雪月花 季節を感じて

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『風の詩』

2007年04月26日 | 本の森
 
 今回は久しぶりに本のご紹介です。風薫る季節、そろそろ天候も安定するでしょう。あなたは本をたずさえて旅に出ますか、それとも、丁寧にいれた一杯のお茶とともに読書を楽しみますか。


 どこよりも好きなティールームがあります。「洋菓子舗ウエスト」青山店、地下鉄千代田線の乃木坂駅から徒歩3分のところ。乃木坂、といえば、いまでは東京ミッドタウンを連想する人が多いだろうけれど、国立新美術館もミッドタウンも六本木ヒルズもなかった十数年前から、このティールームに通いつづけています。
 店の正面には通りをはさんで青山墓地が広がっているせいか、人通りもすくなく静かで、店内には暗色の背広やスーツ姿の紳士淑女が目立ちます。クラシック音楽を低く流し、客に会話を楽しんでもらうことを第一に心がけている、都内でも数すくないお店(音楽なら何でもサービスだと勘ちがいしている店とはちがう)で、戦後まもなく名曲喫茶として流行り、たくさんの文人たちが集ったと聞いています。

 ウエストは、『風の詩』という無料のリーフレットを発行していて、誰でも自由に読めるようにティールームの卓上に数冊重ねて置いてあります。それに、ウエストが一般公募している随筆や詩などが毎週一編ずつ載ります。応募要領に「お茶をのみながら素直に共感が得られる生活の詩を‥」とあるせいか、お茶を飲みながら読むのにちょうど良い長さの親しみやすい文章ばかり、それも日常の喜怒哀楽を綴ったものがほとんどです。それがこのたび、創刊3,000週号を記念して一冊の本にまとめられ、本のタイトルはそのまま『風の詩』(新風舎刊 ※)になりました。先日、お店に立ち寄ると同時ににわか雨が降り出したので、これ幸いと店頭で本を購入して、ティールームで雨宿りがてら読みました。

 ─ここは何も変わっていない。店のサービスもインテリアも、お客も、お茶もドライケーキの味も、そしてこの『風の詩』も。きっと、わたしがこの店の常連になる何十年も前から変わっていないのだろうと思う。変わったものがあるとすれば、クラシックのレコードがCDになったことくらいかも。『風の詩』もまた、市中に生きる人々が、いつもとなんら変わらない暮らしの中で見つけたちいさな宝石を集めたものだ。本の中で、みんなが泣いたり、笑ったり、悩んだり、過去をふり返ったりしている。なんてゆたかで、愛に満ちた暮らしの詩(うた)があふれているのだろう。それに比べて、ここ数年のうちに首都圏のあちこちに乱立しているSC(ショッピングセンター)やモールなどの大型店へ出かけて時間をすごし、お金を払って楽しみを得るという最近の風潮は、なんだかむなしい─ すぐそばのミッドタウンのひきもきらない喧噪を牽制しながら、本を読み終えたわたしは、二杯目の緑茶茶碗を片手にぼんやりとそんなことを考えました。

 雨が小降りになって店を出るころ、ウエスト青山店が近々改装されることを知りました。これも、ミッドタウンの影響なのかな。どうか、この店が長年かけて築いてきたたいせつな文化を、新しい店舗になっても継いでほしいし、『風の詩』から人々の暮らしの詩を発信しつづけてほしいと願わずにいられません。


 『風の詩』の中から、選者の故・林芙美子さん(作家)が選んだ詩をひとつ。

 第93号 「街の歌」 金井直也(金井 直)

 次から次へと過ぎ去って行く数々の足音の木霊をなつかしみながら、みんな愛し合ひ憎み合って、それぞれの楽器をかきならし、にんげんのいのちを歌ってゐる。
 マッチ箱のやうに並ぶ家の中に、家と家の間を走るおもちゃのような電車の中に、さまざまな感情がぎっしりつまってゐる。夜になるといっせいに、ぱらぱらと落ちた涙のやうに、電灯がともり─ 遠くでみると何んと静かな美しい風景なんだらう。


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※ 『風の詩』 は さくら書房 で紹介しています。
※ 『風の詩』 のバックナンバー(第2815号以降のもの)は、洋菓子舗ウエストのホームページからご覧いただけます。

 
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紅鴎先生に弟子入り

2007年04月19日 | 筆すさび ‥俳画
 
 繰るとなく頁(ページ)を繰りて春愁ひ (紅鴎先生句)

