雪月花 季節を感じて

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家紋印 その二

2007年03月29日 | 和楽印 めだか工房
 
 能登半島地震で大きな被害が出ました。テレビを見ていますと、被害を伝えるニュースのほかはふだんと変わらない番組を放送していて、たとえそれが録画であっても、なんとなくむなしい気持ちになります。やすらかな生活と、水も電気も火も自由に使える有難さを思わずにいられません。被災地のみなさまのこころに、季節のうつろいを感じるゆとりが一日も早くもどりますように。わずかですが義援金を送ります。


 地方紙の「マイ切手プレゼント」という企画に応募したところ、クジ運の悪いわたしがめずらしく当選いたしました。正式には「フレーム切手」というそうです。でも、せっかくわが家のオリジナル切手を作るのに、自分や家族の写真切手ではありきたりでつまらないな‥と思い、そこで前回の家紋印よりひとまわり小さいサイズのものを彫ってありましたので、家紋切手をつくることにしました。レイアウトに苦心した原図を送付してから待つこと数週間、ついにわが家のオリジナル切手ができあがりました!(右の写真) 紺地に白の印でちょっぴり地味になりましたけれど、オリジナルの80円家紋切手が10枚、1セットです。半分は義父母に使ってもらうつもりです。思っていたよりも良い出来だったものですから、誰彼となく手紙を書きたい気分です ^^ いまなら、封筒に桜紋の文香をしのばせて。

 ついでに、家紋入りの栞(しおり)をつくりました。(左の写真) 以前から、厚紙に和紙を貼り、紺地に銀の印、茶に金の印といった渋い色目の栞を作っていたのですが、今回は春らしく、やわらかな色を合わせて桜を散らしました。
 この家紋の栞、時代小説を読むときにおすすめです。わたしは、最近ずっと海音寺潮五郎の『天と地と』(角川文庫、全五巻)を読んでいたのですけれども、川中島で武田家の「四つ菱」と上杉家の「毘」の軍旗が相対する場面では、まるで自分もこの家紋の旗を立てて合戦に参加しているような気分になりましたから‥(笑 時代小説が大好きな主人も愛用しています。


 週末はお花見、という方もいらっしゃることでしょう。わたしは、あまり人の集まらないしずかな公園の桜の樹の下で、お弁当をひろげたり、ゆっくり読書をしたいなぁと思うのですが、あいにく関東地方の週末は雨の予報です。

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美の源流 かたち

2007年03月22日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
写真は、まさおさんからいただいた今年の奈良・東大寺のお水取りのようすです。千数百年つづくこの行事にはあまたの“決まりごと”があり、修二会はその“決まりごと”の積み重ねといえるでしょう。けれども、それぞれの行いにどのような意味があるのか、いまも解明されていないものがあるそうです。無常を生きるわたしたちにとって、このようにいつまでも変わらないものがやすらぎとなるのです。


 3月20日、全国に先がけて東京の桜(ソメイヨシノ)が開花しました。さぁ、春本番ですね。わたしの住む町の桜はまだつぼみが小さいので実感がわきませんけれども、今日からぽかぽか陽気がつづくそうですから、来週末には見頃を迎えることでしょう。みなさまはどちらへお花見にゆかれますか。

 さて、出光美術館の「志野と織部 風流なるうつわ」展(2007年4月22日まで)にはもうお出かけになりましたでしょうか。わたしは、この展観からある示唆を与えられ、その後しばらくあれこれと考えをめぐらせておりました。今回の「かたち」は日本文化ならではの魅力あるテーマですから、考えは広範に及びました。


