上げて霊を見送る風習ですが、これは五山送り火の原形といわれています。


● おぼろ月夜(おぼろづきよ)
春の夜などの、ほのかにかすんだ月の出た夜のこと。「おぼろづくよ」とも。朧月夜。春の季語。霞(かすみ)は春の季語ですが、これは昼間に用いられる言葉で、同じ現象でも夜になると朧(おぼろ)といいます。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

か~こ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 鏡開き(かがみびらき)
正月十一日に、鏡餅を下げてお雑煮やお汁粉に入れて食す行事です。近世、武家では、正月に男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を正月二○日(のち十一日)に割って食べたことに始まります。おめでたい新年の行事ですから、餅を「切る」でなく「開く」と表現されました。鏡割りともいいます。新年の季語。または、祝事に酒樽のふたを割って開くこと。鏡抜き。


● 風花(かざはな)
晴天にちらつく雪。風上(かざかみ)の降雪地から脊梁山脈を越えた空っ風に乗って、きらきら光りながら舞い降りてくる雪をいいます。群馬県では吹越(ふっこし)とも呼ぶそうです。または初冬の風が立って雪または雨のちらちらと降ること。


● 襲の色目(かさねのいろめ)
衣の襲色合。女房の表着(うわぎ)・五衣(いつつぎぬ)・単(ひとえ)などのかさなった色合。または直衣(のうし)・狩衣・下襲(したがさね)などの表裏の地色の配合。紅梅・桜・桔梗など、季節によって着用する色がある程度決まっていました。もっとも一般的なのは、袷の衣類での表地と裏地との配色で、合色目ともいいます。同系色の濃淡で構成する「匂(におい)」、下二領を白にする「薄様(うすよう)」、同系の色合いを混ぜて用いる「村濃(むらご)」などがあって、多様性と同時に統一性に配慮しています。代表的な襲の色目を下にいくつかご紹介します。ただし、組合せはこれに限らず幾通りもあって、思い思いの襲の色目を楽しんでいたそうです。

春-紅梅 ‥表 紅梅/裏 蘇芳
桜  ‥表 白/裏 紅花 または 葡萄
夏-橘  ‥表 濃朽葉/裏 黄
撫子 ‥表 紅梅/裏 青
秋-桔梗 ‥表 二藍/裏 濃青
萩  ‥表 蘇芳/裏 青
紅葉 ‥表 黄/裏 蘇芳
冬-雪の下 ‥表 白/裏 紅梅
松  ‥表 青/裏 紫


● 霞(かすみ)
春の季語。秋の季節のものは秋霞(あきがすみ)。


● 門松(かどまつ)
新年に、歳神を迎える依代(よりしろ)として家々の門口に立てて飾る松。松飾り。飾り松。立て松。新年の季語。

 門松は冥土(めいど)の旅の一里塚

門松を立てるごとに年を重ねるから、門松は死に近づくしるしであるということ。一休の狂歌「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」による。


● 冠雪(かむりゆき)
草木や花、電信柱などのてっぺんに、冠(かんむり)をかぶせたように積もる雪のことです。綿帽子ともいわれます。綿雪または綿帽子雪といえば、大きな粒のぼたゆきのことをいいます。


● 空梅雨(からつゆ)
ほとんど雨の降らない梅雨。照り梅雨。夏の季語。


● 蚊遣火(かやりび)
蚊を払うために焚く火。夏の季語。


● 寒椿(かんつばき)
冬の間に早咲きをする椿を、歳時記で「寒椿」と定義づけるそうです。冬椿、冬咲椿、早咲の椿 とも。ところが、山茶花の寒椿系の品種の獅子頭(ししがしら)は、別名 寒椿 と呼ばれます。 ‥ ややこしいですね (^ ^;


● 寒梅(かんばい)
早咲きの梅の中でも寒中に咲く梅のこと。また、古歌には「年のうちの梅」とか「年のこなたの梅」と詠まれており、これも寒梅です。寒紅梅(かんこうばい) は梅の一品種で、寒中に咲く八重の梅をいいます。冬至のころに白い花をつける 冬至梅(とうじばい) という梅もあるそうです。