 先日、あこがれの鈴木紅鴎(すずきこうおう)先生の俳画講座に初めて参加しました。画題は「スイートピー」です。早春から初夏まで白、黄、赤、ピンク、紫色などの可憐な花を楽しむことができるマメ科の植物で、花言葉は出会いの季節にふさわしく、「よろこび」「門出」「やさしい思い出」‥です。今回は、先生のお手本①②とわたしの絵(中央の画像)をじっくりと見比べてみてくださいね。


 初めて紅鴎先生の俳画を見ましたとき、「いつかこんな絵を描きたい」と思ったのがきっかけで(当時はまだ「俳画」という言葉すら知りませんでした)、それから十数年を経てようやく俳画を学び始めました。にもかかわらず、こんなに早く先生からじきじきに手ほどきを受ける機会に恵まれるなんて、ほんとうに幸運です。先生は、その繊細な画風から想像できないほどエネルギッシュで、稽古の時間中は休むことなく身体を動かし、十数人のお弟子さんの指導にあたっていました。

 重点的に学びましたのは、筆先への色の含ませ方と運筆です。お手本①の花弁は側筆(そくひつ、筆を傾けて描く)、②の茎は直筆(ちょくひつ、筆を垂直に立てて描く)。お手本の花弁は、まるで三匹の蝶が戯れつつ舞っているように見えますし、また、茎はそよ風になびいているように軽やかです。先生は、どんな絵でも、紙に筆を下ろしたら一気に描いてゆきます。描く前から、もうそれぞれのパーツの始点と終点、全体のレイアウトは決まっているのでしょう。とはいえ、ひと息に描いてはいても、つながりのあるきれいな線で、しかも一寸のブレもないのですから、筆先への集中力はすごいものです。先生いわく、「俳画は線で描く」。まさにそのとおりでした。お手本に比べて、わたしの絵の花弁は平たく、茎の線も弱いですね。
 5分ほどでしたが、先生がつきっきりで運筆方法を指導してくださり、納得のゆくまで筆を動かしていましたら、なんと汗が出ました。それだけ集中したのでしょう。描き終えた後は爽快な気分でした。

 絵のほかに、「一日一字」と「一日一汗」というお言葉をいただきました。先生はかな書の大家でもあり、「いろは四十八文字です。一日一字ずつ上手になりましょう」と、何度もお弟子さんたちにすすめていました。また、「一日に一度は汗をかきましょう。何かに夢中になることは、長生きの秘訣ですよ」と言われたのですが、わたしはその日「一汗」を体験することができたのです。ますます、俳画が面白くなってきました ^^♪


 紅鴎先生のスイートピーのお手本画は、わたしの宝物になりました。先生のお元気なうちに、ぜひまたご指導を賜りたいと願っています。

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消しゴムはんこで、福招き

2007年04月12日 | 和楽印 めだか工房
 
 早いもので、東京のソメイヨシノはもう葉桜です。先週末から桜吹雪の中を何度歩いたでしょう。いつも持ち歩くかばんの中で数枚の桜の花弁がしおれているのを見つけて、今年の桜へお礼とお別れをしました。昨日の午後はしとしととやわらかな木の芽雨が降り、これから若葉のまぶしい季節になってゆくのだなと感じました。

 いそがしや木の芽草の芽天が下 (阿波野青畝)


 消しゴムはんこを始めて四ヶ月、はじめは消しゴムはんこの本を見たり、手ぬぐいやからかみの紋様を参考にして図案を起こしていたのですけれども、最近はどこで何をしていても、気になるかたちやデザインを見つけると、すぐに「ハンコにしたらよいかも♪」と思ってしまいます。ハンコの数もだいぶ増えてきました。そのうち、今回は福招きの図案をいくつか紹介しています。(左上から時計まわりに)ひょうたん、福寿、折鶴、鈴、鯛(たいやき)、れんこんです。