● 織部のかたち
 出光美術館では、志野か織部かにかかわらず、うつわの絵柄によってグルーピングされた展示がありました。当時のうつわの絵は、吊し(干し柿のような図柄)、車輪、籠(籠目)、架け橋、風になびく草花、千鳥や鷺などの鳥、柴垣、網干、笠などが大半なのですが、それらはみな「結界」あるいは「神の影向(ようごう)」を意味しており、うつわに邪気が入ることを防ぐためのものであろう、と解説されていました。とすれば、うつわは神との交感の場であったと考えられます。やきものは、すべて焼成の段階で人の手から離れてしまうことを考えますと、さもありなん、と思われます。
 俗に「へうげもの(ひょうげもの、と読みます)」と呼ばれる織部焼は、戦国の武将・古田織部が、茶の師であった千利休亡き後、師の伝えた侘び茶から脱却し、歴史の潮流に乗って明るく自由奔放な茶を提案したことに始まると一般的には考えられています。ですが、織部の絵付けを見ていますと、織部は利休の茶の「かたち」をその茶碗に凝縮させたのではないか‥そう思えてきます。それはなぜか、をいう前に、織部の茶はあくまで「型破り」なのであって、もとから「かたち」の無いもの(つまり「型無し」)ではないということを、わたしたちは意識しておくべきでしょう。

● なぜ「かたち」を重視するのか
 日本の文化は型の文化である、といわれます。伝統芸能や「○○道」というものにはきまって型がありますし、歳時記やふだんの暮らしにも、より良く生きるための細かな決まりごとがたくさん存在します。その理由が、最近になってようやく分かりかけてきました。それは、かたちを忠実に守り習慣化することで、集中力が鍛えられて余計なことを考えなくなるから、です。この「余計なことを考えなくなる」ことが重要で、そうなることで自己といううつわが空になり、そこに神が入りこむ隙(すき)が生まれるのではないか。もしそうならば、茶に専念することで「己(おのれ)を空(むな)しくする」ことを容易に実践することのできた利休が、神の手引きによって数多くの美の発見をしたのは当然のことだったといえますでしょう。
 また、人はつい邪(よこしま)なことを考えて、道をはずれたり罪を犯してしまいがちです。良識に沿った決まりごとというのは、それに従うことで、あらゆる罪業から逃れることができると考えた先人の知恵でしょう。

● 禅の「無念無想」
 鎌倉期の禅僧・栄西(ようさい、1141~1215年)が、禅の教えとともに茶を日本に輸入したことから禅と茶の関係は深いと考えることはできますが、わたしは「かたち」に専心することによって「己を空しくする」茶の実践が、不立文字を貫き、偶像や教義をもたず、実体験を重視する禅の「無念無想」と結びつくのは容易なことだろうと考えます。とすれば、「無念無想」とは、ひとつのことに専心することで得られる「空」の状態ではないか。このような状態は、わたしたちが「ちょっと禅寺へ行って坐禅をしてくる」というような、生半可な“プチ修行”ではとうてい得られないものですけれども、もしその「空」の状態が常態になったとき、ようやく人はすべてのしがらみから解放されて自由になる。それを、「悟り」というのではないでしょうか。

 では、禅門あるいは茶門をくぐらなければ、わたしたちは一生悟達できないのでしょうか。
 先日、uragojpさんが「直心是道場」という維摩経の言葉を教えてくださいました。つまり、どこに居ようと何をしようとも専心することは可能だということ。朝起きて顔を洗い、朝ごはんをつくって食べ、満員の通勤電車に乗って出勤する‥、この毎日の繰り返しこそ修行であり、よそ見をせず、直ぐなるこころでひとつひとつを行いすますことこそ修行である、ということでしょう。 ‥とはいえ、これは凡夫のわたしにはまったく容易なことではありませんけれども。


● 美の発見、そのとき
 わたしたちの祖先が数百年という長い歳月をかけ、試行錯誤を繰り返しながら、無駄のない洗練された美しい「かたち」や、より良く生きるための知恵を作り上げてきました。なぜ「かたち」や「しきたり」にこだわるのか、それは上に述べましたとおり、集中力を高め、余計な考えをしりぞけるためです。ひとつのことに専心し、無念無想になったとき─そのとき、わたしたちは神の祝福を受けて、神のみぞ知る美と同化することができるのかもしれません。