● 神無月(かんなづき)
陰暦10月の呼称「かんなづき」は、もともと 神の月、神をまつる月 という意味だったそうです。神のまします山や森、神社の森を 神名備(神南備 かんなび) または みもろ と言います。この月、八百万(やおよろず)の神々 は人間の様々な願い事を叶えるという通常の仕事?から離れて出雲へ旅に出ます。出雲大社に参集して来年の人間たちの縁結びの相談をすると言われています。神様が国元を離れている間の留守居役が 留守神 です。

『徒然草』にこんな一節があります。
「十月を神無月といひて、‥‥当月、諸社の祭なき故にこの名あるか。この月、万の神達大神宮(=伊勢神宮のこと)へあつまり給ふなどいふ説あれども、その本説(=根拠)なし。‥」 (第二〇二段)

‥ということは、吉田兼好が『徒然草』を書いていた頃は、出雲大社でなく伊勢神宮が参集場所だったのですね。しかも、伊勢神宮は八百万の主神である 天照大神(あまてらすおおみかみ) がまつられているところですから、こちらの説のほうがもっともらしいですね。


● 観梅(かんばい)
梅の花を観賞すること。梅見(うめみ)。春の季語。これに対し、冬枯れに春の兆しを探して野山へ早咲きの梅を見に出ることを 探梅(たんばい) といい、これは冬の季語です。節分までを探梅、立春以降は観梅、となります。また、これらの言葉の発想元である中国では、梅林や庭の梅を観賞することを「観梅」、野山の梅を訪ねることを「探梅」といって、季節の使い分けはなかったそうです。


● 菊日和(きくびより)
陰暦九月、現在の十月~十一月の、菊花の咲く頃に見られる秋晴れのよい天気の日のことをいいます。

 山辺(やまのべ)の 小道の野菊日和かな 長谷川 櫂

明るく穏やかな秋の日には、のんびりと、道端に野菊の花咲く野山や里を 歩いてみたくなる言葉です。


● 錦秋(錦繍/金秋 きんしゅう)
紅葉があやなす錦のように美しくなる秋のことをいいます。または、美しい詩文の字句、花などのたとえとして使われることもあります。古代中国に起源をもつ哲理「五行思想」の五行(万物組成の元素である木・火・土・金・水)のひとつである 金 を四季にあてると秋にあたるので 金秋 とも。


● 薫風(くんぷう/風薫る)
新緑の頃、そよそよと吹いてくる、爽やかな薫るような風のこと。夏の季語。
青葉や草木の香を吹きおくる初夏の風。青嵐(あおあらし)。薫る風。


● 黄落(こうらく)
銀杏や欅(けやき)の黄葉した葉が散ることをいいます。一般に、楓などの紅葉よりも明るく しかも一斉に散ります。七十二候の晩秋・霜降の二候に「草木黄落」とあるらしく、ここから生まれた季語だそうです。


● 五行思想(ごぎょうしそう)
(以下、吉岡幸雄 著 『日本の色辞典』 紫紅社刊 より抜粋)

これは中国における古代の人々の世界観であり、人間が生きていくなかでの、天地に対する畏敬、尊敬がこめられた、自然崇拝から生まれた説である。紀元前六世紀頃の春秋時代から、紀元前三世紀頃の戦国時代にかけて形成された古代思想である。
五行思想とは、木、火、土、金、水を地球上の基本的な構成の五元素とし、人間が自然界で生活していくうえで、つねにもっとも大切にしていかなければならないものとする。木は火を生み、火は燃えて土に還る。土のなかにはさまざまな金属が含まれ、そのなかをくぐって水が生まれ、その水が木を育てるという五行循環の思想である。それを基本として、方向、色彩、四季感、あるいは人体の大切な臓器などが、それぞれになぞらえて考えられてきたのである。古代のギリシャの自然哲学では、これが土、水、空気、火の四大元素説となる。 ‥(中略)‥ 
五行は、東西南北、それぞれの方位にもあてられたが、それぞれの地には神獣が棲むとされていた。東には、青、青陽ともいわれる春に相応する青龍、南には火や赤、朱夏ともいわれる夏に相応する朱雀、西には、白、素秋(そしゅう、素は白色の意)ともいわれる秋に相応する白虎、北には、黒、玄冬(玄は黒色の意、紫となることもある)ともいわれる冬に相応する玄武(蛇亀)が配されて、四神(しじん)と呼ばれた。 ‥(以下略)