 福寿、折鶴、たいやき(もともと鯛にするはずが、食いしん坊のせいでたいやきになってしまいました‥ ^^ゞ )はよいとして、ひょうたん、鈴、れんこんがなぜ福招きの紋様なのか、お分かりになりますか? 日本手ぬぐいの図案に詳しい方ならご存知かもしれませんね。
 ひょうたん(瓢)は、六つそろいますと「六瓢(むびょう)」、つまり「無病」となり、無病息災を祈る図案です。今年になって、わたしは腹痛とたちの悪い風邪に悩まされましたので、「六瓢」の栞をつくって日記帳にはさんでいます。それ以来、体調は万全です ^^
 鈴は、最近は山に入るときに熊除けのため腰につけたりしますけれども、むかしは魔除けとして身につけました。根付けにはよく鈴がついていますね。また、神前や神事の際に鈴を鳴らすのは、鈴の音で神さまを招来するのだとか。
 れんこんは、穴がたくさんあいているので「先の見通しがきく」とされ、お正月のおせち料理の煮しめにれんこんを入れて、明るく見通しの良い年でありますように‥と祈ります。さらに、れんこんはタネが多いことから、子孫繁栄の意味もあるようです。鈴とれんこんのハンコは、それぞれハガキ大の和紙に捺して、色紙掛にはさんで玄関の飾り棚や部屋に飾っています。
 招福印で、あなたも福の神を呼び寄せてみませんか。


 ふだんからお世話になっている知人・友人に、消しゴムはんこでデザインした手づくりの和紙の小物をプレゼントするのが楽しみです ^^

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花まつり

2007年04月05日 | 季節を感じて ‥一期一会
 
 Iさまへ

 今年もまた花の季節がめぐってまいりました。暖冬のせいでしょうか、どこの櫻も開花日の予想がむつかしく、花追い人は例年になく苦戦をしいられています。でも、翼を得たあなたさまは、北上する櫻前線にのって自由に各地の花から花を訪ねていらっしゃるのでしょう。

 泡雪をとかす水面に結ぼれる花のゆくへを照らす月影

 昨日の東京は、散りぎわの花に雪まじりの氷雨が降り、雷鳴のとどろいた空に立待月のかかる月雪花(げっせっか)の日でありました。あれは四、五年前の、あなたさまに初めてお目にかかりました年のことだったでしょうか、同じように月雪花の日がありましたことを思い出します。


 覚えていらっしゃいますか。あなたさまと、わたくしと、わたくしの友人ふたりの四人で、常照皇寺(京都京北町)の花を訪ねるお約束をしましたことを。約束の不履行云々をいうつもりはございません。ただ、なぜわたくしはあの櫻を見ることができなかったのだろうとずいぶん考えました。なぜなら、あの不慮の事故以来、あなたさまとわたくしのご縁は切れてしまいましたし、本来ならわたくしが負うべき災厄を、あなたさまが一身にお受けになったのではと思わずにいられなかったからです。でも‥ 花はどんなこともおかまいなしに、今年も咲いて、御院の御霊を慰めるのでしょうね。
 
 「櫻は毎年咲く、けして裏切らない。お前はあの櫻のようになれ」― 花まつりの日にあなたさまをお生みになられた母上さまが、あなたさまに言い聞かせたという言葉。この言葉を思うたび、散る花が無常なのではない、花を見ているわたくしたちこそ無常なのだと思い知らされますのです。季節は毎年確実に、誠実にめぐってまいりますのに、わたくしたちの存在なんて、風に翻弄される花弁のようになんと不確かなことでしょうか。結局、わたくしはあなたさまのほんとうのお姿をつかめないままでした。あなたさまはわたくしのことを「韋駄天雪月花」とあだ名した直後、あまりにも突然に逝ってしまわれました。


 目の前で、山櫻の花弁ががはらはらと散っています。そのひとひらひとひらすべてに、あなたさまの魂を感じます。舞う花を見つめていますと、頭の中では反対に、ちりぢりになっていたあなたさまとのわずかな思い出が集まり始め、やがて結合して、あなたさまの笑顔を映し出します。結ばれた映像は、どういうわけかあなたさまの笑顔ばかり。不思議なことです。一度しかお目にかかったことのないあなたさまですのに、年を重ねるたびにその笑顔は明確なものになってゆくのですから。そして‥ 確信するのです。あなたさまは、いまもあなたさまの愛された花の中に生きていらっしゃると。

 あなたさまへの感謝の気持ちはとても言い尽くせません。いまはわたくしの精一杯の山櫻の絵を添えることしかできませぬ。これを、あなたさまへの最後のたよりとさせてください。「念ずれば花ひらく」。これからは、あなたさまの夢が、あなたさまのご遺志を継がれた方たちの手によって、この世に実現してゆくのをそっと見守らせていただきとう存じます。夢が現実になりますとき、きっとまたあなたさまにお目にかかれますね。その日を信じて、待ちつづけます。

 花の降る日に 雪月花


 花には
 散ったあとの
 悲しみはない
 ただ一途に咲いた
 喜びだけが残るのだ
  (「花」 坂村眞民)
 
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