 最後に、織部の茶碗の話にもどります。茶碗を結界として、邪気を妨げてうつわを空虚にする。それが古田織部の茶であり、茶の「かたち」はその茶碗にきわまるのではないでしょうか。一個の茶碗で神の影向を予祝していればよかったのであり、織部にとって茶碗以外のものなど自由自在だったのでしょう。

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消しゴムはんこで「つらつら椿」

2007年03月15日 | 和楽印 めだか工房
 
 あしひきの八峰(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植ゑてける君
 (『万葉集』 大友家持)

 竹薮を守るように咲くから「薮椿(やぶつばき)」。このことを知って以来、住居の裏手の竹林にひと群れの花を添える一木の椿がますますいとおしくなった。毎年この時季になると、手のひらにちょうどおさまる大きさの退紅色の花をつけ、竹林の下を歩けば靴底が紅に染まるほどたくさんの花を落とす。あまりきれいなすがたのまま落ちるので、毎朝いくつか拾い上げては鞄に入れて会社まで連れてゆく。机上に置いて、一日をその落花とともにすごすのが習慣になった。目立たない色のせいか、花に対する同僚たちの反応は案外にぶい。おかげで、わたしは仕事の合間にひそやかな花との会話を楽しむことができた。
 春まだ浅い休日、興にのって住居周辺に咲く椿の花をかたっぱしから探して歩いたことがある。すると、小一時間くらいであろうか、あっという間に28種もの花を見つけた。これには驚いた。(あなたも、ためしにご近所に咲く椿を探してみてはいかが) せいぜい半径およそ百メートル以内にこれだけの椿が見られるのだ。万葉人が歌に詠み、蕪村が「茶筅(ちゃせん)花」と吟じた椿を、いまもって日本人がどんなに溺愛しているかうかがえるというものだ。初めのうちはめずらしくて、ひとつひとつを写真におさめていたものの、きりがないので途中で止めてしまった。写真はまだ捨てずに残してあるが、あまり見ることもない。花は写真などにして永遠に残すべきものではないだろう。

 引越して夜の椿の残りけり (岸本尚毅)

 その椿の住居を離れて四年以上がすぎる。あんなに好きだった花を、わたしは置き去りにしたのだ。当時の暮らしにはなんの未練もないくせに、あの花のことだけはいまだに後悔がつのる。菅公の飛梅伝説よろしく、薮椿の木よ、わたしのもとへ飛んできてくれないだろうか‥とせんない願いさえ抱いている。
 すると、昨年のいまごろのある夜、椿が夢の中に現れた。わたしは居ても立ってもいられなくなって、あの木に逢うために車を飛ばした。花は遠くからわたしを呼ぶだけで、こちらがその花まで飛んでしまったのだ。木は何事もなかったように同じ場所にあった。だが花は咲いていない。近づいてよく見ると、高いところに一輪だけ花をつけていた。ふと、木の根もとへ目を落とすと、これも一輪だけ、今朝落ちたばかりのようにみずみずしい花が落ちていた。わたしは、まるで生き別れた恋人と数年ぶりに再会したような、そんな気持ちになっていた。そっと拾い上げて、しばらくゆきくれたようにその場にたたずんでいた。‥‥


 先日、いつもコメントを寄せてくださる道草さんのブログをお訪ねして椿の話をしたところ、こんなお返事をくださった。「‥ごく普通の女を妻にしたところ、派手なことには目もくれず堅実に家を守ってくれる。だが、さすがに女だから薄化粧も忘れない。椿はそんな身持ちのよい女房のような花である」(『百花譜』 村上許六)。
 わたしはつねづね椿の花は凡花であり、この季節の主役である桜花をひきたてる脇役にすぎないと思っている。だからこそこの花を愛するのであるが、村上許六がそんなわたしの思いをじつにうまく表現していてうれしかった。許六の言葉はまた、一生を清貧な暮らしに甘んじて生きる、この世のほとんどの女性への賛辞ではなかろうか。