● 心の秋(こころのあき)
秋を「飽き」にかけて、心に飽きがくること、心変わりすることをいいます。または、もの寂しく哀れを感じる心。

 しぐれつつもみづるよりも 言の葉の心の秋にあふぞわびしき
 (『古今集』恋歌 詠み人知らず)


● 小正月(こしょうがつ)
1月15日前後(14日から16日くらい)を 小正月 といい、昔から新しい年の豊作を願う様々な行事が行われています。この日は旧暦の満月の日にあたります。1873年(明治6年)に現在の暦に変わりましたが、それまでは月の満ち欠けによる暦(旧暦)が使われていました。農家では暦が変わってもこの旧暦を使い続けたそうで、それが小正月として残りました。


● 東風(こち)
東方から吹いて来る春を告げる風。ひがしかぜ。春風。こちかぜ。
『万葉集』には、萩を散らす秋の「朝東風(あさこち)」も詠まれていて、もともと季節に関わらない東からの風だったそうです。平安時代以降は、東と春が結びつく中国の五行説の影響もあり、春風として詠まれました。菅原道真の歌は、道真が太宰府へ配流される前に自邸の梅に詠みかけたもので、その主人の気持ちを感じた梅は、自ら筑紫に飛んだという言い伝えがあります。(飛梅伝説)


● 小春日和(こはるびより)
小春は陰暦10月の異称で、陽暦では11月から12月上旬にあたります。寒くなって、風が冷たく感じられるころ。ところがこの時期に、暖かで穏やかな、まるで春を思わせる陽気になることがあって、これを小春日和といいます。ドイツでは老婦人の夏、ロシアでは婦人の夏、イギリスではセントマーチンの夏、北アメリカや欧州ではインディアン・サマーと表現するそうです。小六月 とも。冬の季語。


● 衣替え/ 更衣(ころもがえ)
季節の変化に応じて衣服を着かえること。平安期以降、四月一日から袷(あわせ)を、寒ければ下に白小袖を用いました。五月五日から帷子(かたびら)、涼しい時は下衣を用い、八月十五日からは生絹(すずし)、九月九日から綿入、十月一日から練絹(ねりぎぬ)を着用。江戸時代になると、旧暦四月一日、十月一日をもって春夏の衣をかえる日としました。現在では、六月一日と十月一日に、それぞれ制服を夏物、冬物に替えるところが多くなっています。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

さ~そ で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● さざんか梅雨(さざんかつゆ)
秋から冬への変わり目に降る長雨のこと。晩秋の冷たい雨に濡れそぼって咲く山茶花の花の美しさも格別でしょう。


● 五月雨(さみだれ)
日本では、五月(旧暦)に降る雨、つまり、昔は梅雨、あるいは 卯の花腐たし を五月雨といいました。五月雨を降らせる雲は五月雲(さつきぐも)で、雲が重く垂れ込んで昼間でも暗い様子を五月闇(さつきやみ)といいます。また、五月雨に対して、梅雨の晴れ間を五月晴れとよびました。

 五月雨を集めて早し最上川  松尾芭蕉
 五月雨も中休みかよ今日は  小林一茶
 あふち咲く そともの木陰 露落ちて さみだれ晴るる 風わたるなり
 (『新古今集』 夏の歌より)


● 冴ゆ(さゆ/冴える)
古くは寒さに関係して用いられることが多かったことば。「冷え凍る」ことをいい、平安時代のある字書には「冴」「凍」「寒」にサユの訓が見られるそうです。サヤカと同根で、本来「冷え凍って澄んだ状態になる」ことを意味したらしいです。また、夏に月が澄んでいることを詠んだ「月冴えて」や、清水の音を詠んだものなど、凍らない「冴ゆ」が後になって登場し、近代では「色が冴える」と使われているものもあります。


● 早蕨(さわらび)
芽を出したばかりのワラビ。厳しい冬をくぐりぬけて、待望の春を迎える喜びを感じることばです。襲の色目では表は紫、裏は青。

 石走る 垂水の上のさわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも
 (『万葉集』 第八巻より)


● 三寒四温(さんかんしおん)
三日ほど寒い日が続いた後に四日ほどあたたかい日が続き、これを交互にくりかえす現象。冬の季語。中国東北区や朝鮮などで冬季に使われた言葉が伝わったものだそうです。

 春未だ三寒に次ぐ四温かな  松尾目池


● 残暑(ざんしょ)
立秋後の暑さ。秋になってなお残る暑さ。秋の季語。


● 時雨(しぐれ/北山しぐれ)
晩秋から初冬にかけての晴れていたかと思うと一瞬に曇ってサァーっと降り、傘をさす間もなく青空が戻ってくるような通り雨のことです。初時雨、片時雨、横時雨、朝時雨、夕時雨、小夜時雨など、様々な名が付けられています。また、「似物時雨」といって、虫時雨、蝉時雨、木の葉時雨などとも表現されて、昔から時雨は日本人が美しいと感じる言葉の上位に入る表現でした。「しぐれ」という音もきれいですね。袖の時雨といえば、涙のことをいうそうです。京都の北山しぐれは有名で、この季節現象を京の歌人達は好み、平安の時代から詠い続けてきました。

 神無月 時雨に逢へる もみぢ葉の 吹かば散りなむ 風のまにまに
 (『万葉集』 巻第八 より)

もみぢ葉は、時雨にせかされて枝を離れてゆきます。


● 東雲(しののめ)
夜明け、東の空がわずかに明るんでくるころのことです。古くは、夜半から夜の明けるまでのうつろいを、それぞれ「暁(あかつき、夜明け前のほの暗いとき)」「東雲」「曙(あけぼの、明けゆく空)」と表現していたそうです。


● 驟雨(しゅうう)
急に降り出し、間もなく止んでしまう雨で、時折青空ものぞきます。にわか雨とも。夏の夕立や雷雨、また 寒冷前線の通過によっても起こります。


● 秋涼(しゅうりょう)
秋、特に初秋の涼しさをいいます。秋涼し、初涼、新涼とも。 残暑が衰え待ちわびた秋がようやく訪れて、すがすがしい涼しさ、さわやかな風を感じさせます。秋の季語。また、秋の涼しい風、あるいは陰暦八月をさすこともあります。


● 秋霖(しゅうりん)
「霖」とは長く降りつづく雨のことで、和歌などで多くもの思いにふける意の「眺め(<ながあめ)」にかけて用いられてきました。三日以上降り続く雨をいうこともあります。

 あかねさす日に向かひても思ひいでよ 都は晴れぬながめすらむと
 (『枕草子』 第二百四十段「御乳母の大輔の命婦」 より)

 (そなたは日向の国で明るく幸福に暮らすであろうが、
  都では長雨で気も沈んで、もの思いにふけつつ
  暮らしていることだろうと、わたしのことを思い出してほしい)

秋霖は秋の長雨で、降雨量は梅雨よりも多いそうです。秋黴雨(あきついり)ともいいます。この時期に台風がやってくると大雨になって、被害をもたらすこともあります。春霖(しゅんりん)は春の長雨。霖霖(りんりん)と字を重ねると、雨が長く降り続いて止まないようす。


● 秋冷(しゅうれい)
秋のひややかな気候。秋冷え。秋の季語。


● 春光(しゅんこう)
春の景色。春景。春色。


● 春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)
春の景色がのどやかなようす。春風がのどかに吹くさま。転じて、性格や態度がのんびりしているさまをいいます。


● 小雪(しょうせつ)
二十四節気のひとつで、11月22日 または 23日。北国からは雪の便りが届き始めて、北風が強まり、市街でも霜を置くようになる季節です。「小とは寒さまだ深からずして、雪いまだ大ならざるなり」