 冒頭の和歌の「つらつらに」は「つくづく」という意があり、「椿」はその「つらつらに」を導く序詞。つまり、つくづく見つめていても飽きない君よ‥と、いとしい女(ひと)への思いを連なり咲く椿に寄せて詠っているのである。
 消しゴムはんこの「つらつら椿」は、ハガキ大。


 今年もわが町の椿展の案内が届いた。週末は椿の花とすごすことになりそうだ。

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 ◆ 雪月花と椿 ◆◆◆
 「散華」 ‥2006年3月10日付記事
 「椿物語」 ‥2006年3月24日付記事

 
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菜の花ごはん

2007年03月08日 | 季節の膳 ‥旬をいただく
 
 先週末は初夏のような陽気でしたのに、昨日から寒のもどりで冷えこんでいます。うぐいすの声もいくらかちぢこまっているようです。桜の開花予想日が発表されましたけれども、ほんとうに来週には静岡から開花の第一報が届くのでしょうか。今朝はふだんより早く目覚めましたところ、あけぼのの空から冴えざえと有明の月の光がさしていました。

 紺絣(こんがすり)春月重く出でしかな (飯田龍太)

 先日、戦後の俳壇を牽引した飯田龍太氏(俳人・随筆家・評論家。飯田蛇笏の四男)が他界しました。著書『紺の記憶』に、住みつづけた山梨県境川村を愛し、その味わいを「炊きたての白いご飯」にたとえて「手軽な菜のものに手作りの味噌汁があればもう最高の美食」と書いているそうです。(2007年2月26日付朝日新聞「天声人語」より)
 いつのころからか、わたしも炊きたてのごはんに温かいお味噌汁、それに旬の野菜のおかずが一品あればごちそう、と思うようになりました。子どものころ、母のつくる青菜の胡麻和えや白和え、酢のものなどにメザシの焼いたのが朝ごはんだったことが、当時の母の年齢に近づくにつれてなつかしく恋しくなって、それをもとめるようになったのかもしれません。

 写真は、最近つくりました菜の花のごはんとお惣菜です。
 菜の花ごはんは、だし汁でごはんを炊いたものに溶き卵を流し入れて蒸らしたところへ、湯ゆがいた菜の花を入れてさっくりと混ぜ合わせました。翌日は残りの菜の花ごはんに鮭フレークと煎り胡麻をちらしましたら、彩りがちらしずしのようになって、これも美味でした。白和えは、かくし味に練り胡麻をすこし足してあります。おひたしはわさびじょうゆのだし汁に15分ほどつけて味を含ませました。いずれも、ほんのり苦味のある春らしい小鉢になりました。
 旬の惣菜にはうつわ選びも楽しいものです。黄瀬戸の茶碗に菜の花ごはん。白和えはわたしの好きな十草(とくさ)模様、おひたしは最近お気に入りの三島手の小鉢に。「黄瀬戸」という言葉すら知らなかった若いころに買いもとめた茶碗は、少々大きめなので混ぜごはんをたっぷり食べたいときに使います。十草模様は一本一本すべて手描きなんですよ、みごとなものですよね。三島手は千葉の女性作家さんのもの。うつわの内側はご覧のとおり印花や縄目による端正な模様付けなのですが、外側は内側の繊細さからは想像できない大胆な刷け目で、その手際の落差に魅せられます。
 大好きな唱歌「おぼろ月夜」をくちずさみながらの、楽しい春の台所です。