● 初夏(しょか)
夏の初め。はつなつ。


● 初秋(しょしゅう)
秋のはじめ。はつあき。


● 除夜の鐘(じょやのかね)
除夜(おおみそかの夜)の夜半、正子(ね)の刻(十二時)に諸方の寺々で、百八つの煩悩を除去する意を寓して百八回つく鐘のこと。


● 深秋(しんしゅう)
秋も深まったころのこと。


● 新雪(しんせつ)
地面や古い積雪の上に、新しく降り積もったばかりの雪のことです。


● 新緑(しんりょく)
晩春や初夏の頃の若葉のみどり。夏の季語。


● 翠雨(すいう)
青葉に降りかかる雨。新緑の頃に降る雨は緑雨、麦の熟する頃に降る雨は麦雨。また、草木を潤す雨は甘雨、穀物の成長を助ける雨は瑞雨(ずいう)。


● 簾戸(すど)
竹で編み造った戸。簾を障子の枠中にはめこんだ戸。夏に通風をよくするために用いる。


● 歳暮(せいぼ)
年の暮れ。歳末。または 歳末の贈答品。お歳暮。冬の季語。『徒然草』では 新年の支度をすることを春のいそぎ(第十九段)といっています。

 年暮れて 我が世ふけゆく 風の音に 心のうちのすさまじきかな
 『紫式部日記』 より

 隔てゆく 世々のおもかげ かきくらし 雪とふりぬる 年の暮れかな  藤原俊成
 (『新古今和歌集』 冬の歌 より)


● 清浄明潔(せいじょうめいけつ)
二十四節季のひとつ「清明」はこの言葉の略語で、万物清明の意。清明は陽暦の四月五日ごろで、この時節になると野山の草花が咲き始め、鳥たちもにぎやかにさえずりだします。この日には、野に出て青い草を踏んで遊ぶ踏青(とうせい)の風習がありました。踏青は、素足でじかに春を感じる喜びにあふれた趣向です。


● 雪月花(せつげっか)
月雪花(げっせっか/つきゆきはな)とも。雪と月と花。四季折々のながめ。


● 節分(せつぶん)
季節の移り変わる時、すなわち立春・立夏・立秋・立冬の前日の称。特に立春の前日の称。この日の夕暮、柊(ひいらぎ)の枝に鰯(いわし)の頭を刺したものを戸口に立て、鬼打豆と称して炒った大豆をまきます。豆をまいた後、数えの年齢の数だけ豆を食べ、その年の無病息災を祈ります。また、まいた豆を足で踏むと、足にできものが出来るとも言われています。この季節に咲く 節文草(せつぶんそう) という花があって、これはキンポウゲ科の多年草で早春に咲き出すので、この名があります。山地の樹陰などに群落をなし、地中に球状の塊茎があり、高さ10~20cmくらい。二~三月頃になると白色五弁の小花を開きます。観賞用にも栽培できるそうです。


● 蝉時雨(せみしぐれ)
木の生い茂ったところなどで蝉が群がって鳴きたてるさまを、時雨の音にたとえていうことば。夏の季語。東京の蝉時雨はほとんどアブラゼミで、立秋をすぎると徐々に法師蝉の声が増えるようですが、京都では関西のせいか、アブラゼミよりもクマゼミの威勢が良かったです (^-^) みなさまのお住まいの地域ではいかがですか。


● 早春(そうしゅん)
春のはじめ。初春。浅春。


● 日照雨(そばえ)
日光がさしているのに降る雨のこと。狐の嫁入りがあると言われています。お天気雨のことを 狐の嫁入り ともいいます。早春の京都で日照雨でなく風花に出会いました。光の中、小雪がきらきら風に吹かれて舞うようすはほんとうに綺麗でした。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか

た~と で始まる ことば歳時記

2005年08月07日 | ことば歳時記
● 大寒(だいかん)
二十四節季の最後の節季で、立春前の十五日間、またはその初日のことで、一年中で最も寒さの厳しい時期です。意外に暖かな大寒の日々が続くこともあり、こんな諺(ことわざ)が生まれました。「小寒の氷大寒に解く」 ‥ものごとは必ずしも順序どおりにいかないたとえです。


● 七夕(たなばた)
五節句のひとつ。秋の季語。天の川の両岸にある牽牛星と織女星とが年に一度相会するという、七月七日夜、星を祭る年中行事。中国伝来の乞巧奠(きこうでん)の風習とわが国の神を待つ「たなばたつめ」の信仰とが習合したものらしい。奈良時代から行われ、江戸時代には民間にも広がった。庭前に供物をし、葉竹を立て、五色の短冊に歌や字を書いて飾りつけ、書道や裁縫の上達を祈る。七夕祭。銀河祭。星祭。
七夕の飾り竹を海や川に流すことを 七夕送り といいます。

 契りけむ心ぞつらき織女(たなばた)の 年に一度(ひとたび)逢ふは逢ふかは
 (『古今和歌集』 秋の歌より)


● 中秋(仲秋 ちゅうしゅう)の名月

 月ごとに 見る月なれどこの月の 今宵の月に似る月ぞなき  村上天皇
 月月に 月見る月は多けれど 月見る月は この月の月  大内の女房

旧暦八月十五日の夜の月のこと。秋(旧暦七、八、九月)の最中(もなか)に当たる八月を中秋といったそうです。別名 芋名月。古来観月の好時節とされ、詩歌を詠じ、民間では月見団子、芋、神酒などを供えて尾花(すすき)、秋草の花を盛ってこの月を祭りました。この十五夜に対して旧暦九月十三日の夜の月を 後の月(のちのつき) といいます。これは日本固有のものらしく、宮中では宇多天皇の御代から観月の宴が催されたといわれています。別名 女名月、豆名月、栗名月、閏月。十五夜の月を見て、後の月を見ないのを 片見月 といって忌むべきこととされていました。

「秋の月はかぎりなくめでたきものなり。いつとても月はかくこそあれとて、思ひわかざらむ人は、無下に心うかるべきことなり。」
「八月十五日、九月十三日は婁宿(ろうしゅく)なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。」
 (吉田兼好『徒然草』 第二百十二段 および 第二百三十九段)

お月さまのことなら、こちらが詳しいです。


● 月の客(つきのきゃく)
お月見や月の宴で人を招いたとき、主は月の主、客を月の客、あるいは月の友といいました。広く月を見る人のことをさすこともあります。

 岩端(いわはな)やここにもひとり月の客  向井去来

もともと岩上で月を見ている人を、去来が客観的に詠んだ句でしたが、師匠の松尾芭蕉は、「月を主とし、自分自身を月の客とするように」と教えたそうです。


● 梅雨(つゆ)
ちょうど梅の実が熟す時期に降る雨なので梅雨。(中国唐代の『歳華記麗』の梅雨の項より 「梅熟する時の雨」から)入梅は6月11日か12日。梅雨入りは 栗花落(ついり) とも言われて、この頃は栗の花が咲き散る頃でもあります。江戸時代あたりから梅雨は「ばいう」から「つゆ」と呼ばれるようになり、それ以前は歌語として「長雨(ながめ)」「五月雨(さみだれ)」を用いていたそうです。物が湿り腐る「潰ゆ(ついゆ)」、あるいは「露(つゆ)」からきているという説があります。


● 露(つゆ)
空気中の水蒸気が、冷えた草木に触れて水滴となったもの。秋の季語。0℃以下に冷えていると霜(しも)になります。露は儚く消えるものにたとえられ、露の命、露の身、露の夜と、和歌や詩、俳句に好んで用いられます。別名 月の雫(しずく)。

 身にかへて いざさは秋を惜しみみむ さらでももろき 露の命を
 (『新古今集』 秋の歌より)


● 梅雨雲(つゆぐも)
梅雨時のうっとうしい雲。五月雲。


● 梅雨の中休み
梅雨の合間に、一時的に晴れた日が続くこと。雷をともなった集中豪雨や夕立は中休みの後、梅雨の後半に多発します。その頃になると、梅雨明けはもう間近です。