 いま、政治とカネの問題の中枢にいるM農林水産大臣が、世界各国に「スシ・ポリス」なるものを派遣して、各国の日本料理を出す店を指導する制度を整えています。この計画にはすでに2億7,000万円の予算がついており、今年度からの実施が予定されています。まさか‥と思っていましたら、先日のあるテレビ番組で、京都で四百年の歴史をもつ老舗懐石料理店のご主人が「世界各地の日本料理店の料理人を日本に招致して、正しい日本料理を教育するためのセミナーハウスを設置します」と語っていましたから、いよいよほんとうのことらしい‥と驚きました。WTO(世界貿易機関)の推進するグローバリズムに沿った政策により日本の第一次産業は風前の灯火だというのに、世界に向けては「日本料理がいちばん!」とばかりに押しつけの親切指導を行うなんて、何か大きな勘違いをしているとしか思えません。

 世界に誇る日本の食文化は懐石料理が第一ではないでしょう。国産の食材でできるかぎり地産地消をめざし、各家庭が愛情のこもった温かな家庭料理をつくることこそ、美しく健全な国づくりにつながるのではないでしょうか。

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桃日和

2007年03月01日 | 筆すさび ‥俳画
 
  碧天や雪煙たつ弥生富士 (水原秋桜子)

 先週、家族を連れて河口湖までドライブしました。湖畔に近づくにつれ、まっ白な雪に荘厳された富士の山容がみるみる明らかになり、湖畔に至るとそこはもう山懐です。暖冬が尽きるころになって「ようやく冬に会えた」‥そんな気分でした。眼前に迫る雄々しい富士の姿を仰ぎつつ深呼吸をしましたら、湖水をふくんだ冷気が身体のすみずみまでしみるようでした。あとひと月もすれば、ふもとの日本一の桃の里・一宮町(山梨県笛吹市)は、文字どおりの桃源郷になるでしょう。

 今日から弥生。先月はもともと28日しかないところに風邪を長引かせて二週間も無為にすごしてしまいました。今月こそ、春の息吹に耳をすませて一日一日をたしかめつつ暮らしたいです。
 つい先日からウグイスの声を聞くようになりました。この時期にしてはみごとな歌声で、きっと、ちいさなからだをいっぱいにふくらませて「春が来た」と告げているのでしょう。南風が吹き荒れて、梅の枝からぽろぽろと花が落ちます。春のこぼれ花は、ウグイスが落としていった笠なのだそうですね。

 桃咲いて笠縫(かさぬい)村に長居せり (岡井省二)


 ウグイスの姿を想像しながら、ふっくらとしたお雛さまを描いてみました。「寿々雛(鈴雛)」です。男雛がウグイスで女雛は桃の花かしら。これはいったいどちらの地方のお雛さまなのでしょう。
 もうひとつは、鳥取県に伝わる「流し雛」です。藁(わら)で編んだまるい皿状の「桟俵(さんだわら)」に一対の和紙の人形(ひとがた)を乗せたものはよく見かけますが、複数組の人形をこのように竹で挟んだものは初めて見ました。実物の映像が こちら にあります。これを桟俵に乗せて流すようです。風情が愛らしいので、郷土玩具としても人気があるのだとか。

 みなさまのご家庭やお里のお雛さまはいかがですか。
 わたしの雛飾りは実家に置いたままですから、今年はこの俳画に雛菓子と花を供え、菜の花のごはんと小鉢をつくっておしまいです。義父母の家の段飾り(義姉のために誂えたもの)も、いまはもう飾らないそうで、代わりににこやかな表情の翁と老女の人形が床の間に飾られていました。これからは、わたしたちが老いた親を守る番なのでしょう。

 平安時代の「ひいなあそび」が原形といわれるお雛さま。わたしの子どものころの「ひいなあそび」といえば、リカちゃん人形でした。持ち運びのできる真っ赤な色のリカちゃんハウスがとても自慢でした ^^ みなさまの幼いころは、どんな人形(あるいは、ぬいぐるみ?)で遊びましたか。


 近くの畑に植わっている桃の木は、もうちらほら桃色の花をつけています。
 週末は、「三井家のおひなさま」(三井記念美術館 @東京日本橋)を見にゆこうと思っています。

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