● 梅雨冷え(つゆびえ)
梅雨時に気温が急に下がること。


● 照葉(てりは)
紅葉して 秋の日に美しく照り輝く葉のこと。照紅葉(てりもみじ)。秋の季語。本来は、光沢があって美しく輝く葉のことすべてをいったそうですが、やがて秋の紅葉に限って使われるようになりました。


● 冬至(とうじ)
12月21日または22日で、二十四節気のひとつです。昼間がいちばん短く寒さがますます厳しくなってゆく時期ですが、この日を境にして日足は徐々に伸びてゆくため「冬至冬なか冬はじめ」といわれます。陽気の回復、再生を願って祝う儀式は世界各国に残されており、クリスマスもその風習が背景にあると考えられています。日本では、この日に神聖な旅人が村を訪れると信じられ、弘法大師が村をめぐるという伝承が広く伝えられています。

この日は 「ん」のつくもの(れんこん、みかん、こんにゃくなど)を7種類食べるとよいといわれ、また 柚子湯を立てたり、小豆入りのおかゆ(冬至粥) や この日まで保存しておいた かぼちゃ(冬至南瓜) を食べて無病息災を祈ります。

<それぞれの意味>
かぼちゃ‥ 冬至にかぼちゃを食べると中風にならない、といわれています。栄養価が高くて保存性に富んでおり、冬に不足がちな野菜に代わる栄養補給元として重宝されます。

柚子湯‥ ビタミンCとクエン酸を含む柚子は、血行促進、神経痛・腰痛などを和らげて肌をひきしめ滑らかにするなどの効果があります。輪切りか半分にしたものを袋に入れて湯に浮かべます。柚子の芳香で心も体もリラックス♪

小豆粥‥ 日本だけでなく、韓国でも冬至に食べるそうです。行事食として小正月や引越の時にも食べる習慣があります。ビタミンB1を多量に含む小豆は、古くから解毒、利尿などにすぐれているとされ、薬剤としても使われていました。


● 踏青(とうせい)
春の野山で萌え出た青草を踏んで遊ぶこと。春の野遊び。古く中国で、おもに清明節に行われていたそうです。

 踏青や 嵯峨には多き 道しるべ (鈴鹿野風呂)


● 冬眠(とうみん)
冬期に、ある種の動物が運動・摂食をやめ、物質代謝の極めて不活発な状態に入る現象。両生類・爬虫類など多くの変温動物がこれを行い、ハリネズミ・コウモリなどのような哺乳類にも見られる。リス・ヤマネ・クマなどの冬ごもりの状態(時々覚醒して排泄・摂食などを行う)は、擬似冬眠と呼ぶ。また、植物などが寒期に成育を止めることをいうことがある。

東京の都心では、ヒートアイランド現象(都市の高温化)と一晩中明るい不夜城が原因で一年中眠ることが出来ず、冬枯れの季節の街路樹が盛りの季節のように葉を緑に茂らせていたりするとか。(2000年2月 朝日新聞「空の色 風の音」 より)
桜の花は、夏にはすでに花実をつけ、冬に連続十日以上の寒気にあたり、その後の気温の上昇によって目覚め、開花するそうです。暖冬の影響で開花が遅れるということもあるのでしょう。


● 燈籠流し(とうろうながし)
本来は、盆の終りの日に、小さな燈籠に火を点じて川や海に流す魂(たま)送り、精霊送りの習俗です。秋の季語。送り盆の十五日の夕方あるいは十六日、さまざまな供物とともに茄子や胡瓜で作った精霊馬を川や海に流す精霊流しという習わしがありますが、供物の上にロウソクを灯したものを燈籠流しといいます。真夏の夜の水辺の行事で、流れる灯の群れはとても美しくて別世界にいるようです。


※ 参考資料
広辞苑、『空の名前』(光琳社出版)、『歌ことばの辞典』『古今歌ことば辞典』(新潮選書)、古典文学 ほか